〈第27話〉崩れる前提
風は吹いていない。
それでも、影に沈む黒い身体だけが、ゆらりと揺れてた。
その瞬間、森の奥で何かが軋んだ。
さっきまで静まり返っていた灰の大地。
足元に残されていた残骸の一部が、まるで見えない糸に引かれるように震え始める。
「(『くっ…!?また来やがったぞ…?!』)」
アベルの声が響き、一瞬だけそっちへ視線を向ける。
ここから離れた場所に蠢く影。
あの異常な巨体は消え、立ち上がった藍霊はこれまでと同じ大きさに戻っていた。
倒れていたはずの藍色の幽霊たちが、再びゆっくりと立ち上がる。
「(『うーん……ちょっと、手が離せなさそうだから、そっちはお願いするよ!』)」
「(『分かってる!そっちが真打相手なら、こっちは前座の処理ってわけか……』)」
視線は目の前の黒い幽霊から一切逸らさない。
すると、すぐに返答が返ってきた。
言葉の向こうから、アベルが苦笑いしている気配が伝わる。
「(『ははっ、そう言わずに〜!ここまで来たら、二ツ目くらいには昇格してるんじゃない?』)」
軽口を交わす声とは裏腹に、周囲の空気は再び張り詰めていく。
再形成された藍霊たちは、こっちへ一瞥すら向けることなく、身体を引きずるように動き出した。
その進行方向にあるのは、僕ではなく森の奥。
アベルのいる方角。
巨大化した時の名残なのか、地面には未だに深く刻まれた亀裂が残っている。
その上を踏み越えながら、藍色の幽霊たちは一体、また一体と木々の影へ消えていった。
数秒後、遠く離れた場所から、大地を揺らすような衝撃音が響く。
木々が軋み、灰の積もった地面から細かな粒子が舞い上がる。
けれど、その音もすぐに遠ざかっていった。
「…………」
目の前にいる黒い幽霊は、微動だにしない。
こちらを観察するように佇む姿からは、さっきまで見せていた暴威とは違う、落ち着きがあった。
言葉も、視線も、必要最低限に抑えるような空気の読み合い。
次の瞬間、自分の持ちうる術印を発動する。
僕は瘴気を、相手は再び自身に似た造形の灰霊を生み出した。
取り囲むように地面から現れた灰色のそれは、骸骨面がなくなり、完全な空洞が顔に浮かぶ。
何も映さない穴が、こっちを向いていた。
「(……こっちにはまだ、灰霊を使ってくるの?)」
アベル側の幽霊は、おそらく瘴気に侵されず残っていた魂を使い、新たに形作ったもの。
けれど、ここら一帯の木々の魂を使ったからこそ、藍霊はあそこまで巨大な造形となった。
なら、目の前の灰霊は今まで蓄えてきた魂のストック。
「(本当……底が見えないんだから…)」
あれだけのもの見せた後で、まだ次の手を残している事実に言葉が漏れる。
そして、音もなく動き出した灰色の幽霊たちが向かってきた。
けれど、やることは藍霊の上でしたことと変わりはない。
「それじゃあ、押し通し申すよ!」
振り抜いた『破落』が、一直線に先頭の灰霊を捉えると、地面ごと乾いた音と共に砕け散った。
終わらない。
できた溝を瘴気は止まることなく前方へと駆け抜け、次々と灰霊を巻き込みながら突き進む。
自然物で形作られた身体は抵抗すら許されず、胸から、肩から、頭から崩壊し、灰となって宙へ弾けた。
左右から迫る個体もまとめて薙ぎ払い、砕けた残骸が雨のように降り注ぐ。
視界を埋めていた灰色の壁が、一息で切り裂かれていく。
こうして空いた一本道。
その先に立つ黒い幽霊だけを見据え、地面を蹴る。
破片を踏み越え、一気に間合いを潰す。
「………あれ?」
ふと、周辺の違和感を感じ、視線を横へと向けた。
それらの幽霊たちは、今までと明らかに状況が違っている。
外装はひび割れたまま静止。
それどころか、砕け散った自然物の外装が、まるで殻を脱ぐように剥がれ落ちる。
「……!」
その内側から現れたものを見た瞬間、背筋を走る感覚が、一気に全身へ広がった。
それは黒く、灰霊ではない。
そこに潜んでいたのは、別の幽霊だった。
「(違うっ…!灰霊じゃない!)」
見た限り、破落によるダメージは全くない。
それどころか重りを脱ぎ捨てたかのように、素早くこっちへ向かってくる。
慌てて踏み止まり、身体を反転させる。
けれどその時には、幽霊たちはもう目の前。
迎え撃とうと、瘴気を振り抜こうと構えた。
「っぃ……!」
しかし、視認するより前に地面から生え出た黒い触手のようなものに激しく打ち付けられ、抉れるように肉片が飛ぶ。
身体を覆う瘴気を侵食しながら、それはなお肉体へ届いてきた。
