『一条山開拓記』第二十話:身元引受人を洗ったらとんでもない絶対領域で大恐慌どすえ〜♪
【前書き】
※本エピソード(一条山開墾記)は『Bar風花』本編の設定をベースにしたスピンオフ/パラレルストーリーです。
※本編との時期・時系列に一部独自のアレンジやIF要素が含まれますが、白黒赤三人娘と結社長の賑やかな日常をお楽しみください!
※今回は前話の舞台裏——葵ちゃんを捨てた傲慢な元実家の末路と、櫻庭家のあたたかなひとときをお届けします。
冷え切った音成町の応接室に残されたのは、傲慢な親権の残骸と、青ざめた家族の震え声。
自分たちがゴミのように蔑み、追い出したはずの娘が、どれほどかけがえのない宝であり、誰に愛されていたのか。
真実を洗えば洗うほど、自ら掘った底なしの絶望へと沈んでいく者たち。
そして、そんな怨嗟など露知らず、甘い蜜リンゴと蜂蜜の香りに包まれる、秋晴れの縁側。
因果応報の結末と、あたたかな家族の夕餉を、どうぞ最後までごゆっくりお楽しみください。
第一章:逃げ出した顧問弁護士と、漆黒の鉄壁
三台の車列が残していった重低音のエキゾーストノートが遠ざかる。
音成町の広大なヤードには肌を刺すような冷え切った静寂だけが取り残されていた。
黒木建設の本社応接室へと転がり込んだ父親は額にどす黒い青筋を浮かべてビジネスフォンの短縮ボタンを力任せに叩きつけた。
専務である母親も顔を真っ赤に沸騰させ派手な羽扇子をパタパタと狂ったように煽っていた。
「おい、早く出ろ……! 今すぐ顧問弁護士に繋ぐんだ!」
「そうよ! なんなのよあの女弁護士! 親に向かって横領だの指名停止だのって……あんな青二才の小娘に脅されて黙ってるなんて、黒木建設の沽券に関わるわ!」
受話器を耳へ乱暴に押し当て苛立ち紛れに貧乏揺すりを繰り返す。
数秒後にようやく受話器の向こうから怪訝な声が返ってきた。
『……もしもし、黒木社長ですか? 朝早くから一体どうされたんです』
「どうされたじゃない、先生! 今すぐ動いてくれ! 勘当したはずの次女の葵が、ヤクザまがいの連中と女弁護士を引き連れて家に乗り込んできおったんだ! 家宅侵入と恐喝で、即座に訴えて叩き潰してくれ!」
『……はぁ? 住居侵入ですか? ですが社長、お嬢さんがご自身の私物や道具を引き上げに来られただけなら、所有権に基づく正当な権利行使ですし、自力救済の違法性阻却の観点からも……そもそも、その相手方の弁護士というのはどなたなんです?』
「知らん! 橘とかなんとか名乗る生意気極まりない若造の女だ! 真っ黒い不気味な外車に乗ってきやがって!」
『……は? たちばな……? 車は、マットブラックのBMW M8グランクーペですか……? まさか……橘栞先生ですか……!?』
「そうだ、その橘とかいう女だ! こっちの顔の前に名刺を突きつけおってからに! 先生、今すぐそいつを懲戒請求で叩き潰してくれ!」
受話器の向こうでガタガタッと椅子を蹴倒す音が響く。
大量の書類が床へ派手に散らばる音が続いた。
いつもは尊大な態度を崩さない顧問弁護士が裏返った悲鳴を張り上げた。
『ば、馬鹿なことを言わないでください黒木社長! 橘栞先生ですよ!? 九大法学部を首席で出て東京の大手渉外事務所から独立し、行政訴訟で勝訴率百パーセントを誇る九州法曹界の漆黒の鉄壁ですよ! 私なんぞが不当な懲戒請求など仕掛けたら、瞬く間に逆告訴されて法曹界から永久追放されます!』
「な、なんだと……!?」
『相手が橘先生だと分かっていて喧嘩を売る同業者なんて、日本中に一人もいません! しかも社長、指名停止の申告をチラつかされたとおっしゃいましたね!? あの先生が動いたということは、国交省も県警も完全に外堀を埋められているということです! これ以上藪を突ついて、うちの事務所まで巻き込まないでください! 今回の件、うちは一切関知しませんからね!』
受話器から無情な切断音が虚しく響いた。
父親の太い手から受話器が滑り落ち絨毯の上で力なく跳ねる。
額から噴き出した冷たい脂汗が顎を伝ってポタポタとデスクを濡らしていった。
