『一条山開拓記』第十六話:燃料補充に来ましたよ〜! 〜激坂を登る2tローリーと、小悪魔ニンジャの排気音〜
【前書き】
※本エピソード(一条山開墾記)は『Bar風花』本編の設定をベースにしたスピンオフ/パラレルストーリーです。本編との時期・時系列に一部独自のアレンジやIF要素が含まれますが、白黒赤三人娘と結社長の賑やかな日常をお楽しみください!
※今回は風花町の名物スタンド『ENEOS 陣内燃料店』の看板娘、陣内凛ちゃん(18歳)が現場の頼れる相棒として本格参戦いたします。
※重機土木、現場給油プロトコル、四駆ターボ、そしてバイクの吸排気セッティングまで、現場の油の匂いとメカニック愛をこれでもかと詰め込みました。
冬の澄みきった冷気が吹き抜ける一条山。
重機の唸り声が響く山肌へ、赤土の激坂をものともせずに駆け上がってくる一台の二トン給油ローリーがありました。
首元に十ミリスパナを揺らし、泥とオイルの汚れを気にせず白い歯を見せて笑う少女。
現場の重機に命を吹き込む燃料、雨のピットで静かに佇む父譲りの四駆ダートラマシン、そして夜の水銀灯の下で息吹を取り戻す直四キャブレターの澄んだ排気音。
冷たい冬の空気と、熱いエンジンの温もりが心地よく交錯する風花町の日常。
どうぞ、温かいお茶でも片手にのんびりとお楽しみください。
第一章:激坂を攻める二トンローリーと、一条山の現場給油
冬の張り詰めた冷気が一条山の雑木林を静かに吹き抜けていく。
落ち葉が敷き詰められた南斜面では基盤造成用に導入されたコマツの中型油圧ショベル——十三トンクラスのコンマ四五(PC130)と、葵の愛機である二トンクラス後方超小旋回型(PC20MR-3)が腹の底を震わせる重低音を響かせていた。
操縦席でレバーを握るのは二十一歳で農産・栽培部長の白石まひろと、二十歳で現場監督を務める土木・物流部長の黒木葵だ。
手掛けているのは清冽な湧水を淀みなく循環させる暗渠勾配を備えたステップテラスワサビ田の基盤造成と、斜面の崩落を防ぐ高強度コンクリート擁壁の基礎掘削である。
硬い赤土と粘土質の混ざる地層にバケットの爪を深く食い込ませ、伏流水の通り道となる砂利床の深さを慎重に見極めながら掻き上げるたび、電子制御コモンレール式エンジンからクリーンに燃焼された透明な排気が陽炎となって揺らめいていた。
「……葵、そっちの法肩ライン、あと十センチ落として均してくれ」
「現場指示ヨシっす。PC20のバケットで微調整するっすね」
ヘッドセットのインカム越しに淀みのない指示が飛び交う。
そのすぐ脇では十九歳の赤城遥花が手持ちの受光器を片手に、三脚に据えられた回転レーザーレベルの基準高さを慎重に読み取っていた。
その時、PC130の運転席モニターパネルで燃料残量警告灯が橙色にピカリと灯った。
「あー……残量計、いよいよレッドラインに入ったねぇ。葵、そっちの残量はどうだい?」
「うちのもそろそろヤバいっす。あと三十分も回したらガス欠っすね」
「ふふっ、ご安心くださいな。もうすぐお見えになりますえ〜♪」
少し離れた安全帯で保温ボトルの温かいお茶を手に作業を見守っていた代表取締役CEO・一条結が、ふんわりとしたタレ目を緩めて山道の下方を指差した。
ズズズ……と砂利と湿った赤土を踏みしめる重厚なディーゼルの駆動音が山あいに響き渡る。
急勾配のヘアピンコーナーを切り返し一発の鮮やかなハンドルさばきでクリアして登ってきたのは、鮮やかなENEOSカラーの日野デュトロ——二トン給油車(移動タンク貯蔵所)だった。
運転席の窓がスッと下り、額にトレードマークのバンダナを巻いたショートボブの少女が白い歯を見せて元気いっぱいに手を振った。
「お待たせ〜! 『ENEOS 陣内燃料店』出張現場給油サービス、無事に到着だよっ!」
陣内 凛、十八歳。
危険物取扱者乙種第四類と準中型免許を引っ提げ、風花町の現場やスタンドを八面六臂に駆け回る町一番の名物看板娘だ。
「凛ちゃん!」
遥花が受光器を安全な台の上に置きパタパタと駆け寄る。
「今日もお見事なローリー捌きッスね! あの粘土質の激坂、二トン車で上がってくるの普通にヤバいッス!」
「うちもそう思うっす。あそこのヘアピン、切り返しミスったら一発でスタックするっすからね」
葵がPC20MRのキースイッチを切り、完全にエンジンを止めてからキャタピラから軽やかに飛び降りた。
「ふふん、一条山のご指名ならどこへでも駆けつけるよ! 危険物乙四と準中型は伊達じゃないからね」
