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03 ママ―!!!

 ヤバい。


 俺は正直今回の依頼を舐めていた。やることと言えば簡単な身体検査と採血。血を採られる経験をしたことはないが、血を流す経験は数えきれない程してきたから楽勝だろうと。


 しかし、それが罠だった。

 まさか、こんなトラップが仕掛けられていたなんて……!


「はい、あーん」

「あーん」


 ひな鳥のように口を開けていれば自動的に口の中へと入ってゆくバゲット。

 ここに来て今日で四日目。

 俺は完全にダメ人間と化していた!

 お前はもともとダメ人間だろうが!とツッコんでくる奴がいないとここまで加速度的にダメ人間化が進行するとは……。


 エレナさんは何と言うか、俺の事をすごい丁重に扱ってくれるのだ。

 研究対象への配慮なのか、はたまた、生まれつきの世話焼きか。

 事あるごとに気分は悪くないか聞いてくれるし、手料理も作ってくれる。

 人によっては子供扱いされていると憤るかもしれないが、俺は甘えられるならとことん甘える人間だ!


 あまりにも過保護なものだから二日目の採血の後に大袈裟に気分が悪い振りをしてみたらあーんまでしてくれるようになった。

 そして、今ではそれが常習化。

 四日目ともなれば、もはや朝起きたら顔を洗うが如く当たり前に口に物が入ってくる。エレナさんがバゲットを刺したフォークを俺の口元へと持っていく動作にも一切の淀みがない。


 ここに来て俺がやったことと言えば諸々の検査と採血のみ。あとは、毎日昼過ぎまで惰眠を貪り、用意される食事をあーんしてもらい、暇になれば美人の顔を観察する。

 端的に言って、ティ姉の工房に居た時より居心地がいいニート生活だ。

 ここに連れてこられた初めの頃はティ姉に殺意を覚えたものだが、今なら心の底から言える気がする。

 ティ姉、ありがとう!


「美味しいですか?」

「うん!もちろんだよ!ママー!」

「ふふ、ママじゃないですよー」


 エレナさんの料理はお世辞抜きに美味い。巨乳で美人ときたら、調整のため相場はメシマズと決まっているのだが、エレナさんには当てはまらないみたいだ。

 作る料理は基本的に豚のレバー、貝類、魚が中心。採血で失われる鉄分を補うための献立。

 しかし、食材は同じはずなのにこの三日同じ料理が食卓に出た事は一度もない。毎回微妙に調理法が変わっており、昨日はキノコとレバーのソテーだったが、今日はバゲットの上にペースト状のレバーが乗った小洒落た料理だ。これだけでエレナさんの料理上手具合が窺い知れる。


「じゃあ、食事も済んだので本日の採血と行きましょうか」

「あ、はい」


 まあ、本当に贅沢を言って、エレナさんの欠点と言うか、不満点を挙げるのであれば血を抜くことに容赦がないところだろうか。身体能力の測定や魔力の検査とやらは一日目に測定した一度きりだったが、採血だけはレンタル期間である一週間で採れるだけ採ろうとそれなりに難度の高いはずの治癒魔術をもフル回転させて採ってきている。「サンプルは多い方がいいですからね」だそうだ。


 明らかに健康に悪そうなのだが、昨日、「これって後遺症とかないですよね?」と聞いたら「はい、大丈夫ですよ。多分」ってにっこりとした笑顔で言われて、それ以上ツッコめなかった。

 くっ!俺は弱い!


 ちなみに、一日目にした身体能力の測定や魔力の検査の結果だが、エレナさん曰く平均よりは高いが総じて一般的な範囲らしい。身体能力も一般的、魔力量も一般的。強いて言えば路の廻り(身体の中を魔力が巡る滑らかさのこと)が異常に良いそうだ。

 まあ、これについては今更検査するまでもなく自覚がある。旅の途中仲間たちにも散々指摘されていたし、なんなら意図的に鍛えてもいた。

 ……俺は空気を介して魔力を操作する感覚が一切掴めないから魔術使えないけど。……さらに言えば、そもそも、魔術の発動に路の廻りってあんまり関係ないけど。


 ただ、路の廻りがいいと治癒魔術の効きがいいのでエレナさんは喜んでいた。治癒魔術の効きの良さにテンションが高くなるエレナさんが見れただけでも儲けものであろう。


 そういうわけで、本日も余計な事は言わず、俺はエレナさんと共に地下へ移動する。

 エレナさんの研究室は地上は普通の民家で、地下に三部屋存在する構造だ。地下の三部屋は一部屋が俺の寝室として使われている部屋で、一部屋が採血やら検査やらに使われる研究室。そして、もう一部屋はエレナさんに入らないで下さいと念押しされた部屋だ。


