第54話 真藤はるか
師匠の箒に乗って、冬の夜空を飛んでいた。
空を埋め尽くすほどの満月が浮かんでいて、夜はもう暗くない。眼下に広がる街の明かりは、ランタンの灯火のようだった。
箒の速度を落とした師匠は、感情を失ってしまったような平坦な声を出した。
「申し訳ないが、君はもうすぐ死ぬ。致命傷だ、治療は間に合わない」
「そっか、わたし師匠に……それじゃここは」
首筋をさすってみたけれど、傷も血も存在しなかった。
師匠は黙って前を見つめていて、疑問には答えてくれなかった。だけど、なんとなくわかる。これは現実じゃない、これはわたしの見ているゆめ。死んでしまう前に、師匠が見せてくれたゆめ。
師匠の魔法。
「理想を追い求めれば大切なものを全て失うと僕は忠告した。その結果がこれだ、その結果が……」
師匠の声はだんだんと沈んでいく。わずかに、肩が震えているように見えた。
「死ぬのは嫌だけど、誰も恨んだりしません。もちろん自分も。わたしはやりたいことをやったんです。良くない結果になるなんて、最初の最初からわかってました」
「許せるものか、命を奪われて、いくら君でも」
「別にわたしは、あっ、もしかしてちょっと悪いことをしたと思ってくれてるんですか? それなら嬉しいや」
笑っても、師匠は返事をくれなかった。
肩の震えが大きくなって、暗い夜空に早く短い吐息と、鼻をすする音が響いた。
しんとした夜空に聞こえてくるのは、必死に隠そうとしている泣き声。
まただ、またわたしは大切な人を泣かせてしまった。
「ねえ、師匠」
涙で終わる。そんな最後は嫌だ。
「もし、もし悪いことをしたと思ってくれるのなら、わたしの代わりに今度こそ夢を叶えてください。たくさん人を笑顔にしてください」
頭に力が入らない。景色が歪んでいて、ひどい耳鳴りがする。声が声になってるのかも、自分で判別できない。
「……それは無理だ。大衆は僕たちを認めようとしない、理想では人の心は変えられない、君のようには……」
言葉に詰まる師匠の腰に手を回して、ぎゅっと抱きしめる。頬を寄せると、ほんの少しだけ震えが小さくなった。
「知りませんか、やる前から無理って言ったらダメなんですよ」
師匠のお腹がちょっぴり固くなって、沈んでいた顔がパッと上がった。
箒はゆっくりゆっくりと減速していって、やがて完全に静止した。
指先が痺れて、冷えて、感覚が無くなった。棒のような足は、箒からだらんと垂れている。
「命尽きる寸前にどうしてそんなことが言える、なぜ君は笑っていられるんだ」
「ずっとずっと師匠に憧れてきたから」
夜空と青空が混ざっている。砂埃が舞っていて、大勢の人間の足音や、怒声にも近い声が聞こえてくる。
月と太陽が重なり合って、白く浮かんでいる。
師匠は目元を片手で押さえて、高い夜空を見上げた。そんな姿もわたしの目にはぼやけて映る。
「その言葉、もっと早く……いや、耳を傾ける勇気がなかっただけか……愚かだな僕は」
曖昧な夢と現実。もう時間がなさそうだ。
本当に死ぬんだな、わたし。
「できたら師匠も笑っていてください。わたしはそれが一番嬉しい」
わたしはいつだって正しいことをしてきた。最後の最後まで。
だから――
「はるかさんっ! はるかさんはるかさんはるかさん!」
星も空も月も太陽も消えて、わたしは校庭に倒れていた。誰かの頭で日差しが遮られて、顔のあたりが影になった。




