『一条山開拓記』閑話:黒木葵 〜トゲの裏側の涙と新しい家族〜
【前書き】
※本エピソード(一条山開墾記)は『Bar風花』本編の設定をベースにしたスピンオフ/パラレルストーリーです。
※本編との時期や時系列に一部独自のアレンジやIF要素が含まれております。
※白黒赤三人娘と結社長が紡ぐ、賑やかで温かな開墾の日々をお楽しみください!
夜の十時。にぎやかな声が去り、静けさを取り戻した『Bar風花』のカウンター。
薪ストーブの暖気が優しく満ちる店内で、黒木葵が胸の奥底に秘め続けてきた「過去の孤独」をぽつりと溢らし始めます。
なぜ彼女は重機をこれほど愛し、プロとしての腕を磨いてきたのか。
なぜ彼女は地雷系の服を身にまとい、トゲを立てて自分を守らなければならなかったのか。
あふれ出た涙を優しく抱きしめる美和と、そっと頭に手を置く天。
少女の心が鎧を脱ぎ捨て、真の居場所と「家族の絆」を結ぶ、静かで温かな夜の物語。
どうぞ、アンバー色の光に浸りながらごゆっくりお楽しみください。
夜の十時を回る頃。
『Bar 風花 -kazahana-』の店内は、程良く効いた空調の心地よい温もりと、アンバー色の間接照明が織りなす柔らかな光の層に優しく満たされていた。
いつもなら、まひろのハスキーな笑い声や遥花のハイテンションな叫び、結のおっとりとした京言葉が賑やかに響いている時間帯だ。だが今夜は違っていた。
まひろや遥花たちは一足先にそれぞれの自宅へ帰り、天も勝手口の奥で明日使う資材の伝票チェックのため席を外している。
磨き上げられた鉄刀木の一枚板カウンターに残っていたのは、美和と黒木葵のふたりだけだった。
「……葵ちゃん、温かい飲み物、もう一杯淹れましょうか?」
ワインレッドとアンバーの異色瞳を柔らかく和ませ、美和は手元のグラスをじっと見つめている葵へ、そっと声をかけた。
バカラのクリスタルグラスを弄ぶ指先はどこかぎこちなく、いつもの威勢のいい「っす!」という返事は返ってこない。
葵は黒地にピンクのフリルがあしらわれた地雷系ファッションの長い袖をきゅっと握りしめ、カウンターの深い赤褐色の木肌を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……美和さん。……うち、ずっと誰にも言ってないことが……あるんっす」
「なぁに……? 急がなくていいから、ゆっくり話してごらん」
美和はカウンターの内側から静かに回り込み、葵の隣の黒革ローチェアーへと歩み寄った。
そっと小さな肩に手を添えると、葵の身体がかすかに震えた。
「……うちの実家、風花町のとなりの音成町にあるっす。……そこそこデカい『黒木建設』っていう土木建築会社なんっす」
美和は驚く風もなく、ただ静かに頷いて葵の言葉に耳を傾ける。
葵が重機の操縦や現場の工程管理において、年端もいかない頃から叩き込まれたような熟練の手腕を見せていた理由のピースが、ひとつ静かに噛み合った気がした。
「うちには……二つ上に、めちゃくちゃ頭が良くて、要領がよくて、親の言うことを何でも完璧にこなすお姉ちゃんがいるんっす。……親は昔から、そのお姉ちゃんのことばかり可愛がってて……うちが何をしても、何ひとつ見てくれなかったんっす」
ぽろりと、葵の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
磨き上げられた鉄刀木のカウンターの上で、アンバー色の光を反射して小さく弾ける。
「家の中に、うちの居場所なんてどこにもなかったっす……! うちがどれだけ重機が好きでも、土木が好きでも、『お前は出来損ないだ』って目で見られて……誰も、うちのことなんて信じてくれなかった。誰も、うちを見てくれなかったっす……!」
言葉が途切れ、葵は両手で顔を覆った。
肩を上下に揺らしながら、幼い頃から胸の奥底に沈殿していた泥のような孤独を、一滴残らず吐き出していく。
「……だから、家を飛び出したっす。誰も信じられなくなって、荒れて……うちを認めてくれたのは、あの頃の『紅蓮華』の仲間たちだけだったっす……。地雷系の服を着て、トゲを立ててないと、自分が壊れそうだったんっすよ……っ!」
