第一節の禄 主君、織田信長
月日はめぐる。
信長様は家督を長男である信忠様におゆずりになり、次なる居城としての安土城の建築へと動き始めた。
天王寺城にて本願寺勢に勝利し、木津川にて村上水軍と戦い敗北、各地にて一進一退が続く、
さらに翌年には紀州攻めにて宿敵であった鉄砲集団雑賀衆と歴史的和睦をする事に成功する。
残る難敵は本願寺本領であり、ここを攻め落とせば京を中心とした一帯は完全に上様の支配するところとなる。
さらに、信長様は11月に内大臣、ならびに右近衛大将となられ、呼び名も内府様とおなりになられた。
とは言え普段から接する武家の者たちはこれまで通り上様とおよびしておられたのだが。
このように目まぐるしく日々が動き続けていた。
しかし月日は着実に、上様の目指す天下布武と天下統一へとその歩みを進めていたのである。
§ § §
そして、その日はついに来る――
天正5年5月の晩春の頃である。
私はかねてから命じられていたとおり、上様こと信長様の小姓として召し抱えられることが正式に決まったのである。
そしてその初出仕の日が今日であった。
朝日も登り始めぬうちに身支度を整え、出立の準備をする。
小姓として出仕するのは私だけではない。弟の坊丸、力丸と共に3人での召し抱えだった。
母も玄関口にて私たちを見送ってくれた。
「体に気をつけるのですよ」
言葉は少なかったが。それで十分だった。この人の抱いた親としての思いの深さと懐の深さはありがたいほどに解っているのだから。だからである。それに対して返せる言葉はただ一つしか無い。
「母上も、いつまでもお元気で」
そして、玄関口に居合わせる侍女や使いの者たちが口々に声にする。
「行ってらっしゃいませ」
「お気をつけて」
言葉は様々だったが、そこに込められた思いはよく伝わってきた。
そして、返す言葉は一つだ。
「行ってまいります!」
私、森蘭丸、13の春のことであった。
§ § §
そして今、私の目の前には1人の人物が上座に座していた。
――織田内府信長――
今、日の本の国において最も勢いのある御方にして、この国のあり方を根底から変えてしまいかねない御方だ。
そして、地の底から響くような力強い声でこう発せられる。
「面を上げい」
それまで両手をついて額を伏せていた私たちに声がかけられる。命じられるままに顔を上げる。
「余が、織田内府信長である」
そこには恐ろしいまでに眼力鋭い武人が上座にてあぐらをかいていた。そして上段から私たちを見下ろしている。
この方こそが天下布武の実行者にして、日の本の国を一つにまとめんとしている剛の者、織田信長公である。
その声は低く、轟くような力強さがあったが、どこか包容力を孕んだ暖かさと情の深さがにじみ出ていた。
「お主か三左衛門が三男、成利とは」
私は正座にて両手を突き頭を下げていたが、顔を上げてこう答えたのである。
「はい! 森蘭丸成利にてございます!」
「ほう、凛とした美しい声をしておるのう。若い頃の三左衛門によう似とるわ」
上様は私に満足げに微笑みかけてくる。その視線に向けて私はこう答えたのである。
「ありがとうございます! 私も内府様のお力になれるようお役目に尽くす所存にございます!」
「うむ、その勢い、可成が戻ってきたかのようじゃ。兄弟ともども父の武名に違わぬ働きを期待しておるぞ!」
「はい! 上様にご満足いただけるよう精進いたします!」
こうして、私と上様の多忙な日々が幕を開けたのである。
さて、ここまでで第1話に相当する第一節が終了です
次は第二節に続きます
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