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F級暗殺者――社会の害虫を退治する低ランク暗殺者のおっさんと少女の物語。  作者: 秋ヶ瀬胡桃


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第6話 稼ぐ

 荒涼とした街道は、どこまでも無慈悲に伸びていた。

 遮るもののない平原に吹き付ける風は刺すように冷たく、舞い上がる砂塵が容赦なく喉を焼く。

 コツ、コツ。

 乾いた土を踏みしめる音だけが、二人分の足跡として刻まれていく。


「……おじさん、また、止まっちゃったの?」


 後ろから届いた控えめな声に、俺は現実に引き戻された。

 無意識に懐のスプーンに触れていたらしい。

 あの惨劇の夜、絶望の渦中で月の光を反射させた、安物の金属。


「……なんでもない。道を確認していただけだ」


 俺は振り返りもせず、わざと突き放すような声で答えて再び歩き出した。

 正直に言えば、胸の奥ではどす黒い後悔の念が、毒のようにじわりと広がっている。


「ねえ、おじさん。……怒ってる?」


「怒ってなどいない」


「でも、さっきから一言も喋ってくれないから」


「……黙って歩け。無駄口は体力が削れるだけだ」


「……うん。ごめんなさい」


 アヤメの声が萎む。その小さな肩にかかる絶望の重さに、俺は内心で舌打ちをした。

 あの日、燃え盛る家を背に「俺がいる」と啖呵を切った自分の言葉が、今は重い鎖となって俺の足首に絡みついている。

 身寄りを失い、母親を焼かれたばかりの少女を連れて歩くには、この荒野はあまりに過酷すぎた。


(……なんで、連れてきたりしたんだ。一人なら、今頃はもっと遠くの街で安酒でも煽っていただろうに)


 そんな醜い本音が頭をよぎる。だが、その本心を彼女に悟らせるわけにはいかない。


「おじさん、これ。食べて」


 不意に隣に並んだアヤメが、震える小さな手のひらを差し出した。

 そこには、道端の泥を一生懸命に拭ったらしい、ひどく形の悪い赤い木の実が二つ乗っていた。


「さっき見つけたの。おじさん、朝から何も食べてないでしょ? 私、さっき一つ食べたから、大丈夫だよ」


「……本当か」


「うん、本当。甘くて、おいしかったよ」


 嘘だ。

 彼女の腹が小さく鳴ったのを、俺の耳は見逃さなかった。

 自分だって母親を失った喪失感と空腹で限界のはずなのに、その瞳は真っ直ぐに俺を気遣って微笑んでみせる。


「……ああ、後でいただく。だが、分け合おう。お前も半分食え。これは命令だ」


「えっ、でも……」


「命令だと言った。食わないなら、そこに置いていくぞ」


「……わかった。ありがとう、おじさん。半分こ、だね」


 アヤメは嬉しそうに頷き、小さな口で木の実をかじった。

 そのささやかな光景に、俺は一瞬だけ息が詰まる。


「おじさん。私ね、お母さんに言われたの。アヤメは強い子だから、一人でも大丈夫って。でも……嘘だったみたい」


「……。母親が嘘をつくはずがないだろう」


「ううん。おじさんがいなかったら、私、もう歩けなかった。……ねえ、おじさん。これから、ずっと一緒だよね?」


「……。さあな、お前の行儀次第だ」


 俺は努めて平坦な声で言い、彼女の汚れた頭に無造作に手を置いた。

 本心を悟られてはならない。

 俺が抱いている「重荷だ」という呪いを、母親を亡くしたばかりのこの子に感づかせてはならない。


「さあ、行くぞ。日が暮れる前に、少しでも風を凌げる場所を探さないと」


「うん! 私、もう泣かないって決めたから。頑張って歩くよ」


「ああ。……もし、またお前を泣かせに来る奴が現れたら、その時は俺が追い払ってやる。このスプーンで、二度と邪魔ができないようにな」


 俺は再び、荒涼とした街道の先を睨んで歩き出す。

 一歩踏み出すごとに伝わる疲れは増していくが、背後からついてくる小さな足音を聞き逃さないよう、神経を尖らせる。


「おじさん、待って! 置いていかないで!」


「遅れるなと言っただろう。ほら、手を貸せ」


「えへへ……。おじさんの手、大きいね」


 隠しきれない後悔を荒野の風の中に深く隠し、嘘で塗り固めた旅路を、俺たちは影を一つにして進んでいった。



 ようやく辿り着いたのは、古びた石壁に囲まれた、活気の渦巻く大きな町だった。

 幾重にも交差する街道の合流点であるこの場所には、絶え間なく石畳を叩く馬車の轟音と、人間の話し声に混じって異族たちの野太い笑い声や、多種多様な言葉が地鳴りのように響いている。

