19.『常識』
「ハァアッ!」
剣にも等しい長さに伸びた爪は徒手格闘では防ぎにくく、カムイにとって厄介なものでしかなかった。避けるだけなら専念すれば何となる。が、間髪入れず襲い来る爪は、眼帯少年に詠唱をする時間を与えない。
「……」
両手の爪の猛攻は完全に躱しきれているのか、カムイの傷が増えたようには見えない。けれど余裕がないのか、反撃せずにただ避け続ける。
「これで終わらせる」
煮え切らない状況を打破しようと、マルセルが数歩下がり無作為に爪を振り回す。
顔は正面に向けたまま目だけ動かして、爪撃が飛んでいるのを確認。何かしらの策があるのだと察した。
「駆け抜ける我が身よ、竜の如し強靭なる爪となれ――〈竜爪閃駆〉」
今から走り始めると言わんばかりの体勢で詠唱。
オーラのような淡い光が青い竜となり、マルセルに覆い被さる。まるで衣を纏うかのように。
「我、護る盾となれ――〈プロテクション〉」
正面に障壁を展開。それを確認したマルセルの口角が上がり、彼の姿が青い残像を残して消える。
一歩踏み終える時間でカムイの右側面に移動し、障壁が張られていない右腕を取るべく強襲をかけた。相手の実力を認めたからこそ一気に仕掛けずに、時間をかけて体力と戦力を削る選択をしたのだ。
バンやケイの目では追いきれない速さで駆け抜けるマルセルの竜爪が肉を抉る――
「――っ!?」
障壁がカムイの右側面、マルセルの正面にぐいと移動し、竜爪は弾かれて届かなかった。
障壁を移動させた事実は、相対する武芸部部長のみならず、観客席で見守る彼の友人たちに衝撃を与えた。何故なら、皆の常識は〈プロテクション〉で張った障壁は動かせないだからだ。
カムイは友人たちどころか、平然と魔法の常識を覆したのだ。これを驚かない方がおかしい現象を、身を以て知ったマルセルの衝撃が一番大きく、同時にそれは隙が生じた瞬間でもあった。
「〈火炎の放射/フレイム・ブラスター〉」
障壁に弾かれて体勢を崩し、常識を覆されたことによる動揺がマルセルの動きを鈍らせる。翳された右手前に展開した魔法陣から、武芸部部長を焼き付くさんと紅蓮の炎が放たれた。
「――〈衝波〉!」
間一髪、空中を叩きつけるように殴ることで生じる衝撃波の反動で回避に成功する。しかし、不安定な体勢での強制離脱だったため受け身を取れず、地面を転がり服を土で汚す。
転がる最中、今度は地面を殴って身を空中へと投げ出し、後退りしながらも着地した。
「――さすがだ」
着地したマルセルの体が翳る。原因は彼に迫る、先端が尖った巨大な岩だった。炎が躱された場合を想定していた、カムイの追撃である。
決着がつくかと思いきや、マルセルが4人分ほどの巨大な岩を爪で容易く両断した。だが、追撃は巨大岩にとどまらず、拳程度の鋭い棘のような岩が無数に飛んできていた。
距離の有利を活かした典型的な魔法使いの戦法だ。
「ぐっ――」
遠距離の攻撃も可能だとしても、やはりマルセルが得意とするのは近距離での戦闘。離れた位置からの一方的な物量で攻められれば、反撃に移りにくいのは自明の理である。
なおかつ、飛んでくる棘岩のほとんどが同じ速度だが、時折倍の速さのものがあり、如何に武芸部部長と言えど体制を立て直すのは至難の業だ。
「〈突出する大地/グレイブ・ニードル〉」
「しまっ――」
マルセルの左足下の大地が勢いよく盛り上がり、必然、彼は横に倒れかけるも、それを蹴って跳ぶことで耐え凌いだ。次の攻撃への伏線だと知らずに……。
視界の下側に赤い光を感じて、彼は声を漏らすが時既に遅し。マルセルが移動するであろう位置に、予め設置されていた魔法陣から放たれた炎が、数秒経たずして天井へと衝突する。
天井を焦がさんとする勢いで燃え盛る炎の荒々しさは、試合中に使用された炎魔法の中でも一番だった。
「――まだ続けますか?」
カムイがパチンと指を鳴らすと炎は消えた。マルセルを中心に無数の棘岩を浮遊させた状態で、彼は問いかけた。
「……ふっ、参ったな。降参する。オレの負けだ」
肌のあちこちを火傷しているマルセルが、両手を上げて敗北を宣言した。
「そこまで! 勝者――カムイ・スメラギ!」
決着を告げるジーデンの声が響き渡り、バンたちは諸手を上げて喜んだ。アリスは腕を組んで当然だと言いたげな表情で頷いていた。
「ウィッキンドウ先輩。ひとつだけ訊かせてください」
試合終了の宣言を聞いてすぐにマルセルに駆け寄り、回復魔法を施しながらカムイは問いかける。
「何だい?」
「先輩は魔族をどう思いますか?」
「抽象的な質問だな……。決して相容れず、忌むべき我々人類の敵――オレはそう教わってきた。確かに彼らは人の命を平気で奪う。けど思うんだ。同じ種族である人と人であっても争い殺し合いもすれば、反対に手を取り合えもする。だからオレは相手が魔族でも、中には良いヤツがいて、共存も可能だと考えている」
はっきりと偽りのない言葉でマルセルは答えた。
「武芸部に入ったのも、力がなければ口先だけになってしまうと思ったからだ。まぁ、君には負けてしまったがね」
武芸部部長が格好よく言った後に苦笑を浮かべる頃には、火傷の治療は終わっていた。
◆◆◆
残念そうな表情のマルセルとジーデンらと夕食を共にし、カムイたちは寮に戻った。
「あやつらにまだ言わんで良いのか? 」
風呂上がりのカムイに、タオルで髪を拭きながらアリスが訊いた。その視線が向く先には、腕のあちこちにマルセルの爪で刻まれた傷があった。
眼帯少年は考える素振りの裏で密かに、自分で髪を拭けるようになった少女の成長を喜んだ。バレないように温風で乾かす手伝いをする。
「これくらいの傷なら、舐めておけば治ります――と、やや失礼な返答はともかくじゃ。ありとあらゆる魔法を無効化する、そなたの体質とも言うべきものは、そなたの周りにも影響を与えかねん」
カムイと正面から向き合ったアリス。その優しい眼差しは、大切な相棒を心配しているようだ。
ありとあらゆる――それ即ちダメージを与える攻撃魔法どころか、傷を癒す回復魔法すら無効化してしまう。もし何らかの要因で致命傷を追えば、魔法を用いない治療が必要となる。
魔法が日常の世界では、ほぼ誰も使わない原始的な治療方法のみ、彼の命を繋ぎ止められるのだ。
あらゆる魔法が効かないのだが、魔法の行使は可能な不思議な体質。
「いずれ知られるであろう有象無象ならともかく、友には先に告げても良いと思うがの」
「……考えておく」
俯く少年を自らの胸に埋めるように抱きしめて頭を撫でる。穏やかな寝息が聞こえるまで、時間はそうかからなかった。




