〈第25話〉目は満ちている
降り注ぐ灰霊の礫と砕けた大樹を縫うように、地を蹴る。
しかし、甲高い風切り音と共に、背後から等間隔に地面に何かが突き刺さることが続く。
一瞬チラリと後ろを向くと背の高い草の葉のように垂直に突き刺さる黒い槍。
攻撃は止むことなく、未だに続いていた。
「(長は……地中かな…)」
木々の中、土煙が視界を塞ごうと、巨木が射線を遮ろうと関係ない。
黒槍は獲物を見失うことなく、寸分違わず僕を追ってくる。
見えない糸で魂ごと縫い留められているような、不快な執着。
「いたっ!」
迷路のような巨木の間を幾度も切り返し、開けた地点へ飛び出す。
すると、ようやく灰霊の渦に呑まれかけているアベルを視界に捉えた。
「くっそっ……!」
無数の灰霊を相手に孤軍奮闘していたけど、その直後。
戦場を支配していたはずの『創律』の根。
それがまるで、命を搾り取られたかのように灰色へと変色し、パラパラと乾いた音を立てて崩れ落ちた。
「だぁぁぁぁっ!またかよっ…!?」
アベルの叫びは、焦りと理解不能な現象への恐怖が混じり合っていた。
肉薄する灰霊の群れに対し、手の甲の紋様を光らせ地へと足を突き立てる。
瞬時に、朽ち果てた植物の根に代わり、大地そのものが声を上げて盛り上がった。
「らぁ…!」
剥き出しの岩肌が何重もの防壁となり、次いでそれは荒れ狂う土石流となって押し寄せる。
逃げ場を失った灰霊たちが、岩の質量に押し潰され、乾いた石礫となって粉砕。
「はぁ、はぁっ…!」
しかし、直後に息を上げていたアベルの周辺で異変が起こる。
「……あれは…」
それを見て頭の中を掠めたのは、ここに戻る前の会話だった。
*******
「ということでー……骸霊の長との戦いにおいて、一番重要なのは、その『特性』の理解だね!」
「………」
「……特性?」
アベルとフルドは、そう声を上げた僕の方へ視線を向けてきた。
それを受けて、目の前に古びた本を出現させてページを捲る。
「うん。骸霊の術印使いの本質は、『魂を操る術印』。」
すると、本のページから小さな幽霊の人形がふわりと現れ、ページの上に乗っかる。
灰、藍、黒、赤と、それは四色のデフォルメされた幽霊だった。
「……本当に何でもありなんだな、それ…?」
「ふふっ!百聞は一見にしかず、だっけ?説明は実物があった方が早いし、分かりやすいからね?」
本を消し、灰色と藍色の人形を片手の指の間に挟むように摘み取る。
「操ってくる幽霊の強さは、見た目や色によってある程度判別できるんだ?多分、灰色が一番多いはず。」
手のひらの中にあった灰色の人形が分裂し、泉のように溢れ出てくる。
一つが二つに、二つが四つに。
「黒と赤についてはー……今はあんまり、考える必要はないかな?」
倍々に増えては溢れ、収まりきれなくなった人形地面に落ちる様子を、2人はじっと見つめていた。
「まずは、灰色と藍色。この2つの幽霊は、まだ物理的な対処は可能。」
乾いた音を立てて無造作に地面に落ちていった灰色の人形。
それらが言葉に合わせて、カタカタと何十とあるものが1人でに動き出す。
無機質に倒れていたものが、命を吹き込まれたように起き上がる異様な光景。
「うおぉ…?!お、お前、骸霊の術印も…」
「違うよー……あくまで参考として、似たような動きを人形にさせてるだけだよ?」
これにアベルが身体を跳ね上げるように驚いた声を漏らし、少し距離を空けた。
フルドは距離を取るまではしなかったが、じっと表情を固くしたまま動く人形を見続けている。
「骸霊の術印は、僕のしてることと違って無機物に本当に命を与えるられる……うん、ゾッとするね〜……これが、本当に厄介だろうし?」
刹那、足元で動いてた一つの人形が、ボロボロに崩れ砕け散る。
それに連鎖するように、周囲に存在していた人形も形を失っていく。
「灰霊は、身体を粉々にしたとしても、あんまり意味がないんだよね?」
「……理由は?」
「やっぱり、その核になる魂が無事なら、何度でも再生しちゃうからね?あくまで、魂によって動いてるだけだからねー…」
「なら外装、みたいな感じか…」
