第六話 丁寧にまとめてくださっている
<暁の記録の書庫>が止まったまま、三連休が明けた。
樗木真那の席には、連絡の増えた書簡帳が何冊も積んであった。<暁の書庫>を使う案件が止まっているので、待たせている先に返事を書かなければならない。
他のメンバーも、誰もが机に向かって黙々と作業していた。三日分の休暇は、そのまま三日分の仕事になっている。
先週の金曜日、二時間のタイマーが鳴ったところで、真那はヘルプを出している。鏑木がミーティングに入っていたので、言われた通り小檜に声をかけた。書庫の参照に使っている魔法陣を、確認してもらうためだ。
その返事が、書簡帳の返事を出し終えた頃にきた。
小檜本人が、マグカップを持ったまま、真那の席にふらりとやってきた。<若木>の古株で、真那より一回り上の女性。魔法陣を書かせれば事務所で一番速い人だ。
「魔法陣、契約書の条件は全部満たしてたよ」
「そうですよね。変わってないから、そうだとは思ったんですけど。すみません、確認させてしまって」
「いや、可能性は潰さないとだからね。必要な作業だって」
「ありがとうございます。助かりました」
小檜はひらひらと手を振って、自分の席に戻っていった。
魔法陣に問題がないなら、残るのは契約のほうだ。
真那は<月と物語りし悪魔>の契約書を開いた。
書庫に関わる条項だけで、何十頁もある。古い契約なので、言い回しが回りくどい。何度も結び直されているからだろう、同じ内容について何回も確認されている部分もある。目が滑る。真那は指で行を押さえながら追っていった。
見つかったのは、昼を過ぎてからだった。
参照できる本の範囲を定めた条項の、さらに先。一度に参照できる頁数にも、上限が定められていた。
記録を見直す。遡って確認すると、こちらが参照する頁数は徐々に増えていた。ずっと増え続け、そしてついに超えたのが、連休前のあの日だった。
引き継ぎ資料を開いた。その条項は、書かれていなかった。
前任者も、知らなかったのだろう。上限に届くほど使ったことがなければ、気付きようがない。真那は引き継ぎ資料に書き足した。これで少なくとも、次の人には渡る。
対応は二たつ考えられた。
一とつは、上限に引っかからないように魔法陣のほうを書き換えること。契約が縛っているのは書庫に触れる部分だけなので、そこを避けて組み直せば動く。小檜に頼めば早いはずだ。
もう一とつは、上限そのものを増やしてもらうこと。こちらは<月語>に相談するしかない。
真那は原因と対応案を一枚にまとめて、儀式室の枠を取った。午後の遅い時間しか空いていなかった。
◆◆◆
ロッカーでローブを羽織って仮面をつけ、備品置き場で短剣と畳んだ布を出す。契約書は自席から持つ。手順は先週と同じだった。
石の部屋で布を広げ、短剣を抜いて前に置き、あぐらをかいて口上を唱える。一度目では出てこない。一呼吸おいて、もう一度。
煙が立って、黒い革手袋が空間ごと掻き分けた。撫で付けた黒い髪、目元を覆う白い仮面、黒いスーツ。灰色の部屋に、白と黒が浮かび上がる。
口角を大きく吊り上げた、三日月の笑み。男は、いつもの口上を言ってから、頭を下げた。
「お問い合わせありがとうございます。ご用件をどうぞ」
「<暁の記録の書庫>の件です。原因が分かりました」
真那はまとめた紙を掲げた。
「参照できる頁数に、上限が定められていました。契約書の、この条項です。こちらの引き継ぎで漏れていて、把握できていませんでした。先月の末から、その上限を超えています」
男が、身を乗り出した。
短剣のぎりぎりまで顔を近付けて、仮面の奥の目が紙の上を動いている。先週のような、こちらを覗き込む近さではなかった。読むための近さだった。
真那は紙の角を持ち直して、読みやすいように少しだけ傾ける。
