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『一条山開拓記』第十九話:漆黒の車列で乗り込んで葵ちゃんの誇りを取り戻してきたんどすえ〜♪

【前書き】


※本エピソード(一条山開墾記)は『Bar風花』本編の設定をベースにしたスピンオフ/パラレルストーリーです。

※本編との時期・時系列に一部独自のアレンジやIF要素が含まれますが、白黒赤三人娘と結社長の賑やかな開墾ライフをお楽しみください!

※今回は、理不尽に虐げられてきた葵ちゃんの「過去との完全な決別」と「新たな家族との一歩」を描く、荷物奪還のエピソードとなっております。


底冷えのする晩秋の朝霧を切り裂き、音成町へと滑り込む三台の車列。

冷徹な法理と揺るぎない覚悟を携えて、仲間たちが向かうのは、ひとりの少女が孤独に耐え続けてきたあの場所でした。

奪われた青春と、泥にまみれながら大切に手入れしてきた仕事道具を取り戻し、冷え切った心を芯から温める出汁の香る食卓へ——。

理不尽な鎖を断ち切り、本当の自由と居場所を手に入れる葵ちゃんの再出発を、どうぞ最後まであたたかく見届けていただければ幸いです。

第一章:漆黒の絶対防御陣壁と、音成町への車列

 

 晩秋の冷たい朝霧が、音成町の平野部を白く覆い尽くしていた。

 底冷えのする静まり返った幹線道路を切り裂くように、三台の車列が規則正しい隊列を組んで滑り込んできた。

 先頭を走るのは、周囲の光を一切反射せず、闇そのものを吸い込むような異様な威圧感を纏った大型グランドツアラーだった。

 橘栞弁護士の愛機、BMW M8 グランクーペ コンペティション。

 特注色フローズン・ブラックに包まれた巨躯は、朝霧のなかで鋭利な漆黒の彫刻のように冷たく研ぎ澄まされていた。ダブルバーのブラックキドニーグリルと二十インチのスタースポークホイールが濡れた路面を睨み据え、スポークの奥からは巨大なカーボンセラミックブレーキのゴールドキャリパーが鈍い光を放っていた。

 外界の走行音を徹底して遮断したキャビンは、完全な静寂の空間だった。

 ブラックとタルトゥーフォの最高級メリノレザーで仕立てられた助手席には、一条結が腰掛けていた。柔らかく波打つ栗色のミディアムヘアに愛らしいタレ目を和ませ、膝の上のバインダーへ指先をそっと添えている。

 その背後、深く身体を包み込む独立リアシートに収まった赤城遥花と陣内凛が、緊張混じりに顔を見合わせ合っていた。

「……ヤバいッス結社長。独立したリアシートのホールド感、まるで走るファーストクラスッスよ」

「遥花ちゃん、シートベルトしっかりね。四・四リッターV8ツインパワーターボとM xDriveの知能型四駆、それに専用の電子制御サス……路面に吸い付くようなトラクションで、急カーブでも一ミリもロールしないよ」

 後席で身を乗り出した凛が、首元の十ミリスパナを指先で握りしめて熱っぽく語る。遥花はアロハシャツの上から羽織った防寒ベストの襟を正し、力強く頷いた。

 ダークネイビーのパンツスーツを着た栞が、アンダーリムの眼鏡を人差し指で静かに押し上げた。

「遥花さん、凛さん、リラックスしていてください。この車は私の動く執務室であり、クライアントを守る絶対防御のシールドですから」

「ふふっ、栞先生の仰る通りどすえ。ウチの脳内データベースによりますと、本日の作戦成功確率は九十九・九八パーセントに達しておりますさかい、どうぞ肩の力を抜いておくれやすなぁ」

 結がおっとりと微笑みながら、まろやかな京言葉で言葉を添えた。

 バックミラーには、寸分の乱れもなく追従する後続の二台が映っていた。

 直後を走るのは、黒木葵がステアリングを握るモモタロウピンクのスバル・サンバー。助手席にはドカジャンを着たまひろがどっしりと構え、葵の横顔を頼もしそうに見守っていた。