溢れ出す涙が指の隙間からこぼれ、葵の頬を伝って止まらない。
かつて暴走族のレディースとして虚勢を張っていた少女の素顔は、ただ傷つき、愛されることを渇望していた幼子のそれだった。
「……でも、一条山に来て……結社長に拾われて、天さんやみんなと出会って……そして美和さんに会えて……うち、初めて知ったんっす。温かい家族って、こんなに優しくて、温かいものなんだって……っ!」
葵は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、すがりつくような瞳で美和を見つめた。
「……美和さん……! うち……本当は……美和さんみたいなお姉ちゃんや、天さんみたいに頼れるお兄ちゃんが欲しかったっす……! うわぁぁぁん……っ!!」
堪えきれなくなった感情が決壊し、葵は子供のように声を上げて泣きじゃくった。
美和は何も言わず、ただ優しく、そして力強く葵の頭を抱き寄せ、その小さな身体を胸の中にすっぽりと包み込んだ。
「……そうだったのね。ずっとひとりで、辛かったわね……葵ちゃん」
美和の瞳からも、静かに温かな涙が零れ落ちた。
美和は葵の背中を、まるで幼子をあやすようにゆっくりと撫で続ける。
「もう大丈夫よ。我慢しなくていいの。……葵ちゃんがどれだけ重機を愛しているか、どれだけ仲間思いで、どれだけ一生懸命か、私たちはみーんな知っているわ。一条山のみんなも、天ちゃんも、そして私もね」
美和は葵の顔をそっと覗き込み、愛おしさに満ちた微笑みを浮かべた。
「私があなたのお姉ちゃんになってあげる。天ちゃんだって、あなたの自慢のお兄ちゃんよ。……だからね、葵ちゃん。ここはもう、あなたの家なの。誰に遠慮することも、怯えることもいらないのよ」
「美和さん……っ! 美和さんッ……!!」
葵は美和の胸に顔をうずめ、しゃくりあげながら、美和の温もりを全身で確かめるようにぎゅっと抱きしめ返した。
その時、勝手口の厚い扉が静かに開き、天が姿を現した。
手には、温かい湯気を立てるカモミールと蜂蜜のホットミルクが入ったマグカップがふたつ載せられている。
奥でふたりのやり取りを静かに見守っていた天は、足音を忍ばせて近づくと、葵の頭の上にポンと大きな手を置いた。
日々の作業や機械いじりで使い込まれた、わずかにタコのある手。けれど、この上なく温かい手だった。
「……葵ちゃん。僕にも、可愛い妹ができたみたいで嬉しいよ。これからは何でも頼っていいんだからね」
天の穏やかで芯のある声に、葵はぐっと涙をぬぐい、力強く頷いた。
「……はいっす……! 天さん……! 美和お姉ちゃん……っ!」
古いレコードの針が落とす微かなノイズとピアノの柔らかな余韻が静かに溶け、店内に漂うかすかな桜の香りが、三人を取り巻く空気をどこまでも優しく包み込んでいく。
過去の傷も、居場所のなかった孤独も、今この場所で溢れた涙とともに溶けて消えていく。
アンバー色の柔らかな光が満ちる『Bar風花』のカウンターで、新しい家族の温かい絆が、静かに、そして決してほどけない強い結び目となったのだった。
【あとがき】
『閑話:黒木葵』をお読みいただき、本当にありがとうございました。
今回は、一条山で頼もしい現場監督として輝く葵の「本当の素顔」と「過去」に触れる、短くも大切なエピソードをお届けしました。
実家の黒木建設で誰にも認められず、自分の居場所を守るために身につけた地雷系の服と『紅蓮華』というトゲ。
そんな彼女が一条山で本物の「家族」と出会い、美和の胸の中で我慢していた涙をすべて吐き出すシーンは、書いている私自身も込み上げてくるものがありました。
重機を操るかっこいい姿も、美和や天に甘える可愛い妹としての姿も、すべてが大切な葵の魅力です。
傷を抱えた少女たちが一人ずつ居場所を見つけ、前を向いていく過程を、これからも温かく描いていきたいと思っています。
作品を気に入っていただけましたら、ぜひブックマーク登録や高評価、温かいご感想などをいただけますと、執筆の大きな糧になります!
次回も彼女たちの歩みを温かく見守っていただければ嬉しいです。
天照(Bar風花)