一つ一つが、爪ほどの大きさ。
その砕けた欠片がひとりでに集まり始める。
「本体は、魂だからね……そ、それをどうにかしないと、あんまり意味がない、んだ…」
「なる…ほど…」
初めて口を開いたフルドの補足に、アベルは腕を組みながら言葉を漏らす。
こうしている間にも集まり、残骸は一つの巨大な塊へと形を流動的に変え続けている。
「……これは、後で嫌でも見ることになるかもね?骸霊は、一つの魂で操れる大きさには限りはある…」
手の中に残っていた藍色の人形。
それを塊へ向け、下から宙へと軽く投げ入れる。
「けれど、崩れた身体を複数の魂同士が一つに集まると…」
*******
アベルの周辺の崩れた灰霊。
粉砕されたはずのそれが、まるで意思を持ったように蠢く。
そして数秒と経たず、飛び散った灰が逆流するように一点へ収束し、再び形を取り戻していった。
アベルとフルドに見せた時と、ほとんど同じ動き。
「……!」
その再生の際、周囲の枯れ木や岩、剥き出しの土を巻き込まれる。
けれど想像以上だったのは、その速度と大きさだった。
そして形を崩れる前よりも一回り、二回りとその質量を増大させいった。
「(……ちょっと、マズイ!)」
数に圧され、未だ視界を灰色の波に埋め尽くされたアベルには、それに気づく余裕のない様子だった。
片眼鏡の逆の目の奥、剥き出しの左眼に禁忌の術紋を浮かべ、そのまま視界をアベルへと固定。
そのまま、意識の深層へとこっちから声として直接叩きつける。
「(『アベル!後ろ!』)」
こっちの声に気付いたアベルが反射的に背後を向く。
両サイドから叩きつけられるように振るわれた腕。
アベルは、鬼気迫る表情でギリギリで何とか回避して見せる。
地面を転がるように距離をとり、不安的な姿勢の状態で巨大化した灰霊を睨みつけた。
「コイ、ツッ…!!」
灰霊の巨体が、アベルの視界を覆うように向かっていく。
しかし、その質量に押し潰されるよりも前。
迎え打つように地面から根が突き出し、その巨大な灰霊を串刺しにした。
表情から、自分の意思ではなく術印の自動追撃なのだと分かった。
すぐにアベルは体勢を立て直しにかかった。
だが、根は灰霊の身体を貫いた次の瞬間には生気を失う。
生命力を感じさせる色は奪われ、脆い砂の塊のようにボロボロと崩れ落ちる。
「ぐっ……!」
しかし、その一瞬でも足止めには十分なもの。
アベルの術印は、瞬時に灰霊との間に地面から壁を作り出す。
加えて生え出た根がアベルの足首に巻きつき、逃げを促すように後方へと身体を投げ飛ばした。
凄まじい勢いのまま、森の中へとその姿を消す。
「(『はぁっ、はぁっ…!』)」
アベルがその場から見えなくなっても、声が聞こえてくる。
僕も何とかアベルが逃げ仰たことを確認すると、僕も再び走り出した。
「(『大丈夫だった、アベル?』)」
「(『あ、あぁ…』)」
「(『今の、術印が幽霊から君を引き離す判断をしたみたいだね?』)」
「(『……そうだな…』)」
声をかけると、それに反応するように返ってくる。
けれど、それはどこか居心地悪そうなものでもあった。
もっと無事生還できたことを喜ぶものだと思ってたから、意外だった。
「(『……にしても、これって…』)」
「(『あっ、気づいた?お察しの通り、これも禁忌の術印の力の一つだよ!』)」
ーー『心蝕』。
これは、本来は相手の精神を侵食し、思考を混濁させるための禁忌の術印の力の一つ。
本来の用途は違うけど、話したい相手側と距離を取って会話できる、とっても便利なもの。
「(『なら、やっぱりこれ、前に俺に使った悪趣味なやつだよな…!?』)」
心底嫌そうな声色でアベルが言葉を返してくる。
若干のトラウマになってるみたいだから、今後はアベルに対して控えるべきだと思えた。
「(『いや……もう、これについては、いい…!とりあえず、言いたいことが多すぎる…!』)」
荒い呼吸と共に語気が強くなる。
再びアベルとの距離を保つように、無限に湧き出す灰霊の爪を紙一重でかわし、森の深部へと向かう。
「(『本当に、どうなってんだよ、骸霊…!?いくらなんでも手数っていうか、術印の強さとかが桁違いだろ…!?』)」
