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F級暗殺者――社会の害虫を退治する低ランク暗殺者のおっさんと少女の物語。  作者: 秋ヶ瀬胡桃


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第12話 朝

「誰が信じられるか! 先に死ぬのはお前の方だ!」


オインクの怒号が、混乱の極致に達した広間に凄まじい熱量で叩きつけられる。

手元のボウガンはもはや、精密な機構を骨片に破壊され、弦の切れた無用の鉄の塊に過ぎない。


「おい、お前か! お前が何かしたのか!」


「ひ、ひいっ! 違います、俺じゃありません!」


奴の意識が、目に見えぬ「正体不明の刺客」を探して左右に激しく振れたその瞬間。

俺の脳内での殺しの演算は、完全に完了した。

群衆の影。脂ぎった客たちの背後。

音もなく、重力さえも欺くような滑らかな足運びで、俺は一気に最短ルートを駆け抜ける。

右手に握りしめたのは、使い古された「先割れスプーン」だ。

それは本来、食事のための道具。だが今、この空間では死を運ぶ鎌よりも確実に命を刈り取る。

狂ったシャンデリアの光を浴びて、その先端が鈍く、冷たく、死神の眼差しのように光った。

オインクが腰の短剣に手を伸ばそうと、指を動かしたその刹那。

俺は奴の懐へと、まるで実体のない影のように潜り込んだ。


「……あ?」


奴が俺の存在をようやく認識できたのは、首筋に冷たく鋭い金属の感触が走った後だった。


「チェックメイトだ、豚野郎。お前の不快な宴は、ここで終演だ」


囁きと共に、スプーンの先端を喉笛の急所へと垂直に突き立てる。

そのまま一分の狂いもなく、深く、正確に、一気に横へと引き抜いた。


「ガ、……ギ、ギ…………」


声にならない泡が奴の口から溢れ出し、どす黒い鮮血が噴水のように噴き出した。

信じられないという表情のまま、オインクの巨体が地響きを立てて崩れ落ちる。


「オインク様が……殺された!?」


「あいつだ! あの影だ!」


「違う! お前が今、どさくさに紛れて刺したのを見たぞ!」


惨劇はこれで終わりではない。むしろ、ここからが真の地獄の始まりだ。

極限の恐怖と、吸い込んだ薬物による錯乱。

それは客たちの脆弱な理性を、跡形もなく焼き切っていた。


「近寄るな! どいつもこいつも俺の命を狙ってやがる!」


「やめろ! 来るな! くるなあああ!」


一人が隣の男を突き飛ばし、それに怯えた女が狂ったように絶叫する。


「触るな! 汚らわしい!」


女が指輪に仕込まれた「雷鳴の魔石」を制御できずに暴発させた。

凄まじい雷光と衝撃波が広場を走り、近くにいた男たちの体が木の葉のように弾き飛ばされた。

耳を劈く爆音と閃光。

それを最後の一線を超えさせる合図として、疑心暗鬼に駆られた者たちが隠し持っていた暗器を抜き放った。


「貴様、さっきから怪しい動きをしていたな!」


「うるせえ! お前だって俺の首を狙ってるんだろ!」


互いの喉元に牙を剥き、誰彼構わず切り刻み始める。

引き裂かれる豪奢な衣類。床に飛び散る極彩色のワインと血。

先ほどまで贅を尽くした狂宴を謳歌していた者たちは、獣以下の共食いを演じていた。

広間は、文字通りの地獄絵図へと変貌していく。

俺はその狂乱の渦に背を向け、広間の中央で吊るされていた男のもとへ歩み寄った。

意識を失い、ぐったりと項垂れている男の縄を、スプーンの角を使って手際よく断ち切る。


「……う、……あ……」


男の体が崩れ落ちるのを支え、冷たい床の上にそっと横たえた。


「死ぬなよ。まだ、終わっちゃいない」