凛は足元の安全を確認しながら作業靴で大地を踏みしめると、キャブの後ろに備え付けられた給油操作パネルのハッチを開けた。
スナップオンの十ミリスパナと真鍮のドッグタグが作業着の胸元でカチャリと心地よい金属音を立てる。
その表情が一瞬でプロの顔つきへと切り替わった。
操作盤の静電気除去シートに素手で触れて体内の静電気を逃がし、リールからアース線を引き出して重機のシャシーフレーム無塗装部へ確実にクランプする。
危険物を扱う技術者として基本動作に一切の妥協がない。
まひろもPC130のキースイッチを切り、完全にエンジンを停止させてからタラップを降りてきた。
愛煙家であるまひろだが給油作業の半径十メートル以内は当然ながら完全な火気厳禁である。
愛用の缶ピーは作業着の胸ポケットに仕舞い込んだままだ。
「重機二台、エンジン停止確認ヨシ! それじゃまずは親分、コンマ四五から満タンいくよ!」
電動流量計のスイッチを入れ耐油ゴムホースを軽快に引き出していく。
ノズルをPC130の給油口の奥まで確実に差し込みレバーを握ると、滑らかなモーター音とともに軽油が圧送され、デジタルの流量計が小気味よい勢いで跳ね上がっていった。
大食漢の十三トンを満タンに満たしたあと、凛は手際よくホースを取り回し葵の待つPC20のタンクへとノズルを繋ぎ替える。
「助かるよ、凛。君がここまで上がってきてくれなきゃ、一条山の開拓は完全にストップしちまうからねぇ」
まひろが懐から取り出した温かい缶コーヒーのプルタブをパキッと開け、立ち上る湯気とともに口元を緩めた。
「任せてよ、まひろ姉! 現場の重機に命を吹き込んでこそ、一条山が拓かれていくんだから!」
給油ノズルのオートストップ機構がカチッと作動し液面が満量に達したことを告げた。
凛はレバーを離しノズル先端を上に向けて液ダレを防ぎながら、ウエスで注入口の周囲を素早く丁寧に拭き取る。
「作業完了! 二台合わせて軽油二百二十リットル、きっちり給油完了だよっ!」
「お疲れ様、凛さん。温かいお茶と、お菓子はいかがどすか〜?」
結が保温ボトルから湯呑みに温かいほうじ茶を注ぎ、風花堂の「福餅」を添えて差し出した。
「わあ! 結社長、いつもありがとうございます! いただきます!」
給油車のアオリに腰掛け三人衆と結とともに温かいお茶をすする凛。
ディーゼルエンジンの温もりと冬の山の澄みきった空気、そして香ばしい焼き餅の甘い匂いが穏やかに溶け合っていく。
「そういえば凛ちゃん、葵のサンバーのオイル交換、そろそろお願いしたいッス!」
遥花が木陰に停めてあるモモタロウピンクのスバル・サンバーを指差した。
「了解! ワコーズの4CT-Sをドラムから用意しておくね。それと葵ちゃん、サンバーのリアデフオイルも冬の低外気温に合わせて少し粘度を落としておこうか。冷え込んだ朝の登坂でも、駆動の引きずりがなくなって出足が目に見えて軽くなるよ」
「マジっすか!? さすが凛ちゃん、頼もしすぎるっす!」
泥のついた作業着のまま重機の足元で工具や油脂類のメンテナンス談義に花を咲かせる女子四人。
山あいに吹き抜ける冬風の中、一条山の現場には確かな技術と信頼に結ばれた温かな時間が流れていた。
第二章:雨の日の陣内燃料店と、ダートラ仕様ミラ X4の秘密
翌日。
風花町は未明からの冷たい冬雨に見舞われていた。
作業道の赤土が泥濘化し重機による掘削作業は地滑りを誘発する危険があると判断され、一条山農林の現場作業は終日休工となった。
雨粒が波トタンの屋根を激しく叩く風花街道沿いの『ENEOS 陣内燃料店』。
計量機の並ぶ給油レーンの奥、大きな屋根を備えたピットスペースの天井からは水銀灯の柔らかな光が白くこぼれていた。
「ふぅ……今日の雨は一段と冷え込むねぇ」
スタッフツナギを着た凛が高圧洗浄機のガンを両手で構え、真っ赤な軽自動車のホイールハウスを入念に洗い上げていた。
ダイハツ・ミラ X4(クロスフォー)。
かつて凛の父親が若かりし頃、九州各地の草ダートトライアルで破竹の快進撃を誇っていた伝説のフルタイム4WDターボマシンである。
足回りには荒れたダートコースをハイスピードでねじ伏せるための強化ショックとスプリングが組み込まれ、車高は標準車よりもわずかに高く設定されている。
フェンダーの隙間からは激しい飛び石からサイドシルを守る真っ赤なラリーマッドフラップが誇らしげに顔を覗かせていた。
室内を覗き込めば乗車定員を確保しながらボディ剛性を引き上げる武骨なスチール製ロールケージが張り巡らされ、運転席には擦り切れたフルバケットシートが鎮座している。
キィィン……!
