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裏世界の牢獄にて  作者: Navi
23/25

〈第22話〉欠落者同士


 空気は固まったままだった。

 2人との間に、目に見えない空白の壁がそびえ立ったような感覚。


「いやぁ……ごめんごめん!まーた、僕の悪癖が出ちゃったね!」


 手を左右に振りながら笑みを浮かべる。


「…それでね?まだ2人には、詳しく紹介しなきゃいけない存在がいたねー…」


「「……!」」


 2人とも、僕から視線が全く逸れていない。

 けれど、自分の頭を指し示したその瞬間、2人の目がわずかに見開かれた。


「まぁー……あんまり、本人は介入したがらないんだけどさー…」


「そ、それって…」


 困ったように腕を開いた僕に向けて、おずおずとフルドが口を開く。

 風に揺れて枝葉の隙間から差し込む光が、視界の端から刺すように眩しい。


「うん。僕が禁忌ヴォルティートである以上、切っても切り離せない存在、いるでしょ?」


 溢れた言葉が、どこか自分の声ではないように感じられる。

 本当にもう1人分の声が重なったかのように。


「……あの死神か?」


「正解!」


 腕を組みながら、僕の頭上に目を向けているアベルが低く言葉をこぼした。

 軽く指を鳴らして応じる僕の声が、森の静寂にやけに明るく響く。


「でも、今は僕と同じような立ち位置で、やっぱりこの世界の住人じゃないんだよね〜……ふふ、気になるでしょ〜?」


「さっきは、ほんの少し話しただけだったしな…」


「(アベルはもう会ってるんだ…)」


 冗談めかした言い方をしたつもりだったが、二人の視線は鋭さを増していた。

 揃って、好奇心と警戒心が入り混じった眼差し。


「まぁ、今は僕らみたいな『人』ではないけどねぇ…」


 だからこそ、意図的に間を置き、空気をほぐすように首をかしげて空を仰ぐ。

 軽口のように言いながらも、微かな足踏みを感じる。


 流石に呼びかければ応えてくれる、はず。


「ということで……『メル』!改めて自己紹介もしてほしいし、そろそろ出てきてほしいかな〜!?」


 風は吹いているはずなのに、その音だけが聞こえない。

 自分の言葉だけを残して静かに音が佇む。


「はぁ……」


 溜め息のような、諦めのような声がどこからともなく響いた。

 その声を合図に、僕らの間を流れる空気がひやりと変わっていく。


「さっきもそうだが、熱が入ると長々とした話になるのやめろよな……あと、困ったら俺にその空気をぶん投げんのも止めろ。」


 そうして、頭から何かが抜け出ていく感覚になる。

 これこそ、魂が身体から抜けていくものに近いかもしれない。


「それは仕方ないじゃんかー。罪人に関しては、この物語(世界)でかなり重要な話なんだしー…」


「『お前』についての話の最中だっただろうが。」


 ため息混じりの声が空気に溶けた瞬間、僕らの目の前に『それ』は現れた。


「(耳が痛いなぁ……)はい、注目ー!」


 布の内側にあるのは肉体ではなく、まるで光さえ吸い込むような黒。

 滲み、溢れ出す瘴気に、森の色彩が薄れていく。

 そこだけ、世界に穴が空いたようだった。


「こ、これが!?や、やっぱり禁忌の死神じゃないの…!?」


「相変わらず、見た目から凄い威圧感だな…」


 初めてメルを見るフルドの顔が一気に青ざめる。

 アベルも、半歩後ろに引いていつでも距離を取れるような姿勢を作った。

 でも、目の前に現れた『死神』を前にして、怯えない方が珍しい。


「……さっき、ぶりだな、死神…?」


 間を割って、すぐにアベルが一歩前へ踏み出した。

 低く投げられた言葉。

 その声色には、緊張が混じってはいたけど、どこか腹を括った人の空気さえ漂っている。


「あぁ、お前か……なんだ、もう俺を見て腰を抜かしそうになったりしないのか?」


「い、いや……それは流石に忘れてくれよ…?」


 これは、色んな出来事に揉まれ、恐怖やら何やらを経験したからこそだろうか。

 自分がその一端を担ってしまったとなれば、やっぱり少し申し訳なさもある。

 