 そして最後尾を固めるのは、櫻庭天が巧みに操る一条山農林の青色の二トンダンプだった。

 やがて車列は幹線道路を折れ、見上げるような広大な敷地を誇る一角へと進路を向けた。高いフェンスの向こうには大型ダンプや重機がずらりと並び、門柱には真鍮の重厚な看板が掲げられていた。

 株式会社黒木建設本社。

 音成町の公共土木工事を一手に牛耳る地域屈指の大手総合建設会社であり、敷地の奥には黒瓦の豪奢な本邸が聳え立っていた。



 

第二章:黒木建設本社の威嚇と、法理の鉄槌

 

 三台の車輌が、黒木建設本社の巨大な門扉の前へと滑り込んだ。

 M8のカーボンセラミックブレーキが、スキール音ひとつ立てずに車輪を路面に噛み合わせ、寸分の狂いもなく車体を静止させた。

 ヤードの砂利を踏みしめる荒々しい足音とともに、本邸の玄関から数人の人影が飛び出してきた。仕立ての良さそうなスーツを着た黒木建設社長の父親と、派手な装飾品を身につけた専務の母親だった。出勤前だった現場監督や作業員たちが、何事かと遠巻きに息を呑んでいた。

 M8の重厚なドアが開き、栞と結が同時にアスファルトへと降り立った。続いてリアシートから遥花と凛が飛び出し、サンバーからは葵とまひろが身軽に地を踏みしめ、二トンダンプのキャブからは天がステップを伝って静かに合流し、自然と葵の背後を固めた。

 父親は葵の姿を認めるや否や、顔を真っ赤にして怒声を張り上げた。

「何の用だ葵! 警察の厄介にまでなりおって、我が家の恥晒しが!」

「勘当したはずの出来損ないが、仲間を引き連れて何の真似よ!」

 母親も蔑むような視線を投げつけ、ヒステリックに甲高い声を喚き立てた。

「一歩でも敷地に上がってみろ! 不法侵入で警察を呼んで叩き出してやる!」

 激しい罵声の前に、葵が一瞬だけ小さく肩を震わせた。

 だがその隣で、まひろが葵の肩を力強く抱き寄せ、前へと一歩踏み出した。さらにフローズン・ブラックの巨躯を背負うようにして、栞が冷徹な足取りで進み出た。アンダーリムの眼鏡の奥、刃物のような視線が両親を射抜いた。

「どうぞ、今すぐ警察をお呼びなさい。所轄の風花警察署ですね?」

 栞は胸元から弁護士バッジを覗かせ、胸ポケットから名刺を静かに突き出した。

「呼んでいただければ、過日の虚偽告訴および違法拘禁事件に関する国家賠償請求の証拠保全手続きを、この場で直ちに開始いたします。警察庁監察官室および県警本部への追加報告書に、あなた方の会社名と個人名を連名で記載することになりますが、構いませんね?」

「な……弁護士だと……!?」

 父親の顔から尊大な色が消え失せ、引きつった動揺が浮かび上がった。

 そこへ、手帳を抱えた結が優雅な足取りで栞の隣へと並び立った。

「黒木社長様。民法ならびに建設業法に基づき、株式会社一条山農林より公式に通告いたしますえ〜♪」

 結はおっとりとした微笑みを絶やさぬまま、寸分の狂いもない法理を突きつけた。

「黒木葵さんはすでに二十歳の成年どす。民法上、親権は完全に消滅しておりますえ。葵ちゃんが自らの給与で購入された衣服や私物、ならびに土木資材・工具類は、親の所有物ではなく、すべて百パーセント本人固有の財産どす。これを敷地内にあるからと正当な権原なく留置・隠匿された場合、刑法第二百五十二条の横領罪が即座に成立いたしますえ〜♪」

「よ、横領罪だと……!? 親の敷地内にあるガラクタをどう扱おうと勝手だろうが!」

 逆上した父親が、結の胸元へ掴みかかろうと腕を振り上げた。

 だが、結の超並列演算脳は、相手の肩の筋肉の収縮から初動軌道を瞬時に読み切っていた。

 自らの予備動作を完全にゼロにするジークンドーの神髄——ノー・テレグラフの体捌き。

 結はふわりと笑みを崩さぬまま、最小の重心移動で相手の懐の内側へと滑り込んだ。最短軌道で伸びた右手が相手の手首から肘の正中線を柔らかく巻き取り、テコの原理と自重の沈み込みだけで下方向へと落とし込む。父親の巨体は抗う術もなく重心を奪われてぐらりと傾き、声もなくその場へ膝をつかされていた。