 女性にも性欲はある。きっとえっちな本とか隠しているんだろうと紳士な俺は深く聞くことはしなかった。


 ちなみに、地上にも寝室はあるが、研究に没頭すると地下にこもりきりになりがちなので地下にもベッドを用意したらしい。寝室が一つだけならエレナさんと添い寝できたかもしれないのに、非常に残念である。


 階段を下りた後、俺は採血用の魔導具の前に座る。

 血が溜まる容器と一体化したそれにはティ姉の刻印があるため、ティ姉製であろうことが伺える。

 研究室内にはこの採血用の魔導具以外にも、見慣れない形の魔導具がたくさん置いてあるのだが、そのいずれにもティ姉の刻印がされている。どうやら、エレナさんはティ姉の友達であると同時にお得意様でもあるらしい。


「はーい、じゃあ刺しますねー」


 と言いながらエレナさんが俺の腕を取って、肘の静脈へと針を刺す。


「うっ!」

「いつも言ってますけど怖いなら目を瞑っててもいいんですよ?なんでしたら、目隠し用意しましょうか?」

「は、はあ?こ、こわくねーし」


 と、ついつい思春期のガキみたいに強がってしまったが、普通に怖い。

 俺は採血のために使用する針を昔、病院で見た注射器の針で想像していたのだが、実際はめちゃくちゃ太い針で採血は行われるのだ。

 それに、自分の血がチューブを通ってゆく様は何故か不安になる。

 それでも目を瞑らないのはつまらない男の意地である。


「ママってティ姉とはどこで知り合ったんですか?」


 なにか気を紛らわせたくて俺はエレナさんに話を振る。


「ふふ、私はママじゃないですけど……そうですね、私はもともと王都の方の研究室に所属していたんですよ。そこで、同じく王都の工房で働いていたティちゃんと出会ったんです」

「どうして研究者と魔導具技師が?」

「研究者と魔導具技師って意外と接点多いんですよ?この採血器もそうですけど研究で使うからこんな魔導具を作ってくれって技師の方たちにお願いするので。まあ、私とティちゃんの出会いはちょっと特殊でしたけど」

「特殊?」


 少し遠くを見るような目をして、エレナさんは続ける。


「人魔戦争中でしたからね。ティちゃんのところの工房では汎用性の高い実用的な魔器を作ってたんですよ。でも、ティちゃんはほら、汎用性の高い魔器よりも尖った魔導具の方が好きでしょ?それで、自分の作った趣味全開の魔導具を隠れて試用しているティちゃんに私が鉢合わせちゃったのが私たちの出会いですね」


 なるほど、ティ姉らしいと言えばティ姉らしい。

 これは勝手な憶測だが、その魔導具を作るのに絶対工房の素材ちょろまかしてると思う。


「それからは事あるごとにティちゃんが作った魔導具を使わせてくれるようになったんですよ」

「へえ」


 自分の成果品を共有したかったのか、はたまた、ただ自慢したかっただけか。ティ姉にも可愛いところがあるじゃないか。


「魔力が一時的に増えるけど、魔力酔いを起こす魔導具とか、人の心が読めるようになるけど、数日喋れなくなる魔導具とか」


 と、思ったが前言撤回……俺もやられたことあるから分かるけど、それ、ただ使用者にデメリットがあるやつの実験台にされてるだけですよ!自分で使うと弊害が出るから、その弊害を押し付けてるだけですよあの人!

