第3話 悪い子発見
「おい誠也、お前ってぶっちゃけ、どんな女子がタイプなんだ?」
放課後の教室。帰る準備をしていた俺に、前の席から身を乗り出して尋ねてきたのは、バスケ部の前野康太だ。その隣には、同じくバスケ部の高橋もニヤニヤしながら立ち塞がっている。
「そうそう。誠也っていつも一人でいるし、特定の女子と話してるのも見たことないしな」
高校生活における絶対的スローガン「平穏無事」。それを守るためには、男子特有のこういう無駄なノリにも、表面上うまく合わせておく必要がある。
「いや、特にないよ。強いて言えば、静かで……俺の平穏を脅かさない人」
「うーわ、なんだそのつまんねー答え! もっとなんかあるだろ!?巨乳がいいとか、タバコ吸っててへそピ空いてる人がいいとか!」
「そりゃお前の性癖だろ!」
わははと笑い合う前野たち。俺も適当に愛想笑いを浮かべてやり過ごす。
そんな時だった。
「あ、中野くん! ちょっといいかな?」
不意に横から割り込んできた、明るく甘い声。
振り返ると、そこにいたのは川島美咲。一年生の風紀委員であり、うちのクラスで一番の美女と名高い女子だ。誰にでも距離が近く、人懐っこい笑顔を振りまくため、クラスの陰キャ男子が次々と勘違いして散っていく原因とも言われている。
「……何、川島さん」
「あのね、三日くらい前だったかな……。風紀委員長の剣崎先輩がさ、『一年生で、私より少し背が低くて、眠そうな目をした筋肉質の男子を知らない?』って聞いて回ってたんだよね。理由は絶対教えてくれなかったんだけど……。それ、もしかして中野くんのことかなー、なんて」
首を傾げて上目遣いで聞いてくる川島。その距離は、ふわりと甘い香水のような匂いを、確かに感じられるほどで。俺のパーソナルスペースを容易く侵食してくる。
「ひゅーっ! あの氷の剣崎先輩にロックオンされてんのかよ。終わったな誠也、南無三!」
「何やらかしたんだよお前ー!」
面白がって囃し立てる前野たち。
「人違いじゃないかな。俺、あの人とは関わりないし」
俺の足は、無意識のうちに半歩、後ろへ下がっていた。
川島の屈託のない笑顔。他意のない純粋な興味に見える。
だが、俺の脳裏にこびりついている、黒い泥のような中学時代のトラウマが。俺の全てを壊したあいつの影が、全くの別人のはずの川島に重なる。
どうしても、彼女を受け入れることを許さないのだ。俺を縛る、過去の亡霊が。
――笑顔の裏に隠された、理不尽な悪意。
どれほど親しげに近づいてきても、ある日突然、それらが刃となって牙を剥く瞬間を、俺は嫌というほど知っている。過去に刻まれた傷が今も、他者――特に「女子」という生き物に対する、分厚く高い防壁が構築していた。
「そっかー、人違いかあ。でも中野くん、もし何か困ったことがあったら、私に言ってね? 同じクラスだし、力になるから!」
「……ああ。ありがとう」
俺は笑みすら浮かべず、必要最低限の言葉だけを返す。あまりのそっけなさに、川島は少しだけ不思議そうな顔をしたが、すぐに別の女子に呼ばれて離れていった。
女とは、特に川島のような相手とは、絶対に関わらない。誰も信じないし、誰の特別にもならない。
たとえその過程で、誰かを傷つけてしまうとしても。
***
夜、18時過ぎ。
秋の日は釣瓶落としという言葉通り、外はすでに薄暗くなり始めていた。
俺は夕食と来週の食材を買い出しに行くため、学校近くのスーパーへと足を運んでいた。
無事に手に入れた特売の鶏むね肉やブロッコリー、卵などの筋肉の友をエコバッグに詰め込み、アパートへの帰路につく。群がる怪物たちとの闘争を繰り広げたことによる疲労からか、いつもより長く感じるこの道は。先ほどの喧騒とは打って変わった静けさがあり、とても心地の良い時間だった。
秋風に混じり出した冬の気配を感じながら歩いていると、左前方のコンビニから、見覚えのある長身のシルエットが出てくるのが見えた。
