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04 ママだって女だもの

「ねえ、ほんとに大丈夫これ、右手の感覚無いんだけどほんとに大丈夫これ」

「大丈夫ですよ、ヴェネムリザの毒液はそこまで毒性の強いものではないですし、解毒薬も塗って、治癒魔術もかけましたから」

「そこまで強くないって言っても、実際に無いんですけど……右手の感覚」

「寝て起きれば明日には戻りますよ」


 エレナさんは俺の右手に包帯を巻きながら、淡々とした口調でそう言った。

 そんなエレナさんの様子に俺は恐る恐る尋ねる。


「あのー、エレナさん、怒ってる?」

「当たり前です」


 ですよね!

 半眼で睨んでくるエレナさんも可愛くてしばらく睨まれててもいいかなと思うが、こういう時は、


「誠に申し訳ございません!」


 謝罪一択である。

 俺の20と幾ばくかの人生で培った唯一の処世術だ。


「はあ、もう……仕方ないですね、許します」


 ふっ、チョロい。

 謝罪とは防御の一手ではない。相手にこれ以上は責めれないなと思わせる攻撃の一手なのだ。


「でも、もう薬品を勝手に触ってはだめですよ?心臓止まるかと思ったんですから」


 そう言い、最後に包帯を結んで、エレナさんが俺の手をそっと離す。

 その手つきは慣れたものだ。


「うまいですね包帯巻くの」

「そうですか?」

「はい、なんか手馴れてる感じしますよ」

「妹がよく怪我する子だったのでそのせいかもしれないですね」


 エレナさんの妹と言うと、エレナさんの魔生物収集を気持ち悪がってたって話してた子か。


「活発な子で、突然知らない人に飛び掛かったり、ご飯をがっついて喉に詰まらしたり、木登りをしては落ちたり、毎週どこかしらを怪我するような子でした」


 それは、活発で済ましていいのか……?随分とお転婆というか、エレナさんとはかけ離れた妹さんのようだ。


「……元気な妹さんですね」

「ええ、懲りない子でした」


 エレナさんが静かに小さく笑う。


「だから、手当の仕方は自然と覚えてしまって」

「へえ、どうりで。しかし、エレナさんの妹さんってなると絶対美人でしょうね。いつか会ってみたいです」

「そう……ですね……。合わせてあげれたらよかったんですけど。きっとルーカスさんになら懐いたでしょうし」


 俺の何気ない一言に不穏な返答をするエレナさん。


「妹さん、何かあったんですか?」

「私の妹は、四年前に亡くなってるんです。魔族の襲撃にあって」

「…………」


 過去形にするということはそういうことなんだろうと思っていたけれど、油断していたところに急に超弩級のヘビーボールが飛んできたな……。


「ふふ、ルーカスさんってほんとに顔に出ますよね。ティちゃんじゃなくてもルーカスさんの嘘なら見抜けると思いますよ」


 やってしまった、と冷汗を流す俺にエレナさんが笑う。 

 気恥ずかしくなってつい、自分の顔を触ってしまう俺。

 そんなに分かりやすいだろうか?


「いや……なんか、すいません」

「謝らないでください!私は大丈夫ですよ。吹っ切れたとは言えませんが、ルーカスさんのおかげで一区切りがつきそうなんです」


 俺のおかげ?

 なにかした覚えはないが……。


「それじゃあ、私は研究の続きがあるので、くれぐれも!安静にしててくださいね?」


 切り上げるようにそう言い残し、エレナさんは部屋を出て行った。


 *


 その日の晩、俺は尿意を催し目を覚ました。


 この時間はエレナさんも寝ていることが多いから、俺は音を立てないように慎重に起き上がる。木の床が軋まないよう、体重をゆっくり移動させながら部屋のドアノブに手を伸ばす。

 まだ完全には感覚が戻っていない”包帯の巻かれた”右手で。


 へにゃ。


「ん?」


 いつもと違うドアノブの感触に違和感を覚える。

 視線を下げれば、へにゃっと下に萎えているドアノブ。


「…………」


 寝起きの頭でゆっくりと状況を処理する。

 俺は試しに素手の左手でドアノブを触る。


 ピンッ。


 ドアノブが硬さを取り戻した。

 もう一度右手で触る。


 へにゃ。


 左手で触る。


 ピンッ。

 へにゃ。

 ピンッ。

 へにゃ。

 ピンッ。

 ………………。


 俺は図鑑の記憶がじわじわと蘇ってくるのを意識の隅に追いやり、何も見なかったことにして、左手でドアノブを捻り研究室へと入った。


 ふと、エレナさんに絶対に入らないでくださいと念を押された部屋のドアが半開きになって光が漏れていることに気が付く。


 入るなとは言われたが覗くなとは言われていないよな……?


