【幕間】片桐芽衣〈かたぎりめい〉の空
小鳥のさえずる朝。はるかさんには内緒で旧校舎の図書室を訪れていた。
空への鍵になってるという『魔法使いアリス』の絵本に触れてみた。けれどもただの本でしかなく、不思議なことはなにも起こらなかった。
はるかさんは嘘をついていないから、これは私の問題だ。きっと、魔法嫌いには資格がない。
ここまで来たのだからと、本棚の前でその絵本を開いた。
予想通りと言うべきか、魔法使いアリスは魔法を誹謗する話だった。魔法を使って人に迷惑をかけて、けれどアリスは笑い続けている、そんな気味の悪い物語。
プロパガンダ的な内容には辟易とする。こんなものを平気で出版するのが信じられない。魔法使いは空想の存在じゃないのに。
閉じてしまいたい衝動を抑えて最後まで読み切った。本棚に戻そうとして、なにか違和感があった。
どんな話だったかともう一度読み直して、さらにもう一度。そうしていると、どんよりしていた心がいつの間にか反転していた。
なにがあっても、アリスは最後まで笑っていた。批判されても、攻撃されても、牢屋に入れられても。
どれだけ自分が悪者にされても、笑っていた。
「似てる……」
本棚の隙間から朝日が伸びてきて、私の顔面を照らしつけた。その眩さに目を細めていると、ふと沈殿していた記憶が蘇ってきた。
私と彼女の最初の日。ふたりの部屋で見た忘れられない表情。
あの太陽のような、このアリスのようなはるかさんの笑顔が。
一年と三ヶ月前、十五歳の私は机に向かってまだ見ぬルームメイトのことを考えていた。あまりにも到着が遅く、事故にあったんじゃないかと不安に思っていた。
強制収容ではないという体裁を保つために、各自で集合するという形を選ぶこの国のあり方に苛立ちを感じながら。
結局、全身泥だらけのルームメイトが部屋に飛び込んできたのは、入寮日の午後十時過ぎだった。
真藤はるかと自己紹介する彼女は、いきなり私を芽衣ちゃんと呼んで、道に迷って遅くなったと笑った。
苦手なタイプと一緒になってしまった。私は苦笑することしかできなかった。
だけどその耳にもちゃんと鈴の形をした拷問器具が垂れていて、同じ被差別民であることは間違いなかった。それを見るたびに、他人のものだとしても胸の奥から吐き気が込み上げてきた。
「ここに来るの楽しみにしてたんだよね」
カーペットの上であぐらをかいたはるかさんは、ニコニコしながら椅子に座る私を見上げた。
その意見には同意だった。外と違って、ここでは鈴をつけているのが当たり前だ。指さされたり、目を逸らされたり、唾を吐かれたりすることはおそらくない。
でも、はるかさんの考え方は私とは違っていた。
「芽衣ちゃんはどんな魔法が使えるの?」
思わず、顔を見た。社会への皮肉なのかと思った。はるかさんの中には反骨心があるのかと思った。私を巻き込むつもりなのかと思って、こわくなった。
でも、その泥に塗れた顔は輝いていた。まん丸と目を開いて、鼻息を荒く興味津々に私を見ていた。その瞳の奥にあるのは暗さではなく、純粋さなのだと直感した。
なんでそんなことが知りたい、人には言えない、言いたくないと答えた。
はるかさんはぽかんと口を開けて、まじまじと私を覗き込んだ。
それから光を当てられているような笑顔になって、こんなことを言った。
「みんなが何をできるのか知りたいんだ」
それがわからない、と私は言った。
はるかさんは立ち上がって、私の手を取った。
「ずっと魔法に憧れてるから」
そんな言葉を聞いたのは、生まれて初めてだった。
その顔にはやっぱり暗いところなんてひとつもなくて。
こんな人もいるんだと、私は思った。
それからというものの、自分の魔法について話すのが密かな目標になっている。
根強い抵抗感があって、まだ叶えられていないけれど。
どうしても禍々しい力だって、思っちゃうけど。
はるかさんになら。
きっといつの日か。