第二章:ヤードに響く嘲笑と、職人の真実
鉛のように重苦しい沈黙が応接室に落ちていた。
外のヤードから騒がしいざわめきが吹き込んでくる。
母親が気味悪そうに二階の窓際へとすり寄りレースのカーテンを僅かにめくって下を見下ろした。
十トンダンプの巨大な車体の陰で出勤前の現場監督や若い職人たちが缶コーヒーを片手に車座になっていた。
男たちの下品な笑い声が砂利の上から風に乗って吹き上がってくる。
「おい、見たかよさっきの……」
「見た見た! 社長と専務、あのM8から降りてきた超美人弁護士に一言も言い返せねぇでやんの! 完全にお地蔵さんだったぜ」
「ていうか、あの葵ちゃんすげぇよな。親から『出来損ないの恥晒し』って散々こき使われて追い出されたはずなのに、あんな凄まじい味方つけて堂々と乗り込んでくるなんてよ」
「それだけじゃねぇぞ。二階から降ろしてきた葵ちゃんの道具箱、チラッと見えたんだがよ……あの金鏝、見たか? 刃先を砥石で寸分の狂いもなく研ぎ澄まして、セメントのアクひとつ残さずに椿油引いてあったぞ。あんなピッカピカの本焼き鏝、うちの若い連中の誰一人持っちゃいねぇよ。あの子、この会社の中で一番まっとうな職人だったんじゃねえか?」
「親がアホだと宝をドブに捨てるって、マジでこのことだな」
誰かが吹き出しゲラゲラと笑い声が広がっていった。
その嘲笑が届いた瞬間、母親の化粧の濃い顔が怒りと屈辱で引きつった。
「な、何よあいつら……ッ! 社長と専務の悪口を言って……クビよ! 全員まとめて今すぐクビにしてやるわーーッ!」
母親が窓ガラスをバンと叩いてヒステリックに叫んだ。
ソファーへ深く沈み込んだ父親は怒鳴り返す気力すら残っていなかった。
「やめろ……! 今現場の連中をクビにしてみろ、来週からのバイパス工事が止まって、億単位の違約金でうちが即座に潰れるぞ……!」
「じゃあどうするのよ! あの出来損ないが、私たちの頭を踏み躙っていったのよ!?」
母親は扇子を床へ叩きつけ悔し涙でマスカラを滲ませながら爪を噛んだ。
自分たちがゴミのように蔑んできた娘が誰よりも手入れされた本物の道具を胸に抱き誇らしげに去っていった後ろ姿が焼きごてのように網膜に焼き付いて離れなかった。
第三章:自慢の長女の戦慄と、一条結の正体
カツカツと廊下を激しく叩くヒールの足音が響いた。
ドアが乱暴に開け放たれ本社総務部長である長女の美咲が血相を変えて飛び込んでくる。
有名私立大学を出て親の自慢の種だったエリート娘の手には最新型のタブレットが握り締められていた。
「お父様、お母様! ヤードで職人たちが騒いでいますけれど、一体何があったんですの!? 葵がヤクザまがいを引き連れて乗り込んできたって……」
「ああ美咲、聞いてちょうだい! あの出来損ないの葵が、みすぼらしい軽トラに乗って……!」
「みすぼらしい? お母様、相手の車のナンバーや車種をちゃんと見ましたの!?」
美咲は青ざめた顔でタブレットの画面を両親の前に突きつけた。
「先頭にいたフローズン・ブラックのBMW M8グランクーペ コンペティション……あれ、オプション込みで乗り出し三千数百万円に達する超弩級ハイパーGTですわよ! しかもあのマットブラックはBMW Individualの特注色……地方の中小企業が逆立ちしたって買えませんわ! なんであんな車に乗るような人物が、葵の味方をしてるんですの……!?」
「さ、三千万……!?」
「それだけじゃありません! 一緒に来ていた一条山農林の一条結社長……法曹界のアーカイブと登記情報を洗ったら、とんでもない怪物ですわ!」
美咲がガタガタと震える指先で画面をスクロールした。
「京都一条家……公家五摂家筆頭の血を引く、正真正銘のやんごとなきお方ですわ! しかも東京の大手渉外事務所で、数千億規模の国際企業法務を電卓一つで成立させていた伝説のパラリーガルですのよ!」
「ご、五摂家ぇぇぇぇッ!? 天皇家を支えてきたあの一条家だとぉぉぉ!?」
父親がソファーから転げ落ちそうになりながら絶叫した。
母親も目を見張り喉をヒクヒクと痙攣させて立ち竦む。