「ということでー……じゃじゃん!」


 僕は軽い調子で二人に向き直る。

 そして、すぐ背後を指差した。


「改めての紹介になるけど、これが僕以外の読者の1人!もとい、唯一無二のパートナー!名はメルで、僕に付き添ってくれる存在なんだ!」


「おい、んだよそれは…」


 背後の黒布の奥から威圧するような低い声。

 だけど、気にせず続ける。


「こうして見ると、結構凄いよね?まさに死神!って風貌をしているでしょ〜……いっ!?」


 言葉を紡いでいた次の瞬間だった。

 メルの影が瞬時に形を変え、細長く巨大な手を作り出して頭を鷲掴んできた。

 思わず、口から驚きの声が漏れ出る。


「そ、そんなにこの呼び方、お気に召さない…?」

 

「お前の空気に巻かれんのが、嫌ってだけだ…」


 振り返って見ると、顔の見えない影の向こう側から苛立った声が聞こえてきた。

 頭が影の動きと連動して、ゆらゆらと揺らされる。


「別に、二人にまで君を『メル』って呼ばせるつもりはないよ!どーしても愛称で呼ばれるのが嫌なら、君が自分の口で自己紹介すればいいだけの話だしね?!」


 声が左右に揺れて通り抜ける。

 それをいつも通りの日常として受け流し、ひらひらと話題を振って応えた。


「下らない屁理屈をよくもそう流暢に並べ立てる…」


「もちろん、僕が君のことを紹介するなら、僕は君のことをメルってままで呼ばせてもらうけどね!?ここは譲れない!」


「本当、コイツは…」


 腕を引っ込めたメルは頭を抱えるような仕草をした。

 異形の怪物の姿をした何かが、こうして僕らみたいにしてるのは、側から見れば中々面白い。


「……なら分かってるよな?お前は口挟むなよ?」


「ハハハッ、了解!」


 軽く片手でOKサインを作る。

 そしてメルはゆっくりと布を揺らし、二人へと視線を向けた。

 瘴気が揺れ、ざわりと森が唸ったように思える。


「……『メルビリス』だ。コイツみたく短縮した名前で呼んだら、消す。」


「……っ!」


「は、はい…!よ、呼びません…!」


「メルー……開口一番が脅しなのは、ダメでしょうよ…?」


 メルの言葉に二人は、言葉を失ったまま再び顔を強張らせていた。

 まぁ、いきなり脅迫まがいのことを言われればさすがにこうもなると思う。

 でも、その緊張を再び破ったのはアベルだった。


「……なぁ、さっきもそうだったけど、2人っていつも今みたいなやり取りしてんのか…?」


 フルドと僕の間に入るように、強張った顔をわずかに崩し、何故か労うように声をかける。

 その声音には皮肉と共に、ほんの少しの親近感が混じっていた気がした。


「だな……コイツの性格が救いようもなく面倒なのは、少し話せば分かっただろ?」


 棘のあるメルの言葉だったけど、2人の視線にどこさ似た色が混じる。


「なのに、当たり前に好意的に接する連中が多いのが、俺には納得できないんだよな…」


 饒舌なメルが僕を見ながら嫌味を込め、吐き捨てるように応じた。

 このメルの言葉にフルドが僕の後ろから口を開く。


「で、でも言われなかったら、分かりませんよ……模倣だって言われても、反応とかが……僕たちと変わらないですし…」


「ふふん!」


 フルドの言葉を聞いて、メルヘ振り返る。

 けれど、不服そうな態度は変わらない。


「まぁ、分かってても、振り回されるっていうかな……でも、ディオスと一緒にいることの苦労、今までの時間で俺たちもわかった気がするよ…」


「えぇ……」


 アベルも未だ警戒を完全には解いていない。

 けれど、メルに対して妙な親近感が湧いたためか、苦笑交じりにそう言葉を口にした。


「で、でも、メルビリスさん、も……ディオスと同じ、なんですね…」