 でも、エレナさんは懐かしそうに目を細めているし、本人にとっていい思い出なら……まあ、いいか。

 俺は野暮な指摘はしないようお口にチャックをする。


「ルーカスさんからもティちゃんの話、聞かせてくださいよ。ティちゃん全然自分の話とかしないから。幼少期とかってどんな感じだったんですか?」


 ティ姉の幼少期か。


「うーん、傍若無人?こうリスクとか周りの迷惑とか考えない上、それに付き合わされるのが俺だから、俺まで怒られるはめになる感じでしたね。あと、野生の勘というか、女の勘というか、何故かティ姉に俺の嘘が通用しなかったっすね」


 俺はこれまで生きてきてティ姉に嘘が成功したためしがない。

 一度たりとも、である。

 これで、俺の方もティ姉の嘘を見抜ければまだフェアだと納得できるものだが、残念ながら俺がティ姉の嘘を見抜けたのは勝手におやつを食べられ、その犯人であるティ姉を糾弾した時の一回こっきりだ。それですら、ティ姉にとってはほぼほぼ隠す気のない犯行だったので、実質ゼロかもしれない。

 全くもって理不尽である。


「ああそれと、小さい頃から魔導具は好きだったなぁ。勝手に灯石分解して大変なことになったこともありましたし」


 灯石は街道の脇に等間隔で設置してある四角い魔獣除けの石である。生活の中で最も身近な魔導具と言っても過言ではない。

 それを分解したのだから言わずもがな。

 あの時の村の騒ぎはよく記憶に残っている。

 村に常駐している騎士がいなければどうなっていたことか。


「ふふっ、ティちゃんらしいですね」

 

 全然笑い事じゃなかったんだが。


「そういうママの幼少期は?」


 もう、ティ姉の話はいいだろう。ティ姉との幼少期の思い出なんてイコール俺の苦い思い出なのだ。

 それより俺はエレナさんの幼少期の方が興味がある。こんな穏やかで丁寧な人物なのだから、きっと蝶よ花よと育てられたのだろう。

 そうに違いない。


「ママじゃないですよ?……私は、そうですねー魔生物を収集してる子でしたね。骨とか死骸もよく集めていたのでよくお母さんに怒られて、妹には気持ち悪がられてました」


 ティ姉のことを話していた時とは違った、もう手の届かない場所を見ているような表情で懐かしむエレナさん。


「でも、流石に、魔獣を食べて右ひざが結晶化した時は焦りました。あ、もちろん今は完治してますよ?」

「は?魔獣を!?」


 想像と全く違う幼少期に驚く。

 魔獣を食べることは出来ないというのは子供でも知っている常識だ。魔力を帯びた肉は人体に適合せず、最悪の場合細胞ごと変質する。それを食べるとは……。

 なんかエレナさんがティ姉と仲いいのに納得がいった。

 類は友を呼ぶというか、なんと言うか。


「ママも大概だね……」

「あ、ママじゃないですよー」


 *


 採血後、エレナさんは俺から採った血液と何か別の液体を混ぜて観察し始めた。

 面倒見のいいエレナさんだが、そんなエレナさんも研究作業をしている時だけは構ってくれなくなる。

 いや、もともとそれが本業なのだから当たり前なのだが、どうしても寂しくはある。真剣な表情のエレナさんを観察すること以外やることなくて暇だし。


 最近気づいたことだが、エレナさんの右目の下にはほくろがあるのだ。下まつ毛と丁度重なるところで分かりづらいけれど。俺だけが知っているエレナさんのチャームポイントとして今後自慢していこうと思う。とりあえずこのレンタル期間が終わったらティ姉に自慢しよう。


 しかし、いくら眼福とは言え、流石に四日もエレナさんだけを観察するのは飽きたな。

 美人は三日で飽きるってそんな訳ねえだろって思ってたけど案外ほんとなのかもしれない。


 俺は面白い本はないかと思い立ち寝室の本棚の前まで移動する。

 本棚の中身は魔生物の学者と言うだけあって魔生物に関する蔵書が半分以上。その他は、魔族に関する本と薬に関するものが半々くらい。


 エレナさんは魔生物学者だが、薬学も嗜んだりするんだろうか。

 俺はその中でも異質な毒に関する専門書を手に取ってみた。


 最初の方のページを読んでみるとちょっと面白い。なんでも、代謝機能や魔力強度などが影響して種族間で有害無害が別れる毒があるらしい。人族には有毒だけど、エルフには無害みたいな。こういうのを「選択毒性」というみたいだ。

 中でも、魔族は種族的に毒耐性が高いと書かれている。

 まあ、魔族ってそもそもの肉体が頑丈だからなあと当時を思い出し俺は納得する。


 その後も読み進める。

 しかし、素人目線で面白いと思えたのは最初の数ページだけで、その先はどんどんと専門的な話になっていき、知らない単語が行の半分を占め始めたあたりで俺はそっと本を閉じた。