「な、なんでそんな教科書に出てくるようなお方が、こんな田舎で作業着を着て葵なんかとつるんでるのよ!? 意味が分からないじゃないの!」
「こっちが聞きたいですわよ! なんで政財界の重鎮すら頭を下げるような雲の上の怪物が、風花町の山奥で会社を作って、葵の私物を取り返すためだけに乗り込んでくるんですのよぉぉぉ!」
父親が玄関先での屈辱を思い出し恐怖で喉を鳴らした。
「あ、あの女……俺が胸倉を掴もうとした瞬間に、最小限の動きで手首を極めてきやがったんだ……! まるで人間相手じゃないみたいに、一瞬で膝をつかされた……!」
「法曹界の裏情報スレッドには、実戦武術ジークンドーの達人だとも書かれていますわ! 物理でも法律でも、誰も勝てっこありませんわよ!」
美咲のプライドも音を立てて粉々に砕け散っていた。
自分は大手土建の令嬢として着飾り葵を泥臭い落ちこぼれと見下すことで優越感に浸っていたのだ。
しかし当の葵は自分など一生足元にも及ばない本物の怪物たちに妹として慈しまれていた。
第四章:身元引受人欄の怪異と、皇グループの絶対領域
美咲は蒼白な顔のまま震える指先でタブレットの画面を激しくスクロールし続けた。
警察関係の知人から裏ルートで回ってきた葵の不当拘禁事件に関する内部資料の写しである。
「美咲……もういいだろう。一条家の令嬢と橘弁護士だけでも、我が社は手詰まりだ……」
父親がソファーで頭を抱え消え入りそうな声で呻いた。
「いいわけありませんでしょ、お父様! あの葵がどうやってあんな大物たちと繋がったのか、裏を突き止めないと我が社の破滅を防げませんわ!」
美咲がヒステリックに画面を睨みつける。
その視線が警察署の釈放手続きにおける身元引受人の欄でピタリと凍りついた。
美咲の息が喉の奥でヒッと止まる。
「……嘘……でしょ……?」
「どうしたのよ美咲。まだ何かあるっていうの?」
専務の母親が扇子を握りしめ苛立たしげに眉を吊り上げた。
「お母様……葵が連れてきたあの青い二トンダンプの運転手……穏やかそうに笑っていたあのお兄さんを覚えていますわね?」
「ええ、覚えているわよ! 作業着を着たしがないトラック運転手じゃないの! あの男がどうかしたの!?」
美咲はカタカタと全身を震わせながら血の気の引いた唇を開いた。
「あの人の名前は櫻庭天……フリーのルポライターですわ。そしてその妻にして、葵の身元引受人として署名している女性……『Bar風花』のオーナーバーテンダー・櫻庭美和……」
「それがどうしたっていうんだ! 田舎のバーの夫婦が何の関係がある!」
父親の苛立ちに対し美咲は絶叫にも似た悲鳴を上げた。
「関係大ありですわよ!! 櫻庭美和様は……あの日本経済の頂点に君臨する巨大コンツェルン『皇グループ』現会長の直系の御令孫……正真正銘のお孫様ですわーーーーッ!!」
「「「…………は?」」」
応接室の時間が完全に停止した。
父親も母親も目を見開いたまま呼吸すら忘れて固まっている。
「す、皇グループ……? あの……鉄鋼から金融や総合商社まで牛耳る……国家予算レベルの巨大財閥の……!?」
「そうですわよお父様!!」
美咲が髪を振り乱してタブレットを突きつけた。
「三千万円のBMW M8!? 京都一条家の五摂家の令嬢!? そんなの序の口の前座ですわよ!! 葵が背後に背負っていたのは、正真正銘の皇グループ筆頭本流ですわ!!」
「ぎゃあああああああッ!!」
母親が喉を引き裂くような悲鳴を上げてソファーから転げ落ちた。
床に手をつき白目を剥きながらガタガタと全身を痙攣させる。
「な、なんで!? なんであんな出来損ないが皇グループの直系の孫娘と繋がってるのよぉぉぉ!! 意味が分からない! 意味が分からないじゃないのよぉぉぉ!!」
「しかもあの方……美和様は皇一族の中でも別格中の別格……会長が最も慈しんでおられる直系のお姫様ですわ!」
美咲の瞳には完全な狂気と絶望が宿っていた。
「その美和様と夫の天様が葵を実の妹のように可愛がり、『うちの葵ちゃん』と呼んで庇護下に置いているんですのよ!? つまり葵はいま、日本で最も不可侵の聖域に守られているんですわ!!」
