第39話 予想通りではあるけれど
「はいどうぞ。はるかさんも飲んでね」
テーブルの上のカップが置かれると、アプリコットの甘酸っぱい香りが鼻をくすぐった。お料理上手の芽衣ちゃんはお茶にもこだわりがある。
「ありがと。急に先輩を連れてきちゃってごめんね。……呼んだわけじゃないけど」
対面で芽衣ちゃんにおかわりを要求する先輩は、足を伸ばしてくつろいでいた。
「呼ばれていないから来たんだ。まあそんなことはどうだっていい。私も覚悟を決めてきた。早く話せ」
「先輩が覚悟なんてらしくないですね」
「馬鹿でもなければ思うところはある。狂いそうでな、正気でいるためにビタミン剤を注射してきた」
後ろのは冗談だろうけど、最初のは本当なんだろうなと思う。
わたしの横、先輩との間に座っていた芽衣ちゃんの目が、ちらっとこちらを向いた。いいの? と聞かれている気がした。わたしが先輩になにを話そうとしているのか気づいたようだ。
頷くと、芽衣ちゃんは一瞬だけ目を伏せてまたすぐに顔を上げた。口にはしてないけれど「わかった」と言っているように思えた。
先輩に向き直る。
「じゃあ聞いてください。世間を騒がせている……正義の魔女トワイライト・ウィッチはわたしです。今まで黙っててごめんなさい」
時任先輩は表情を変えず、伸ばしていた足を折りたたんだ。カップを口に運んで、斜めにしてから中身が空だと気づいたようだった。
その手はほんの少しだけ、震えていた。
「証拠は」
「クローゼットの中にあります。もってきましょうか」
立ち上がろうとすると、それを止めるように先輩は手を出した。
「どうして、君だけに才能が、なぜ」
そこで半分開いたまま口の動きが止まって、先輩はその先を言おうとしなかった。なぜ私じゃないのか――きっとそんなふうに続けようとしていた。
「ただの偶然です。でも、だからこそわたしは、この力をみんなのために使おうって思ったんです」
「みんなとは抽象的だが誰のことを指している、君が革命を望んでいる人間には見えない」
先輩はテーブルに手をついて、自分の身体を支えるように前のめりになっている。
膝に両手を置いて、先輩の瞳を見つめた。軽く息を吸って、これまでと同じことを言った。
「困っている人です。助けを求めている人がいるならわたしは力になりたい。魔法使いでも、そうじゃなくても関係ありません」
先輩の浮いていた腰が落ちて、微かに床が揺れた。下唇を噛み締めてわたしを見つめてくるばかりで、なにも言おうとしなかった。
静まり返った部屋に、エアコンの作動音だけが聞こえていた。
最初に声を出したのは、芽衣ちゃんだった。
「私も、聞いていいかな」
頷く。眉根は垂れていて、不安そうなのが見て取れた。
「なんで、ずっと秘密にしてきたことを、私以外の人に話したの」
その言葉に反応して、先輩がふらりと顔を上げた。
一瞬、喉が詰まる感覚がして、それを飲み込んだ。
よし、と胸の奥でつぶやいた。笑顔を作って芽衣ちゃんから順に二人の顔を見た。
言った。
「実はね、勧誘されちゃってさ、ノブレス・ウィッチの弟子になることになったんだよね。この間のはその話し合いで、まだ秘密なんだけど、すぐに発表されると思う。でも、その前に大事な人には伝えておきたかったんだ」
わたしは笑っていても、二人は笑っていなかった。
芽衣ちゃんは目をしばたいて、小さく口を開けている。
時任先輩は「なんだと?」と目を細めた。テーブルに乗った手が硬く握られていた。
「わかってる、お二人の言いたいことは完璧に理解してる。師匠のやり方とわたしのやり方は合わないんじゃないかって、そう思ってるんだよね。うん、無理もないよね、自分でもちょっと苦手だったし」
まあるく見開かれた芽衣ちゃんの目を見つめた。
「でもね、話を聞いてみて、もしかしたら本当に認めてくれてるんじゃないかって思ったの。認定されても、わたしのやりたいことを尊重してくれるって言ってくれたから、信じてみることにしたんだ」
芽衣ちゃんは瞳をキョロキョロさせていた。何度か息を呑んでから、歯切れ悪く声を出した。
「そ、そういうこと……あ、そ、そっか、それって、おめでとう、だよね。そう、そうなんだ、はるかさんが、良かった、どうなるのか心配、だったから」
一度目を閉じて深く息を吸うと、芽衣ちゃんは「本当に良かったね」と言ってくれた。
笑顔なのだけれど、頬が小刻みに動いていて、わたしには笑っているようには見えなかった。
「ありがとう」と言っていると、横からパリンという音がした。
砕け散ったカップの破片と、水滴がカーペットに散乱していて、すぐ上には、鷲の爪のようになった先輩の右手があった。
「おめでとう」という低い声が聞こえて、スローテンポの拍手が部屋中に響いた。
「新しい首輪を貰って、ヒーローごっこを続ける。君らしくない賢明な選択だ」
わたしとは一切目を合わせず、拍手を続けながら先輩は立ち上がった。
「君は富と自由らしきものを手にし、向こうは認定制度がハリボテではないことをアピールできる。魔法使いたちの希望となるだろう、誰でも君やあの魔女と同じことができるらしいしな」
やがて手を止めると、薄い笑みを浮かべた先輩はその場で振り返った。
「有意義な時間をありがとう。憧れの魔女がどんな人間か知れて、嬉しかったよ」
その背中を追いかけて、わたしも立ち上がった。
「待ってください。わたしは――」
「黙れ」
伸ばした手がすり抜ける。靴を履いた先輩は、ドアの前で立ち止まった。
「構うな。私のような反乱分子と接触していては疑われてしまうだろう。違うか? 認定の魔女二号」
「そういうのは関係ありません。先輩はずっと先輩です、わたしがどうなっても!」
先輩は嘲笑するように鼻を鳴らした。
扉が開かれると、不快な湿気が飛び込んできた。
「二度と話しかけてくるなよ。君の立場を守るためにな」
そう言い残して、先輩は部屋を出ていった。
追いかけようとして、けど、その場から動けなかった。
背中に視線を感じていた。声にならない声を聞いていた。
振り返って見た親友は、力なく床に座り込んでいた。
肩を落とし、目を真っ赤に染めて。