 メルのことは初めて見ることになるフルド。

 躊躇いがちに一歩だけ前へ進み、その姿を見つめる。

 その瞳には、術印の紋様がゆらりと浮かび上がっていた。


「か、空っぽのシルエット……ディオスは、砂嵐だったけど、本当に何も見えない、です…」


「(あっ、メルもそうなんだ…)」


 驚きの声はか細いけど、確かに心底の興味が滲んでいた。

 たしかに、その術印で相手の特徴を読み取れないのには驚くはず。

 でも、ここら辺はしっかりお揃いなのは、なんだか嬉しい。


「……コイツが禁忌ヴォルティートって奴になっているみたいに、俺も成り変わった先が先だ…」


「そ、そうなんですね…」


「もしくは、お前がコイツの中身が見えないのと似たもんだろうな…」


 フルドは息を飲んだきり、もう一歩踏み出すのをためらった。

 けれど、遠巻きにいる僕から見ても、意外と両者揃ってメルに対しての驚きの反応は薄い。


 原作なら、今頃は誰も近づこうとしなかっただろうに。


「にしても、今回は素直に出てきてくれたね?いつもだったら渋るくせにさー。」


「ハッ。」


 僕が笑い混じりに振ると、メルは鼻で笑い返した。

 または、布の奥から乾いた呼気が漏れたと言うべきか。


「適当に伝えること伝えたら、すぐに引っ込むつもりだ。……自分のことだけじゃなく、『罪人以外の問題』、引っ張りやがって…」


「あっ!はははぁ……も、もちろん、忘れてたわけじゃないよ…?」


 引きつった笑いを浮かべると、すぐ近くの2人の視線が突き刺さるようにこっちへ集中する。

 アベルの視線には「まだ隠し事があるのか。」という疑念が。

 フルドの視線には純粋な困惑が浮かんでいた。


 でも、決して隠していたわけじゃないと、弁明する時間がほしい。


「自分に触れられそうになったら逃げ腰になる奴が、よく言えたな、んなこと?」


「……むっ。」


 言葉に棘があるのは良いところでもあり、悪いところ。

 すぐさま今の言葉に対しての文句が、唇の端から零れ落ちる。


「相変わらず!いつどこでも君は僕に対して口悪いよね!?本当……君と過ごして、そのマイナス点は引き継がなくてよかったよ!」


「あぁ?」


 メルは一瞬僕を見下ろし、ドスの効いた声を低く落とした。

 けれど、影の奥から睨みつけられているのが想像できるため、僕はすぐに視線を外して場を逸らした。


「ナ、ナンデトナイヨ…?」


 音も立てずに、じりっと半歩だけフルドの方へ寄りかかった。

 反射的に密着してメルの視界に巻き込むような格好になり、フルドが「ひえっ」っと喉を鳴らす。


 蛇に睨まれた蛙の気分を、今さら味わうことになるとは…


「それで……今さらっと言ってた別の問題についての話は、聞かせてくれんのか?」


「あっ、フ、フルドー…!」


「(だから、そういう所だろってんだ…)」


 アベルの手が、僕の襟首を無造作に掴んだ。

 そして、抵抗する間もなく怯えていたフルドから引き剥がされる。

 手を伸ばしたり抵抗しようと地面を蹴ったが、体格差には抗えず、乾いた地面の上に踵が二本の深い溝を描いていった。


「まぁな……いつまでもうだうだしてるから、仕方なく、代わりにな…」


「(……面倒見いいな、この死神…)」


 背後の黒布の奥から、メルの声が響く。

 この物語(世界)の異物としての響き。


「あっ……す、少し待って下さい…!」


 けれど、間に入るようにフルドが、たどたどしく手を挙げた。 

 そして指先を突き合わせ、けれど真っ直ぐに僕とメルを交互に見つめてくる。


「……なんだ?」


「え、えっと……それよりも前に、2人の関係性について知りたいかも…です…」