男の耳元で短く、事務的に告げると、俺は返り血を静かに拭い、懐の定位置にスプーンを収めた。

周囲では、今もなお互いを屠り合う愚か者たちの悲鳴と罵倒が響き渡っている。


「助けてくれ!」


「嫌だ、死にたくない!」


オインク以外の、この腐った豚どもに、俺が自ら手を下してやる価値など一欠片もない。


「勝手に死ね。お似合いの末路だ」


自らが生み出した「恐怖」という名の魔物に喰われ、醜く果てるのが奴らに相応しい末路だ。

出口へと続く重厚な扉の向こう、深い闇の中へ、俺は再びその身を沈める。

背後では、支えを失ったシャンデリアが派手な爆音を立てて落下した。

床に散らばった酒に火が燃え移り、紅蓮の炎が猛然と広がり始める。


「あちい! 火だ! 逃げろ!」


「押すな! 俺が先だ!」


地獄の底から響くような醜い絶叫を背に、俺は二度と振り返ることなく立ち去った。


静かに扉を押し開け、俺は静まり返ったフランチェスカの屋敷へと滑り込む。

外の世界はつい先ほどまで、俺の主戦場である濃密な夜の闇に深く包み込まれていたはずだった。

だが、屋敷の大きな窓から差し込む光は、いつの間にか白々とした、それでいてどこか清々しい朝の訪れを告げている。

一晩中、街の裏側にある湿った路地裏を這いずり回っていた俺の体には、安酒のツンとした匂いと、安物の煙草の残り香が、拭い去れないほどべっとりと染み付いていた。

徹夜明け特有の、脳が細かく痺れるような倦怠感と荒んだ感覚を抱えたまま、重い足取りでリビングへと向かう。

そこには既に身なりを完璧に整え、朝日を背に受けながら優雅に朝のコーヒーを啜っているフランチェスカの姿があった。

彼女は俺の姿を認めると、形の良い眉をわずかにひそめて、いたずらっぽく笑った。


「おかえりなさい。……相変わらず、鼻が曲がりそうなほど酷い匂いね。まるで不潔な夜の街をそのまま引き連れて帰ってきたみたいだわ」


彼女はそう言いながら立ち上がり、カーテンをさらに広く開け放って、新鮮な朝の空気を心地よく室内に招き入れる。


「……ああ、悪いな。着替える前に一息つかせてくれ。それより、アヤメはどうした?」


俺が使い古された革のソファに深く体を沈めて尋ねると、彼女はカップをソーサーに戻し、いたずらっぽく目を細めた。


「アヤメちゃんなら、まだ奥の部屋でぐっすり眠っているわよ。昨日はよっぽど緊張していたんでしょうね。でも、そろそろ起こしてあげなきゃ。……ちょっと待っていなさい、魔法をかけて連れてきてあげるから」


そう言い残すと、フランチェスカは軽やかな足取りで奥のゲストルームへと消えていった。

それから、ずいぶんと待たされた。

リビングの時計が刻む規則正しい音だけが響き、俺は何度も欠伸を噛み殺した。

昨夜の仕事の疲れと安酒が回り、意識がまどろみに沈みそうになる。

女の「ちょっと待って」ほど当てにならない言葉はないと、改めて痛感していたその時だ。

ようやく扉の開く音が響き、フランチェスカが満足げな表情で戻ってきた。

その後ろには、彼女に促されるようにして、一人の少女が戸惑いながらついてきている。

そこに立っていたのは、昨日までの、あのツギハギだらけで薄汚れた、いかにも貧しい身なりの少女ではなかった。

丸襟の可愛らしい真っ白なブラウスに、膝丈のふんわりとしたチェック柄のジャンパースカート。

その年齢にふさわしい、活動的でありながらも清楚な装いが、彼女の小さな体に見驚くほどよく馴染んでいる。

何より俺の目を強烈に奪ったのは、昨夜まで泥や埃にまみれてボサボサだった、あの深い青色の髪だ。

丁寧に梳かされ、サイドを小さなリボンで控えめに留められたその鮮やかな青い髪は、窓から差し込む眩い朝日に反射して、まるで一流の職人が磨き上げた宝石のように、深みのある美しい輝きを放っている。


