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孤高の完璧超人な先輩に手料理を振る舞ったら、俺なしでは生きられないポンコツになった  作者: 世羅 和葉


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第4話 菌類ではなく筋肉です

 アパートのドアの前。鍵穴にキーを差し込んだまま、俺は数秒ほどフリーズしていた。


 俺は、血迷ったのか……?と。


 自分の『聖域』に他人を、それも「女子」を招き入れる。首筋にじわりと滲む冷や汗の感触が、教えてくれる。今の俺の行動がいかにあり得ないことかと。


 今からでも「やっぱり外で食べてくれ」と追い返すのが正しいのではないか。学校だけで十分だろう。あれは契約だから仕方ないとしても、家にまで上げる必要も義理もどこにもない。


 だが背後には、今か今かと尻尾を振って(幻覚)待っている、腹を鳴らした二足歩行の大型犬が。

 この状態で追い返すのは、それはそれで後味が悪すぎる。それでも、俺は——。


「……はぁ」


 今日だけだ。今日で最後にする。

 そう覚悟を決めて、ドアを開けた。ガチャリと鳴った無機質な金属音で冷静になり、改めて後悔している自分から、必死に目を逸らしながら。


「適当に上がってください。大して広くないんで」


「う、うむ……っ。お、お邪魔、する……!」


 俺の背後で、やけに硬い声で応えた剣崎先輩。


 振り返ると、玄関の三和土で、まるで敵陣に単機で乗り込む武将のような、そんな悲壮な決意を顔に張り付かせている先輩が。


だがその実、視線は落ち着きなく泳ぎ、ジャージの裾を握る手には力が入っている。ボソボソと不明瞭な声を漏らすその姿は、隠しきれていない緊張が漏れ出ていた。


「いつも中野の弁当がここで……。てことは出来立てを……!?」


 ……いや、これ食欲だな?実は緊張してないなこの人?


「靴、そこでいいんで。手洗うならあっちの洗面所で」


「わ、わかっている! 風紀委員長たるもの、いついかなる場においても常に冷静沈着、かつ礼節をもって――な、なんだと……っ!?」


「どうかしました?」


 リビングへと足を踏み入れた瞬間。雷に打たれたように立ち尽くし、目を限界まで見開く先輩が放った、衝撃の一言。


「ゆ、床が……床が見えるだと!?」


「逆に聞きますけど、俺のことなんだと思ってたんですか!?」


 俺の至極真っ当なツッコミに対し、先輩は信じられないものを見るような目で部屋中を見回している。


「男の一人暮らしとは、もっとこう……脱ぎ散らかされた衣服が地層のように重なり、得体の知れないキノコが隅に自生しているものだとばかり……」


「どんな偏見ですか。俺は菌類じゃなくて筋肉を育ててるんです。それに、掃除は毎日のルーティンなんで」


「私の部屋など、足の踏み場を確保するために、まずはエナジードリンクの空き缶を蹴散らすところから始まるというのに……っ」


「威張って言うことじゃないですよ、それ」


 堂々と胸を張って己のズボラさを暴露する元完璧超人。本当にこの人は、外の顔と内の顔の落差が激しすぎる。信者が知ったら失望……いや、逆にギャップ萌えだのなんだのと盛り上がりそうだな。絶対に黙っとこう。俺はまだ死にたくない。


「とりあえず、そこの座布団適当に使って座っててください。すぐメシにしますから」


「む……。りょ、了解した」


 俺に促され、ローテーブルの前にちょこんと正座した先輩。背筋をピンと伸ばし、まるで茶室に招かれたようなかしこまり方だ。しかし、その視線は部屋の隅に置かれた可変式ダンベルやプロテインのボトルに釘付けになっており、時折「ほう……ここで強靭な肉体が……」とブツブツ呟いている。


 その姿を横目に、俺はキッチンへ向かいエプロンを身につけると、目の前の食材に意識を集中させた。


 俺の家に、先輩がいる。


 そんな違和感だらけの光景から逃げるように。

 違和感も、アラートも。全て無理やりねじ伏せるように。


 トントン、と小気味良い音を立てて玉ねぎをスライスする。ささくれ立った神経を少しだけ鎮めてくれる単純な作業が、単調な音が、俺は結構気に入っている。


 雪平鍋に水、醤油、みりん風調味料、料理酒、それに顆粒の和風出汁を加えて火にかける。ふつふつと沸いてきたところに玉ねぎと削ぎ切りにした鶏むね肉を投入し、煮込んでいく。


