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F級暗殺者――社会の害虫を退治する低ランク暗殺者のおっさんと少女の物語。  作者: 秋ヶ瀬胡桃


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第32話 夜の戦い

 山を飲み込むように夕闇が深まり、周囲の木々は黒い怪物のような影へと姿を変えていた。

 空に残ったわずかな残照も、間もなく深い夜の底へと消えようとしている。

 鳥のさえずりはいつの間にか途絶え、代わりに不気味な虫の音が山道を支配し始めていた。

 「赫耀たる星辰」の三人は、低い茂みに身を寄せ、気配を殺しながらも、これからの動きについて激しい議論を戦わせていた。


「もうすぐ完全に日が落ちるわ。暗闇の中で、内部構造も正確には分かっていないアジトに突っ込むのはリスクが高すぎる。ここは一度退いて野宿をし、明日の朝を待つべきよ」


 魔術師のセリナが、魔力を帯びた杖を抱え直し、不安げに周囲の闇を警戒しながら提案する。

 彼女にとって、視界の効かない夜間戦闘は、自慢の広域魔法を誤射させる恐れがあるため避けたいのだろう。

 それに対し、重戦士のバルガスは苛立ちを隠そうともせずに鼻を鳴らした。


「野宿だと? こんな盗賊の庭で火も焚かずに、凍えながら一晩過ごせってのか。そんなことをしていれば、交代の見張りに俺たちの痕跡を見つけられる隙を与えるだけだ。勢いがあるうちに正面から叩き潰すべきだぜ」


 二人の意見は真っ向から対立し、リーダーであるカイルも腕を組み、どちらの策を採るべきか判断に迷っているようだった。

 三人の間に、夜風の冷たさをより一層際立たせるような、重苦しい沈黙が流れる。

 俺は彼らの背後、木々の深い闇に溶け込むように立ち、静かに、けれど遮る隙を与えないトーンで口を開いた。


「……夜のうちに攻め込んだ方がいい」


 不意に投げかけられた俺の言葉に、三人の視線が驚きとともに一点に集中した。


「クライドさん、急にどうしたんです? 暗闇は土地勘のある奴らの方が有利ですよ。見張りだって、夜になれば人数を増やしたり交代したりするでしょうし」


 カイルがいぶかしげに、諭すような口調で問う。

 俺は視線をアジトの窓から漏れる微かな橙色の灯火に向けたまま、淡々と答えた。


「暗闇は、お前たちにとっても奴らにとっても、等しく視界を奪う。だが、隠密に特化した者にとっては、これ以上の味方はいない。奴らが戦利品の酒を飲み、一日が終わったと気が緩み始める今夜こそが、唯一にして最高の好機だ」


 俺の言葉には、彼らが経験したことのない、数多の修羅場を潜り抜けてきた者だけが持つ独特の重みが滲んでいたのだろう。

 若さゆえの自信に満ちていた三人は顔を見合わせ、反論の言葉を失った。

 バルガスが「……クライドさんの言うことも一理あるな。寝首を掻くのはあんたの専門だろうしな」と低く呟き、カイルも決意を固めたように力強く頷いた。


「わかりました。クライドさんの判断を信じましょう。今夜、決行します」


 方針が決まったところで、俺は以前から胸の内に溜めていた疑問を、確認のために口にした。

 彼らが、自分たちの磨き上げられた実力に絶対の自信を持ちながらも、あえて隠密である俺を必要とした最大の理由だ。


「……ところで、一つ聞いておきたい。お前たちが言っていた、『暗殺者』の技術でなければ仕留められない相手とは、一体何者なんだ? どんな怪物だ」


 カイルは少し表情を曇らせ、周囲を警戒するように声を潜めた。


「実は、僕たちも正確な正体はわかっていないんです。ただ、そのリーダー格の男は異様なほどガードが堅いという情報があります」


 カイルは一度言葉を切り、建物の影を見据えた。


「以前、腕に覚えのある数人の冒険者が不意打ちを仕掛けた際も、相手に触れることすらできなかったそうです。一瞬で返り討ちにあったと聞いています」


「物理的な盾でも持っているのか? それとも、高密度の魔力防壁か」


「いいえ。まるで目に見えない壁があるか、あるいは事前に攻撃を察知しているかのような動きだと言われています」


 セリナが横から補足するように口を開いた。

「特殊な加護か、魔法的な能力の持ち主なのでしょう。だからこそ、正面から戦う私たちが派手に注意を引いている間に、クライドさんの技術で、奴の懐に潜り込んでもらう必要があるんです」

