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恋に宿る  作者: koma
【二章】
25/30

10

 風が鳴っていた。

 夜空には満天の星が輝いている。

 マリエールは、アルノルトに連れられた先――夜の庭園のベンチに並んで腰掛けていた。


 アルノルトの低い声が、夜の静寂に溶けていく。


「僕には、兄がいたんだ」


 その視線はわずかに下げられたままだった。長いまつ毛が、彼の頬に影を落とす。


「兄は――名をガルディスと言って、僕とは似ても似つかない、とても明るくて強くて、頼り甲斐があって、優しい人だった。兄は次の王になることが決まっていて、周りもそれを望んでた。その頃の僕の夢は、兄を支え、役に立つことだった。そのために、勉強も剣の稽古も励んでいた。ウベロもいっしょに」


 マリエールはアルノルトの話に、ひたすらに耳を傾けていた。一言も逃してはならないと思っていた。


「でも――――兄は死んだ。殺されたんだ、腹違いの弟とその一派に。王位継承権を狙われて」


 瞬間、アルノルトの灰藍色の瞳に、ほの昏い影がよぎる。

 その時のことを思い出しているのだろうか。

 マリエールは伸ばしそうになる手を堪えた。


「兄が殺されたのは、僕が十三の時だった。それから僕は仇を討つ決意をした。ウベロや、兄を支持していた者たちも賛同してくれて、力を蓄えていた。でも、そんな僕を目ざとく思う奴らに裏をかかれて、僕は城を追われた」


 幼いアルノルトは真夜中、政敵からの襲撃に遭い、命からがらウベロと共にフェゴール城を脱出したのだという。

 集まった仲間の中に、裏切り者がいたのだそうだ。

 それからアルノルトは、二日以上も飲まず食わずで、敵に追われながら森を彷徨ったと言った。


「ウベロも動けなくって、僕も歩けなくって、森で倒れて。もうダメだと思った。その時だよ。ヘルさんに助けられたのは」


 アルノルトの告白に、マリエールは思いのほか驚いてはいなかった。

 ああ、やっぱり。という気持ちの方が強くて。


 ――やっと会えた。


 会えていたのだ。

 マリエールは唇を振るわせる。


 ――けれど彼は。


 アルノルトの告白は続く。


「それから――すごく苦い薬を飲まされて、小さな薬師さんに看病してもらって、僕は、生き延びることができた」


 やっとアルノルトがこちらを向いてくれる。

 星あかりだけでもこんなに表情がわかることを、マリエールはその夜、初めて知った。


 決意を秘めた瞳。

 硬く閉じられた口元。

 凛とした空気を纏うアルノルトは、まさに〝王子さま〟だった。


「村での生活は楽しかったよ。どこに敵が潜んでいるかわからなかったから、素性を明かすことはできなかったけど。村の人たちは、ヘルさんも、村長さんも、まあ、ティティも、親切だったし。特にね、ヘルさんの助手の薬師は、ずっと僕を気にかけてくれて……嬉しかった」