ドサリと重い音が響いた。
父親が胃を押さえて絨毯の上へのたうち回る。
「がはっ……! 胃が……胃に大穴が空いた……! 吐く……血を吐くぞ俺は……!」
「お父様、しっかりしてくださいまし!」
「しっかりできるかぁぁぁッ!! 皇グループから見れば、うちの会社なんて道端の小石どころか顕微鏡で見なきゃ見えない細菌みたいなもんだぞ!! 会長秘書官の一言で取引先の銀行が一斉に融資を引き揚げて、今朝どこかの開発会社が即日倒産したって業界の噂を聞いたばかりじゃないか!!」
父親は己が犯した取り返しのつかない愚行に恐怖し涙と鼻水を垂れ流した。
自分たちがボロ雑巾のように虐げて家から放り出した次女。
その少女は日本の頂点に君臨する一族の懐へ飛び込み至高の愛を注がれていたのだ。
第五章:法的な完全結界と、残された「グギギ…」
「お、おい美咲……っ! 今すぐ風花町へ行くぞ!」
父親が床を這いずりながら美咲のスカートの裾を掴んだ。
「美和様と天様に土下座するんだ! 葵に泣きついて『お前は自慢の娘だ、どうか許してくれ』と靴を舐めてでも連れ戻すんだ!! 葵が戻ってくれば、黒木建設は皇グループの親戚筋になれるんだぞ!!」
「馬鹿なこと言わないでくださいましお父様!!」
美咲がその手を冷酷に振り払った。
「身元引受の書類を見た風花署の署長と刑事課長が、揃って激しい急性胃潰瘍で救急搬送されて、一晩でできた円形脱毛症を押さえながら病室で震えてますのよ!? 下手にあの夫婦の前に現れてごらんなさい! 秘書官の天野家やグループの法務部が動いて、我が社なんて秒単位で消滅させられますわ!!」
「ひ、ひえぇぇぇぇッッ!」
「それに、さっき役場で住民票の閲覧制限まで完璧にかけられたんですのよ! 橘弁護士と一条家がガチガチに敷いた法的な結界を突破できるわけないでしょうが! こっちが下手に接触しようとした瞬間、接近禁止命令と損害賠償請求のフルコンボが飛んできて、黒木建設ごと社会的に消滅させられますわよーーッ!」
父親は頭を抱えて床に突っ伏した。
指名停止の恐怖と巨大な権力の影に怯え全身の震えが止まらない。
母親はよろめきながら二階の葵の部屋へ駆け上がっていった。
階段を駆け上がる際、玄関の上がり框に葵が置いていった実家の鍵が冷たい金属の光を放っていたのが脳裏に焼き付いていた。
薄暗い廊下の先にある扉を荒々しく押し開ける。
空調設備すら与えられず底冷えする冷気が淀む北向きの六畳間には未練の欠片すら残されていなかった。
埃ひとつなく片付けられた畳の部屋に母親が爪を立てて突っ伏す。
「なんであんな出来損ないに……! 土木科を出て泥にまみれるしか能のなかった落ちこぼれに……!」
母親が畳を掻きむしりながら床で身を捩る。
「なんであんな高名な弁護士やスーパーカーがついて回るのよ……! なんで日本の頂点のプリンセスを『お姉ちゃん』って呼んで、実の妹みたいに可愛がられてるのよぉぉぉ!! 警察で前科者になって刑務所へ行くはずだったのに!! なんで世界一の玉の輿みたいな家族を手に入れてるのよぉぉぉッ!!」
母親の口から歯が軋む凄まじい音が響き渡った。
「グギギ……グギギギギギ……ッ!! 悔しい……! 悔しすぎるわよぉぉぉッ!!」
嫉妬と屈辱で顔を醜く歪め血を流さんばかりに奥歯を噛み締める母親。
父親も美咲も青ざめた顔のまま唇をわななかせ絶望のあまり言葉を失っていた。
自分たちが捨てたはずの少女はすでに手の届かない遥かな高みへと飛び去っていた。
手元に残されたのは傲慢な親権の残骸といつ指名停止を食らうか分からない底知れぬ恐怖だけだ。
冷え切った豪邸の応接室には手も足も出ない家族の悔し紛れの呻き声が虚しく響き渡るばかりだった。
第六章:一方その頃の櫻庭家 〜最高のお兄ちゃんとお姉ちゃん〜
風花町の神社の裏手。
四季を問わず桜が咲き誇る不思議な平屋の縁側には小春日和の柔らかな陽だまりが落ちていた。
庭の向こうでは柿の木が鮮やかな橙色の実をつけ穏やかな空気が満ちている。
薪ストーブの心地よい温もりに包まれたリビングの大きなテーブル。