反射的に伸びてきたそれを素手で掴もうとしたが、まるで影を掴もうとしたように、するりと通り抜ける。
「っ……や、やってくれたね…」
指の先に練り上げた瘴気の爪で切り上げ、距離を取る。
切り離された断片は、瘴気によってボロボロと消失していく。
「外見だけ、灰霊に見せかけてくるなんてさ…!?」
無くなった部分に瘴気を当て、再生させながら周囲を黒霊たちに目を向ける。
読みを外し、あっちもその隙を逃さない。
完全な不意打ちを決められてしまった。
「(『黒』……)」
その色を認識した瞬間、周囲の空気が一段階重くなった気がした。
枯れ果てた木々を薙ぎ倒しながら迫り来る黒霊たち。
その身体から伸びる無数の黒い触手は、生き物の腕にも、植物の蔓にも見えない。
ただそこにあるだけの異物。
白紙へ乱暴に叩きつけられた絵の具のように、不規則で形を持たない黒が一斉に広がってくる。
「(……もう、物理は無理…!)」
何かに埋め込める形で作られていない、完全な魂のみで形どられた黒い幽霊たち。
そしてこれは、黒槍と同じようにただでは触れることのできない攻撃だった。
厄介なのは骸霊が操るまで魂が『視認不可』ということ。
無からいきなり目の前に現れ、その瞬間に初めてその気配と姿を拝むことができる。
「……ハハッ!そうそう、そうじゃないと…」
骸霊の術印の本質。
今まで相手にしていたものは、ただの準備段階だったのだと改めて実感させれた。
こっちも瘴気をムチ状に変化させ、向かってくる触手を絡め取りながら自分から後方へ逸らす。
けれど、触手は瘴気に触れた部分を切り捨て、すぐに再生した。
「やーっと……君の術印の本領発揮ってワケだね!?」
笑いながらも、視線は周囲を探る。
目の前に現れたのは、これら全てを操っている骸霊の長本人。
なら、狙う場所は決まっている。
やることは単純になった。
術印の出力をさらに引き上げ、身体へ纏わせる瘴気の量を増やす。
触れれば消える。
消される前に削る。
ここからは、真正面から長を引きずり出す戦いに…
「ちょっ!さっきから、逃げては刺しての繰り返しじゃん!」
思わずそう言葉が漏れる。
本体であろう黒霊は、再び僕から距離を取り始めた。
それを見てすぐに前進。
一定の間合いを保ち、こっちが攻め込む瞬間だけを狙っている。
迫り来る幽霊たちの攻撃を掻い潜り、目の前に黒霊を捉えた。
「君、禁忌に対してそんな慎重だったっけ!?」
靴裏から滲んだ瘴気が網のように広がる。
迫る黒霊を切り刻み、視界が一気に開けた。
その一直線。
何も遮るもののない先にいる『長』だけを見据え、繊維状に束ねた瘴気を横薙ぎに放つ。
「……!?」
瘴気は黒霊の身体をすり抜け、その背後に今度は確かに立つ枯れた木々だけを切り裂いた。
バキバキと木が倒れる音だけが遅れて響く。
その向こうで、黒霊は何事もなかったように佇んでいる。
何かに瘴気を纏わせたわけでもなく、こっちも純度100の攻撃のはずだった。
今度はしっかりと自分の目で見た。
この光景がより異質で、信じられないものに映る。
「ぐっ、ふぅ…!?」
音も気配もなく上空から迫ってきた触手に弾き飛ばされ、視界が何度もグルグルと入れ替わる。
枯れ果てた木々を突き抜けるたび、乾いた破砕音が響く。
灰の匂いが鼻を刺し、肺の奥まで入り込んできた。
「……っ、ふぅ…」
ようやく勢いが止まり、地面を削りながら転がった身体を無理やり起こす。
息を整えながら前を見るけど、そこにはもう姿はなかった。
完全に視界から消えたが、問題はそこじゃない。
頭の中に残り続けているのはあの瞬間。
確かに届いたはずなのに、禁忌の術印の瘴気が霊体をすり抜けたという事実
「(……なんで?)」
禁忌の術印の『瘴気』と、骸霊の術印の『幽霊』。
この2つの相性の良し悪しは、よく知っている。
この世界では、魂が瘴気に触れれば蒸発するように、跡形もなく消し去られるはずだった。
「(何、それ?こんなの、前提が……)」
それこそが、この物語の相性だったはず。
なのに、長は平然と瘴気の攻撃を透過させた。
指針がたった一度の攻防で揺らいでいる。
「(原作と……僕の知っていることと違う?)」
読者として知っていた情報と、そこから導き出した予測。
その全てに、今初めて疑問が生まれる。
可能性として浮かび上がることは、様々ある。
これが表していることはーー
「……っ!」
考えがまとまるよりも早く、背後から鋭い衝撃と共に身体が弾かれる。
