13.『夢現』
目の前に広がるは――地獄。他に形容出来る言葉を、人は持ち合わせていなかった。
家屋は肌を焼かんとする火が燃え盛り、撒き散らされた人々の臓物をも焦がしていく。
「ぁ――」
夜の空を照らすかの如し炎の中を、ひとりの少年は歩いていた。行くべき目的地もなく、ただ立ち止まっては本当に終わってしまう――そんな恐怖が彼の足を突き動かした。
「助けてぇ!」「いやぁあ!!」「死にたくな――」
いつも果物をくれたおばあさんも、いつも遊んでいた友だちも、いつも「おかえり」と言ってくれた家族も皆――
「ギャハハハハハハハッ! 鳴け、喚け、オレ様を楽しませろ、醜き人間どもがぁ!!」
人間とは似て非なる種族――魔族のひとりが高らかに声を吠える。悲鳴を上げ、助けを請う少年の知り合いを、魔族たちは容赦なく皆殺しにしていく。
さも楽しげに、さも享楽であるように、哀れで弱き者たちを嗤いながら殺すのだ。
そして、ついに少年の番がやって来た。たった今、抵抗してきた人間を返り討ちにした魔族のひとりと目が合ったのだ。
「た、すけ……」
助けを請おうとした少年の口は途中で閉ざされた。
燃え盛る火が酸素を奪い、水分を蒸発させたことで声が出なかったのか、はたまた幼いながらに彼は悟ったのか。
――助けを求めたところで誰も助けてくれやしない。みんなここで死ぬんだ。
いや、どちらも違う……諦めたのだ。襲ってくる怖い魔族を見ないように目を閉じて、もうすぐ来る死を受け入れたのだ。数日前に転んだ時を思い出す。
膝を擦りむいて、血が出て、痛かった。だからせめてと少年は願う――痛くありませんように。
「――っ! はあぁ……最悪の目覚めだ」
布団を蹴り飛ばしそうな勢いでカムイは起き上がった。周囲を見渡し、ここが地獄ではなく学園の寮の自室であるのを確認すると、全身の脱力と共に盛大なため息をついた。
窓から差し込むは日の光にあらず。まだ夜なのだと知り、更なる疲れが少年のもとを訪れた。
起き上がったまま額に震える手を添え、あの地獄で死ぬはずだった少年はもう一度目を閉じる。全てを諦めたあの時のように。
「夢は深層心理の現れ、なんて説もあったな」
呟く頃には手の震えは収まり、心臓の鼓動も落ち着きを取り戻していた。
「――またあの夢か?」
頃合いを見計らったように声がかかる。視線を向けると、窓際の椅子に腰掛けて、グラスを傾けるアリスの姿があった。
「学生が飲酒か? 不良生徒が同室にいたとは知らなかった」
「戯け。お主が珍しく寝苦しそうじゃったから、わざわざ気を遣って仕方なく離れてやったのじゃ」
気を遣ったのは本当だろうが、起きていた理由は別にある。いつも悪夢を見ると、胸と右目が焼かれるように熱くなるのに、今日は冗談を言えるほどの余裕があった。
少年は顔を綻ばせ、素直じゃない相棒に告げた。
「……ありがとう」
「分かれば良い。まだ朝は来ぬ故、再び眠るが良いぞ」
我が儘を言う子どもをあやす母。そんな温かさを感じさせる穏やかな笑みを浮かべ、悪夢を見た少年にもう一度眠るように促した。
「ああ……おやすみ」
「おやすみなさいじゃ」
瞼を下ろし視界を封じても、悪夢から目覚めた少年はなかなか寝付けない。それを見越したアリスがすぅーと息を吸い――
「――――」
「……っ。……ふっ、ったく何で知ってるんだか……」
少女の小さな口で奏でられるは、カムイにとって懐かしき思い出の歌。寝付けない幼い少年の背中を押してくれた、母親がいつも歌ってくれた調べ。
耳から離れない地獄で彼を取り囲んだ阿鼻叫喚が、波打ち際の波のように少しずつ歌が浸透していく。
「あぁ――」
やがて、カムイは心穏やかに眠りについた。母の腕に抱かれ安心して眠る赤子のように――。
「――特別だぞ?」
翌朝。目覚めたカムイは、腕に抱きつくアリスの寝顔を見ながらひとりごちた。
この日の朝の日課が、いつもより遅くなったのは言うまでもない。