見慣れた制服に、無造作に束ねられたポニーテール。
間違いなく、我が校が誇る完璧超人――剣崎凛先輩だ。部活帰りなのだろう、背負った竹刀袋が重そうに揺れ、足取りもどこかフラフラしている。
関わらないのが一番。俺は少し歩調を落とし、距離を保とうとした。
しかし、街灯の下を通り過ぎた彼女の手元が目に入り、俺の足はピタリと止まってしまった。
彼女が提げているコンビニのレジ袋は、薄く透けて中身が見えるタイプで。ここからでも、街灯に照らされた中身がはっきりと見えた。
そこに入っていたのは――特大サイズのエナジードリンク5本と、確か、あのコンビニ名物である、唐揚げと白米しか乗っていない『特盛・漢の唐揚げ弁当』。そして追い打ちをかけるようにカップラーメンが4つ。
……栄養素の概念、マジで死滅してんな
俺が呆れ果てて立ち尽くしていると、不意にこちらを見た先輩とバッチリ目が合ってしまった。
「……あっ」
「…………」
数秒の、気まずい沈黙。
先輩の視線が、俺の顔と、ネギの飛び出した俺の健康的なエコバッグ、そして自分の持っている『ジャンクフード欲張りセット』の間を猛スピードで往復する。みるみるうちに、その端正な顔が朱に染まっていった。
「ち、違うぞ中野! これはその、えっと、あの……っ、そうだ!緻密に計算されたリカバリー食だ!今日の激しい稽古で失われたカロリーを、最も効率的かつ爆発的に補うためのな!?だから、その――!」
そうだ!って言っちゃってますよ、先輩。
「リカバリーどころか内臓にトドメ刺しにいってません? というか、なんでそんなに焦ってるんですか。別に俺、風紀委員でもお母さんでもないんで、何食べようが自由ですよ」
俺がため息混じりに言うと、先輩はなぜかグッと唇を噛み締め、持っていたコンビニ袋を隠すように背中へ回し、悔しそうに目を伏せた。
「……わかっている。だが、貴様が作るあの……温かくて美味い飯を知ってしまった後だと、この茶色い弁当が、ひどく無機質で……味気ないものに思えてしまうのだ……」
きゅるるるるる……。
しょぼんと垂れ下がるポニーテール。そして、沈黙を切り裂くように鳴り響いた、あまりにも正直すぎる腹の虫。
部活帰りの疲労困憊の体に、冷たいコンビニ弁当。
その姿からは、昼間の道場で見せる圧倒的な覇気は微塵も感じられず、ただ温かいものを求めている孤独で不器用な少女しかいなかった。
「……はぁ」
俺の口から漏れた、今日一番の、そして一番重いため息。
女とは関わらない。誰も信じない。そう固く誓っている。
……だが、目の前で項垂れるこの人はどうだ。さっき教室で話しかけてきた川島のような、何を考えているか分からない『女子』特有の厄介さは微塵も感じない。強がっているくせに限界までボロボロで、ただ純粋に温かい飯を求めているだけの、不器用な生き物。
……これは人助けじゃない。道端で行き倒れかけてる、二足歩行のでかい野良犬を拾っただけだ。
俺は心の中で、自分に対する苦しい言い訳を並べ立てた。この致命的なまでに損な性分は、本当にどうにかした方がいいと思いながら。
「……先輩」
「……なんだ」
「昨日、煮物を作りすぎちゃって、余ってるんですよね。あと、買ってきたばかりの鶏肉と卵もあるんで、親子丼ならすぐ作れますけど」
その言葉の意味を理解した瞬間。
先輩の顔に、パァッと花が咲いたような輝きが戻った。背中に隠していたコンビニ袋が、喜びを代弁するようにカサリと音を立てる。
「……いくら払えばいい!?」
「金は要りませんよ。その代わり、そのコンビニ弁当は明日の昼にでも回してください。……俺のアパート、ここからすぐそこなんで」
こうして俺は、省エネ主義にあるまじき大失態を犯すことになったのだった。俺の平穏無事な一人暮らしの城に、学園の完璧超人を招き入れるという失態を。




