第53話 いつまでも魔法少女の夢を見ている
二本の足で地面を踏みしめる。前だけを見据える。なにがあろうとも逸らさない、絶対に。
頭の中に、穏やかな声がささやいている。あの日、あの時、クリスマスの夜に出会った、優しいあの人の笑い声が。
「覚えてますか、初めて会った日のこと。師匠はわたしに、夢を見ろって言ってくれましたね」
「マイクを切れ」
そんなふうに師匠の口元が動くのが見えた。こんな時でも世間体を気にしてる。自分の評判が落ちるのを恐れてる。
師匠もきっと犠牲者だ。わたしがやらなくちゃいけないのは、勝つとか、超えるとか、そういうことじゃない。
「情に訴えかけて助命を乞うつもりかい。チャンスは与えた、だが君はそれを破壊した。今更なにをしろと言う」
「まだ、お礼を言ってなかったから」
「落下の衝撃でネジが緩んだかい。それとも皮肉のつもりかな」
「いいえ。わたしの本当の気持ちです。ずっと忘れてたけど、今、思い出しました」
師匠は睨むように目を細めて、右手をわたしに向けて突き出した。
「侮っていると、その首が飛ぶぞ」
「師匠のおかげで今のわたしがいます。ずっとずっと夢を見たままの、馬鹿なわたしでいられています。遅くなっちゃいましたけど、言わせてください、ありがとうございます」
「舐めるなと言っている!」
師匠の手から不可視の魔力が放たれて、わたしの右肩をかすめていった。シャツが破けて、肌に赤い一本線が浮かび上がった。
「また一緒に空が飛びたいです。あのときみたいに、楽しい景色を見せてください。師匠の魔法は、人を喜ばせるために使えるはずです」
師匠は一人だ。幻覚でも、幻影でもない、確かな実体がわたしの目の前に立っている。
一歩踏み出すと、乾いた砂が風に舞った。太陽の熱を感じる、地面の感触が足に伝わる、湿気が肌にまとわりつく、混乱する喧騒をハッキリと耳は聞き、風は木々の匂いを運んでくる。
そしてこの目はその人を見る。
わたしが敬愛する、師匠を。
助けたい人を。
「やめろ、それ以上近づくな。本当に死ぬぞ」
「大丈夫。忘れちゃったならわたしが教えてあげます。人を笑顔にするのって難しいけど、とっても嬉しいんですよ」
一歩、また一歩と足を踏み出す。
わかってもらえなくても、理解してもらえなくても、師匠との距離を埋めたい。箒の上で密着していた二人は今では遠く離れている。
師匠は歯噛みして、少し姿勢を低くした。その顔には焦りのようなものが見える。
「なにを隠している、その自信はなんだ、僕を殺すつもりか、奥の手があるのか、そうか自爆するつもりだな、獄死するくらいなら死をもって革命の象徴となるつもりか!」
また攻撃がやってきて、今度は肩を抉っていった。皮膚の表面がなくなって、血がどくどくと溢れ出す。でも、不思議と痛みは感じない。
「わたし、一度もそんなの考えたことありません。一人でも多くの人を笑顔にしたいって、師匠に教えてもらったことを実践してただけです」
あと半分。わたしが一歩近づくたびに、師匠の後ろにいる生徒たちが後ずさった。
やっぱりわたしが怖いのか。でも、そんなのは関係ない。認めてもらえたら嬉しいけど、認めてもらえなくても、わたしはわたしだ。なにも変わらない。
「来るなっ、来るんじゃない、なんだその顔は、なぜ笑う、なにを狙う、なにをっ!」
師匠の顔が青ざめている。かかとがわずかに後退して、砂の大地を削っている。
「ぐっ……うぅ」
腹部に衝撃。口の中に血の味が広がった。痛い、痛すぎる、けど、まだ、やれる。
顔だ、そうだ、笑わなきゃ、師匠にも笑顔になってもらわないと。
身体中を殴打される痛みが襲う。腕の感覚がなくなる。肋骨が折れて内臓に突き刺さっている。
止まるもんか、立ち止まるもんか、師匠がそこにいる、憧れの人が苦しんでる。わたしには見過ごせない。絶対に絶対に。
あと一歩のところまで近づいて、両手を伸ばした。
「もういいんですよ、怖がらないでください。わたしは、捕まってもいいし、抵抗する気もありません。ただ、師匠と、もう一度、本当の気持ちを――」
「聞く耳などぉ!」
薙ぎ払うように師匠は右手を振った。
ピュッと空気中に波紋が広がって、わたしの顎下を切り裂いていった。
「あ……」
首に炙られているような熱を感じて、すぐに冷たくなった。なにか液体が内側からダラダラと溢れ出してくる。苦しくて息を吸おうとして、でも空気は喉の下でせき止められる。
視界がぼやける。手足がビリビリと痺れる。体重を感じなくなって、髪の毛が向かい風で吹き上がった。
「僕はなにを……はるかっ」
膝から力が抜けて、重力に身体が引っ張られた。
自分が倒れる重い音が鼓膜に響く。
そしてわたしは、
「はるかさん。はるかさん!!」
遠くで悲鳴を上げる大好きな人の声を聞いた。




