↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔のしもべと魔術師は隣に住んでいる(ことを知らない)  作者: くれは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/35

第十四話 お疲れ様でした

 樗木(おうちぎ)真那(まな)は、その日の朝も、書簡帳(しょかんちょう)と契約書の確認から仕事を始めた。

 月末に向けて連絡が必要な書簡帳が何冊か。それと、返事が必要な連絡も二(ふ)たつあった。契約書に新しい書き込みはないが、月末に向けた予定が入っているものはいくつかある。

 特に、<月と物語りし悪魔>との契約の結び直しは、今日だった。連絡がないということは、直前の予定変更はない、ということだ。ほっとする。

 儀式室は、午後の遅い時間を押さえてある。

 一日の仕事を終えてから、ロッカールームで、いつもより丁寧に支度をした。

 仮面を手に取って、縁を指でなぞる。前任者から引き継いだものだ。灰色の漆が擦れて、下の木地が覗いている。塗り直すほどではない。漆は乾くのに日数がかかるので、どちらにしても今日は直せない。真那は布で表と裏を拭いて、それから顔に当てた。

 ローブは、掛け直しの記録を確かめてから羽織った。期限はまだ十分に残っている。裾の皺を手で伸ばして、フードを整えた。

 こうして整えたところで、相手に見えるのは灰色の塊でしかない。それでも、今日は整えた。

 備品置き場で短剣と畳んだ布を出す。契約書は自席から持つ。三つ抱えて、廊下を歩いた。

 儀式室で布を広げ、短剣を抜いて前に置く。あぐらをかいて、膝に契約書を載せた。

「これは<月と物語りし悪魔>と<理(ことわり)と若木の魔術師>との契約である。我、<理と若木の魔術師>の一人が、<月と物語りし悪魔>の従順なる僕(しもべ)との対話を求める。偉大なる<月と物語りし悪魔>の名において、姿を見せよ」

 一度で、空気が動いた。

 いつもは二度三度唱えなければ出てこない。今日は日時を決めてある。向こうも、待っていたのだ。

 煙が立ち上って、黒い革手袋がそれを掻き分ける。撫で付けた黒い髪、目元を覆う白い仮面、黒いスーツ。灰色の部屋に、白と黒が浮かび上がった。

 男は口角を大きく吊り上げた。薄い唇が三日月の形になる。それから、優雅に頭を下げた。

「我、<月と物語りし悪魔>の従順なる僕(しもべ)の一人が、<理と若木の魔術師>と<月と物語りし悪魔>との契約に従い、求めに応じよう」

 姿勢を戻して、男は続けた。

「本日は、よろしくお願いいたします」

 お問い合わせありがとうございます、ではなかった。今日何をやるかは、もう決まっている。

「はい。よろしくお願いいたします」

 真那は契約書を開いて、膝の上で支えた。

「<理と若木の魔術師>は、<月と物語りし悪魔>との契約のうち、<暁の記録の書庫>の参照について、ここに結び直すことを求める」

「<月と物語りし悪魔>の従順なる僕(しもべ)、これに応じる。<暁の記録の書庫>の参照の上限、新たに定むるものとす」

 頁(ページ)の上で、文字が動いた。

 古い上限を書いた条項の字が、端から薄れていく。紙に染み込んでいくように灰色になって、消える。その上に、新しい文字が浮かび上がってきた。

 印字のように整った字だ。

 角の擦れた古い契約書の、この一頁だけが、今この瞬間に書き換わっている。

 真那はそれを目で追った。参照の上限が改まる。それに紐づいた条項の文面も、順に置き換わっていく。先日この僕(しもべ)と突き合わせた文面と、一文字も違っていなかった。こちらが端から当たった条項も、漏れずに入っている。