仕事を終えた葵と一条結そして櫻庭夫妻が和やかに腰掛けていた。
「葵ちゃん、荷物の引き上げ、本当にお疲れ様でしたね」
異色瞳を柔らかく細めた櫻庭美和が愛らしい笑みを浮かべた。
鉄刀木のカウンターで見せる凛としたバーテンダーの顔とは違う一人の穏やかな女性としての温もりだ。
オーブンから出されたばかりの南部鉄器のスキレットがジュウジュウと心地よい音を立てていた。
一条山の清冽な伏流水で育った風花町特産の蜜リンゴと完熟蜂蜜が甘く香ばしい湯気を立ち上らせる。
黄金色のパイ生地の上で冷たい自家製バニラアイスがとろりと溶け出していた。
「わあぁぁっ……! 美和さん手作りのアップルパイっすか!? めちゃくちゃ美味しそうっす!」
「ふふっ、葵ちゃんがたくさん頑張ったから、天ちゃんと一緒に焼いたのよ。熱いから気をつけて食べてね」
「葵ちゃん、はい、フォークだよ。紅茶も淹れたてだからね」
天が穏やかな笑顔でアツアツのパイを取り分けリンゴの風味を引き立てる淹れたての特産和紅茶のカップを葵の前へ置いた。
その優しい眼差しは妹の健やかな成長を何よりも喜ぶ本物の兄そのものだった。
「天さん、美和さん……本当にありがとうございますっす!」
葵がパイを一口頬張るとサクサクのパイ生地と蜜の詰まったリンゴの甘みが口いっぱいに広がった。
身体の芯までとろけるような優しい美味しさに葵の八重歯がこぼれる。
「おいしいっす……! 天さんも美和さんも、本当に世界一のお兄ちゃんとお姉ちゃんっす!」
「ふふっ、嬉しいことを言ってくれるわねぇ。葵ちゃんは私の可愛い妹なんだから、当たり前じゃない」
美和が嬉しそうに目を細め葵の頭を優しく撫でた。
天も隣で目を細め葵の食べっぷりを頼もしそうに見守っている。
「葵ちゃんが喜んでくれて何よりどすえ〜。ウチの平屋のリビングも葵ちゃんのお部屋も、ぬくぬくに温めて待っておりますさかいに〜♪」
結は愛らしいタレ目を細め美和が特別に点ててくれた薄茶を手にのんびりと一服すすって微笑んだ。
縁側の向こうで風花町の穏やかな風が吹き抜け桜の花びらがひらりと舞い落ちる。
音成町で傲慢な家族が狂乱し歯ぎしりしていることなどこの温かな空間には一欠片も届かない。
確かな愛と揺るぎない絆に包まれながら少女は本当の家族の笑顔の中でしあわせそうに微笑んでいた。
【あとがき】
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
前話で葵ちゃんが自らの手で誇りの道具箱を取り戻し、堂々と決別の一礼をして去っていったその裏側で、「残された黒木建設の連中はどうなったのか?」というエピソードでした。
こちらがわざわざ手を下すまでもなく、自慢のエリート長女が勝手に裏を調べ上げ、勝手に相手の巨大すぎる正体に気づいてパニックに陥っていく……。
地方の中小土建屋が触れていいはずもない、九大首席弁護士の鉄壁、京都一条家の至宝、そして何よりも日本経済の頂点に君臨する皇グループ本流という「絶対不可侵の聖域」。
父親の胃潰瘍と、母親の血を吐くような「グギギ…」という断末魔には、これまで葵ちゃんが受けてきた理不尽や悔しさを思えば、少し溜飲が下がったのではないでしょうか。
ですが、本作の真の主眼は復讐そのものではありません。
そんな毒親たちの歯ぎしりなど一欠片も届かない場所で、美和さんと天ちゃんが心を込めて焼いてくれた、アツアツのアップルパイと冷たいアイス。
泥にまみれて真面目に汗を流してきた女の子が、ようやく心から甘えられる「世界一のお兄ちゃんとお姉ちゃん」に出会えたこと。
その温もりこそを一番にお届けしたかったお話です。
「スカッとした!」「元実家の自滅に笑った!」「葵ちゃん、本当に良い家族に出会えてよかったね!」と思っていただけましたら、作品への評価【★★★★★】やブックマーク、温かいご感想などをいただけますと、これからの執筆の大きな大きな励みになります!
また次のエピソードで、元気な葵ちゃんたちの姿をお届けできれば幸いです。
天照(Bar風花)




