第32話 絵本、魔法使いアリス
芽衣ちゃんの目的は図書室でレポート作成に必要な資料を手に入れることだった。同じ授業を受けているはずなのに、不真面目なわたしの記憶にその課題は存在しなかった。
図書室、なんか縁がある。
「へぇ……図書室って日曜日でも開いてたんだ」
扉を開いて中に入ると、窓に沿って並べられた机にぽつぽつと生徒の姿があった。本を読んでいる子と勉強をしている子で七対三くらいかなと思う。みんな偉い、ちゃんと将来のことを考えて勉強してる。
三年間。能力を抑制するのにもっとも重要なその期間をこの学校で過ごせば、一切魔法を使わなかったことで力は自然消滅する。そうして晴れて卒業となり、一般の大学に進学することも可能。授業でそんな話を繰り返し聞かされた。
鈴付きだけど、普通に生きようとすれば生きられる。本当ならわたしもそうするべきだったのかな、いつまでも夢なんて見てないで。
もう、遅いだろうけど。
机を眺めていると、芽衣ちゃんが耳打ちしてきた。
「借りる本を探してくるけどはるかさんはどうする? たまには読書も、気分転換になるかなって、私は思うんだけど」
壁に貼り付けられていた図書室の配置図を見る。漫画はない、堅苦しそうな本ばかりだ。字ばっかりの本は頭が痛くなる。今はこれといって関心があるジャンルもないし、頑張って読もうという気にはならない。
「ううん、悪いんだけど、わたし活字って苦手なんだ――」
「じゃあ、絵本とか、どう? そういうのも、実はあるんだよ」
声量が上がって、芽衣ちゃんの大きな胸が二の腕にぶつかった。絵本って、いくらわたしでも子供じゃないんだから、頭を使わないにしてもせめて図鑑とか写真集とか……いや、そうか絵本か。
「まだ読んだことないんだっけ」
昨日もページは開かず、ただ泣いてるだけだったから。
「魔法使いアリスの絵本があるかどうか、芽衣ちゃんは知ってる?」
芽衣ちゃんの眉が「知ってる」ぴくりと動いた。
場所を教えてもらって向かうと、探すこともなくそれは見つかった。
『魔法使いアリス』
埃被った旧校舎のとは違う、ピカピカの絵本。どんな内容なんだろう。魔法使いってタイトルに入っててただのおとぎ話とかファンタジーとは思えないけど。
芽衣ちゃんに頼んで一緒に借りてもらった。こういうお喋り厳禁みたいな空気は肌荒れの原因になるので、部屋に戻って読むことにした。
ベッドを背もたれ代わりにして座ると、自分の借りてきた本なんてそっちのけで芽衣ちゃんが覗き込んできた。
「はるかさん、その絵本の内容知ってるの?」
「へ? 知らないから借りてきたんだけど、芽衣ちゃんは知ってるんだっけ」
芽衣ちゃんは少し口を開いて、気の入らない顔でわたしを見つめた。一瞬目を伏せたかと思うと、今度はアリスの絵本に目を向けた。
「うん、気になることがあって、何度か読んだことがあるの。とっても素敵なお話で……一緒に読んじゃダメかな?」
「ダメって……あぁ、別にいいよ、全然いい、えっと、じゃあ、読むね」
表紙を見る。背の低い灰色のビル群を背景にして、中心に一人の女の子が立っている。足首まである長い赤髪、赤と灰色が混じった瞳、中世のような古い洋服、耳が尖っていて、顔は口元だけが笑っている。裏表紙にはハンドサイズの木槌が描かれていた。
ページを開いて、読み上げた。
「――魔法使いアリスは言いました。わたしたちは人間さんたちのお役に立てます」
アリスも、それを取り囲む人々もみんな笑顔だった。でも、背景の空は真っ暗だった。太陽が機嫌を損ねて隠れてしまい、みんなが困っているという話だった。
「わたしの魔法をごらんにいれましょう。お日さまなどなくても、光はここにあるのです」
光。わたしの魔法と一緒だ。なんならやってることも近い。
ページをめくる。真っ白だった。両面が塗りつぶされていて、印刷ミスかなと思った。
けど、さらにめくって、それは勘違いだったとわかった。
人々がみんな、目を押さえて倒れていた。空は暗いままだった。アリスだけが変わらずに笑っていた。くすくすと声を出して。
指に力が入って、ページの端が歪んだ。
ページをめくり続けた。同じようなエピソードがいくつも並べられていた。傷を治すと偽って足の骨を折るアリス。食料を増やすと言って備蓄を毒に変えてしまうアリス。
アリスは笑っていた。どんなときも。最後の最後まで。
「人々は一致団結し、裁判をしてアリスを牢屋に入れます。人間たちは反省して、もう魔法に頼らないと誓いました。するとお日さまは機嫌を直し、世界に光が戻ったのでした……」
最後のページに一般社団法人 魔法文化振興協会 推奨図書と記載されていた。
なんだろうな、なんだろこれ。読まなきゃよかった。手から力が抜けて、本を取り落としそうになった。ページがめくれて、陰影の濃いアリスの笑顔が視界に飛び込んできた。
作者の意図はわかる。ただ魔法を悪者にしたかっただけだ。子供たちに見せたいから。
本当に悪いのは悪用する人間なのに、そういうふうには書こうとしてない。
悪いのはアリスで、悪いのはわたしなのに。
なんで魔法が悪者にされるんだろう。なんで、なんでみんなわかってくれないんだろう。
目が熱くなった。寒気がして、胸の奥から涙が込み上げてくる。ダメだよ、ダメなんだよわたし、泣く資格なんてないんだ、怒る権利なんてもうないんだよ。
わたしなんてアリスと同じなんだから。そんなやつがなにを言っても――ぼやける視界に芽衣ちゃんの顔が飛び込んできた。
こんなときに、笑っていた。
「ね、いいお話だったでしょ? そこまで知名度は高くないみたいなんだけど、本当はもっと多くの人に読んでもらいたいって私はね、思うの」