「暴力を振るわれますと、刑法第二百八条の暴行罪も現行犯で成立してしまいますえ〜」

「が……っ!? な、なんだこの女は……!?」

「不法な攻撃に対する刑法第三十六条第一項、正当防衛の成立要件を満たした最小限の制圧です。また、葵さんの荷物はガラクタではありません。本人の所有権に属する重要な動産です」

 栞が一歩踏み込み、手元の受任通知書を冷徹に突きつけた。

「本日は所有権に基づく動産引渡請求の正当な執行として、代理人である私と本人が立ち会っています。これ以上の引き渡し妨害、あるいは葵さんの名誉を毀損する侮辱行為が続く場合、民事上の不法行為責任の追及はもちろんのこと——」

 結がタブレットの画面を、膝をついた両親の前へスッと向けた。

「福岡県および国土交通省九州地方整備局へ、貴社のコンプライアンス違反に関する申告書面を提出いたしますえ。代表者の不法行為および虚偽告訴への加担疑惑が調査対象となれば、公共事業における指名停止処分は免れませんえ〜♪」

「し、指名停止……!?」

 父親の喉から、掠れた悲鳴が漏れた。

 公共事業が生命線である地方の土建屋にとって、指名停止は即座の資金ショート、つまり倒産へと直結する。母親も顔面蒼白となり、唇をわななかせて言葉を失っていた。

 その背後では、腕を組んだまひろがドカジャンの肩を揺らし、獲物を射抜くような眼光で両親を見下ろしていた。遥花と凛も無言のまま葵の左右を固め、静かな威圧感を放っていた。

 大手土建の社長として威張り散らしていた父親は完全に気圧され、力なく玄関の道をあけるしかなかった。



 

第三章:奪還の十分間と、最後の一礼

 

「よし、全員突入! 葵のこれからの城に必要なものを、一網打尽に回収するさね!」

 まひろの号令が、静まり返ったヤードに響き渡った。

 葵を先頭に、まひろと遥花、それに凛が素早い足取りで玄関を上がり、二階へと駆け上がっていった。

 薄暗い廊下の突き当たりにあったのは、葵が二十年間過ごしてきた六畳間だった。空調設備すら与えられず物置同然に放置された北向きの部屋には、晩秋の底冷えする冷気が容赦なく淀んでいた。

「……うわぁ、本当にひどい部屋ッスね! でも葵の可愛い服は、ウチが全部救出するッス!」

 遥花が手際よくクローゼットを開け放った。ハンガーに掛かっていたのは、休日に葵が大切に着ていた地雷系の黒いコートやフリルスカートだった。遥花は持参した大型の段ボール箱へ、皺がつかないよう手早く丁寧に衣服を収めていった。

「葵ちゃん、現場の道具箱はどこ!? あ、これだね!」

 凛が部屋の隅に置かれていた無骨なスチール製のツールボックスを見つけ、抱え上げた。蓋を開けると、中には葵が高校時代から現場のバイト代を貯めて買い揃えてきた道具が、整然と並んでいた。

 刃先に薄く油が引かれ、鋼の地肌が鏡のように研ぎ澄まされた本焼きの金鏝。気泡ひとつ分の狂いもない水平器や手入れされた墨壺、そして自分の足型に馴染んだ安全靴。

「すごいよ葵ちゃん……! この鏝の刃先、ものすごく丹念に手入れされてる……! これだけの道具を扱える職人を出来損ないなんて呼ぶやつ、絶対に許せないよ!」

 凛が首元の十ミリスパナを揺らし、悔し涙を滲ませながら叫んだ。

「遥花、凛ちゃん、サンキューっす! まひろ先輩、押し入れの衣装ケースをお願いできるっすか!」

「任せな! 葵の青春の欠片、何ひとつとしてこの家に残していかせやしないさね!」

 まひろと葵が衣装ケースや姿見を慎重かつ軽快に抱え上げ、一階へ駆け下りていった。

 庭先に横付けされた一条山農林の青色の二トンダンプの荷台——天があらかじめ厚手のゴムマットと保護ベニヤを敷き詰めていたピットで、手際よく荷物が受け止められていった。