 毒についての本を棚に戻し、今度は比較的誰が読んでも面白そうな魔生物図鑑を手に取る。

 とりあえずパラパラとめくってみると解説とイラスト付きで魔生物が大量に載っているのが分かった。

 ぱっと見で暇つぶしに丁度良さそうなのでこれを持って、またエレナさんのいる研究室へと戻る。

 俺は椅子に座り、本を膝の上に置く。


 図鑑は変異の種類別にカテゴリー分けされていた。曰く、魔力過多型と融合型と自然発生型。

 魔力過多型は、魔力を取り込みすぎた結果変異したもの。人族や魔族がこれにあたる。

 融合型は、複数の生物が魔力を媒体として融合した結果生まれたもの。所謂キメラってやつ。ラミアやアラクネなんかは典型的な融合型らしい。

 自然発生型は、生物由来でなく、魔力が一定空間に蓄積した結果、実体を得て自律的に動き出したもの。精霊とかがこれに当たるらしいが、精霊は生物には該当しない。魔生物なのに生物じゃないとはこれ如何に。


 その後もイラストのおかげで図鑑をスラスラと読み進める。

 ページ数的にもそんなになかったため二時間もかからず読み終わってしまった。


 うん、やっぱり読書っていいな、と一つ伸びをする。

 読んだの図鑑だけど。

 しかもイラスト付きの。

 でも、普段、本とか読まないので軽い全能感が全身を満たしていた。

 俺は今、世界で一番魔生物に詳しいかもしれない。

 ……いや、それは嘘。

 もう最初の方に読んだ奴とか覚えてねえわ。


 しっかし、読んでいて思ったが魔生物ってのはほんとに色々いるなー。

 中にはこんなの本当にいるんか?となる奇妙な魔生物もたくさんいた。

 なんだよドアモドキって。見た目は普通のドアだけど、ドアノブから魔力を微量に吸い取って生きるって、面白生物過ぎるだろ。

 ダンジョン内にのみ生息しているらしいけど、俺がダンジョンに潜ったときはこんなのいなかったぞ。

 いや、気づいていないだけでほんとはいたのか?

 手袋なんかで魔力を吸えないようにして触るとドアノブがへにゃっとするからそれで見分けるらしいが、俺は手袋とか普段しねえからな。


 しかし、図鑑を読み終わったせいで、またもや手持無沙汰になってしまった。

 エレナさんは俺が図鑑を呼んでいる間もずっと試験官と、専門知識のない俺では用途の分からない魔導具とを交互ににらめっこしていた。そして、今もしている。その横顔は真剣そのもので、普段のおっとりとした様子とは別人みたいだ。

 これがティ姉だったら容赦なくじゃま……声をかけに行くのだが、エレナさんは無視とかしないで真面目に応対しそうだもんな―。暇だからと声をかけるのはちょっと憚られる。

 それぐらいの良心ならあるのだこの俺にも。


 今度はなにしようかなーと俺は椅子を前後に揺らし、バランスを取りながら、何とはなしに隣の棚から瓶を一つ手に取る。

 瓶にはヴェネムリザと書かれたラベルが貼られており、中には透明の液体が入っていた。

 何の薬品だろう?ヴェネムリザってどっかで聞いた気がするのだが……。

 天井を見上げながら記憶の糸をたどる。


 ああ、そうそう、サソリっぽい見た目の魔獣の名前だったかな?

 たしか、その毒液を人が素手で触ろうものなら皮膚から神経毒が体内に侵入していく、みたいな説明文だったはず。

 俺ってば、意外と記憶力がいい……ってこれ毒じゃねえか!あぶねえ!

 やっぱり勝手に触るもんじゃねえな。というか、そんな危ないものこんな棚にポンと置かずにもっと厳重に保管してほしい。せめてラベルに危険とか書いといてくれ。

 と、慌てて棚に戻そうとしたのがいけなかった。


「あ、やべ」


 俺はバランスを崩して椅子ごと後ろに倒れ込む。

 パリンっ!

 乾いた音が研究室に響く。

 瓶が床に叩きつけられ、砕け散る。

 中の液体が飛び散り、受け身を取ろうとして伸ばした右手にべったりとかかった。

「あああああああああああ!!」

「ル、ルーカスさん!?」


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