スーパーチャージャー特有の心地よいメカニカルノイズを響かせ、雨煙を切り裂いてモモタロウピンクのサンバーがピットの屋根下へ滑り込んできた。
ドアが開き黒いレインコートを羽織った葵が降りてくる。
「凛ちゃん、ちわっす! サンバーのハイオク満タンと、昨日言ってたデフオイルの交換に来たっす! 洗浄剤入りのハイオクでエンジンを労ってやりたいんっすよね」
「葵ちゃん、いらっしゃい! 雨の中ありがとねー! すぐ二柱リフトへ入れるよ!」
凛は手際よく誘導するとサンバーのジャッキアップポイントへリフトのアームを差し込み、手慣れたレバー操作で車体を持ち上げた。
その迷いのない動きを見つめながら葵はピットの奥に佇む赤いミラX4へ視線を向ける。
「……いつ見ても、凛ちゃんのこのミラX4、男前すぎるっすね。ロールバーが入っててアンダーガードと泥除けが付いてて、完全に往年の全日本ダートラ仕様っすよ」
「ふふん、カッコいいでしょ! お父さんから譲り受けてから、自分でタイミングベルトもウォーターポンプも、デフやミッションの油脂類も全部バラして組み直したんだから」
凛がメガネレンチを手にまずは注入口であるフィラーボルトがスムーズに緩むことを確認する。
それから下側のドレンボルトへ慎重にレンチを掛け誇らしげに胸を張った。
「お父さんが昔、ダートラで表彰台を総なめにしてた頃の相棒なんだ。泥だらけの悪路でも、センターデフ付きの4WDとターボのトルクでガツンと前に進んでくれる頼もしいヤツだよ。……まあ、今日みたいに山道が完全な泥沼になると、どんな車でもお腹を擦って『カメ(着底)』になっちゃうから、さすがに山には入れないけどね」
「確かにっすね。大雨の山道はどんな名車でも無理しちゃダメっす。……にしても、十八歳で二トンローリーとダートラ仕様のミラ、それにあの手塩にかけた愛車のバイクまで自分でイジって乗りこなしてる凛ちゃん、スペックが高すぎるっす!」
「ガハハ! 葵ちゃん、凛のやつは物心ついた頃からピットでスナップオンの工具をおもちゃにして育ったからな!」
事務所のアルミサッシがガラリと開き、温かいお茶の入った急須を手にした凛の父親が顔を出した。
「お父さん、もう! 余計な昔話はいいから!」
凛が少し照れくさそうに頬を染めウエスで手の油を拭う。
「でも本当に、ワシの古いミラを凛がこうして大切に乗ってくれてるのは嬉しいもんさ。葵ちゃん、一条山のみんなも凛のことを可愛がってくれて、本当に感謝してるよ」
「何言ってるんすか、おじさん。凛ちゃんはうちたち一条山農林にとっても、風花町にとっても欠かせない『絶対的守護神』っすから!」
葵の飾らない言葉に凛は作業の手を止めて嬉しそうに目を細めた。
冷たい雨音が反響するピットの中にエンジンオイルと金属の匂い、そして確かな信頼で結ばれた家族と仲間の温もりが静かに満ちていた。
第三章:水銀灯の下の“小悪魔”と、櫻庭FACTORYの絆
雨が上がり放射冷却によって澄みわたった冬の星空が広がったある日の夜。
『ENEOS 陣内燃料店』の営業が終わり重いシャッターが下ろされたピットには夜遅くまで水銀灯が灯っていた。
作業台の前にポツンと佇んでいたのはカウルを潔く脱ぎ捨てたネイキッド仕様のオートバイ——カワサキ・GPZ400R(D4型改)だ。
凛がスタンドでのアルバイト代と冬の寸志をすべて注ぎ込み、夜な夜な組み上げている手塩にかけた愛機である。