 なるほど、と俺は内心で得心した。

 正攻法が通じない、特殊な防御能力の持ち主。

 若手たちが眩しいほどに信じている、真っ直ぐな「力」だけでは、決して届かない場所があるのだ。


「……承知した。そいつの『壁』、俺がこじ開けてやる」


 俺は懐にある先割れスプーンの硬い感触を指先でなぞった。

 夜風が一段と冷たく吹き抜け、アジトの建物が闇の中に不気味に沈み込んでいく。


「さあ、始めようか」


 俺の合図とともに、四人の影は音もなく茂みを抜け、移動を開始した。



「――突撃ッ! 騎士団の面汚しどもが手こずっている泥棒猫共を、俺たちが一気にお掃除してやろうぜ!」


 カイルが放った威勢のいい咆哮が、夜の静寂を暴力的に引き裂いた。

「赫耀たる星辰」による、盗賊団アジトへの強襲が始まった瞬間だった。

 その勢いは凄まじいものだった。

 正面から迎え撃った盗賊たちの前列は、カイルが振り下ろす大剣の風圧と、セリナが放つ魔術の閃光によって、まるで枯れ葉のように虚空へ吹き飛ばされていく。

 彼らを突き動かしているのは、若さゆえの万能感と、胸の奥で燃え盛るような功名心だ。

 地元騎士団すら手を焼いている凶悪な盗賊団を、自分たちだけで壊滅させる。

 その武勲をもって、一気にギルドランクを跳ね上げ、世に名を馳せる。

 その青臭くも眩しい野心が、彼らの剣をいっそう鋭く、そして危うくさせていた。

 だが、俺は彼らと共に声を上げて突っ込みはしなかった。

 一歩、いや数歩下がり、アジトの影に溶け込むようにして戦場全体を俯瞰する。

 これが、S級冒険者パーティーの「掃除屋」として、地獄のような戦場を幾度も支配してきた俺の戦法だ。

 暗殺者という人種は、単に闇に潜むだけの存在ではない。

 戦場という盤面の上で動くすべての駒の軌跡を把握し、勝利と敗北の境界線が揺らぐ「決定的な一点」が生まれるのを、じっと待つ観測者でなければならないのだ。


「……やはり、おかしいな」


 俺は唇の端で、誰に聞かせるともなく独りごちた。

 一見、カイルたちの猛攻が盗賊を圧倒し、蹂躙しているように見える。

 しかし、逃げ惑い、数を減らしていく盗賊たちの動きには、妙な一貫性と規則性があった。

 まるで目に見えない糸で操られている操り人形のように。

 彼らはカイルの斬撃を致命傷にならない絶妙な間合いで受け流し、じわじわと、だが着実にアジトの最奥――逃げ場のない袋小路へと誘い込まれている。


「ハハッ! なんだ、騎士団が苦戦するってから期待してたが、この程度かよ!」


 血気にはやるカイルの目には、その致命的な違和感は映っていない。

 獲物を追い詰めているつもりで、実際には首輪を引き寄せられていることに気づいていないのだ。

 彼らが奥へと踏み込むたび、背後の物陰からは、押し殺されていた殺気と気配が膨れ上がっていくのが、俺には手に取るように分かった。


