18.帝国の議場、そして
重厚な大理石の柱が立ち並び、天井には金細工の装飾が煌めく。
帝国の要人たちが円形の議場に集い、低いざわめきが空気を震わせていた。
中央、高座に座るのは──帝国皇帝、ジークフリート・フォン・ヴェステンベルク。
その金の瞳は笑みをたたえ、まるで退屈を楽しむように、視線を鋭く走らせている。
「……では議題に入ろう」
皇帝が口を開いた瞬間、場の空気が張り詰め、誰もが息を潜めた。
宰相派の代表、老練な貴族たちが次々と口を開き、王国使節団と密かに交わした口約束の正当性を主張しようとする。
だが、ロデリック・フォン・ヴェステンベルクが前に出た。
その隣にダリル・エティエンヌ・ド・ヴァレールがまっすぐ並ぶ。
「──証拠なら、ここにある」
ロデリックの低く冷たい声が、議場に響き渡った。
エドガーが差し出したのは、宰相派の密使と王国の間で交わされた書簡。
密約、裏工作、そして刺客の雇用までを記した決定的な証拠だ。
「これは捏造だ!!」
宰相派の一人が声を張り上げた。
しかし、皇帝が片手を挙げると、場がぴたりと静まり返る。
「──面白いじゃないか」
ジークフリートが緩やかに笑った。
「全部、ここで聞かせてもらおう。王国側の言い分も、裏切り者たちの結末も、な」
王国使節団の前に、アンリ・ド・グレイユが進み出る。
その顔には、もはや余裕はなかった。
だが、最後の切り札を──振りかざした。
「──帝国の皆様」
アンリが高らかに声を張った。
「ダリル・エティエンヌ・ド・ヴァレールは、我が王国の正式な士官であり、未だ国家の所有物だ!」
その声が響いた瞬間、議場の空気がざわめき、圧力を帯びる。
「番契約など無効だ! 彼を引き渡さぬ限り、この場の条約は無効とみなす!!」
──そのときだった。
「……ダリル・エティエンヌ・ド・ヴァレールは、もはや駒ではない」
低く、凛と響く声が場を静めた。
アンリが口元を引きつらせ、睨む。
「それは帝国側の独断だろう?」
「いや──」
ゆっくりと、声を上げたのは帝国皇帝、ジークフリート・フォン・ヴェステンベルクだった。
「それは、帝国としての総意だ」
軽やかで、底知れぬ声。
だが、そこに逆らえる者は、誰一人いなかった。
「宰相は、自らの行いを正す機会を与えられていた。──ここで全てを失うつもりなら、それでもいいが?」
議場に重い沈黙が落ちる。
宰相派の貴族たちが互いに視線を交わし、徐々に顔色を変えていく。
アンリが、わずかに手を広げ、笑った。
「……我々は、講和のために来たのです。これ以上の場の混乱は、本意ではありません」
皇帝が緩やかに笑い、視線をダリルへ落とした。
「──少年、君は何を望む」
ダリルは小さく息を呑み、横にいるロデリックがじっと彼を見守っているのを感じた。
──今度こそ。
誰かに決められるのではなく、自分が選ぶ。
ダリルは、ゆっくりと顔を上げた。
「……王国には戻らない」
その声はかすれていた。
けれど、確かだった。
皇帝が薄く笑み、軽く顎を引いた。
「ならば、それで決まりだ」
静まり返る議場。
アンリが、唇を強く噛み、かすかに震えたまま立ち尽くした。
その時──ロデリックが、ダリルの肩にそっと手を置く。
視線が交わり、微かに笑みが通じ合った。
※
控室の重い扉が閉じられた。
調印式後、ダリルはゆっくりとソファに腰を下ろし、薄い羽織の襟元を指でそっとなぞった。
首筋に残る噛印が、まだかすかに熱を帯びている気がする。
その前に現れたのは、ロデリック・フォン・ヴェステンベルク。
淡く笑みを浮かべ、静かに告げる。
「……終わった」
「宰相派の処分は?」
ダリルが小さく問いかけると、ロデリックは一瞬だけ目を伏せ、すぐに応えた。
「一部は軟禁、一部は官位剥奪。それ以上は──皇帝の判断だ」
すると、奥の扉が音もなく開き、ジークフリート・フォン・ヴェステンベルクが軽やかに現れる。
「兄弟と示し合わせておいたのさ。とはいえ、君の意志がなければ、何も決まらなかった」
彼は視線を細め、ダリルを見下ろしながら柔らかく笑った。
ダリルは少し驚き、そして半ば呆れたように笑う。
「……最初から、分かってたんだな?」
ロデリックが短く肩をすくめ、低く応える。
「帝国の議場で、剣だけで勝てると思ったか?」
「弟らしいな……君たちの話は、もう邪魔しないさ」
ジークフリートが笑い、軽い足取りで部屋を後にする。
静寂が戻り、ロデリックがそっとダリルの肩に手を置く。
「番契約は、政治では決められない。……それだけは、俺が保証する」
ダリルは短く息を吐き、目を伏せ、そして少しだけ笑った。
「……なら、信じるしかないな」
その言葉にロデリックは小さく頷き、次の瞬間、ダリルの肩がそっと引き寄せられた。
「お、おい……っ」
不意を突かれたダリルが、頬を赤くし小さく身をよじる。
だがロデリックは離さない。
強い腕に抱かれたまま、ダリルの耳元に静かに声が落ちた。
「……お前がどんな選択をしても、俺はそれを支えよう」
震える息が、耳にかかる。
ダリルの心臓が、跳ねた。
「……っ、ずるいんだよ……そういうの……」
顔を背けても、赤く染まった耳が隠しきれない。
ロデリックの指がそっと頬に触れ、わずかに笑みを浮かべる。
「選んだのは、お前だ」
その言葉に、ダリルは目を閉じ、そっと額をロデリックの肩に預けた。
ロデリックの腕が、静かに背中を支える。
ただそれだけで、胸の奥が苦しくなるほど、甘い痛みが広がっていった。
「……ほんと、ずるいんだよ……」
ダリルは小さく笑い、ぐっとロデリックの胸に額を押しつける。
ロデリックは何も言わず、そっと髪を撫でた。
――この先の道は、まだ白紙だ。
けれどその腕の中で、確かに未来の形が始まろうとしていた。
ダリル=古いフランス語で最愛の人
かわいい名前ですね!
ここまでお読みいただきありがとうございました!
明日は番外編です。




