第3章 その診断書を見せてください
再び設けられた、両家の話し合い。
場所は前回と同じ、義実家のリビングだった。しかし、そこに漂う空気は前回以上に張り詰めていた。
私の隣には、弁護士の玲奈さんが座っている。
凛とした佇まいで、静かに、けれど確かな存在感を放つ彼女の横顔に、私は心細さの中にもわずかな安心感を覚えていた。
だが、向かいに座る航平さんと義両親の反応は最悪だった。
玲奈さんの姿を見た瞬間、義母の晶子さんが露骨に顔をしかめ、鼻で笑った。
「……正気なの? わざわざ弁護士なんて連れてきて」
晶子さんは、いきなり私を責め立てた。
「悪いことをしたのはあなたでしょう! 弁護士まで連れてきて、恥ずかしくないの!?」
隣にいた義父も、低く唸るような声で追い打ちをかける。
「不倫をしておいて、今度は法律を盾に責任逃れをするつもりか。姑息な女だ」
心臓が跳ね上がる。逃げ場のない言葉の暴力に、私の呼吸は浅くなった。
ふと横を見ると、実の両親も複雑そうな表情をしていた。娘が弁護士を連れてきたことに困惑し、快く思っていないのが伝わってくる。
絶望に飲み込まれそうになったそのとき、玲奈さんが静かに口を開いた。
「今後の結衣さんへの連絡、および要求は、原則としてすべて私を通してください」
その声は落ち着いていたが、部屋の隅々にまで届くほど明瞭だった。
「また、このように感情的な暴言が続くのであれば、本日の話し合いは打ち切らせていただきます」
航平さんが「誰に向かって口をきいて――」と反発しようとしたが、玲奈さんはそれを一切取り合わず、淡々と話を進めた。
その毅然とした態度に、場はしんと静まり返った。
ようやく、話し合いの体裁が整った。
玲奈さんが隣にいてくれることで、私は不思議と自分の言葉を最後まで口にすることができた。
私は不倫などしていないこと。そして、この子が航平さんの子であると証明したいこと。
玲奈さんは、私の話を改めて整理して説明した。
「私の依頼人である結衣さんは、不倫の事実を全面的に否定されています。そして、親子関係を確認する検査を受ける意思があるとのことです。まずは事実関係を確認しましょう。つきましては、DNA親子鑑定の実施を提案します」
その言葉を、航平さんが鼻で笑いながら遮った。
「断るよ。どうせ時間稼ぎだろ。結果が出るまで何か月も待たせて、その間に中絶できない時期まで持ち込むつもりなんだろう」
「いいえ」
玲奈さんは即座に否定した。
「現在の出生前親子鑑定についてご説明します。妊婦さんの血液と、父親とされる男性の検体を用いて、妊娠中に父子関係を調べることが可能です。妊娠週数などの条件が整えば、出産まで待つ必要はありません。双方が同意されるなら、速やかに手配いたします」
航平さんはまだ渋っていた。しかし、玲奈さんは静かに付け加えた。
「もし検査の結果、父子関係がないと判明すれば、それはあなたの主張を裏づける重要な証拠になります。少なくとも、結衣さんがおっしゃる『あなたの子供である』という点については、白黒つけられるわけです」
その言葉に、航平さんの目が光った。
勝ち誇ったような、醜い笑みが唇に浮かぶ。
どうせ自分の子供ではない。調べればすぐに結衣の嘘が暴かれる――そう考えたのだろう。
航平さんの態度は一変し、むしろ乗り気にすら見えた。
義両親も、息子の言い分が証明されるとでも思ったのか、検査に同意するよう航平さんを促した。
「……いいだろう。やってみろよ。白日の下にさらされて後悔しろ」
こうして、DNA鑑定の実施が決まった。
けれど、玲奈さんの確認はそこで終わらなかった。
「ありがとうございます。それでは、もう一つ確認したいことがあります」
玲奈さんは手元の資料に目を落とし、淡々と切り出した。
「航平さんが以前からおっしゃっている『不妊』という点についてです。不妊だと診断された際の診断書や検査結果があれば、補助的な資料として確認したいのですが」
その瞬間、航平さんの表情が凍りついた。
「……は?」
「診断書などがあれば、拝見できますか? お話を正確に整理するためにも、確認しておきたいのです」
航平さんは目に見えて動揺し、声を荒らげた。
「そんなもの、出す必要ないだろ! 俺が不妊だって言ってるんだから、それで十分だ!」
あまりに激しい拒絶反応に、私は驚いて航平さんを見た。
玲奈さんもわずかに眉をひそめ、冷静に提案を続ける。
「もし書類を取り寄せる手間が問題なのであれば、ご本人の同意と正式な委任状をいただければ、こちらで取り寄せの手続きをお手伝いすることもできます」
「いらねえよ! 出す必要なんてないって言ってるだろ!」
怒鳴り散らす航平さんの様子は、先ほどまで勝ち誇っていた姿とは似ても似つかなかった。余裕をなくし、ただひたすら拒絶することだけに執着しているように見えた。
(……おかしい)
私にも、そう思えた。
単にプライバシーを気にして嫌がっているだけとは思えない。まるで、触れられてはいけない秘密に触れられたかのような、不自然な拒絶だった。
玲奈さんも同じことを感じたのだろうか。
その様子を注意深く見つめ、何かを問いかけようとした、そのときだった。
「だから、そんな診断書はないんだよ!」
苛立った航平さんが、吐き捨てるように叫んだ。
その瞬間、玲奈さんの手元でペンがぴたりと止まった。
私は見逃さなかった。
彼女の眼差しに、それまでとは違う、鋭い光が宿ったことを。