「引いて、カイル! 深追いは危険よ、罠だわ!」


 セリナが焦燥を露わにして叫んだが、すでにその声は戦場の狂乱にかき消されていた。


「かかったな、身の程知らずの小僧ども」


 アジトの二階、豪奢な装飾が施されたバルコニーに、一人の男が悠然と姿を現した。

 この盗賊団を束ねるリーダーだ。

 男が冷酷な笑みを浮かべて指を鳴らす。

 それを合図に、周囲の壁に仕込まれた銃眼から一斉にクロスボウの矢が放たれ、逃げ道を断つように重厚な鉄格子が轟音と共に降りた。

 リーダーの采配は完璧の一言に尽きた。

 手下を捨て駒として正確に配置し、若手特有の慢心を逆手に取って、彼らを完璧な包囲網の中に封じ込めたのだ。


「ぐっ、この……チョロチョロと……ッ!」


 背後を塞がれたカイルが、壁を背にして必死に大剣を振るうが、死角から放たれる多角的な攻撃に防戦一方となる。

 セリナが展開した魔術障壁も、絶え間なく降り注ぐ矢の雨に悲鳴を上げ、その表面には蜘蛛の巣状のひびが走り始めていた。

 絶体絶命の危機。

 若手たちの顔から余裕が消え、初めて「死」という冷たい感触がその肌に張り付く。

 それでも俺は、まだ動かない。

 S級時代、俺の隣で戦っていた化け物たちは、これほど絶望的な状況ですら笑い飛ばしながら切り抜けてみせた。

 だが、目の前のこいつらは違う。

 俺が今この瞬間に介入すれば、彼らの命を救うことは容易だろう。

 だが、それでは「力」だけでは決して届かない壁が存在することを、彼らは学ぶことができない。

 仲間が完全に追い詰められ、敵が勝利を確信し、その強固な「策」に一瞬の緩みが生まれるその刹那。

 そこが、俺がすべてをこじ開けるための戦場になる。

 俺は懐に忍ばせた先割れスプーンを引き抜き、指先でその硬い感触を確かめながら、静かに、深く、息を整えた。



「赫耀たる星辰」が絶望の淵で喘ぐ声を背に聞きながら、俺は深い夜の闇へと、その身を溶け込ませた。

 正面で繰り広げられている喧騒とは無縁の、完全なる「静」の領域。

 気配を殺すのではない。吹く風や地面に落ちる影と同じ、ただの風景の一部にまで自分という存在を成り下げ、世界の認識から外れるのだ。

 俺は一歩、また一歩と、執拗な包囲網を敷く盗賊たちの死角を縫い、彼らの背後へと音もなく潜り込んでいく。

 一人目は、建物の隅で冷徹にクロスボウを構えていた射手だ。

 俺は呼吸すら止め、石像のように静かにその背後に立った。

 懐から抜き放ったのは、使い古された一本の先割れスプーン。

 鈍い銀色の輝きが男の喉元を優しく撫でる。

 そこには鋭利な刃など存在しない。だが、人体の急所を的確に突いた金属の硬度は、男の悲鳴をあげるための声帯を一瞬で潰し、その意識を奈落へと刈り取るには十分すぎる武器となった。

