16.鎖のない夜
部屋の外では、低い声で交わされる宰相派の名や、皇帝の親衛隊の動きがかすかに響いてくる。
扉の外ではエドガー・レオンハルトが控えており、彼は既に刺客たちの背後を洗い、宰相派と王国の間に不穏な繋がりがある証拠を探し始めていた。
皇帝陛下──ジークフリート・フォン・ヴェステンベルクは、混乱後の場を軽やかに収め、今はあえて静観する立場を取っている。
すべてが嵐の前の静けさだ。
暖炉の火はまだ弱々しく、薄明かりが壁に淡い影を揺らしていた。
ダリルはソファに横たわり、傷の手当てを終えた身体を薄い毛布に包まれていた。
瞼は重く、呼吸は浅い──それでも、確かに生きている。
彼の指先がそっと髪を撫でた。
失わなかった事へ安堵と。もう自分だけのものだという、胸の奥に、静かな執着がじわりと滲み、締めつけるように疼く。
しかし、その甘い感情の背後には、怒りもまたあった。
彼を傷つけられた、その事実が、静かだが深く胸の底に煽っていた。
だが、ロデリックの胸中には一つの問いが渦巻いていた。
帝国の剣であるはずの自分が、ただ一人のために、国家と向き合おうとしている。
番だから──いや、それだけではない。
誇りを背負い、抗う姿を見てしまった。それを見過ごせるはずがなかった。
銀鎖は外され、脇に置かれたまま。
それはもはや拘束ではなく、ただ彼らが乗り越えてきた印のように見えた。
ロデリックはそっとダリルの指先に触れる。
冷たかったその手は、少しずつ体温を取り戻しつつある。
彼はその手をそっと持ち上げ、迷いのない動作で、手の甲に唇を落とした。
一瞬、その瞬間──。
ダリルの瞼がかすかに震え、細く隙間を作るように、微かに目を開けた。
ぼんやりと滲む視界の中で、ただ一つ、ロデリックの微笑と熱が、鮮やかに焼き付いた。
彼の視線がわずかに動き、気づいたようにその目を見つめ返す。
「……もう少し、休め」
低くささやく声に、ダリルの指先がわずかに力を込め、そしてまた静かに瞼が閉じられる。
「──閣下」
扉の向こうから、エドガーの声が響く。
「調査報告です。宰相派の密使が、王国の使節団と密かに接触していた記録がありました」
その言葉に、ロデリックの目が鋭さを取り戻した。
やはり……嵐は、これで終わりではない。
むしろ、これからが本番だ。
扉を開けると、エドガーが短く言った。
「……お戻りを」
ロデリックは振り返らずに答える。
「――行くべき場所がある」
その握り締めた手には、静かだが深い怒りが込められていた。