 太陽と共に起きて、食べ、薬を作り、売って、遊んで、月と共に眠る。そんな生活が楽しかったと、王子さまは言った。


「城にはいつも敵がいて、張り詰めてたからかな。僕は生まれて初めて、穏やかな気持ちになれていたと思う」


 寝込みを襲われないこと。

 すれ違いざま嫌味を言われないこと。

 食べ物に毒が混じっているかなんて、気にしなくていいこと。

 その全てがアルノルト――ユリシスには幸せなことだったそうだ。


「でも、ウベロが迎えに来てくれた」


 とアルノルトは続けた。

 それも真夜中のことだったらしい。


「それからは急いで村を出た。……ごめん。僕がちゃんとお別れを言わなかったら、ずっと探させていたんだよね」


 アルノルトが言って、すまなそうに微笑む。


「でも、僕は大丈夫。だからもう――僕のことは、いいんだよ」


 マリエールはたまらなくなって、アルノルトの手を握りしめた。アルノルトは拒絶せず、好きなようにさせてくれる。

 彼の手は、大きくなっていた。あの頃よりずっと、ずっと。


「……わかったわ」


 マリエールは懸命に笑顔を作る。

 まさかほんとうに王子さまだったなんて。

 ぽろぽろと溢れた涙をアルノルトに拭われる。


「泣かないで」

「……ごめん、ごめんなさい。でも、また会えたことが嬉しくて。元気そうで、よかったわ」

「うん。僕も、すごく嬉しかった。安心した。――すぐに言えなくてごめんね」


 そうだ。

 アルノルトはどうして突然打ち明けてくれる気になったんだろう。

 疑問が顔に出ていたのか。マリエールを見つめながら、アルノルトは言う。


「エリオ・フィガーに言われたんだ。『マリエールにはずっと探してる奴がいる』って。『自分への褒美はいいから、あの子の人探しを手伝ってやってくれないか』って。彼は、ほんとうにいい人だね」


 マリエールは目を見開く。


「エリオが……?」

「うん。とても必死に頼みこまれた。マリエール、きみ、会う人会う人に僕のことを聞いてたんだって?」

「……ええ、そうよ。そうよ――すごく探してた」


 少しだけ不満を漏らす。


「お城にいたんじゃ、見つかるはずもなかったわ」

「うん。でも、このことは内密にしておいてほしい。誰にも言っちゃダメだ」


 アルノルトと関わりがあると政敵に知られれば、マリエールやヘルにも危害が及ぶかもしれない。

 それを心配して、アルノルトは今まで口をつぐみ、自分たちを遠ざけていたんだろう。


 あの夜も。

 そして、これからも。


 立ちはだかる難題の前に、マリエールは胸の奥を締め付けられた。これ以上、彼の力にはなれそうもない。


「……いつもは、こんな喋り方じゃないんだ」


 ふと、恥ずかしそうにアルノルトが首の後ろをかいた。マリエールは頷く。


「そうよね。アルノルトさまの時のあなたは、〝為政者〟って感じだったわ」

「演じてるんだ。兄みたいに上手くはいかないけど」


 言われて、思い出す。そうだ。アルノルトは次期国王の座も約束されているのだった。

 なんて遠い。

 マリエールは、心を締め付ける想いを振り払うように明るく振る舞う。


「きっと大丈夫よ。アルノルトさまは街でもすごく評判がいいし、私も応援してるから」

「……きみも、夢を叶えたしね」

「入り口よ。まだ、ヘルさんみたいに上手くはいかないわ」


 言った後に、アルノルトの同じ弱音を発していると気づいた。

 ふたりは肩を揺らして笑い合う。


 ――この夜が終わり、次に会う時には王子と薬師の関係に戻らなければいけない。

 それがお互いにわかっていた。

 だから惜しむように、思い出話に花を咲かせる。


 これまでのこと。

 楽しかったこと。

 苦しかったこと。

 ヘルにもまた会いたいということ。


 けれどそう長く時間を取れるわけもなくて。


 会話が途切れた瞬間、ふたりの時は終わりを告げた。


 夜会場から流れる音楽が、別世界の音のように聞こえた。


「マリエール」


 アルノルトが片腕を伸ばし、その胸の中にゆっくりとマリエールを抱き入れる。


「会えて、ほんとうに嬉しかった。どうか、幸せに」


 祈るように言われて、マリエールは両目を閉じた。


 ――この気持ちは、なんなんだろう。

 

 胸の痛みが頂点に達する。

 マリエールはアルノルトの胸に頬を寄せた。

 爽やかな香水の匂いがした。

 離れたくない、もっと一緒にいたい。

 どうして?

 それはきっと。

 気づいたけれど、口にすることはできなかった。だって彼は王子さまで、成し遂げなければいけないことがあるから。この気持ちは彼を困らせるだけだと、わかっていた。

 胸に宿る想いを、マリエールは涙とともに飲み込む。


「あなたもどうか、幸せで」


 でもせめて、と。ただそれだけを、祈るように伝えた。



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