挿話:過去の残響と、解けなかったオルゴール
「見送りの準備は出来たのか?」
リーゼの工房から出て執務室に向かう途中、ジークハルトは声をかけられた。
振り返るとクロードが壁に寄りかかり、不敵な笑みを浮かべている。
一瞬、目を細めたもののジークハルトは、フッと笑みを作った。
「……懐かしいな。貴公は昔から、そうやって真意を隠す」
月明かりの差し込む廊下で、わずかにクロードの感情が揺れる。彼は、わずかに眉を動かした。
「なんの話だ」
「五年前、レグザニアで開かれた夜会のことだ」
ジークハルトは余裕のある表情で笑い、窓の外に視線を向ける。クロードは思い出したように呟いた。
「国際交流会の夜のことか。確か……まだお前が皇太子で、オレが大公位を継いだばかりだったはず」
「ああ。あの時も同じように、私へ言い放っただろう? あなたに鍵は開けられない、と」
五年前。ガルディニア帝国とレグザニア公国の同盟調印式の際、両国の親睦として精霊のオルゴールが披露されたことがあった。
当時から軍略と魔導工学に天才的な才を見せていたジークハルトは、公国の至宝であるそのオルゴールを前に、冷徹に告げた。
『回路の効率が悪すぎる。無駄な装飾を削ぎ落とし、魔力伝導率を高めれば、より強力な魔導障壁の展開核に転用できるだろう』と。
その場にいたクロードは、ただ静かに首を振って作った笑みを返した。
『美しさを効率で測ることしかできないとは、無粋ですね、皇太子殿下。このオルゴールが奏でるのは力ではなく、人の心を震わせる調べ。……あなたのような鉄と血の匂いが染みついた方には、一生この鍵を開けることはできないでしょう』
――結果として、焚き付けられたジークハルトだったが、当時は手を尽くしてもオルゴールの暗号回路を解くことができなかった。
無理に解読しようとすれば、緻密な内部の構造が壊れてしまうからだ。
一連の出来事を思い返したジークハルトは、静かに返す。
「あの時のセリフが、私を動かすためだったと後で気付いたよ。まさか大公になったばかりでガルディニアの皇太子を挑発するとは思いもしなかった」
「そうだな。そして今回も……」
「上手く乗せられたものだ」
ジークハルトの切れ長の瞳が、真剣な光を帯びてクロードを射抜く。それは策略すらも見抜いているかのようだった。
クロードは観念したように、話を逸らす。
「リーゼ嬢は、技術の合理性を極めながら、そこに宿る美と心をも理解している。簡単に描かれた設計図でさえ、それが伝わってきたんだ。彼女はオレが思う美と魔導の理想そのものだ」
クロードは一歩、ジークハルトへと歩み寄った。
「お前ではいずれ、彼女の繊細な光を奪うだろう。……五年前に開けられなかったあのオルゴールと同じように。そして今回、彼女がもしあれを解き明かしたなら……それは同時に、彼女があるべき場所を示しているとは思わないか?」
「あるべき場所……それがレグザニアだと?」
ジークハルトの言葉に、クロードが頷いた。
無意識に顎へ手を添えるジークハルト。ふと、囁くように聞こえる。
――お前は芸術や繊細な感情から遠い男だろう、と。
そこには過去の己の無力感と、心のどこかに残っていた燻りが揺らいでいるようだった。
それは的確にジークハルトの記憶を突いていく。
彼は息を吐いて、低く唸るような声で返した。
「……戯言はそこまでにしろ、クロード。リーゼはガルディニアから出ない。お前の元に行くことはないんだ」
「出ないのではなく、出られないのだろう? 嫉妬深い男は嫌われるぞ。まあ、オレも同じ道を辿っているがな」
笑みの裏に隠された執着と往生際の悪さ。
二人は五年前の因縁とともに、たった一人の少女を巡る静かな火花を散らせていた。