 かつて孤独だった部屋から、葵が生きてきた証と誇りが、仲間の手によって次々と運び出されていった。自衛隊仕込みの完璧な連携により、作業開始からわずか十分足らず。頑丈な荷台へ、傷がつかぬよう丁寧に養生された荷物が美しく積み込まれ、ラッシングベルトで寸分の揺らぎもなく固縛された。

 葵は空っぽになった六畳間の真ん中に立ち、深々と冷えた空気を吸い込んだ。

 夜中に毛布を被り、誰にも認めてもらえず、声を殺して泣いていた日々の記憶。その澱のような痛みすべてが、綺麗に洗い流されていくのを感じていた。部屋にはもう、何の未練も執着も残っていなかった。

 葵は静かな足取りで階段を降り、玄関ホールの上がり框の端へ、持っていた実家の鍵をカチャリと置いた。

 上がり框の奥、玄関ホールで青ざめて立ち尽くしていた両親へ向き直り、背筋をすっと伸ばした。

「……お父さん、お母さん。今まで育ててくれて、ありがとうございました」

 葵の声には、震えも憎しみもなかった。澄み切った秋晴れの空のような、清々しい響きだけが満ちていた。

「うちには、何があってもうちを信じて助けに来てくれる『本当の家族』ができました。もう二度と、この家の敷居を跨ぐことはないっす。黒木建設の社長様も専務様も、どうぞお元気で」

 葵は深く、丁寧に腰を折って一礼した。

 顔を上げると、二度と振り返ることなく玄関の引き戸を開け、外の柔らかな陽光の中へと歩み出していった。

 サンバーの運転席へ葵が飛び乗り、助手席のまひろが力強くドアを閉めた。

 先頭のM8が地響きのようなV8ツインパワーの唸りを上げ、続いてサンバーが小気味よい高音を、二トンダンプが重厚なディーゼル音を轟かせた。

 三台の車列は誇らしげなエキゾーストノートを響かせながら、黒木建設の門前を堂々と走り去っていった。



 

第四章:行政手続きの完全封鎖 〜音成町役場にて〜

 

 その足で向かった音成町役場の住民課窓口での手続きは、電光石火の完璧さだった。

 結と栞の引率のもと、葵は黒木家からの完全な世帯離脱を伴う、風花町への転出届を提出した。家族の従属物ではなく、一本の足で立つ成年の個人として法的に独立した瞬間だった。

 さらに栞が窓口へ提出したのは、入念に作成された住民基本台帳事務における支援措置申出書だった。

「親族からの不当な接触、ならびに居所の探索を防止するための閲覧制限措置です。厳格な取り扱いをお願いいたします」

 弁護士の毅然とした申し出に、窓口の担当職員が書類を精査し、迅速に確認印を押印していった。

 これにより、黒木家の両親や姉であっても、葵の新しい住民票の写しや戸籍の附票を取得することは法的に不可能となった。実家の権力や財力による追跡の糸は、音成町の公的機関において完全に切断されたのだ。

 役場の自動ドアを出た瞬間、葵は頭上を仰ぎ見た。

 朝を覆っていた霧はすっかり晴れ渡り、吸い込まれそうな青空がどこまでも広がっていた。

「……終わったんすね。うち、本当に自由になったんすね」

「ええ、葵ちゃん。あなたはもう、誰の支配も受けない自由な職人どすえ」

 結が葵の手を優しく包み込み、柔らかに微笑みかけた。



 

第五章:結邸の温もりと、本物の家族

 

 風花町郊外の静かな住宅街に、夕暮れの柔らかな光が差し込んでいた。

 車列が滑り込んだのは、昭和の温もりを残しながら完全バリアフリーと高断熱リフォームが施された木造平屋の邸宅だった。橘法律事務所の依頼人である老夫婦から、月額四万円で借り受けている結の自宅である。