 やがて、文字が落ち着いた。頁は、はじめからそう書かれていたような顔をしている。

 締結だった。

 真那が契約書を閉じると、部屋の空気が少し緩んだ。

 男が、口を開いた。

「連休は、少しはお休みになれましたか」

 定型ではない。雑談だった。

 この人は前にも一度、そういうことを言った。あまりご無理なさらないでください。あのときも、返事をするのに間があいてしまった。

 真那は少し迷ってから、頷いた。

「はい。楽しい予定があって」

 ビュッフェのことを思い出していた。高層ラウンジから見た景色。ローストビーフとモンブラン。甘いものについて語る声。それから――。

「それは、良かったです」

 男の声に、真那は視線を上げた。細長い手足の男が、こちらを見ていた。

 真那は膝に手を置いて、座ったまま深く頭を下げた。

「お疲れ様でした」

「お疲れ様でした」

 男も、立ったまま頭を下げた。

 お互いに掛け合った声が、部屋の中に柔らかく響いた。

 顔を上げる。白い仮面の奥は、見えない。それでも、笑っている気がした。

 それで、ようやく体の力を抜くことができた。

 真那は床の短剣を握って持ち上げる。ひょい、と男が身を引いた。

「我、<理と若木の魔術師>の名において、対話の終わりを告げる。<月と物語りし悪魔>の従順なる僕(しもべ)よ、<月と物語りし悪魔>の名において立ち去れ」

「何かございましたら、いつでもお呼び出しください」

 男は優雅に腰を折って頭を下げる。

 煙の中に、その姿が消えた。


   ◆◆◆   


 ロッカールームで仮面を外して、長く息を吐いた。

 束ねていた髪を解いて、掻き回して、また束ね直す。ひと月近く抱えていたものが、ようやく肩から下りた。

 はじめてこの件で呼び出した日は、煙が消えた五秒後に叫んでいた。今日は、叫ばずに済んだ。

 席に戻ってしばらくすると、小檜(こひのき)がやってきた。

「戻したよ。試してみて」

 真那は参照を走らせた。

 動いた。分けずに、一度で、以前と同じように。

「動きました」

「はい、おしまい」

 小檜はひらひらと手を振って、自分の席に戻っていった。

 隣で、鏑木(かぶらぎ)がモニタから顔だけこちらに向けた。

「お疲れ」

「ありがとうございました」

 真那はモニタに向き直って、記録をつけた。


 ――結び直し完了。参照の上限を変更。一時対応を解除。


 書き終えて、キーボードから手を離す。三行で済んでしまった。


   ◆◆◆   


 駅前のコンビニを出たところで、隣に人が立っていた。

 若月(わかつき)湊(みなと)だった。相変わらず、足音がしない。

「お疲れ様です」

「お疲れ様です」

 並んで歩き出す。

 湊が、真那に視線を向けた。

「何か、良いことありました?」

「分かりますか」

「顔が」

 真那は片手で自分の頬を押さえた。この間も、職場で同じことを言われたばかりだった。自分では分からないのに、外からは見えるものらしい。

 真那は手を下ろして、湊を見上げた。

「仕事が一つ片付いたんです。それで、今日はお酒も買っちゃいました」

「お酒、飲むんですか」

「たまにですけど。今日は良いかなって」

「良かったじゃないですか」

 湊も、コンビニの袋を提げていた。プリンとチョコレートの箱が透けて見えていた。

「若月さんは、今日も甘いものですか」

「今日も、です」

「土曜日、あれだけ食べたのに」

「土曜日は土曜日で、今日は今日です」

 あんまり真面目な顔で言うので、真那は笑ってしまった。つられたように、湊も笑う。

「俺もちょっと、良いことがあって」

「そうなんですね」

「ケーキも買いました」

「何のケーキですか」

「モンブランです」

 街灯の下で、湊の顔がよく見えた。土曜日にビュッフェで見たのと同じ、口元がほころぶような笑い方だった。

 空には、半分になる手前の月が出ていた。西の低いところで、屋根の上に引っかかるように光っている。冷たい風が吹いて、真那は袋を持ち直した。

 アパートの階段を上がって、廊下を歩く。二(ふ)たつのドアの前で立ち止まった。

 湊が、静かに言う。

「おやすみなさい」

 真那も、静かに答えた。

「はい、おやすみなさい」

 部屋に入って、鍵をかける。

 真那は部屋着に着替えると、袋から缶ビールとつまみのジャーキーとサラダチキンを出した。

 今頃は湊も、モンブランを食べてるのだろうと思った。

 ビールを開けて、壁に向かって一人で乾杯した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。