「(『実感はまだ薄いかもだけど、今僕らが相手してるの、この物語でも最上位の術印使いだからね?』)」
アベルの言う通り、骸霊は単純な物量で言ったらこの物語では頭ひとつ抜けている。
さらには、そこに厄介な特性まで加わるからこそ、本当にエンカウントしたくなかった。
「(『本当に、凄いよねぇ……まさにこれぞ、厄印の長の1人って感じ!?』)」
「(『そんな他人事みたいに言うな!お前の方こそ暴れすぎだ……瘴気で、この森ごと飲み込むつもりか…!?』)」
それについては言わないでほしかった。
術印を使うたび、視界の端でドロドロに溶け落ちていく景観を見て、自分が一番現実逃避したくなっているんだから。
「(『っあ…!?』)」
呻くような声が聞こえると、離れた地点から地鳴りが響き渡ってきた。
アベルも森の中を駆けながら灰霊たちを相手取り続けているのが分かる。
「(『っ、また、だ!こっちは術印を使ってる途中で『ノイズ』走って、急に使えなくなることもあるってのに…!』)」
声を聞きながら空中で身を翻し、追いすがる灰霊の頭部を蹴りつけた。
去り際に足元から流れ落ちた瘴気を膨張させ、気持ち抑えめで灰霊たちを行動不能にさせる。
「(『無限湧きするし、どこまでも追ってくるし……こいつら、マジでどうなってんだよ…!?』)」
絶叫にも近いアベルの声が脳内に響く。
「(『読者なら知ってんだろ…!?どうすれば、骸霊を退けられるんだ!?』)」
見るべきはアベルが扱っていた『根の朽ち方』。
同時に、命の色が抜き取られたように変わっていった木々。
「(『アベルのイメージだと、それは宙に漂う死者の魂だと思うけど…』)」
そこに、骸霊の長のもう一つの本質がある。
「(『実はそれ、『生きているもの』からもその場で抜き取って燃料にすることもできるんだ?』)」
「(『生きてるもんから……抜き取って?』)」
その声を聞き、左右に目を向ける。
広がっているのは、視界を遮るように立ち並ぶ青々とした森と、隙間から見える灰色の影。
「(『例えば……そう。僕らの周りには今、その材料が数えきれないほどあるけど……分かるよね?』)」
「(『……俺たちの、周り…』)」
刹那、視界の端。
鮮やかな緑を湛えていた巨木の葉が、一瞬にして灰色へと変色し、カサリと力なく剥がれ落ちた。
それが合図だったかのように、さらに周囲の草花が次々と色を失い、灰となって崩れていく。
「(『な、なんだよ、これっ…!?』)」
声色から、僕と同じような変化がアベルの周囲でも起こったようだった。
まるで命そのものが、目に見える速度で『燃料』として吸い上げられていく光景。
「(『これが……いや、そうか…!?』)」
改めて目を配る間を得たアベルがそう声を上げた。
「(『なら、さっき俺が操ってた根が突然枯れた理由ってのは…』)」
「(『……それは、アベルが術印の対象にしていた『木々の魂』を、骸霊が奪い取ったからで…』)」
瞬間、周囲を取り囲む鬱蒼とした木々の隙間、暗がりの奥。
そこから数えきれないほどの『視線』が、一斉に僕へと突き刺さったように感じる。
「(『制御の根幹を奪われたんだから、それは術印も不発に終わるよね?』)」
「(『ちょっ、待てっ…!じゃあ、なんだ…』)」
こっちからは姿は見えない。
だけど、森を構成する何万という葉の揺らぎ、樹皮のひび割れ一つ一つ。
それが『目』となり、対象の微細な動きさえも監視しているような、逃げ場のない感覚だった。
「(『ま、まさか、『この森全体』が骸霊の手駒ってことかよ…!?』)」
アベルの声が、頭の中で激しく波打つ。
これこそが、骸霊の術印の1番恐ろしいところ。
「(『……それが、この物語に存在している厄印の一つ、『骸霊』だよ。』)」
この広大な樹海そのもの。
それは骸霊の長にとっては『ほぼ無限の供給源』であり、同時に『不可視の監視網』となっている。
僕らがどれほど不規則に機動しようとも。
どこかに身を隠そうとしても。
瞬時に位置を特定され、攻撃が降り注ぐのはそのため。
………改めて考えてもズルくない、この術印?