 市場に並ぶ色鮮やかな果実、どこからか漂ってくる肉を焼く香ばしい匂い、そして行き交う様々な種族たちの奇抜な装束。

 だが、今の俺たちにとって、それら全ては遠い別世界の出来事でしかなかった。

 今の俺たちの手元には、その賑わいの末端に触れるための金も、足を止めて景色を眺めるような心の余裕も残されてはいないのだ。


「おじさん……ここ、どこ?」


 アヤメが不安げに、俺の古びたコートの裾を小さな手でぎゅっと握りしめる。

 その指先は、数日にわたる過酷な長旅の疲れと、見たこともないほどの人混みへの緊張で、小刻みに震えていた。


「町だ。まずは、お前の腹を満たすための金を作らなきゃならん」


「……お仕事、するの?」


「ああ直ぐに戻るから。すぐ戻るから、ここでじっとしていろ。離れるんじゃないぞ」


「……わかった」


 俺はアヤメを、ギルドの外壁に置かれた雨風にさらされて色の剥げたベンチに座らせた。

 彼女の瞳に映る怯えを振り払うように、俺は重い鉄帯のついたギルドの扉を力任せに押し開けた。

 冒険者ギルドの内部に一歩足を踏み入れれば、そこには外の喧騒とは質の違う、澱んだ空気が満ちていた。

 安酒の刺激臭と、屈強な男たちや異族たちが吐き出す熱気、そして手入れの行き届かない錆びた金属の匂いが混ざり合い、肺の奥をちりちりと刺激する。

 かつてS級冒険者パーティーという頂点に名を連ね、数多の死線を潜り抜けてきた経験。

 それだけが、今の俺が切り売りできる唯一の商品であり、生き残るための手段だった。

 俺は受付のカウンターへと歩み寄り、無愛想な顔で事務作業をこなしている男に向かって、手近な依頼がないか問いかけた。


「……個人の流れ者か。悪いが、どこの馬の骨とも知れん新顔に回せるような、美味い仕事なんてねえよ」


 受付の男は、俺の泥に汚れた旅装束と、疲れの隠せない顔を値踏みするように一瞥し、鼻先でせせら笑った。


「新顔扱いはいいが、採取でも討伐でも構わん。即金で動けるものはないのか」


「はっ、威勢がいいな。だが、ここは大きなパーティーや馴染みの奴らが優先だ」


 男は面倒そうに、手元の書類に視線を戻した。


「実績もねえ流れ者に、今日明日を食い繋げるほどの報酬を出す物好きはいねえよ」


「……そうか。なら、いい」


 端から期待はしていなかった。

 だが、期待していなかったからといって、落胆がないわけではない。

 胸の奥には、苦い砂を噛み潰したような、ザラついた苛立ちが広がっていく。

 これ以上、ここで無駄な交渉を続けて時間を浪費しても、外の冷たいベンチで待たせているアヤメを空腹のまま放置させるだけだ。


(……結局、どこへ逃げ延びても同じことか。地獄の場所が変わっただけに過ぎない)


