第17話 正論ほど痛いものはない
「壁? ああ、そのビル。非凡な想像力だけど、いくら待ってもそうはならないんじゃないかな。お姉さんの意見だけど、たぶん一般論」
赤茶色のつぶらな瞳が、じろっとこちらを見た。
「不思議なことが起きてほしいと思うのです。起きてもよくないですか?」
「それは、ちょっと同感かも、へへ。でもねえ、穴は……あ、そうだ、くり抜くのは怒られちゃうけど、こういうのはどうかな」
わざとマントを翻すように腕を振った。くぅ、かっこいい。
「光よ我が手に! あの黄ばんだ壁に穴を!」
伸ばした手のひらから光が放出される。直進していき壁に衝突……させずに手前で拡散させ、直径一メートルほどの円を形作った。
「うわぁー……」
女の子は驚きと感嘆に目を見張っている。
ぱっと見、真っ白の大穴だ。実際にはインチキだけど不思議なことは見せてあげられた。わたしの魔法はこういうことをするためにある。
「どう、満足した? したなら、どうしてこんなところにいるのかお姉さんに聞かせてほしいな」
ウインクで決める。
女の子は拳を握りしめて、尊敬する眼でわたしを見ていた。
乗りたいというので、箒にまたがってお家探しをすることになった。
五分ほど飛行し、覚えがあるらしい一帯で低空飛行に移った。戸建てや集合住宅の立ち並ぶ郊外で、市中心部よりも夜はなお暗い。いつの間にか空には雲が満ちていて、お月さまは顔を隠していた。
股の間に乗せた女の子はしきりに匂いを嗅ぐような仕草をしていた。動物みたいに家を嗅ぎ分けようとしてる……まさかね。
まずはわたしから自己紹介して、次に名前を聞いた。
女の子は「ありす」です、と名乗った。ありす、アリス、え?
「アリス? へ? もしかしてアリス?」
女の子――アリスちゃんは首を傾げた。
「亜里朱は亜里朱ですよ?」
「本の中に住んでたアリス? わたしの運命の人のアリス?」
「住まいは本ではなく6LDKの戸建てなのです。誰と勘違いしてるのですか?」
「あ、そうだよね、あはは。ってか家でか、外国のお偉いさんとか?」
アリスちゃんはぶんぶんと首を振った。
「外国人さんでもないのです。カタカナじゃなくて、漢字の亜里朱なのです。大東亜共栄圏の亜に――」
「なんか思想強くない?」
わたしの意見は無視して書き方を教えてくれる。
なるほど早とちり。この子も魔法使い、なわけないよね、力に目覚めるのはもう少し大人になってからだし、そもそもたまたま遭遇するほど絶対数は多くない。
そんなアリス改め亜里朱ちゃんは、不思議なものを探していたら迷子になったらしい。
というのも、そもそもがご両親との喧嘩だったようで。
「おかしな夢を見るのはお子様だけだから、早く卒業しなさいってパパに言われたのです」
「……うふっ、流れ弾食らった気分」
穴が空いたんじゃないかと思って、片手で胸を抑えた。よかったまだ生きてる。
そうして汗なんて拭う仕草までしたわたしなんかにお構いなく、亜里朱ちゃんは声を弾ませた。
「だけど不思議は見つかったので亜里朱の勝ちなのです! パパにマウント取るために色々教えてほしいです。お姉さんはどこから来たのですか? どこに行くのです? なにをしてる人なのです?」
顔を上げて、亜里朱ちゃんは上目遣いで見てくる。マウントって。
「亜里朱ちゃんと同じかな。でもわたしは不思議なものをみんなに渡す側。特に、困ってる人を魔法で助けてあげるんだ」
微笑むと亜里朱ちゃんは言った。
「困っている人がいると嬉しい人なのですね!」
「う、なんか気になる言い方。そうじゃありません、困ってる人を助けるのが嬉しいのです」
子供って遠慮しない生き物だなあ。人の不幸を探してるみたいに言わないでほしい。へこむから。
確かに、そう見られても仕方ないのかもしれないけどさ。
たぶん違う、たぶん。具体的な反論はムズいけど。
「事情はわかったけど、もうこんな時間に出歩かないようにね。魔法が見たかったらお姉さんが相手してあげるから、危ないことはしちゃだめ」
「はいです! 次からは――やっぱり変な臭いがしませんですか?」
亜里朱ちゃんはクンクンとワンちゃんみたいに鼻を伸ばした。
「やっぱりって? ふむふむ」
わたしも真似して、特になにも感じないけど、と言おうとすると、亜里朱ちゃんは右側を指さした。
空が赤く光っていた。
目を凝らすとミミズのように立ち上る煙が見えた。雲を照らす輝きは、徐々に拡大しているようだった。消防車のサイレンが遠くに聞こえて、同時に低い爆発音が響いてきた。
あんなのいつの間に、さっきまでなんともなかったのに、火事、一軒家じゃない、マンション? アパート? とにかく行かなきゃ。
無視できない。
この子はどうする? 置き去りにはできない。でも家を探してる時間もない。逃げ遅れた人がいたら……なんのためにこんなことをしているのかわからなくなっちゃう。
「ごめん、お家探しは後回し。飛ばすからしっかり掴まってて」
亜里朱ちゃんを乗せたまま再び加速すると、胸の中から声が聞こえた。
「困っている人、見つけました」