フロント周りにはカフェレーサーの風情を漂わせるマーシャル製の七インチ黄色丸目一灯ヘッドライト。
アルクロスフレームの隙間からは真っ赤なショートファンネルが整然と四つ並ぶ「Keihin FCR32φレーシングキャブレター」が鈍い光を放っている。
そしてシリンダーヘッドから伸びる四本の手曲げエキパイは、美しい曲線を描きながら当時物の「モリワキ製フォーサイト集合管」へと吸い込まれていた。
「……うーん。スロージェットを番手三十五から三十八へ上げたけど、アイドリングからの開け始めでどうしても一瞬、息継ぎが出ちゃうなぁ……」
バンダナ姿の凛がプラグレンチとキャブレター調整用の細身のマイナスドライバーを手に腕を組んで唸っていた。
混合気が薄いのか、それとも加速ポンプの吐出タイミングが早すぎるのか。
頭の中のセッティングシートと睨めっこを続けていた、その時。
ズオォォン……!
夜の冷気を震わせ地鳴りのように腹の底へと響く圧倒的な重低音の排気音がピットの外から滑り込んできた。
鮮烈なファイアクラッカーレッドと重厚なガンメタリックのツートーンを纏った大型バイク——カワサキ・GPZ900R Ninja。
大地を揺らすような図太いアイドリングを刻んでいるのは、極太のテールパイプと武骨なサイレンサーが圧倒的な威圧感を放つ当時物・規制前のフランス製「デビル(devil)集合管」だ。
跨がっていたのは元陸上自衛隊・第4対戦ヘリコプター隊の整備班で2等陸曹を務め、現在は世界各地の過酷な現場を取材しながら愛車のフルレストアや精密チューンを手掛けるプロのルポライター、櫻庭天だった。
「こんばんは、凛ちゃん。夜遅くまで熱心に頑張っているね」
天がヘルメットを脱ぎ、眼鏡の奥の穏やかな瞳を細めて微笑みかけた。
「天さん! こんばんは! すみません、FCRの低開度セッティングで完全に壁にぶつかっちゃって……」
「どれ、少し見せてもらってもいいかい?」
天はレザーグローブを外すと凛のGPZ400Rの傍らに静かに腰を落とした。
スロットルワイヤーの遊び、FCR特有の浮動バルブが刻むわずかな作動音、そしてキャブレター下部のパイロットスクリューの戻し回転数を指先の繊細な感覚だけで確かめていく。
自衛隊時代に航空機のタービンや精密火器の整備で研ぎ澄まされた職人の指先だった。
「凛ちゃん、このFCRのショートファンネルとモリワキのフォーサイトの組み合わせだと、排気の抜けが良すぎて、スロットルの開け始めに吸気流速に対して燃料の吸い上げが一瞬追いついていないんだね。パイロットエアスクリューを八分の一回転だけ締め込んで低開度の空気をわずかに絞り、ジェットニードルのクリップ段数を一段下げて、ストレート径からテーパーへの移行を早めてごらん。赤ファンネル仕様のFCRは、吸気流速の微細な変化にとても繊細だからね」
「あ……! なるほど! 排気効率に対して、スロットルのツキ始めで燃料の吸い上げがほんの一瞬遅れてたんだ……!」
凛の大きな瞳が夜空の星のように輝いた。
天のアドバイスに従い小さなキャブドライバーで慎重にセッティングを変更していく。
教科書通りのマニュアルでは決して辿り着けない吸排気バランスの実戦的な勘所。
それを同じ水冷カワサキの直四を極限まで知り尽くす天が、「決して押し付けず、自分で答えに辿り着けるヒント」として手渡してくれるのだ。
「よし……! 天さん、火を入れてみます!」
凛が右手の親指でセルボタンを押し込んだ。
——キュルルッ、クォォン!!
