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14.剣戟の正殿


 講和条約の調印式の会場、帝国の正殿はかつてないほどに厳粛な空気に包まれていた。

 天蓋の下で黄金の紋章が陽光を受けて眩く輝き、重厚な石柱と磨き上げられた大理石の床は凛とした静けさを湛えている。

 ロデリック・フォン・ヴェステンベルクは、黒と深紅の礼装軍服に身を包み、その横に静かに立つ人物を見遣った。

 ──ダリル。

 銀鎖を繋がれたまま、淡いグレイブルーの礼装に身を包み、誇り高く背筋を伸ばして立っている。誰の視線にもひるまず、堂々と前を見据えていた。

 帝国貴族、各国の使者、軍人たちの視線が交錯する中、王国使節団を率いる銀髪の男──アンリ・ド・グレイユと目が合う。

 ──まだ戻れる。

 その言葉を無言で訴えるかのような視線。

 しかしダリルはそれを無視し、揺らぐことなく正面を見続けた。

 調印の準備が始まり、式典の進行役が式を促す。

 その時だった。

 ロデリックの視界の端、二階回廊の暗がりに影が蠢いた。

 次の瞬間、ドンッ──!!

 耳を劈く爆音が響き渡り、床の一角が白煙に包まれる。

「何事だ!?」

 悲鳴が上がり、貴族や外交官たちが混乱する中、煙の中から黒装束の刺客が次々と現れた。その数はざっと十名ほど。

「敵襲──!!」

 警備兵が慌てて剣を抜き、警戒態勢を取る。刺客たちは素早く散開し、そのうち複数名が一直線にロデリックに向かって突進してきた。

 鋭い刃がロデリックの胸元を狙い、風を切った。

「ロデリック──ッ!」

 咄嗟に叫んだのはダリルだった。

 銀鎖が激しく鳴り響き、引きちぎれそうな勢いで揺れ、グレイブルーの礼装の裾がひるがえった。彼は躊躇なく剣を抜き、全身を盾にしてロデリックの前に飛び出した。

 刃が交錯し、火花が散る。

 刺客の刃が弾かれ、その反動でダリルの胸から肩にかけて痛みが走り、鮮やかな赤が礼服に滲む。

「くっ──」

 痛みに顔をしかめた瞬間、砕けた小瓶から白煙が舞い上がり、ダリルの呼吸を奪った。

 薬剤が肺に流れ込み、身体が異様な熱を帯びる。

 胸が激しく脈打ち、腹の奥が捻じれるような衝動に飲み込まれる。

「──ダリル?」

 ロデリックが腕を伸ばして支えようとしたが、ダリルは膝をついたまま動けなくなった。

 甘い香りが周囲に広がり、状況を悟った刺客の一人が叫ぶ。

「──あのΩを連れ出せ!!」

 明確な目的を持った刺客が二人、ダリルへと迫った。

「ふざけるな……!」

 ロデリックの声が怒りと焦りを孕み震えた。その瞳には冷たく燃える金色の光が宿っている。

「お前たちの目的がその命なら、俺を倒してから行け!」

 燃えるような咆哮を上げ、ロデリックは剣を抜いた。

 鋭利な金属音が響き渡り、飛びかかる刺客たちを次々と迎え撃つ。動きは冷静かつ精密で、躊躇いが一切ない。

「指一本触れさせるな!」

 その声を受け、帝国の兵士たちがようやく体勢を整え、刺客との間に防衛線を張り巡らせた。

 床に膝をついたダリルは、その壮絶な戦闘を霞んだ意識の中で見つめていた。

 左肩の傷からは血が滲み力が抜けていき──銀鎖が床に落ちる音が響いた。

(ロデリック……俺は……)

 口元がわずかに動いたが、その言葉は戦場の喧騒に紛れて消えた。

 広間は剣戟と怒号、そして噴き出す煙に満ちていた。

 帝国の正殿は、一瞬にして戦場へと姿を変えていた。

 混乱、煙と悲鳴、剣戟の音が交錯する中、黒装束の刺客たちが次々と帝国兵を押しのけ、ロデリックの元へ迫る。

「──来るな!」

 ロデリックの声が低く唸り、剣が唸りを上げて振り抜かれた。

 一閃。

 刺客の刃を受ける前に、彼らの動きが寸断された。

 疾風のような速度で、間合いを詰める。

 一撃、また一撃──重みのある剣技が次々と突き立ち、刺客たちの隊列はあっという間に崩れた。

「馬鹿な……! これが、人間の力か……」

 刺客の一人が呻く暇もなく、ロデリックは敵を弾き飛ばし、無傷のまま全員を沈めた。

 ──会場が静まり返った。

 その時。

 ──カツン。

 大理石の床を踏みしめる、ただ一歩の音。

 場にいた誰もが、自然とその音に振り向いた。

 騒ぎの中央へと、ゆっくりと現れたのは──帝国皇帝、ジークフリート・フォン・ヴェステンベルク。

 淡い金髪を無造作に撫でつけ、軽やかに揺れる真紅の外套。

 着崩し気味の礼服には一切の威圧感がない。

 けれど、その金の瞳がわずかに見開かれた瞬間、場の空気が一つ震えた。

 金の瞳。

 それはロデリックと同じ色。

 けれど、そこに宿る光は、まったく違う底知れなさを孕んでいた。

 微笑んでいる。

 けれど、底が見えない。

「ずいぶん賑やかにしてくれたね、調印式だというのに」

 涼やかな声だった。

 次の瞬間、彼の背後に控えていた帝国親衛隊が一斉に動く。

 秩序を乱す者たちが即座に取り押さえられていく。

 混乱は、まるで絹を裂いたように、静かに、しかし鮮やかに制圧された。

「弟よ、君が無事で何よりだ」

 ジークフリートの金の瞳が、ふっと柔らかく細められた。

「……その子は……控え室に運んで、手当を急がせなさい」

 そして、すぐに静かに礼を取った。

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