 広々とした敷地には、日常用のパールホワイトのルーミーカスタムと、狩猟用のカーキタン塗装のパジェロイオが収まっていた。その横のゆとりある駐車スペースへ、M8とサンバー、それに二トンダンプが余裕を持って停車した。南向きの庭には柚子の木が鮮やかな黄色い実をたわわにつけ、大型ステンレスシンクの屋外洗い場が整然と据えられていた。数メートル離れた場所には、壁面鉄骨に固定された頑強なガンロッカーと装弾ロッカーを備える、四畳半の独立した耐火離れが静かに佇んでいた。

 

 ガラリと玄関の引き戸を開けると同時に、タタタッと元気な足音が廊下に響き渡った。

 現れたのは、精悍な黒虎毛をまとった甲斐犬のカイくんだった。カイくんは天や栞の姿を認めて嬉しそうに尻尾を振ると、葵の足元へ鼻先を寄せてクンクンと温かく匂いを嗅いだ。

 その背中からひょっこりと顔を出したのは、セーブルカラーの愛らしいフェレットのカモくんだった。カモくんは細長い身体を滑らかにくねらせると、トコトコと葵の作業靴によじ登ってくる。そのまま器用に膝を伝って葵の肩の上へと乗り上げ、首元へマフラーのように巻き付いて、きゅっきゅと甘い声を鳴らした。

「……わっ! な、何この子たち……すっごく人懐っこいっす!」

「ふふっ、葵ちゃんを歓迎してくれてるんどすえ。黒虎毛の子が警備主任のカイくんで、肩に乗っているフェレットがカモくんどすえ〜」

 結が目を細め、カモくんの小さな頭を撫でた。

「ようこそウチの城へ、葵ちゃん。社宅が完成する二月までの間、気兼ねなく寛いでおくれやすな〜♪」

 廊下を抜けた先にある十二畳のLDKには、無垢材フローリングの温かな空間が広がっていた。最新のシステムキッチンの傍らには、美和から譲り受けた銘木の茶箪笥が端正に鎮座していた。全国から取り寄せられた高級和菓子の小箱や急須コレクションが、硝子戸の奥で上品に艶めいている。

 縁側に面した六畳の和室へ、天とまひろが葵の衣装ケースや道具箱を手際よく運び入れた。い草の清々しい香りが満ちる畳の上に、葵の私物が綺麗に収められていく。

「ここは普段、ウチがストレッチをしたり頭を冷やすための客間どす。今日から二月までは葵ちゃんのお部屋どすえ」

「結社長……こんな綺麗なお部屋、使わせてもらっていいんすか……!」

「葵、今夜は結社長の家でゆっくり身体を休めな。あたしたちはこれで引き揚げるけど、困ったことがあったらいつでも呼びなよ!」

 まひろが快活に笑い、遥花と凛も笑顔で大きく手を振った。

「遥花も凛ちゃんも、本当にありがとうっす!」

 頼もしい仲間たちを笑顔で見送り、まひろに背中を押されて足を踏み入れたのは、ヒノキ風パネルが心地よい最新のユニットバスだった。

 一条山の清冽な伏流水を沸かした熱い湯船に身体を沈めると、張り詰めていた四肢の強張りがすうっと解けていった。両手で顔を撫で下ろすと、湯水とともに今日までの孤独と冷え切った涙が、綺麗に流れ去っていった。

 風呂から上がり、髪をタオルで拭きながらリビングへ戻ると、食欲をそそる芳醇な出汁の香りが鼻腔をくすぐった。

 結が出発前に完璧な時間逆算で浸水させ、下ごしらえを済ませておいた夕餉が、ローテーブルの上へ美しく整えられていた。

 火加減を完璧にコントロールして炊き上げられた一条山深井戸天然水の土鍋ご飯が、豊かな湯気を上げている。

 豆腐と根菜にじっくり出汁を含ませた具だくさんの味噌汁に、ふっくらと飴色に焼き上がった銀だらの西京焼き。さらに、現場作業と極度の心労で消耗した葵の体力を急速回復させるべく、結の栄養計算により選ばれた風花川のヤマメの一夜干しが香ばしく焼き上げられ、千草から差し入れられた黄金色に輝く出汁巻き卵とともに、贅沢な滋養の膳として並べられていた。