「あ……」


俺の姿を見つけるなり、アヤメは一瞬だけ弾かれたように足を止め、逃げ場を探すように視線をあちこちへ泳がせた。

昨夜までの、どこか強がっていた硬い表情はすっかり影を潜め、代わりにその透き通るような白い頬を林檎のように真っ赤に染めている。

彼女は慣れないスカートの裾を、細い指先でぎゅっと握りしめ、俺の前で所在なげに、照れくさそうにモジモジと佇んでいた。


「…………変、かな」


今にも消え入りそうな小さな声。

けれど、真っ直ぐに俺の反応を伺うように、伏せていた瞳をわずかに上げて問いかけてくる。

ぶっきらぼうに振る舞おうと必死に感情を堪えているようだが、その小刻みに震える肩や足元を見つめる仕草には、言葉以上の緊張と、隠しきれない期待が滲み出ていた。

安酒と煙草、そして夜の澱みにまみれた俺の荒んだ目に、朝の光の中で青い髪を輝かせる彼女の姿は、あまりにも眩しく映った。

俺はソファに深く身を沈めたまま、隣で所在なげに座るアヤメに視線を向けた。


「……似合ってるよ。昨日の服よりずっといい」


俺がそうぶっきらぼうに告げると、アヤメは顔を真っ赤にして俯き、慣れないスカートの裾をぎゅっと握りしめた。

その様子を見届けてから、俺は冷めかけたコーヒーを飲み干し、正面に座るフランチェスカに向き直った。


「……一つ、聞いていいか」


「あら、何かしら? 改まって。その子のこと?」


フランチェスカはアヤメをチラリと見てから、余裕を感じさせる笑みを浮かべた。


「どうしてアヤメにここまで肩入れする。服を揃え、髪を整え、寝床まで提供する……。何か裏があるんじゃないかと思ってしまうんだが。あんたがただの親切心だけで動くような人間には見えなくてな」


俺の問いに、フランチェスカはカップをソーサーに戻した。

彼女の唇に浮かんでいた笑みが、ほんのわずかだけ、無機質な仮面のように固定される。

隣に座るアヤメが、不安そうに俺と彼女の顔を交互に見つめていた。


「理由? そうね……昔の自分を見ているみたいで、放っておけなかったの。その子のその真っ直ぐな瞳、どこか私に似ていると思わない? だから、ほんのお節介よ」


淀みのない答えだった。

だが、彼女の瞳の奥には、言葉とは裏腹の重い沈黙が横たわっている。

それは過去への同情などという甘いものではなく、もっと切実で、執着に近い何かだ。

彼女が何を隠しているのか、アヤメの出自に何らかの確信を持っているのか――。

俺はそれ以上、言葉を重ねるのをやめた。

深追いすれば、この平穏な朝の空気がガラス細工のように壊れてしまう気がしたからだ。

この世界において、深入りしすぎないことは互いの最低限の礼儀でもある。


「……そうか。あんたがそう言うなら、そういうことにしておこう」


俺が話を打ち切ろうとしたその時、フランチェスカが不意に、いつもより低く、真剣な声を出した。


「それよりも、あなたに伝えておかなければならないことがあるの。……いい、アヤメちゃん。あなたもよく聞きなさい」


フランチェスカのただならぬ気配に、アヤメが隣で小さく身を強張らせる。


「実は、アヤメちゃんをこのままここで預かり続けるわけにはいかないの。いえ、正確には――あなたが彼女を連れて、今すぐにでもこの街を出るべきだと言っているのよ」


不意を突かれた俺は、動きを止めて彼女を見返した。

アヤメも驚いたように、大きく目を見開いている。


「街を出る? ……確かに俺も、いつまでもあんたに頼るつもりはないが、急だな」


「ええ。でも、この淀んだ街の地下で、私のように過去に囚われて生きるのがその子の幸せだとは思えないの」


彼女はそこで言葉を切り、慈しむような、それでいてどこか切実な眼差しをアヤメに向けた。


「その子の未来は、こんな場所にあっちゃいけない。もっと広くて、光の差す場所へ連れて行ってあげて。その子には、真っ当な世界を知る権利があるわ」


それは単なる助言ではなく、アヤメの将来を案じる、彼女なりの切なる願いのように聞こえた。

俺が思わず沈黙すると、フランチェスカは何かを決意したように、俺とアヤメの顔を交互に見つめた。

そして、二人の新しい人生が始まるべき「場所」の名を告げようと、ゆっくりと唇を開いた――。

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