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孤高の完璧超人な先輩に手料理を振る舞ったら、俺なしでは生きられないポンコツになった  作者: 世羅 和葉


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第5話 超えさせない一線

「……ふぅ。食った食った」


 空になったどんぶりと小鉢をキッチンへ運び、一息ついたところで、ふと壁の時計を見上げた。


「……って、もう夜8時か」


「むっ。いかん、すっかり長居してしまったな」


 食後、俺の部屋にある可変式ダンベルやプロテインの成分表に異常な興味を示した先輩の相手をしているうちに、あっという間に時間が過ぎていたらしい。外はすっかり暗くなり、秋の夜風が窓を揺らしている。


「先輩、そろそろ帰らないと。暗いですし」


「問題ない。私の歩行速度と方向感覚をもってすれば、カップ麺ができるより早く家に着く」


 立ち上がり、自分の竹刀袋を背負い直す先輩。その背中は、また少しだけ『完璧で冷徹な風紀委員長』の殻を被り直したように見えた。


「それじゃあ、気をつけて」


「うむ。美味しい食事の礼を言うぞ、中野。本当に助かった」


 自信満々に頷き、先輩は俺のアパートの玄関を開けた。

 そして、勢いよく右方向へと歩き出そうとして――。


「先輩、そっち行き止まりですよ」


「……なっ!?」


 俺が指摘すると、先輩はビクッと肩を跳ねさせ、慌てて左方向へと体の向きを変える。


「わ、わかっている! ただのフェイントだ。武道家たるもの、常に死角を警戒し――」


「先輩」


「……なんだ」


「……もしかして、帰り道、わかってないんですか?」


 図星を突かれたのか、先輩はみるみるうちに顔を真っ赤にし、視線を明後日の方向へと泳がせた。


「そ、そんなことはない! ただ、あの……初めて来る場所ゆえ、私の心の中の『北』と、実際の磁場にズレが生じているだけで……っ!断じて迷子などではないぞ!?」


 相変わらず意味のわからない言い訳を並べる先輩に、深ため息が漏れてしまう。

 この人、方向音痴だ。しかも極度の。小学生よりも酷いんじゃないか?


「……住所、教えてください。スマホの地図で出しますから」


 観念したように先輩が口にした住所を、地図アプリに入力する。

 そして表示された検索結果を見て、俺は思わずスマホの画面を二度見した。


「……先輩」


「な、なんだ」


「ここから徒歩5分ですよ。俺がさっき買い物してた、スーパーの真裏のマンションじゃないですか」


 俺の言葉に、先輩自身も驚いたように目を丸くしている。


「な、なんと!? そんなご近所だったのか……!」


 訂正しよう。幼稚園児よりもひどい。


 はしゃぐ先輩をよそに、俺の頭の中にひとつの疑問が浮かんだ。


「……ていうか先輩。スーパーの裏に住んでるなら、なんでわざわざ俺と会ったあんな遠回りのコンビニで、ジャンクフード買い漁ってたんですか? 自炊が無理だとしても、目の前のスーパーで惣菜なり弁当なり買えばいいじゃないですか」