枯れ果て、脆く崩れる木々を突き抜けるたびに視界は灰色に端から染まっていく。
「うおっ、大丈夫かっ…!?」
「いっつつ……」
腕を引かれて身体が急停止すると、周りの景色が固定される。
背中をさすりながら立ち上がると同時、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「な、なんでそんな灰だらけになって吹き飛んで…」
「(こ、こんなところまで…)」
どうやら、突き抜けた先にはアベルがいたみたいだった。
見た限り、アベルはすでに周囲にいる幽霊たちの制圧は完了させている。
全身が灰まみれになり、口へ入り込んだ灰に咳き込みながら、無理矢理空気と一緒に身体から吐き出す。
「ゲホッ…!ははぁ〜……」
さっきまでのアベルの位置とはかなりのものがあったはずだった。
それにも関わらず、一瞬にしてその距離を詰めてこうして合流するまで吹き飛ばされた。
骸霊の長の殺意の高さに、思わずこっちも声のトーンが高くなる。
「や、やっと長と対面したんだけどさー……ここまで、吹き飛ばされてきちゃった…?」
「なんだよそれ!?俺と違ってそっち、激動過ぎるだろ…!」
身体中についた灰を叩き落としながら言葉を伝えると、困惑と焦燥の混じった顔を向けられる。
アベルの変わらない様子を見て、笑みを向けた。
「……よし!ちょっと作戦会議するからついてきて!」
短く息を吐く。
考えはまだまとまっていない。
けれど、ここで立ち止まっている時間はない。
「んな、また急に!」
返事を待つより先に走り出す。
向かう先は、僕が吹き飛ばされた方向とは逆。
今の長に、同じ場所で考える時間を与えられない。
「遅れたら幽霊達に袋叩きに遭っちゃうよ〜!」
「な、なんで脅しが入るんだよ…!?」
アベルがすぐ横に並んでくる。
藍霊の腕を駆け上がっていた時に森の状況は確認済み。
藍霊を作るにあたって、木々は魂を抜かれ、その周辺にはもう魂も存在していないはず。
つまり、索敵の目は一時停止している状況。
「とりあえず聞いて!骸霊の長は、また術印の出力を上げた!こっからは、魂で作られた幽霊が来るだろうから、もう触れられない!」
「最悪な宣告をどうも…!もう、今までみたくはいかないってわけだなっ…!?」
こっちは魂を視認できるわけでもないため、残機の数までは把握できない。
加えて、今まで集めてきた魂のストックもこれからどんどん使ってくるはず。
「(まだ魂を抜かれていない場所から回収してくるなら……攻撃が再開されるまで、時間はほとんどないかな…)」
だからこそ、これからのことは手短に伝える必要がある。
「じゃあやっぱ、お前の烙印で作戦立て直して、ここから離れた場所から不意打ちでも……」
「あっ!しっ、しーっ!」
指を立て、口チャックの動作をアベルに見せる。
怪訝そうな顔が返ってきた。
確かに森全体を使った監視網は、ここら一帯では機能しないはず。
けれど、『魂自体』がこっちからどこに存在しているのか見えない以上、もう烙印について不用意に口にできない。
「(『状況が変わって、骸霊の長には烙印の存在はあまり知られちゃいけなくなったんだ!』)」
何より、今の骸霊の長は『僕の知る存在ではない可能性』がある。
この距離でも、『心蝕』を使っての会話に切り替える。
「(『それに、最初の退避と2回の不意打ちに使ったから、あっちも警戒がもう強くなってるはず!』)」
「(『あー、くそっ…!浮かんでた救いの手が…』)」
アベルの表情に一気に焦燥の色が滲む。
自分としても使い倒したいけど、そうもいかない。
原作通りの知識が通用しない相手になっている。
「(『骸霊に対しては、『魂を直接削れる術印』じゃないともつ意味がない!具体的には、禁忌の瘴気とか……』)」
「(『っ………なら、俺もそれで…)』」
言葉が途切れ、アベルが掌を首に巻かれた黒い包帯に置く。
脳裏をよぎったのは、瘴気によって全身がひび割れたあの時のアベルの姿だった。
そこにあるのは、扱い方を間違えれば敵より先に自分が壊れる力。
けれどアベルにとっては、今、この場で唯一届く可能性がある手段。
「(『……いや、できるだけやめた方がいいかな?』)」
その腕を取って、言葉を続ける。
目が揺れが、きっと本人としても予想していなかったわけじゃない。
「(『それ使う危険性は、自分で分かってるでしょ?』)」
「(『……!』)」