 続けて、包囲網の維持に奔走していた近接戦闘員たちの排除にかかる。

 闇の中から音もなく踏み込み、巡回していた大男の膝裏をスプーンの柄で強打した。

 男の巨体が崩れる音すら、カイルたちが立てる喧騒に紛れ込ませる。

 倒れ込み際、抗おうと短剣を抜こうとした別の盗賊の手首に、スプーンの先を正確に叩き込み、神経を一時的に麻痺させた。


「な、なんだ!? 誰がい……」


 隣の仲間が異変に気づきかけた瞬間には、俺はすでにその男の背後へと回り込んでいる。

 喉元をスプーンの曲線部分で圧迫し、頚動脈を絞めて沈める。

 刃物で血を流せば、その臭いが敵の警戒を呼び覚ます。暗殺者にとって、無音と無臭は最高の武器だ。

 S級時代に数多の修羅場を潜り抜けた技術は、これほど手慣れた盗賊たちの包囲網であっても、複雑に絡まった糸を端からほどくように容易く無力化していく。

 だが、アジトの心臓部へ迫るにつれ、肌を刺す空気の密度が明らかに変わった。


「……なるほど。確かにこいつは、外側からは難攻不落だな」


 アジトの入り口付近は、鉄板で厚く補強された重厚な防壁が立ち並び、さらに隙のない見張りが数名、一分の隙もなく目を光らせている。

 もしこれを正攻法でこじ開けようとすれば、それこそカイルの持つ大剣の破壊力をもってしても、数分はかかってしまうだろう。

 そしてその数分という時間は、姿を晒した暗殺者にとっては、死に直結する致命的な遅延となるのだ。

 俺は周囲を素早く、かつ細部まで観察した。

 整然と組まれた防御陣は、一見すると完璧に思える。だが、完璧に見えるものほど、職人の慢心や経年による「嘘」がどこかに混じるものだ。

 見つけた。

 頑強な石壁と、後から増設されたであろう木製の壁板が接合する角。

 長年の雨風でわずかに腐食し、分厚い塗装の下で、数ミリ程度のわずかな浮きが生じている。

 普通の戦士なら確実に見落とす、あるいは無視するような、あまりにも微細な綻びだ。

 俺は先割れスプーンの平たい先端を、その極小の隙間へと慎重に、かつ迷いなく差し込んだ。

 普通のナイフならば、無理な力がかかって折れているような角度だ。

 だが、この安物の食器は、持ち主の意思に応えるようにしなりながらも、驚くほどの粘りと強度を見せる。


「――崩壊の起点、見つけたぜ」


 俺は短く、熱を帯びた息を吐き出すと、手首を鋭く返した。

 てこの原理による強大な圧力が一点に集中する。

 パキィィッ、という小気味いい破壊音とともに、強固だったはずの壁板が内側から弾け飛び、人が一人通れるほどの隙間が生まれた。

 無理やりこじ開けたその穴から、俺は一滴の水が染み込むように、音もなく室内へと滑り込んだ。

 そこは、アジトの最深部。

 先ほどバルコニーで冷酷に指を鳴らしていた、現場の指揮官とおぼしき男が、優雅に椅子へ腰掛け、勝利を確信した様子でワインを傾けていた。

 カイルたちの苦戦を肴に、祝杯を挙げようとしていた男の顔が、突如として室内に侵入した「異質な気配」に引きつる。

 男が慌てて振り返った時、俺はあえて隠れることをやめ、部屋の入り口という最も目立つ位置に堂々と姿をさらした。

 本来の「掃除屋」としての仕事なら、男がこちらを向く前にその命を刈り取っていただろう。

 だが、「赫耀たる星辰」の面々が警戒していた通り、この男は攻撃を事前に察知する特殊な防御魔法の持ち主だと言われている。

 もしその話が事実なら、背後からの不意打ちすら無効化される可能性があり、安易な一撃は命取りになりかねない。

 何より、ここまで見事な采配で若手共を追い詰めてみせた手腕は認めざるを得ない。

 姿をさらしたのは、この窮地を演出した敵の将への、俺なりの敬意だった。

 手の中にある先割れスプーンを、いつでも男の急所を貫けるよう、静かに、そして鋭く構える。

 震える手からこぼれたグラスが床に落ち、乾いた音を立てて砕け散った。


「な、なんだお前は……! どこから入り込んだ!?」


 男の驚愕の問いに、俺は低く、淡い声を返した。


「どこからでもないさ。風と同じだ。隙間さえあれば、どこへでも入り込む」


 俺は手の中でスプーンをわずかに傾け、数歩の距離を保ったまま、いつでも間合いを詰める準備を整えた。

 外の広場で絶体絶命の包囲にさらされているカイルたちが、このアジトの奥で起きている異変にまだ気づかぬうちに、俺は静かに、そして確実にトドメの機をうかがう。


「さて、旦那。あんたが描いたその『完璧な終幕』に、今から風穴を開けに来たぜ」

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