第37話 わたしの一番欲しかったもの
微笑みを浮かべて、師匠は話を続けた。
「魔女とは元来自由なものだ。しかし現状、制度によってがんじがらめに縛られている、この僕も含めてね。そこで、志を持つものに自由を与えてみてはどうだろうと提言させてもらったんだ」
「それがわたしってことですか」
「まさしく。君にはすでにブランドと知名度がある。違法から合法への反転は、人を惹きつけ、心を鷲づかみにする。その影響力と訴求力を最大限活用して、魔法使いという悪名……そう、気持ちよくはないかもしれないが、現状では悪だとされているその名を塗り替えるための、手伝いをしてもらいたい」
手伝い、わたしにも師匠と同じ立場になれって言ってる。自由って、ずっと不自由だったのに、今更なんで。
「悪いんですけど、簡単には協力できません。薬とか色々……学校では散々酷いことをされました、ずっと魔法使いは悪だって言われ続けました。だからわたしは、誰にも言わず、トワイライト・ウィッチになったんです、そうしなきゃ魔女ではいられないって思ったから」
肌の表面が震えて、微かに熱を持っていた。手首を掴んだ手には、ぎゅうっと力が入った。
あの夜、箒を抱えて悶えていたあの日のことを思い出す。空は遠かった、夜空は果てしなく遠かった、だから飛び出した。
制度も、認定もなかった。だって、誰も認めてくれないから。
「わたしは、一人でやるしかなかった。誰かに、誰かにこの声を届けるには自分でやるしかないって……間違ってたとは思いません、あれから時間も経ってないのに、急に変わったとも思えません」
「そう、中身はなにも変わっていない。反魔法主義者は体制内部にはびこっているし、僕を疎ましく思っている者も多い、あまり公にはされないが種そのものの根絶を唱える過激派の存在も根強い。バランスが崩れれば、さらなる排除の方向へと傾くかもしれない。魔法使いの立場は、常に危ういものさ」
「だったら、そんな人たちといっしょにはやれない。師匠だって、正しくないって知ってるからそういうことを言うんですよね、なのになんで」
「是正するためだ。認められた側に、君のような希望がいなければ、社会はなにも変わらない」
師匠の青っぽい瞳が、わたしを見ていた。真っ直ぐで、まるで胸の反対側まで貫いてくるように。
皮膚の表面が、ざわざわしてる。気を抜けば、そのまま溶けて剥がれてしまいそうな気がする。希望、わたしがみんなの希望、わたしが。
「意識を変える必要があるのは、内部だけではなく外側もだ。君の活動は多くの人々を救った、誰かの命と夢を守った。だけど、きっとあったのだろう、辛いことも」
「辛いこと、ですか、それは、はい、焼け死にそうになったりとか、いろいろ」
「そうではないよ」
師匠の眉が、垂れた。わたしを見つめる目が、細くなった。
「善良な人々の心の中にも、自覚なき偏見が存在する。なにげない一言に、深く傷つけられる。覚えはあるだろう?」
「ぅ……それ…は……」
ある、あるんだ。霞ちゃんが、あの子が、わたしを認めてくれた子が、豚の血って、そんなこと言った。手首を差し出してきて、悪気なんてなさそうにしていた。
眉間の奥が詰まって、頭の中が縮んでいく。締め付けられて、奥の奥から吐き気みたいなものが上がってくる。震えがある、抑えようとするともっと震える。
寒い。お店の賑やかな声が、遠い。誰もいない場所を、一人で歩いている。霧が満ちていて、先なんてみえなくて、そこには誰もいなくて。
「な、なんで、知ってるんですか、誰にも言ってないのに……なんでっ」
「個別の出来事を把握しているわけではない。ありふれているからだよ、この国には、この世界には」
小学校で、夢をみんなに笑われた。中学校で、仲のよかったあの子はわたしを怖がった。
今の学校でも、みんなわたしを遠ざける。わたしを悪者だって思ってる、自分を悪い者だって思ってる。豚の生き血みたいなデマだって、仕方ないって、きっと思ってる。
先輩は怒ってる。芽衣ちゃんはずっと泣いてる。こんな世界だから。
棘のない声で、師匠は言った。
「はるか」
伏せ気味だった顔を、上げた。師匠は、わたしが魔法使いになる前のお母さんみたいな表情をしていた。険しさがなくて、胸に飛び込んでも、憎まれ口を言っても、なにをしても、きっと――
「もう、ひとりで頑張らなくていい。胸を張って自分の言いたいことを言えるようにしよう、それは間違っているとハッキリと伝えられるようにしよう、そうすれば僕らの生きる世界は、今よりずっといい場所になる」
師匠はわたしを受け止めてくれる。いいよって言ってくれる。
「わたし……わたし……師匠……」
「もちろん、こちら側に来れば苦労することもある、我慢しなくてはならないときもある。けれど約束する、君の未来は現状よりもずっと開かれたものになると」
いつの間にか目を瞑っていた。目とまぶたの間で、液みたいなものがぷるぷる震えていた。
椅子を引く音が聞こえた。こつん、こつんという足音が、暗闇に響き渡った。
「ずっとこうしたかった、ずっと君を探していた」
足音が近づいてきた。首回りに腕が回ってきた。なめらかな布の感触と、体温が心地いい。
「また一緒に空を飛ぼう、あの頃のように」
「師匠……師匠……ずるいです……そんな……」
背中にも手がやってきて、抱きしめられた。
あったかい、やわらかい、この人が、この人だけがわたしの師匠だ。
ずっと、今でも。
耳元で、ささやかれた。
「手を取ってくれるね」
わたしは、ゆっくりと頷いた。
「……もう少し……詳しい話を聞かせてください……」
ふっと師匠が息を吐いた。
「よかった。ずっと不安だったんだ、君に嫌われていないかとね」
「そんなことありません、師匠はずっと尊敬する師匠です」
「ん」
師匠が頷くと、耳たぶがちょっぴり擦れた。ぴくぴくと揺れて、鈴が音を鳴らしていた。
響いたのは一瞬だけで、すぐに静かになった。こっちも師匠を抱きしめて、腕を回して――あれ、今、なんか。
ちょっと違う、芽衣ちゃんに抱きしめてもらったときと、なんか違う。
目を開けた。師匠はわたしの肩に、顎を乗せるようなそんな体勢だった。
「ねえ、師匠。話はわかったんですけど、なんか変なんです。でも、なんなのか、わからなくて」
「いいんだ、深く考えなくていい。ようやく手を取り合えたんだ、喜びを分かち合おうじゃないか」
それは、そうだ。野暮なこと言っても仕方ない。急に立場が変わったら、違和感なんてあって当然だ。
そうだ、考えなくていい。
「はい、そうですね、って、わ、わ、またみんなに見られてるぅ」
かぁっと顔が熱くなって、そっぽを向いた。
シャリ、っと一度だけ鈴が音を立てた。
そういえば、師匠はこの嫌な音を聞いてないんだ。
耳にはなにも付いてないから。