FCRレーシングキャブ特有の「カラカラカラ……」という小気味よいスライドバルブの共鳴音とともに、四百シーシーの直列四気筒が寸分の狂いもない爆発音を響かせた。
スロットルを軽く煽るとタコメーターの針が剃刀のような鋭さで跳ね上がる。
天のデビル管が放つ重厚な地鳴りとは対照的に、モリワキ・フォーサイトの集合管から放たれたのは濁りの一切ない「フオォォン!」という甲高く澄みきった極上の直四サウンド。
夜の静けさを心地よく切り裂いていった。
「……すごい! 息継ぎが完全に消えた! 手のひらに吸い付くみたいにエンジンがついてくるよ!」
「ふふ、完璧だね。凛ちゃんが自分の手で丹念に組み上げた足回りとエンジンだ、素晴らしい仕上がりだよ」
天が目を細め心から嬉しそうに頷いた。
ふと見ると、ピットの引き戸の陰に愛機XR400Rのプラグを受け取りに立ち寄っていたまひろが、温かい缶コーヒーを手に静かに寄りかかっていた。
「相変わらず惚れ惚れする音を鳴らしやがるねぇ、凛。天の900Rのテールを拝む日も、そう遠くないんじゃないかい?」
「まひろ姉! ふふん、見ててよ! うちの『小悪魔ニンジャ』、風花町の峠道なら900Rにも簡単にはちぎられないんだから!」
バンダナの下で太陽のような満面の笑顔を弾けさせる凛。
冬の澄み渡る夜気に重厚なデビル管の余熱と美しく調律されたモリワキのエキゾーストノートが、心地よい二重奏となって溶け込んでいた。
第四章:ご安全に給油完了と、Bar風花の静かな夜
週末の一条山。
晴れ渡った冬空の下、ステップテラスワサビ田の基礎擁壁工事は予定していたすべての工程を無事故で完了させていた。
重機のエンジンが止められ静けさを取り戻した夕暮れのプレハブ事務所で、結がノートパソコンの画面を見つめながら整然と伝票の処理を行っていた。
「凛さん、今回も確実で迅速な現場給油、本当にありがとうございましたえ〜♪」
結が上品な微笑みを浮かべ厚みのある封筒を凛へと手渡した。
「これは『陣内燃料店様・特別出張給油手当』どすえ。我が社は透明な損益ゼロ主義——利益が出たら現場を支えてくださる職人さんに還元するのが方針どすさかい、どうぞ受け取っておくれやすな〜♪」
「ええっ!? 結社長、こんなにたくさん!? 助かります! これでFCRの予備セッティングパーツと、新しいプラグが買えます!」
凛が封筒を胸にぎゅっと抱きしめ飛び跳ねるように目を輝かせる。
「あはは、凛ちゃんは本当に根っからのメカニックだねぇ」
まひろが温かいお茶の湯気を吸い込みながらハスキーに笑った。
「うちのサンバーも、デフオイルを交換してもらったおかげで山道の走りが激軽になったっす。凛ちゃん、マジでうち専属の神ピットクルーっす!」
葵も黒ネイルの指先で誇らしげにサムズアップしてみせる。
「現場指示ヨシ! 燃料補給ヨシ! 一条山の開拓、完全にヨシ! ッス!」
遥花が元気いっぱいに現場の安全唱和を響かせ、事務所内にどっと温かな笑い声が広がった。
夜の八時。
風花町の細い路地の奥、古風な真鍮ランタンが暖かなアンバーの光を投げかける『Bar 風花 -kazahana-』。
重厚なオーク材の扉を開けると、そこには程良く空調の効いた澄みきった大人の静寂が広がっていた。
鉄刀木の一枚板カウンターの奥では右目がワインレッド、左目がアンバーの神秘的な異色瞳を持つオーナーバーテンダー・櫻庭美和が、バカラのグラスを磨き上げている。
今夜のカウンターにはツナギから上品な私服に着替えた凛が、ご両親とともに並んで腰を下ろしていた。
凛の首元には綺麗に油汚れを落としたスナップオンの十ミリスパナとドッグタグが、小さな誇りのように控えめに光っている。
「いらっしゃい、凛ちゃん。お父様もお母様も、ようこそお越しくださいました」
美和が優しく微笑み磨き抜かれたクリスタルグラスを三人の前へと静かに差し出した。
お父さんの前には薄吹きタンブラーに端正な柱氷を滑らせ、一日の汗と油を心地よく洗い流す『タリスカー10年』のハイボール。