 俺は踵を返し、野卑な笑い声が飛び交うギルドの喧騒を背にして出口へと向かった。

 懐のスプーンを隠した指先が、自分でも驚くほどの力で握り込まれる。

「あんな連中にくれてやるよりはマシな生活をさせてやる」と誓ったはずなのに、たった一杯のスープ代すらまともに稼げない。

 そんな己の無力さと不甲斐なさへの怒りが、鉛のように足取りを重くさせた。

 ギルドの重い扉に手をかけ、再び外の冷え切った空気に身を晒そうとした、その時だった。


「おい、あんた。……死に損ないのような顔をしているが、腕だけは確かそうだな」


 背後から、俺の足を止める低く濁った声が響いた。

 喧騒に満ちたギルドの中で、その声だけが鋭いナイフのように俺の鼓膜を掠めていった。

 振り返ると、薄暗い壁際の席に、周囲の荒くれどもとは明らかに浮いた身なりの男が座っていた。

 着ているのは絹の質感が残る上質な上着だが、袖口は擦り切れ、あちこちに酒か泥のような汚れが目立っている。

 家柄こそあれど権力からは程遠い、しがない下級貴族といった風体だ。

 男は安酒のグラスを指先で弄びながら、深く被ったフードの奥から、爬虫類を思わせる冷ややかな視線で俺を値踏みするように射抜いていた。


「……何の用だ。俺は見ての通り、ギルドに門前払いされた無一文だ。あんたのような御立派な御仁と話すようなネタは持ち合わせていない」


 俺が低く、拒絶を込めた声で返すと、男は口の端を歪めて薄笑いを浮かべた。


「ああ、聞こえていたよ。受付の無能に追い返されていたな。だが、まっとうな冒険者の仕事がなくても、別の『汚れ仕事』ならある。それも、あんたのように身を隠さなきゃならん事情のある奴には、うってつけのやつがな」


 男は椅子を引く音も立てずに立ち上がり、音もなく俺の傍らまで歩み寄ってきた。

 鼻を突く安酒の匂いに混じって、金と権力に執着する人間特有の、ねっとりとした不快な気配が漂う。

 男は俺の耳元に顔を近づけ、周囲に悟られないようさらに声を落とした。


「あんた、その歩き方……隠しているつもりだろうが、同類の匂いがするぜ。それも、ただの荒事師じゃねえ。相当に場数を踏んだ『掃除屋』の匂いだ。死の淵を何度も歩いてきた奴だけが纏う、あの独特のな」


 男の言葉に、俺は無意識に懐のスプーンを握りしめた。

 かつてのS級冒険者としての覇気は、旅の汚れと疲れで消せたつもりだった。

 だが、身体の芯にまで染み付いてしまった暗殺者としての習性、獲物を狙う獣のような殺気までは、どうしても拭い去れなかったらしい。


「この町を裏から牛耳る、チンピラのボスがいる。そいつを消してほしい。……報酬は、あんたが一生遊んで暮らせる額とは言わねえが、今の境遇を考えれば破格の条件だ」


 男の瞳には、弱者を救おうという正義感など欠片も宿っていなかった。

 あるのは、己の利益を阻む障害を排除しようとする、むき出しの欲望だけだ。

 恐らくは対立する組織の回し者か、あるいはボスの座を虎視眈々と狙う野心家といったところだろう。

 だが、依頼主がどのような腐った素性の持ち主であろうと、今の俺にはどうでもいいことだった。


(……この依頼を受ければ、アヤメに温かいスープを飲ませてやれる。この冷たい風が吹き込む野宿ではなく、清潔なベッドで眠らせてやれる)


 俺の「正義」は、あの日、俺のコートを掴んだ小さな指先が届く範囲にしかない。

 その温もりを守るためなら、かつて捨てたはずの「掃除屋」の業に、再び手を染めることなど容易いことだった。

 俺は男の目を真っ向から見据え、静かに問いかけた。


「……報酬は即金か。それとも、よくある『成功報酬』という名の踏み倒しか」


「はは、疑り深いな。仕事が終わり次第、残りを全額払う。だが、前金としてこれくらいは今すぐ出そう。誠意の証だ」


 男は懐から、ずっしりと重みのある革袋を取り出し、カウンターの端に置いた。

 チャリ、という硬貨同士が擦れ合う鈍い音が、今の俺にはどんな聖歌よりも救いの音色に聞こえた。


「いいだろう。受ける。標的の名前と、根城の場所を言え」


 俺は革袋を掴み、その重みを確かめると、一瞥もくれずにギルドの扉を押し開けた。

 外の冷たい空気の中に、ベンチで体を丸めて縮こまっていたアヤメの姿が見える。

 彼女の純粋な瞳が、これから血に汚れる俺の未来を映さないように。

 俺は再び、汚れなき「守護者」の仮面を被って彼女の元へと歩み寄った。


「おじさん、おかえり。……お仕事、見つかった?」


「ああ。いい仕事が決まった。……まずは、飯を食いに行くぞ。好きなものを食え」


 俺は彼女の細い肩を引き寄せ、活気あふれる町の闇へと足を踏み入れた。

 背後でギルドの扉が閉まる音が、俺を再び「人殺し」の世界へ連れ戻した合図のように響いた。

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