「(『はっ、はぁっ…!なら、尚更だ!こんな化け物相手に、どう戦えばいい…!?』)」
アベルの息が荒く上がってきていたけど、それも当然だった。
転生してからまだ数ヶ月なのにも関わらず、この物語の最上位の術印使いと戦っている。
「(………)」
盤面を支配しているのは、まだ灰色の幽霊だけ。
あれが骸霊の長が持つ力の中で最も下位だという事実が、強く理解させられる。
それでも、アベルが手一杯なのは純粋な練度の差を感じてしまう。
でも、過去の古城とのことを考えれば、アベルをここで本気で命を獲りに来るとは考えにくい。
「(じゃあ、やっぱり……だよね?)」
なら、狙いは決まっている。
なんといっても、ここには、執着にも近い憎悪を向けるべき禁忌がここにいる。
よりその部分を刺激すれば、幽霊たちはこっちだけを狙うはず。
「(『……『魂』を完全に消滅させる術印は存在しているよ。』)」
足元から瘴気の質量を増やすと、向けられる殺気がさらに強まる。
「(『……っ!これ…』)」
「(『そしてそれは、僕と君が同じように扱えてしまうもの。』)」
アベルもこれに気づいたような声を漏らした。
そして、僕がより濃密な瘴気の気配をばら撒き始めた意図も。
「(『禁忌の、術印……その『瘴気』だけってことか…!?』)」
「(『確実なのは、そうなるかな……この瘴気は、もともと『魂を操る骸霊』への対抗手段として生み出されたものだからね?だから、幽霊にとっては1番の致命傷になり得るもので…』)」
その時、突如として全体を支配していた陽光が、分厚いカーテンを引いたように掻き消えた。
同時に周囲一帯から向けられていた殺気も消えるが、それはより巨大な一点から向けられる。
黒槍も止み、足を止めて見上げれば、遥か高い地点から僕らを見下ろす藍色の影。
藍色に濁った造形には、滑らかな皮膚なんて持ち合わせていない。
表面を覆っているのは、幾千もの灰霊たちが折り重なり、互いの身体を噛み合わせることで無理やり凝固させたような歪な装甲。
特に異様なのは、その頭部だった。
ローブに覆われた顔と呼べる場所には、もう骸骨面すらない。
ただ、巨大なすり鉢状の『空洞』が深々と口が開いている。
その奥底では燃料として取り込まれた無数の魂が、藍色の燐光となって渦巻いていた。
「(『はっ……ぁ?』)」
一歩踏み出すたびに、その巨体から剥がれ落ちた破片がパラパラと土煙を上げる。
地響きと共に、周囲の空間を藍色に塗り潰していった。
首の付け根から生えた無数の細い腕その一つ一つが、空を掴もうともがくように触手のように蠢く。
一歩、ただ踏み出すだけで、周囲の大樹が小枝のように圧し折られ、地響きが身体全体を揺さぶる。
思い出させられるのは、蠢く灰色の塊に、藍色の人形を投げ入れた。
あの瞬間、塊が巨大な異形へと変わった光景。
「(これは……第二フェーズ、かな…?)」
灰色から藍色へ。
それは、骸霊の長も扱う術印の出力を一段階上げた証明だった。