 床ではカイくんの背中にカモくんがすっぽりと丸まり、二匹で仲良く寝息を立てていた。

 座椅子に腰を下ろした栞と天、それに結が、温かな微笑みで葵を迎えた。

「さあ葵ちゃん、冷めないうちに召し上がれ」

 葵は両手で茶碗を受け取り、湯気の立つ味噌汁を静かに一口すすった。昆布と鰹の上品な出汁の旨味が、五臓六腑へじんわりと染み渡っていく。

「……おいしいっす……」

 ポロリと葵の大きな瞳から大粒の涙が零れ落ち、茶碗の縁を濡らした。

 誰にも怒鳴られない食事。誰かと比べられることもなく、泥に汚れた自分の手を丸ごと抱きしめてくれる場所。葵は茶碗を胸に抱え込み、しゃくりあげながら白いご飯を口いっぱいに頬張った。

「……おいしいっす……! うまいっす……! こんなに温かいご飯を食べたの、生まれて初めてっす……!」

「ふふっ、よかったどすえ。たくさん泣いて、たくさん食べて、大きくなっておくれやすな」

 結は優しく目を細め、泣きじゃくる葵の背中を母親のようにそっと撫で下ろした。

 食事が終わると、結は今朝のうちに風花堂で買い求めておいた名物の福餅を茶箪笥から取り出し、淹れたての香ばしいほうじ茶とともに葵の前へ並べた。自らもひとつ口へ運んで幸せそうに頬張り、急激に消費された脳内ブドウ糖を補給した。

 ローテーブルの上へ広げられたのは、一条山の南東高台に建つ社宅の三次元設計図だった。

「葵ちゃん、ここがあなたのインナーガレージ付き平屋社宅のプランどすえ。今日運び出した地雷系のお洋服をかける大型クローゼットと、耐火ガラス越しにサンバーを見ながら眠れるベッドの位置を決めましょうねぇ〜♪」

「はいっす! ピットと居住スペースを仕切るガラスの向こうで、サンバーがいつでも見えるなんて夢のようっす! ガレージの床は金鏝でツルツルに押さえて防塵塗装をかけて、今日取り戻した愛用の道具箱を特等席に置くっす!」

 鼻をすすりながら八重歯を覗かせて笑う葵の瞳には、もう涙の影はなかった。

 縁側の向こうで、夜風が柚子の枝を静かに揺らしていた。

 平屋の確かな安らぎの中、確かな絆で結ばれた二人が寄り添って描く未来の設計図は、どこまでも温かく輝いていた。

【あとがき】


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

今回は、黒木建設への堂々たる乗り込みから、私物と道具の電光石火の奪還、そして結邸での心温まる夕餉までを一気にお届けいたしました。

栞先生の隙のない法理と、結社長のノー・テレグラフ(ジークンドー)による一瞬の制裁。

地方の悪徳土建屋が最も嫌がる急所を的確に突いて、合法的かつ不可逆的に葵ちゃんを救い出すシーンは、書いていて非常にスカッとしました。

みんなで乗り込んで、わずか十分足らずで荷物を運び出してしまうチームワークも、この仲間たちならではの頼もしさですね。

そして何より、物置のような部屋で声を殺して泣いていた葵ちゃんが、大切にしてきた本焼きの金鏝を取り戻し、結社長の温かい土鍋ご飯と出汁のきいたお味噌汁を口にして涙をこぼす場面……。

泥に汚れたその手を丸ごと受け止め、肯定してくれる「本物の家族」にようやく出会えた瞬間を、一番丁寧に書きたかったところです。

カイくんとカモくんの歓迎、そして耐火ガラス越しにサンバーを眺められるインナーガレージ社宅の設計図など、これから始まる一条山での開墾生活に、葵ちゃんと一緒にワクワクしていただけたら嬉しいです。


「スカッとした!」「葵ちゃん、温かいご飯が食べられて本当によかった……!」と思っていただけましたら、作品への応援として画面下の【ブックマーク登録】や、評価の【★★★★★(ポイント投票)】、感想などをいただけますと、毎日の執筆の大きな力になります!

いただいた感想やレビューは、すべて大切に読ませていただいております。


次回も一条山の仲間たちのあたたかな開墾の歩みをお届けしますので、どうぞお楽しみに!

天照(Bar風花)

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