第30話 ごめんね
部室が使えないので、校舎の屋上入口前で時任先輩と合流した。土曜日とあっては人の気配はほとんどなく、この場所だけじゃなく学校全体がしんとしていた。
高湿度のぬるい空気が肌を舐める。雨でも熱はこもりっぱなしで、座っているだけで汗が吹き出してくる。先輩は呼び出すだけ呼び出して、自分からはなにも言おうとしなかった。
わたしから話を振った。
「ねえ先輩、昨日のニュース見ましたか」
「もちろんだ。映像媒体、新聞、各種ネットメディアに、評論家の個人的な見解もチェックした。おかげで寝てないアピールをすることができる」
「あのトワイライト・ウィッチって魔女、」
わたしだとはこの状況では言えない。
「本当に悪者なんでしょうかね」
先輩はきっぱりと言う。
「無論だ。擁護する点は見当たらない。社会的な影響を鑑みて厳罰に処されるのが妥当だろうな」
すっと汗が引いて、空気が冷たく感じられた。重くなった胸から言葉を絞り出す。
「で、でもですよ、昨日はまあ別として、彼女、以前から活動していたみたいで、ネットではちょっと話題になってたんです。これまでは、人助けをしてたって」
「知っている。出現以来その行動を追ってきた。もっぱらの関心事でな、ここに資料もある」
先輩は懐からピンクの表紙で無題のA5サイズのノートを取り出した。渡されたので中を確かめる。
印刷したウェブページや写真が貼り付けられ、目撃情報と個人的な見解が事細かに手書きで記載されていた。全身のイラスト、服装や身体的特徴、魔法の詳細まである。わたしから見ても、正確だ。
「凄い……先輩は彼女についてどこまで知ってるんですか、その、正体とか」
「そこに書いてあることだけだ。情報の質も量も欠いているために、その実態については推測の域を出ない。根拠もなく特定の個人と結びつけるのは論理的ではない」
安心していいのかどうか、先輩はこういう人だから、気づいていても確信するまでは言ってこないんじゃないかと思う。
閉じたノートを差し出すと、先輩は反対側を指で摘んだ。わたしは手を離さずに聞いた。
「こんなに詳しいのに、どうして厳罰だなんて言うんですか」
「そのやり方に賛同するかどうかは別の話だ。自身が無法であろうとも、別の無法を肯定する理由にはならない」
先輩は睨むような目になって「返せ」わたしからノートを奪った。
勢いよく先輩が立ち上がり、わたしもそれに続いた。
「賛同してくれてもいいじゃないですか。正しいことをしてるって本当は先輩も思ってるはず、だから熱心に情報を集めてたんでしょう!」
頭が、胸が、熱くなる。声だって荒い。
先輩は白衣のポケットに手を突っ込んで、冷静ぶって言う。
「どうして君がそこまで熱くなる、親身になりすぎじゃあないか」
「わたしは……この人を正しいと思うから」
「そうか、なら教えてやろう、この時任繊月の個人的な思いを」
先輩はふふっと、下を見て笑った。
「力あるものが、その才能を大義のために使わず、個人的な欲求を充足させるのに終始しているからだ。単なる自己満足には同調できない」
その声はどことなく沈んでいて、喋り方にも元気がなかった。
「反抗の真似事をしたり、こんなノートなどを作成したりして、ただ傍観するだけの存在だ、私は。才能は潰され、まもなく魔法は消滅する。立場が逆ならと思わずにはいられない」
「それは……」
先輩は顔を上げて、暗い目でわたしを見た。
「枷のない魔女がままごと遊びをしている。憤るのはおかしなことか?」
先輩は踵を返して、階段に足をかけた。
「興ざめだ、本日はここまでにしよう――君になら共感してもらえると思っていたのだがな」
力を使わなければ魔法は自然に消滅する。先輩にはもう時間がない。
わたしが地道にコツコツ人助けを続けても、社会はそのことを隠そうとする。反対に一回の失敗は大々的に取り上げられて、魔法使いのイメージは悪くなる。
わたしがなにをしても、なにもしなくても、世の中は変わらない。
誰かの笑顔が見たいって、それだけじゃだめなのかな。
その場から動けず、胸の前で拳を抱きしめた。心の最下層に沈んだ言葉を、必死の思いで組み上げてくる。
「わたしは……自己満足だって貫き通せば、きっと無駄じゃないって、信じたいんですよ」
「その青さをあの魔女に利用された。反省するのか意地を通すのか見ものだな」
硬い音を響かせて先輩は階段を降りていった。
追いかける気にもなれず、膝を曲げてわたしは座り込んだまま。
慰めが欲しくて、胸ポケットからスマホを取り出した。なにかを考える前にSNSを開いた。
『死ね』
呼吸ができなくなった。
『なんで生まれてきたの?』
『死刑確定笑』
トップページは、大量の誹謗中傷で埋め尽くされていた。
ひどい、平気でこんなこと言えるんだ、悪いのはわたしか、ニュースを見たらそうなっちゃうか。ちょっとくらい励ましてくれてもいいのにな、無理か、犯罪者だもんね。
血が通わなくなった親指を動かしていると、ある文面が目に止まった。
『鈴持ちを作った親は製造者責任を取れ』
耐えきれず、相手をブロックリストに入れた。わたしはわたし、悪いのは自分で、親も家族も関係ない。
ジンとしてきた目元を腕で拭う。息を吸って、呼吸を整える。
喉の奥に溜まったツバを飲み込んで、ブックマークの欄をタップした。画面いっぱいの温かい言葉たち。ここにはわたしを悪者扱いする文面はひとつもない。
スクロールしていって、最初の二つを確かめる。
『ありがと、来てくれてうれしかった』
『がんばってね』
気が楽になるどころか、余計に胸が絞めつけられる。吐き気がしてきて、冷たい床にスマホを放り投げた。
これを見たときの気持ちも、ただの自己満足だったのかな。
霞ちゃん、わたし本当に頑張り続けられるのか、わからなくなっちゃった。
ごめんね。