「うっ……そ、それは……」


 俺の至極真っ当なツッコミに、先輩はなぜかバツが悪そうに視線を泳がせ、口ごもってしまった。


「……まあいいです。とりあえず送っていくんで、ちょっと待っててください。鍵閉めてくるんで」


 さすがに五分で帰れる距離で迷子になられるのも寝覚めが悪い。

 今日で終わりにする。そう自分に言い聞かせながら、俺は上着を羽織って先輩の隣に並んだ。


 ***


 秋の夜長。街灯に照らされた住宅街の道を、俺と先輩は並んで歩いていた。

 169センチの俺と、174センチの先輩。少しだけ見上げる形になるが、本来なら歩くペースはそこまで変わらないはずだ。


 だが、隣を歩く先輩の歩幅は不自然なほど小さく、どこかぎこちない歩き方になっていた。


 まるで少しでもこの時間が長引くようにと、粘っているかのように。


「……中野。すまないな、送らせてしまって」


「別に。……で、なんでスーパーじゃなくてコンビニだったんです?」


 俺が先ほどの疑問を蒸し返すと、先輩は少しだけ寂しそうに目を伏せた。


「……スーパーの惣菜を、無機質な機械で温めるのは、少し……寂しかったのだ。コンビニなら、店員が手渡しで温かいものをくれるだろう? だから……」


 その言葉の裏にある「誰かの温もりがほしい」という痛切な響きが、ポンコツ故の不器用さと相まって、なぜか少しだけ俺の胸にチクリと引っかかる。


 が、それを吹き飛ばすほどに、強烈に突っ込みたいことが一つ。


 コンビニってサラダとか売ってるよね?弁当と合わせて買えばよかったんじゃないの?なんでエナドリにカップ麺買った?


 なんて思っていたら。


「……着きましたね」


 見えてきたのは、セキュリティのしっかりした立派なマンション。

 オートロックのガラス扉の前で、先輩は名残惜しそうに立ち止まる。


「今日は、本当に何から何まで世話になった。美味かったぞ、親子丼」


「お粗末様でした。それじゃあ、俺はこれで」


 踵を返そうとした時。

 背後から衣擦れの音がして、俺のジャージの袖がチョイッと軽く引かれる。

 振り返ると、スマホを両手で握りしめ、恥ずかしげに俺を見ている先輩が。


「あ、あの……中野」


「はい?」


「そ、その……万が一だ。万が一、私がこの近辺のパトロール中に、再び深刻な磁場の乱れに遭遇した場合……つまり、その……道に迷った時の、緊急連絡網としてだな……」


 モゴモゴと言い訳を並べながら、俺の目の前に差し出される、先輩のスマホの画面。そこには、誰もが使うメッセージアプリの『QRコード』が。


 瞬間、俺の中に吹き出す、冷たく、暗い記憶。


 ――ダメだ、この先は踏み込ませない。踏み込ませてはいけない。


 もしここで連絡先を交換すれば、間違いなく「放課後の餌付け」が日常化してしまう。あくまでこれは、ただの気まぐれな人助けだったはずだ。


 これ以上この人と関われば、俺はきっと絆されてしまう。


 この人に限って、あんなことはしないだろうと思う自分もいる。

 が、未来がどうなるかなんて、神でもない限りわからない。だから、絆されるわけにはいかないのだ。俺はもう、失いたくない。裏切られたくない。


 たとえ砂粒より小さな可能性だとしても。俺のエゴで、先輩を傷つけてしまうと分かっていても。絶対に、ダメなのだ。


 他でもないあなただからこそ、綺麗なままでいて欲しいから。


「……先輩」


 俺はあえて、極めて事務的な、温度のない声を作った。


「スマホ、()()()()()()なんですよ。それに俺、あんまりそういうの使わないんで。……方向感覚は、気合いで直してください」


「えっ……あっ、そう、か……」


 差し出されたスマホが、力なく下ろされる。

 先輩の顔に一瞬だけ浮かんだ、捨てられた子犬のような表情に、胸の奥がズキリと痛む。だから、俺は軽く頭を下げた。


 自分が傷つけてしまった事実を、見たくなくて。


「じゃあ、気をつけて。おやすみなさい」


「……うむ。おやすみ、中野」


 背中に刺さる視線を振り切るように、俺は早足で家路についた。


 ――これでいい。これが正解だ。

 俺は誰も信じないし、誰の特別にもならない。

 これで明日からは、あの静かで平穏な「省エネ」の休日が戻ってくる。


 ……そう、固く信じていた。


 翌朝。

 スーパーの特売日に行くためにアパートを出た俺の目の前に、竹刀袋を背負い、不自然に空を見上げながら「む、磁場が……」とわかりやすい迷子のフリをしている先輩が立っているのを見つけるまでは。


 ……まさかとは思いますが、本当に迷子になったわけじゃないですよね?

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