13
――申し訳ありません、兄上。
そう心の中で謝罪する。これで王位継承の話は、白紙に戻るだろう。
けれどアルノルトは、手を動かすことを止められなかった。
エリオの指示に従い、ひたすらに解毒薬を作る手伝いをする。
――『王子が薬師の真似事など』と、政敵はここぞとばかりに責めてくるだろう。『もっと果たすべき責務があるだろう』と。
その通りだった。
それでも、アルノルトが意思を翻すことはない。
「その薬草をすりつぶしてください」
焦る医務官に言われ、アルノルトはすり鉢に入れた多量の草がどろのようになるまで手を動かした。
アルノルトは、エリオと、信用のおける医務官数人とで、解毒薬の精製を行っていた。
時間との勝負に、全員の気は逸る。
アルノルトは必死に彼らの手足となった。それはまるで、ヘルとマリエールの手伝いをしていたあの頃のようだった。だが、感傷にひたる間はない。
「ったく、あのジジイ。ややこしい毒を思いつきやがって」
額に汗かいたエリオが舌打ちする。
毒薬を作ったグラディウスから、精製方法と材料は聞き出していた。――彼は保身のため、フィオリアについていたらしい。
しかし今は、そんなことに構ってはいられなかった。
身分をかなぐり捨て、アルノルトは懸命に手を動かす。
――すまない。
そう何度も謝りながら。
『殿下……っ!』
エリオの手伝いをしようとしたアルノルトを、ウベロは止めに入った。――その手を振り切ったのは、生まれて初めてだったかもしれない。――あの瞬間の、ウベロの驚きに満ちた顔が今でも忘れられない。
しかし罪悪感よりも焦燥が先に立ち、アルノルトはエリオの後を追った。
――すまない、ウベロ。
おまえは、ずっとそばにいてくれたのに。
アルノルトは幼い頃から、望まれたように生きるのが正しい道なのだと思っていた。そしてその道を歩んできたことに、後悔はない。
けれど心の奥、根っこには、彼女への想いがずっと宿り続けていて。今マリエールを助けなかったから、自分は王どころか自分ですらいられないと思った。だから。
――許してくれ。
玉座を手放しても、絶対にマリエールだけは助けねばならなかった。
エリオが、最後の抽出作業に取り掛かる。
皆が固唾を飲んで見守る中、小さな腕いっぱいに透明の薬が出来上がる。
エリオは難しげな顔をしたまま「効くかはわからない」と呟いた。それほどグラディウスの作った毒薬は、珍しいものだったらしい。
しかし希望はこの薬にかかっている。
アルノルトは満身創痍の面々に感謝を告げ、マリエールの元へ急ぎ戻った。
外は夜になっていた。
開け放した窓から入る夜風が、アルノルトの汗を乾かしていく。
「ふたりにしてくれ」
護衛についていたウベロたちを退出させ、アルノルトはベッドに歩み寄った。
膝をついて見やれば、彼女の呼吸はさらに浅くなっていた。
「……マリエール」
アルノルトは自身にもたれさせるようにマリエールを抱えおこした。そうして、顔にかかる髪の毛を指の先で払う。反応はない。
「……薬を持ってきたよ。エリオが作ってくれたんだ」
すぐに良くなる。
安心させるように言って、アルノルトは椀の中の薬を口に含んだ。
――『少しずつだ』
ヘルの教えを思い出す。
慎重に顔を近づけ、唇を重ねた。彼女の喉奥にそっと、少量ずつ流しこむ。
効け。と、願いながら。
静かに唇を離し、月明かりの中、腕の中のマリエールを見守る。
束の間。あるいは永遠とも思える時間。
抱きしめた身体は力を失ったまま。
アルノルトは息を止めてマリエールを見つめていた。
このまま別れるなんて、絶対に嫌だから。
ひたすらに、願う。
「マリエール」
頼む。効いてくれ。
そう強く祈った瞬間だった。
マリエールの眉が微かに動き、こくんと小さく喉が鳴る。
食い入るように彼女を見つめる。
閉じられたままの瞳、まつ毛の先がぴくりと震えた。
マリエールの目が開かれる。紅茶色の瞳に、アルノルトは唇を噛み締めた。
「……ユリ……シス?」
ぼんやりとした声で、マリエールは言った。
アルノルトはたまらず、マリエールを抱きしめた。強く強く、思いを込めて。
「うん、そうだよ」
手は震え、涙は止まらない。
「僕だよ、マリエール」
思いのまま、マリエールの頬に頬を擦り寄せる。
どうしてこの子と離れていられたんだろう。
「マリエール」
抱きしめたまま、懇願する。
「どこにもいかないで。そばにいて。幸せにする。約束するから――僕のお嫁さんになって」
毒のせいで、何を言われているのかわかっていないのかもしれない。
マリエールはただ、されるがままだった。けれど。ふと、笑顔で頷く。
「ええ、いいわ。私もあなたが好き。大好きだから。結婚する」
「……………………ほんとう?」
信じられなくて、顔を覗き込む。
マリエールは嬉しそうにもう一度頷いた。
「ええ」
そうして、証明するように擦り寄ってくる。
「ずっといっしょよ。そうだったらいいなって私も何度も思ってたもの」
アルノルトは嗚咽を堪えた。
夢を見ているようだった。
彼女の頬に手を添え、触れるだけのキスを送る。甘く痺れるような感覚に、胸がいっぱいになる。
何もかもを失うというのに、不思議な話だった。
こんなにも、満たされるなんて――。