お母さんの前にはクラフトジンをベースに旬の巨峰を丁寧にマドルし、淡い紫色のヴェールを纏わせた優しい口当たりのショートカクテル。
そして十八歳の凛のために用意されたのは風花町特産の完熟柑橘シロップと搾りたてのフレッシュライム、そしてきめ細やかな炭酸のトニックウォーターを繊細な比重差で層状に重ねた、美しい夕陽のグラデーションを湛える特製アンバー・モクテルだった。
「わぁ……! すごく綺麗な夕陽の色……!」
凛が両手でグラスを受け取りそっと口に含んだ。
完熟柑橘の濃厚な甘酸っぱさとライムの鮮烈なアロマ、そしてトニックウォーターの微かな苦味と清涼な炭酸が舌の上で溶け合い、昼間の現場でかいた汗と疲れを身体の芯から優しく洗い流していく。
「凛ちゃん、今日も一条山での現場給油、本当にお疲れ様でした。天ちゃんから聞いたわよ、GPZのキャブレター、見事にセッティングが決まったそうね」
美和の慈愛に満ちた眼差しに凛は胸を張って頷いた。
「はい! 天さんにアドバイスをもらったおかげで、吸い付くような最高の音になりました! ……美和さん、私、もっともっと整備の腕を磨いて、風花町の車やバイク、そして一条山の重機を全部絶好調にしたいんです!」
凛のまっすぐな瞳にお父さんとお母さんも目を細め、静かにそれぞれのグラスを傾けた。
カウンターの端では結と天が穏やかな笑みを浮かべながら、その温かな家族の輪を見守っている。
昼は現場の泥とオイルにまみれ、危険物乙四と準中型の誇りを胸に、一条山の重機たちへ命の燃料を注ぎ込む少女。
夜は大人の静謐な空間で自分の夢と情熱を誇らしく語り、町の人々に愛される看板娘。
凛は首元の十ミリスパナにそっと触れ、グラスを胸の高さへと優雅に掲げた。
「美和さん、天さん、結社長。今日も一条山と風花町、ご安全に給油完了だよっ♪」
美和が異色瞳を柔らかく細めて優雅にグラスを掲げ、天と結、そして誇らしげな両親もまた、音を立てずにグラスをスッと掲げて静かな目礼を交わした。
アンバー色の光が優しく満ちる『Bar風花』の店内に、少女の弾けるような笑顔とクリスタルの澄んだ輝きがどこまでも温かく穏やかに溶け込んでいった。
【あとがき】
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
今回は一条山農林にとって絶対に欠かせないインフラの守護神、『ENEOS 陣内燃料店』の看板娘・陣内凛ちゃんのお話でした。
十八歳にして危険物取扱者乙種第四類と準中型免許を引っ提げ、現場の男たちも顔負けのハンドルさばきで二トンローリーを激坂へ走らせる元気っ娘です。
働く車や重機が大好きな自分としては、PC130やPC20への「現場給油(燃料差し)」のルーティンや、静電気除去からアースクランプまでの安全所作はどうしても丁寧に描きたかった部分でした。
そして、後半のメカニック談義。
お父さんの熱い魂を受け継いだダートラ仕様のミラX4や、夜のピットで凛ちゃんが組み上げるGPZ400R「小悪魔」仕様。
スロットルのツキに悩む凛ちゃんへ、天ちゃんが自衛隊仕込みの精密な感覚でそっとヒントを手渡すシーンは、書いていてとても心地よい時間でした。
天ちゃんのGPZ900Rが奏でる重厚なデビル管の咆哮と、凛ちゃんのGPZ400Rから放たれるモリワキ・フォーサイトの甲高い澄んだサウンド。二台の直四が夜気に溶け合う情景を感じていただけたら幸いです。
昼間は泥とオイルにまみれて汗を流し、夜は『Bar風花』の柔らかなアンバーの光の中で、ご両親と一緒に温かいモクテルを口にする。
一生懸命に生きる女の子たちのタフさと愛らしさ、そしてそれを温かく見守る大人たちの優しい空気感を、これからも大切に紡いでいきたいと思います。
もし「凛ちゃんのローリー捌きカッコいい!」「GPZの吸気音が聴こえてきそう!」「お父さんのミラX4激渋!」などと感じていただけましたら、ブックマーク登録や下の【☆☆☆☆☆】からのご評価、温かいご感想をいただけますと、今後の執筆の大きな力になります!
次回も、ご安全に!
天照(Bar風花)




