27.『油断』
薬学の授業中。生徒ひとりに壺が渡され、教師が説明した薬の調合を行っていた。
「うむうむ。上手に調合していますね、生徒スメラギ」
「ありがとうございます」
入学から1ヶ月経過したので、今日の課題は現在の生徒たちの学び具合を確かめる、実践テストの意味が含まれていた。
手際よく調合を進めていたカムイのもとに、薬学の担当教師――イヌマニス・サーツェンが歩み寄り、壺の中の様子を窺う。すると、両手を合わせて微笑み、良く出来ていると称賛した。
「んー、これかなー。もう入れちゃえー」
「――ま、待つんだフィリア!」
不穏な声が聞こえそちらを見ると、案の定フィリアが少しずつ浸からせるはずのマンドラゴラを放り投げた瞬間だった。
――シュボンッ。
教室の一角で爆発が起き、紫色の煙が立ち込める。年老いた担当教師が魔法で煙を一ヶ所に収束させて壺に入れて蓋をした。おかげで生徒たちは事なきを得る。
あの煙を過分に吸うと、数時間は昏倒するのだ。事前説明の際に気を付けるようにと注意を促せていた。
「生徒ネールト。またあなたですか。毎度毎度、途中までは上手くいっているのですから、投げやりにならないでください」
「ずみまぜん、ケホッ。どうしても、わーってなっちゃうんです、ケホッ」
壺の一番近くいたフィリアは無事のようで、カムイはほっと胸を撫で下ろす。が、変に咳が続いているので、念のため保健室に行くように促した。
「きみの調合はビックリ箱と似ている。何が起こるかわからないから診てもらった方が良い」
「そうですね。生徒スメラギ。あなたの薬は完成しています。生徒ネールトが無事に保健室に行けるよう付き添――」
「サーツェン先生。オレっちが運びます」
教師サーツェンの言葉を遮る勢いでバンが手を上げて申し出た。事情を察したカムイはふっと微笑し、彼が同伴出来るように進言する。
「生徒デルカ。申し出はありがたいのですが……」
「俺からもお願いします。幼馴染みの彼がいてくれた方が、彼女も安心するかと」
「生徒スメラギがそう言うのでしたら……仕方ありません。生徒デルカの同伴を許可します」
「ありがとうございます!」
風を切る勢いで頭を下げて感謝するバン。彼の想いを既に気付いているクラスメイトは、暖かい眼差しを向けていた。
薬学の授業では爆発からの保健室へが、一種の恒例行事になりかけているのは言うまでもない。
騒がしくて微笑ましくももどかしい、バンとフィリアの組み合わせはクラスの中で定番のコンビとなりつつあるのだ。
「アリス」
「皆まで言わずとも良い。早う行け」
険しい顔で壺の中身を見つめるアリスに、気を付けてねとカムイは声をかける。わかっておるわ、とそっぽを向かれてしまった。
危惧するのも無理はなく、彼女もフィリアに負けず劣らずの調合をする。
薬学ではクラスでカムイと並ぶ好成績のケイに、アリスを頼む意味を込めて然り気無く目配せしておいた。心強い頷きが返ってきて眼帯少年たちは安心して教室を後にした。
「ケホッ、ケホッ、ケホッ」
「本当に咳が止まらねえじゃん」
元気を何処かへ置き去りにしてきた、隣をとぼとぼと歩くフィリアを心配する。確かに今日の彼女はいつもより症状が酷く見えた。
「――っ!?」
視界の隅で窓の外で人影が去っていくのをカムイは捉えた。
「急いだ方が良いかもしれないな。バン、おぶって走ろう」
「うっ……」
拳を胸の前で掲げてカムイは提案する。とてもわくわくしていると書いてある顔でだ。
恥ずかしさと心配の間で板挟みになるバンの葛藤はそう長くはなかった。
「やってやる。さっさと背中に乗れフィリア」
「仕方ないなー」
「――違うそうじゃない」
乗れ。しゃがんだバンは間違いなくそう言ったが、足を乗せて上に乗ろうとするのは予想外である。体調を崩しても相変わらずのフィリアの天然に振り回される。
カムイの手伝いもあり、無事にフィリアを背負ったバンが友に笑いかけた。
「ありがとな」
「良いって。俺は遅れて追いかけるよ」
「変な気を使いやがって。じゃ、また後でな」
「うん」
急ぎ足で保健室へと向かうふたりの背中を見送り、カムイは先程の人影がいた場所を、窓を開けて片目で凝視する。既にそこに姿はなく、移動してしまったようだ。
先日のバンとメルトとの決闘に横やりを入れた者ではない。その者は一生徒として教室で授業を受けているのだ。はっきりと見てはいないが、身のこなしは相当なものだった。
「標的に加わってしまったかな」
ボゼイアン兄妹以上の手練れなら、誰が障壁を張ったかくらいは見抜けるだろう。人間の暗殺ならともかく、魔族なら邪魔者を排除しにかかる可能性が高い。
ましてやここ、アルドラント学園内では、自己の魔法実験を含めた生徒や関係者の死亡は珍しくない。
魔族が隠れて人を殺すには、うってつけの場所と言えよう。その分、セキュリティ関係は堅牢である。が、何物であっても綻びは生じる。そこを突くのが彼らの得意技なのだから、相性は悪いのかもしれない。
「そろそろ――」
先に行った友人たちを追いかけようと少年が思考を止めたその時、校内に爆発音が轟いた。珍しくもない出来事に、妙な胸騒ぎを覚えたカムイの足は床を蹴っていた。
角をいくつか曲がり、階段を飛び降り、最小限の時間でそこにたどり着いた彼が見たものは――
「な……」
爆発が原因でぶち抜かれたであろう壁。その近くで倒れ、腹部から血を流す友人ふたりの姿。
「……ぅっ……ぐ……」
そして、少年の目を引くのがもう一ヵ所――否。もうひとりいた。金色の大槍を携えた見覚えのある女生徒。入学式で新入生たちに現実を突き付けた生徒会副会長――ミリーナ=アストルムだった。
「――最悪のタイミングだな」
入学式の時を越える迫力のミリーナの鋭い眼光がカムイを突き刺す。が、彼にとってはそんなことなどどうでもよかった。ただ、一点に意識が集中していた。
金色の大槍の先端に付いた赤い液体。それが何なのか、幼子でも分かろう。
「貴様ァ……」
バンとフィリアのものにしか見えない血をつけた大槍を握る人物。カムイ・スメラギが殺意をぶつける理由としてはじゅうぶんだった。
自分が目を離してしまったことがこの結果に繋がってしまった。もっと注意するべきだった。己が油断が招いた現実は、彼の怒りを後押しする。
噴水のように溢れ出した感情を止めるのは、カムイ自身には困難なほどであった。




