11.鎖の中の誓い
ロデリック・フォン・ヴェステンベルクの元に、宰相派からの密書が届いたのは夜の帷が降りた後だった。
届いた密書に差出人の名は記載されておらず、ただ、重々しい黒の封蝋と細密な筆跡は、それがただの愚民の落書きではないことを雄弁に物語っていた。
──敵国のΩを私邸に匿う行為は、帝国の法と忠義に反するものなり。
──民は不安に騒ぎ、兵は忠誠を試されている。
──速やかなる処置を以て、あなたの忠誠心を証明されよ。
ロデリックはその文面を一読するなり、無言で紙を火にくべた。
密書はぱちぱちと小さく燃え、跡形もなく灰となる。
その姿を背後で見ていたエドガー・レオンハルトは軽く眉を寄せた。
「……今後、表立った動きがあるやもしれません」
「構わん」
「しかし、閣下。宮廷内ではすでにダリル様の引き渡しを要求する動きが──」
「構わんと言った」
短く、重い声だった。
だが、ロデリックの内心に、波がないわけではなかった。
誰よりも忠義を重んじ、帝国の剣として生きてきた自分が──今、国家の求める正しさと、ただ一人の存在を天秤にかけられている。
あの夜の声が、ふと脳裏をよぎる。
『……誇りを捨てるな。それだけが、国を生かす』
その言葉は、自分に対しても同じく重くのしかかってくる。
──誇り。
その言葉を吐いたのは、他でもない自分だ。
帝国に対するものか。 それとも、銀鎖に繋がれたあの瞳に宿る誇りか。
彼に背を押すつもりだった。
自ら選んで立てと告げた。
なのに──自分は、まだその手を伸ばすことすらためらっている。
護るという名の鎖を、己の手で絡めていないか。
番だと信じるのは、赦しになるのか。
縛りではないと言い切れるのか。
ロデリックは、掌の上に残る火のぬくもりを握り潰すようにして、静かに席を立った。
※
その日、廊下を通る使用人たちの動きが、どこかいつもと違っていた。
ダリルは窓辺で剣を磨いていた手を止め、耳を澄ませる。
ざわめき。
焦った足音、囁く声。
普段は沈黙に覆われている屋敷に、異質な気配が流れていた。
(……何だ?)
窓の外を見れば正門の先には、見慣れない馬車が一台、止まっているのが見える。
銀鎖が、ぎり、と軋んだ。
胸の奥で、かすかに不安が揺らいだ。
部屋の扉をノックする音が響いたのは、朝食を終えたすぐ後だった。
「……エドガー・レオンハルトです。少しだけお時間を」
「開いてる」
扉が静かに開き、エドガーが慎重な足取りで入ってくる。
いつもと変わらぬ態度だったが、その眉間にはわずかな緊張が刻まれていた。
「──本日、館内は少々騒がしくなる可能性があります。……閣下より、ダリル様は当面、部屋から出ないようにとのご指示です」
「……理由は?」
ダリルの声は静かだった。
だが、目は鋭い。
エドガーは一拍の間を置いて、言葉を選ぶように答えた。
「……宰相派より、少し過激な意見が上がっておりまして。閣下も今朝から対応に追われておいでです」
過激な意見──それが、何を意味するかは語らない。
ダリルは息を吐いた。
それ以上は聞かず、ただ「わかった」と短く返す。
「……ご不便をおかけします」
エドガーは丁寧に一礼し、部屋を後にした。
扉が閉まる音。
すぐその後、廊下の向こうから不意に声が聞こえてきた。
「……処分って、本気で言ってるのか?」
「さあな。でも、深夜に届いた文書に書かれてたって話だ。あの方──獅子殿下の番になるかもしれないって……」
「しっ、聞こえるって!」
声はすぐに遠ざかっていく。
部屋の中は静かだった。
だが、ダリルの中には、静かではいられないものが渦巻いていた。
──処分。
それは命を奪うことだけではない。
意志を奪い、誇りを殺し、誰かの物として扱われるということだ。
生きながらにして、心を殺されるということだ。
銀鎖が、膝の上で軋んだ。
歯を食いしばる。
ロデリックが何を言おうと、何をしてくれようと──その全てを信じて委ねるほど、もう自分は無垢じゃない。
結局、逃げ場なんて最初からなかった。
ならば、どう生きるか。
どう戦うか──。
誰に背を向け、誰に立ち向かうか。
誰の番になるか──ではなく、この誇りを誰の前で貫くのか、誰にも汚させないのか──。
ダリルは立ち上がると窓辺に歩み寄り、鉄格子の向こうにある空を見上げる。
高い帝都の空は、どこまでも冷たく、どこまでも遠い。
それでも──その空に、目を逸らさずに立っている自分がいた。




