38話 相談
――百年前、王家へ呪いをかけたのはマチルダではなかった。真の犯人は、彼女の妹エレノアだった。この事実は、王家から正式に国民に発表された。王家が過去の過ちを認める形となり、少なからず世論は揺れた。
エレノアと共謀した罪で、ジーニー侯爵も捕えられた。
♢
ヌマイの騒動から一週間が経過した。王宮は未だ混乱が続いている。
マデリーンがレティシアのもとを訪れ、お茶を飲みながら言った。
「ビビは私の家で引き取ることになったわ」
「そうなの! それは良かったわ」
レティシアはほっと胸をなで下ろした。
ヌマイでの虐殺を生き延びた百人余りの人々。彼らの心には深い傷が残っていたが、王家から新たな住まいを手配するとの知らせが届いた。ヌマイには新たな領主が置かれ、整備が進められるという。落ち着いたあとは、戻りたいものは戻ってもいい、という話であった。
今までこのヌマイは所有者不明のまま放置されていたが、今回の件をきっかけに、ようやく手が入ることになったのだ。
マデリーンがビビを引き取るのは王家の依頼ではなく、マデリーンがビビに対する贖罪を果たしたいと強く望んだためらしい。
「あんなにやせ細っていたのだもの……。うちで雇ってぶくぶくに太らせてやるわ」とマデリーンは笑った。
しばし雑談したあと、「そうだ」とマデリーンが言った。
「あのとき、私も一緒にエレノアの記憶を見たけど」
「うん」
「謎が残っているわよね……」
神妙な顔のマデリーンに、レティシアも小さくうなずいた。
エレノアの記憶には、理解できないことが多く残されていた。たとえば、ザリバン家で働いていた者がリック王を襲撃したと主張した件や、カミーラ王妃の事故死の真相について……。
どちらの事件もスコルの暗躍によって引き起こされたのかもしれない。
だが、襲撃事件に関しては、リック王の自作自演であったという見方もできる。カミーラ王妃の事故死にも、王宮の陰謀が絡んでいる可能性も否定できなかった。
――しかし、百年前の出来事であり、エレノアやスコルが死んだ今、真相は藪の中だ。
「オースティン様とマチルダの関係……結局二人は恋人同士だったのかしら?」
「……え、それ?」
レティシアは思わず肩の力が抜けた。
「そうだとしたら美男美女のカップルよね! 年齢差はあるけど、とてもお似合い! ……でもそうするとさ、オースティン様ってレティシアを見ても本当になんとも思ってなかったのかな。だって好きだった人に瓜二つなわけでしょ。ドキドキするでしょ、普通!」
「……何それ」
レティシアは呆れて溜め息を吐いた。
「あ、そういえばレティシア、これからどうするの?」
「え?」
「今、王宮はマチルダの冤罪の件でごたついているし、レティシアもあちこち話を聞かれて忙しそうだけど……でもこれが終わったらどうするの? オースティン様のもとへ帰るの?」
「マデリーン、そのことなんだけど……ちょっと相談したいことがあって」
レティシアは緊張した面持ちで、マデリーンを見つめた。
♢
マデリーンと話した翌日、レティシアはフローレス侯爵邸を訪れていた。
父ジェイクに会うためだ。彼は一時衛兵に捕らえられたものの、裁判が始まるまで自宅謹慎という処置を受けていた。
クレアの意向か、ジェイクは屋敷の奥の静まり返った部屋におとなしく身を置いていた。
ここは……レティシアが幼少期を過ごした場所だ。部屋をノックすると、「どうぞ」というジェイクの声が返ってきた。
「お久しぶりです、お父様」
ジェイクは、見慣れない質素な服を着ていた。どうやら自分で掃除をしていたらしい。箒と塵取りを手に、腰を屈めたその姿に、レティシアは少し唖然としたが、表情には出さないよう努めた。
「レティシア……」
ジェイクはレティシアの顔を見ると、気まずそうに目を伏せた。
「……お父様、部屋を丸く掃いてしまうと、角のゴミが取れません……貸してください」
レティシアは箒と塵取りを受け取り、掃除を始めた。その様子を見て、ジェイクは口を開いた。
「悪かったな……今まで」
「え……」
彼の声は物悲しく響いた。
再会してからも、ジェイクには何度か謝られたが、その言葉は結局本心ではなかった。
レティシアはどう受け取ればいいか戸惑った。ジェイクに促されて椅子に座ると、小さな机を挟んで、向かい合う形になった。
「言い訳に聞こえるかもしれないが……私の話を聞いてほしい」
「……はい」
「私は、幼少期からフローレス家の跡継ぎとして、血のにじむような努力をしてきた。事業は成功し、領地も潤い、他の貴族や領民からの支持も厚かったはずだ」