「……っ」


 背後から小さく、でもしっかりと聞こえた、ゴクリと喉を鳴らす音。

 出汁と醤油の甘辛い香りが、換気扇の気流に乗ってリビングへと広がっているのだろう。そこまで期待してくれているのは、なかなかどうして悪くない気分だった。たとえその相手が女子だとしても。


 鶏肉の色が変わったところで、ボウルに卵を二つ割り入れる。白身と黄身が完全に混ざり切らない程度に軽く溶き、まずは鍋の半量を回し入れる。蓋をして十秒ほど待ち、卵がふんわりと固まってきたら残りの半量を投入。再び蓋をして、火を止める。


 どんぶりに炊きたての白飯をよそい、その上に鍋から滑らせるようにして黄金色の具材を乗せる。残り物の『鶏肉と根菜の煮物』も小鉢に盛り付けた。


「お待たせしました」


「……おおぉっ……!!」


 湯気を立てる親子丼と煮物をテーブルに並べると、先輩の瞳に星が瞬いた。星を宿したその目は、心底嬉しそうに、目の前のどんぶりに釘付けになっている。


「卵が……黄金に輝いている……! 立ち上るこの香りは、もはや暴力……!」


「冷めないうちにどうぞ。あ、熱いんで気をつけてくださいね」


「い、いただきますっ!」


 彼女は美しく両手を合わせると、スプーンで親子丼を掬い、大きな口を開けてパクリと頬張る。


「――――っっ!!」


 瞬間、先輩の動きがピタリと止まった。

 目を見開き、プルプルと肩を震わせている。


「……甘辛く柔らかい鶏肉……そして、この舌に絡みつくトロトロの卵……! 噛むほどに玉ねぎの甘みが口いっぱいに広がり、それが白米と一体となって……うむぅっ! 美味い! なんだこれは、美味すぎるぞ中野!!」


「それは良かったです。ほら、こっちの煮物も食べてください。大根、味染みてるんで」


「はふっ、もきゅっ……んんぅ……!」


 再びリスのように頬を膨らませ、無我夢中でスプーンを動かす剣崎先輩。その幸せそうな顔を見ていると、コンビニ弁当を持っていた時の、あの孤独で悲しげな背中が嘘のようだ。


 俺は自分の分の親子丼を掬いながら、ふと、向かいで一心不乱に飯を食う先輩の顔を冷ややかに観察した。


 ……気を抜くな。騙されるな。


 中学時代、俺を地獄に突き落とした元カノも、最初はあんな風に無邪気で可愛い笑顔を見せていた。女ってのは、ああいう無防備な顔の裏で平気で嘘を吐く生き物だ。警戒心を総動員し、脳内で警報を鳴らし続ける。


 だが――。


「おかわり! 中野、すまないがもう一杯頼む!」


「……さっきから米食うペース早すぎです。喉詰まらせますよ」


「心配無用だ! 私の胃袋は今、無敵の領域に達している!」


「はいはい」


 空になったどんぶりを突き出し、口の端に米粒をつけて目を輝かせる姿。

 そこに、打算や悪意は1ミリも存在しなかった。ただ純粋に、圧倒的なまでの『食欲』だけが俺に突撃してきている。


 俺の心に築かれた分厚いセキュリティシステムが、相手はただの空腹なポンコツだからと、バグを起こしているような。そんな初めての、不思議な感覚。


 ……毒気を抜かれるっていうのは、こういうことか。


 心を許したわけじゃない。トラウマが消えたわけでもない。

 ただ、ひどくエネルギーの無駄遣いな気がしてきたのだ。口の端に米粒を付けた、この残念な先輩に対して警戒心をMAXに保つのは。


 今日だけだ。こんなイレギュラーは、今日で終わりにする。


 そう自分に固く言い聞かせながら、俺は小さく溜息をつき、どんぶりを受け取って炊飯器へと向かった。

 薄々、今後訪れるであろう未来への予感を胸に抱きながら。

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