正直、禁忌の術印は使わせたくなかった。
実際に戦って分かったけど、現状のアベルにはリスクとリターンの釣り合いが取れていない。
そしてそれは、本人が一番理解している。
「(『ただ自分を削り続けるだけ。そして骸霊の脅威は、君だってもう十分体感しているはずだよ?』)」
「(『……それは…』)」
もし禁忌の術印のみで戦い続けるとなれば、確実にアベルの方が削り切られる。
加えて瘴気も、今のアベルには身体の傷を癒すどころか完全な毒になってしまう。
「(『今の相手しているのは、今日まで戦ってきた信仰者たちとかとはレベルが違う、骸霊の長で…』)」
何より、もしアベルが禁忌の術印を使おうものなら、長のヘイトはアベルへも向けられてしまう。
あっちの禁忌の術印に対する執着の強さは、よく知っているからこそ言い切れる。
「(『ああっ!そんなの俺が一番よく分かってんだよ!なら、どうすればいいんだよ、俺は!?』)」
「(『うーん…』)」
言葉にしてしまえば、それが一番の問題だった。
否定が難しい。
だからこそ返答に非常に困ってしまう。
「(『魂に干渉できる術印って……今使える術印思い返しても、禁忌くらいしかないんだぞ…?!』)」
「(『………そうなんだよねぇ…!』)」
現時点のアベルが使える、幽霊に対抗できるものは禁忌一つしか存在しない。
そのため、この状況ならアベルを烙印の中に退避させるのが最適解。
本人もそれを提案したら、渋々だろうけど受け入れはするはず。
それが一番安全で、一番正しい判断。
「(『……役立たずで、終わるなんてこと…』)」
でも、そんなの勿体無い。
それで終わらせるのは違う気がする。
いや、絶対に違う。
せっかく、ここまで来たんだから。
「(『……でもね?僕は別に君を低く見積もってるわけじゃ、決してないよ?君が必要だと思っているから、こうして話してるわけだし。』)」
目元に影が落ちたアベルにはそう言葉をかける。
ぐちゃぐちゃに、様々な葛藤が入り混じった顔。
その表情を見ながら、少しだけ笑う。
「(『だからー……あっ、そうだ!骸霊の術印は使える?!』)」
少し望み薄だけど、思いついた術印の名前を聞く。
自動的に触れた術印をストックしていくのなら、当然『骸霊の術印』もレパートリーに入っているはず。
今の状況では、これ以上ないほど欲しい能力。
「(『……っ…』)」
しかし、これを聞いたアベルの顔は、すぐに苦虫を噛んだようになった。
「(『……試そうとはしたけど、ダメだった…!お前の時みたく『ERROR』吐いて、使える段階にすら立てない…!』)」
噛み合わせの音が聞こえてきそうだった。
「(……なるほど?これは、まだね……)」
転生者らしく、異質さを詰め込んだアベルの術印。
けれど、扱えられる範囲は現段階の自分という器に入り切れるもののみ。
そこから溢れるほどの力を持つ術印は、弾かれてしまう。
特に、骸霊の術印は本来の展開でも、扱えるには時間が掛かっていたはずだった。
「(それなら、他の対抗手段は……)」
禁忌以外で何かないか、思考を巡らせる。
魂そのものへ届き、今の状況を覆せる何か。
「……?」
けれどその瞬間、視界の端をただ黒い輪郭だけを持った、奇妙な黒い何かが横切る。
反射的に足を止めると、隣を走っていたアベルも同時に動きを止めた。
「……なんだ、これ…?」
それは、黒い蝶とも蛾とも似つかない何か。
羽音すらなく、空に投影された映像のように漂う。 一羽、二羽、四羽、八羽。
最初の一羽を皮切りに、僕たちを取り囲むように何もないはずの空間から現れる。
「あっ、見つかっ……」
アベルの背後にいた一羽の羽が溶け、輪郭が伸びる。
黒い縄となって身体へと絡みついた。
「なっ……!?」
さらに地面から生えた触手によって、そのまま身体を空へ持ち上げられる。
すぐに向かおうとするが、地面から生えた別の触手に身体を弾かれて無理矢理に距離を空けられる。
「うおああぁあっ!?また俺かよっ…!!」
触手は邪魔者を払うように、縄を縛りつけたままのアベルを遥か遠方へと投げ飛ばした。
でも、きっとそれ以上のことはしないだろう。
あれも殺すための攻撃じゃない。
もし殺すつもりなら、今の一瞬でももっと簡単な方法があったはず。
「へぇ……わざわざアベルを離脱させるなんて、優しいじゃん?」
アベルをこの場から離したのも、僕との一騎打ちに持ち込むため。
空白の間。
地面からゆるりと静かに黒霊が現れ、視線が交差した。