それは事実であり、嘘ではない。ジェイクは真面目で能力の高い男だ。はたから見れば、品行方正な立派な貴族として映るだろう。
「しかし、そんな私にとって唯一の汚点が……あのマチルダの血が流れていることだった」
「……」
「表向きは関係ないことになっているが、やはり周囲は知っている。学生のときも、この侯爵家を継いだあとも……マチルダのことで侮辱する者が何人もいた。しかし、私はそれを気にしていない振りをした。彼らは私を嫉んでいるだけだと。そして、こうも思った。王家に害をなした人物の血が流れているのだとしたら、その分、私は努力し、能力を高め、王家を支えようと」
ジェイクの王家への忠誠心は本物だった。七年前、王都の祭りでアンドレアスを見たとき、ジェイクがふとこぼした「お可哀そうに」という言葉。それはまごうことなき本心から出た言葉だった。
「そんな私のもとにお前が生まれた」
「……」
「私の絶望はすさまじかった。もしお前の存在が世間に知られれば、マチルダとの関係を証明するようなものだ。そして、愛する妻がお前を産み、すぐに亡くなったのも耐え難いことだった。お前が……私からすべてを奪うために生まれてきた悪魔のように感じた。だから、私は……お前が憎く、実際に酷い仕打ちをした。裏社会の人間を頼り、お前を捨てた。あとは……知っての通りだ。さんざん脅され、罪をバラされることを恐れた私は、悪事に手を染めた。そうなると不思議なもので、本業の方も調子が出なくなり、ジーニー侯爵に足を掬われ、貴族議院の議長の座を奪われた。そしてますます私の気力は失われ、腐っていった」
ジェイクは、他の闇社会とつながりのある悪徳貴族とは違い、程よい付き合い方に慣れていなかったのだろう。彼は足元を見られ、搾り取られ続けた。
「聖女として戻ってきたお前と再会した。あの腹立たしいジーニー侯爵の目的が、子供を王家に捧げて勢力を強めることだとしたら、今度はこちらがその座を奪ってやると思った。しかし、結局クレアに秘密がばれ、非難され、お前にもきつい仕置きをされた。今となっては当然の報いだ。……あのとき、アンドレアス殿下に怒鳴られたことで、私は……後悔した。王家のお役に立つために精進してきた私が、王家の政策に背き、人身売買をしている組織を支援したことだけじゃない。……妻が命をかけて生んだお前を蔑ろにしていたことに、気づいたからだ」
レティシアは顔を上げ、ジェイクを見つめた。ジェイクの瞳からぽろりと涙がこぼれ、頬を伝った。
「私は……私を血で侮辱していた者たちと同じことをお前にしていた。マチルダが冤罪だったかどうかなど、関係ない。お前をただ私の娘として大切にすべきだったのだ」
「お父様……」
「本当にすまなかった。貴族の娘とは思えない辛い生き方を、お前にさせてしまった」
ジェイクは深く頭を下げた。
「……物事は一長一短です」
「何……?」
「お父様がもし私に辛く当たらなければ、私は料理も掃除もできないままだったでしょうね。捨てられなければ師匠と出会うことはなく、魔法も使えないままですし。この髪と瞳のせいで嫁ぐこともできずに、ずっとこの家に穀潰しとして居座っていたかもしれません。ああ、縄抜けもできないですね」
「……な、縄抜け……?」
ジェイクがぽかんとする。
「……お父様、貴方が関わった人身売買組織の支援で、辛い目に遭った国民が何人もいるかと思います。その罪はもちろん誠心誠意償っていただきたいですが……私に対することは、もう気にしないでください」
「レティシア……」
それは、レティシアの本心だった。ジェイクの所業で酷い目には散々あったが、あのヌマイでの騒動を経て、この人生も悪くないと、心から思えるようになった。
だって、ジェイクに捨てられてから沢山の出会いがあった。オースティン、マデリーン、ビビ……そしてアンドレアス。あの環境ではないと恐らく出会わなかったし、出会ったとしても深い関係を築くことはできなかっただろう。
「それに、お父様にとって、憎き罪人は曾祖伯母のマチルダだったわけですけど、実際の犯人は、直系の曾祖母であるエレノアだったんですよね」
「え?」
「悲しいことに、かえって血が濃くなってしまいましたね……」
「あ、ああ……そう言われれば、そうだな」
レティシアは、ジェイクを励ましているのか貶しているのかわからないことを言う。
「でも、関係ないです。お父様はお父様ですから。自分が、どう生きるかですよ」
そう言って、レティシアは柔らかく笑った。
「あ、そうそう。お父様、今日訪ねたのは――報告したいことがありまして……」
残り二話です!
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