男の目は、上から下まで下りて、それからもう一度上に戻った。黒い革手袋の指が、宙で文字を追うように動いている。
長かった。こんなに時間をかけて読まれたのは、初めてだった。
「……先月の末から、とおっしゃいましたね。それまでは、超えることはなかったということでしょうか」
「記録から見る限り、なかったと思われます。こちらは一年前からの一か月ごとの記録です。頁数は徐々に増えています」
真那がもう一枚を並べて掲げると、男はそれにも目を落とした。今度はすぐに顔を上げる。
「……なるほど。確かにこれが原因で間違いなさそうだ」
真那は持っていた紙を下ろすと、座ったまま身を乗り出した。
「はい。それで、この上限を上げたいと思っています。対応お願いできますでしょうか」
「<暁の記録の書庫>の司書の悪魔に依頼して、可能だと分かれば契約の結び直しで対応できます。ただ」
男はそこで、言葉を切った。口元に革手袋の指先を当てて、言いにくそうに口を開く。
「……お約束はできかねます。悪魔には悪魔の基準と判断があるので」
「はい。分かっています」
男が姿勢を戻した。
「でも、これらの資料、丁寧にまとめてくださっているので、司書の悪魔も受け取ってくれると思います」
真那は息を吐いた。少なくとも、僕には話が伝わった。
「はい。依頼していただけるだけで助かります。お願いします」
「それでは、結果は契約書にてお伝えいたします。少々お時間をいただくことになるかと思います」
「はい、よろしくお願いします」
真那は頭を下げてから、床の短剣を握って持ち上げた。ひょい、と男が身を引く。
「我、<理と若木の魔術師>の名において、対話の終わりを告げる。<月と物語りし悪魔>の従順なる僕よ、<月と物語りし悪魔>の名において立ち去れ」
「またいつでも、お呼びください」
三日月のような唇で笑って、その姿は煙の中に掻き消えた。
しんと静まり返った部屋に、真那は座ったままでいた。
布を畳んで、短剣を鞘に収める。ロッカールームで仮面を外し、ローブを脱いで、畳んでしまった。
◆◆◆
備品置き場に短剣と布を戻して、席に戻る。鏑木に報告すると、背もたれに体を預けて長く息を吐いた。
「頁数か。そりゃ気付かないわ」
「上限があっても問題にならなかったから、見落とされていたんでしょうね」
「そういうの、問題になってはじめて気づくんだよなあ」
鏑木は姿勢を戻して、立ったままの真那を見上げた。
「それで?」
「上限を増やしてもらえるかは、返事待ちです。一時対応のほうは小檜さんにお願いしてきます」
「一時対応、どうする?」
「一度に参照できる頁数を減らしてもらいます。何回かに分ければ、上限には届かないので」
「使う側の手間は増えるな」
「はい。上限が上がったら、元に戻します」
「まあ、止まってるよりは良いか。お疲れ様」
鏑木は伸びをして、またモニタに向き直った。画面の図形は、金曜に見たときより増えている。
小檜のところへ魔法陣の書き換えを頼みに行くと、説明を聞いて「やっとくよ」と返ってきた。早ければ明日には対応完了できるらしい。
自分の席に戻って、契約書を閉じる。
モニタに向き直って、今日の分の記録をつける。
――原因判明。参照頁数の上限に抵触。一時対応を手配、上限の変更を申し入れ。返答待ち。
書き終えて、キーボードから手を離す。
それから真那は、さっきの言葉を思い出した。
丁寧にまとめてくださっているので。
仮面の向こうの、顔も名前も知らない相手だ。<月語>の窓口で、こちらの契約を担当しているというだけの相手。声だって、あれは本当の声ではない。
そんな相手が、仕事ぶりを褒めてくれた。嬉しかった。
真那は次の書簡帳を引き寄せた。引き寄せながら、口の端が少し上がっているのに気付いて、慌てて戻した。