 屁理屈だと理解しつつも俺は好奇心に負けてそっと中をのぞき込む。

 まず目に飛び込んできたのは、壁一面に並ぶ大小さまざまなガラスケース。その中には、これまたさまざまな生物がひしめき合っていた。

 ふわふわ浮いている綿毛っぽいやつ。尻尾が二股に分かれた猫ほどの大きさのトカゲ。植物なのか動物なのか分からない手の生えた一つ目のキノコ。

 詳しくないので断言はできないがおそらく全部魔生物だろう。

 図鑑で見覚えのあるやつもいる。


 ここまではいい。魔生物の研究者なのだから、この部屋で魔生物を管理しているんだろう。専門家じゃないと危ない魔生物もいるかもしれないから俺に入るなと念押ししたのも理解できる。それじゃあ、寝室のドアモドキはなんなんだという疑問が新たに出るが、それも一旦置いておく。


 問題はエレナさんの様子だった。


 エレナさんはこちらに気付いた様子はなく、奥の机の前に座っていた。

 机の上には資料っぽいものが散乱しており、羽ペンを見るにさっきまで何かを書き込んでいたようだ。

 しかし、現在のエレナさんはガラスケースの中から巨大なナメクジっぽい気持ちの悪い生物をすくい上げ、あろうことか頬ずりをしていた。


 ドン引きである。デカいナメクジってだけでも不気味なのに、それに頬ずりしているのだ。

 しかも、である。

 その表情は、いつもの穏やかなものとは打って変わってどこか色っぽい、恍惚という言葉がぴたりと当てはまる表情だった。


「はあ……はあ……」


 なんかはあはあ言ってるし……。

 これは見てはいけないものを見てしまったか……。


 だが、ここに来てようやく俺はある一つの事実にたどり着く。


 ……寝ぼけてるな、俺。


 だって普通にあり得ないもん。

 清楚なエレナさんがキモイナメクジに頬ずりしてあんな表情するはずないもん。

 うん、完全に寝ぼけてる。間違いない。

 ……寝よう。


 いつの間にか尿意が引っ込んでいた俺はそのままそっと寝室に戻った。


  *


「おはようございます!ルーカスさん!」

「おはようございますエレナさん……」

「?元気があまりないようですけどまだ右手の感覚は戻りませんか?」

「ああ、いえ、めちゃくちゃ元通りですよ」

「それはよかったです!でも、じゃあどうしてそんなに元気が無さそうなんですか?」


 元気がないのはあれから一睡もできなかったからだ。夜の間、俺の脳内からあの衝撃の光景が離れてくれなかった。


「……血が、まだ回復してないのかもしれないですねぇ」


 昨晩、キモイナメクジに頬ずりしてたのは何ですか?と言いたくなるのをグッと堪えて当たり障りのない返答をひねり出す。


「そうですか。流石に四日連続はやりすぎでしたかね?昨日の件もありますし、今日の採血はお休みにしましょうか」


 そう言いながらエレナさんがはいどうぞとテーブルに朝食を並べる。

 その表情はいつもと変わらない、穏やかな笑顔だ。昨日の晩の面影はない。やはり俺が寝ぼけてみた幻だったのだろうか。


 俺は料理に目を移す。

 本日のメニューは白身魚のムニエルだ。

 流石エレナさん、バターの香りが鼻腔をくすぐり、非常に食欲をそそる朝食だが……、付け合わせのキノコが気になる。

 俺の頭には今、昨日の晩見た植物とも動物ともつかない得体の知れないキノコがよぎっていた。

 このキノコは見た感じ”手”も”目”も付いていないが……。


「エレナさん……」

「はい」

「このキノコってなんのキノコですか?」

「なんのキノコって、普通のキノコですよ?」

「魔生物学者にとっての普通のキノコって魔生物のキノコじゃないですよね?」


 幼少期、魔獣を食べていたエレナさんのことだ。朝食にちょっとずつ魔生物を混ぜて慣れさせようとしている可能性すらある。

 やっぱりマッドサイエンティストじゃないか!


「どうしたんですかルーカスさん?普通のホワイトマッシュルームですよ?ホワイトマッシュルーム」

「はっ……!そうですよね。すいません」


 皿の上のキノコを改めてみる。

 どう見ても普通のホワイトマッシュルームだった。

 やっぱ睡眠不足って駄目だわ。


「ほんとにどうしたんですか?今日のルーカスさん変ですよ?いつもちょっと変ですけど、今日はさらに変です」

「あー……、いや、あの……昨日、見たんですよね。俺」


 だめだ、勝手に覗き込んだことを怒られるのは覚悟の上で気になることが多すぎる。

 俺はついに我慢できずにエレナさん本人に昨日の事を聞いてみることにした。


「見たって何をです?」

「昨日の夜、トイレ行こうとしたらエレナさんが入るなって言ってた部屋の灯が漏れてるのが見えて」

「え!?」


 エレナさんがほぐして口に運ぼうとしていた白身魚がポロっと下に落ちる。

 皿の上でバターソースが跳ねた。


「それに、あれは何ですか?」


 そうだ。気になるのはエレナさんが変態的な表情を浮かべていたことだけじゃない。俺の寝室のドアがドアモドキだったことも気になる。試しにもう一度今朝、包帯の巻いている方の右手でドアノブを触ったら変わらずへにゃっとなった。

 なんでダンジョン内にしか生息してない奴が寝室のドアになってるんだよ。


「あ、あれとは何ですか?」


 珍しく動揺するエレナさんに俺の疑惑は更に深まる。


「惚けないでください!俺、書いてるの見たんですよ!」


 そう、図鑑には確かにドアモドキの見分け方は手袋で触ってドアノブがへにゃってなるかどうかだって書いてあった。要は魔力を吸えなければへにゃってなるわけだから包帯でも同じだろう。

 あれは間違いなくドアモドキだ。


「……そうですか、書いているところを見られていましたか……。流石勇者ですね。後ろにいるのなんて全然気が付きませんでした」


 惚けるのは諦めたのだろう、エレナさんは観念したかのような声音だ。


「いろいろと、教えてくれますね?」

「……仕方ありません」

 

「――そうです。私はルーカスさんの血で魔族を毒殺できるだけの猛毒を作製しようとしています」

「――あのナメクジに頬ずりしてたのと寝室のドアモドキはなんなんですか!?………………は?」


 今なんて?


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