「はぁ?」


 その言葉に、メルは豆鉄砲を食らったように声を漏らした。

 僕もつられて、襟首を掴まれたまま「だよねぇ」と深く頷きかける。


「なんで、いきなりそんなこと…」


「あー、たしかにそっちからの方がいいか…?なんか、『ディオスと一緒に行動してる』ってだけで、どういう理屈による関係なのかがすげえ気になるっていうか…」


 その言葉にアベルも僕の身体から手を離し、腕を組み直しながら同意を示す。


「ハハハッ、ほらほら!二人とも君に興味津々だそうだし、主役の座を譲ってあげるよ!」

 

 解放された僕は手を叩いて調子を上げてメルを茶化す。

 けれど、返事はすぐにはこない。

 メルが渋々と顔を向けるまでの間には、妙に長い沈黙が落ちていた。


「はぁ……無理やり、コイツの監視みたいなことをしている……嫌々な?」


 メルは布の奥で軽く舌打ちをするように息を吐いた。

 その声は森のざわめきに紛れ、でも確かに2人の耳に届く。


「ふーむ、テンプレ通りの受け答えだね?もう少し、捻りとかあってもー…」


「だから、一々うだうだ言ってくるな!それ以上口を開くなら、形ごと消失させるぞ!?」


 苛立ちの混じった声が上から向けられた。

 それに合わせてメルの身体も膨張したように感じる。


「そ、それは〜、さすがに勘弁してほしいかな……この身体がなくなると、一緒にいれなくなるでしょ…?困るでしょ…?」


 メルが本当に実行する気がないことは、前提と長い付き合いで分かっている。

 それに本気なら、わざわざ警告などしない。


「………チッ…」


 見上げて下から茶々を入れると、メルの声が低く落ちて空気がきゅっと締まる。

 黒布の裂け目が微かに震え、瘴気がひとしずく濃くなるように感じられた。

 これを見た2人が無意識に一歩下がる。


「そ、それで、監査役って言ってましたけど…!2人はどういった関係性があるん、ですか…?!」


 焦ったようなフルドの問いは、森を渡る風よりも静かに落とされた。

 距離を保ちつつ飾り気もないけど、核心を突こうとするように真っ直ぐだった。


「……色々とあるが、正直、言い表すのが面倒くさいほど長い付き合いなだけだ…」


 軽い口調で話す僕の隣にいる影は、ゆらりと苛立たしげに揺れた。

 メルのスタンスは、自分が一番熟知している自覚はある。


「基本は、コイツが『物語(世界)』を見て回るのを傍観している……ただ、それだけ。」


「あっ!でも最近のメルは、口うるさい保護者みたいな感じかな〜?怒るし、説教するし、助けてくれるし!」


 パンと両手を合わせて声のトーンを上げる。

 軽くなった足元を感じながら、2人の方へ向き直って笑顔を向けた。


「2人も、メルの面倒見のよさは分かったんじゃない?」


「ま、まぁね?た、たしかに面倒は見てるように見えるかも…」


「(どっちかって言ったら、お前が突っかかるから、そうせざるを得ないような感じに見えたけどな…)」


「だそうだよ?」


 人差し指を立て、振り返ってメルに笑いかけながらそう言う。

 すると、メルはというとじっと僕を見下ろしながら口を開いた。


「おっ?そう言うってことは、やっと自分が見た目相応の、中身のない奴だってことを理解したのか?」


「………」


 その言葉に、風が止まったかのような静寂が一瞬生まれる。

 小枝がかすかに揺れ、落ち葉が足元をすり抜ける。


「………ふーん?」


 短く息を吐き、視線をちらりと落とす。

 さっきまで豊かに動いていた顔の動きが止まって、熱が引いていた。

 

「(ディ、ディオス……わ、分かりやすく怒って睨んでるね…?)」


「(アイツ、見た目に対してなんか言われると、露骨に嫌な顔作るんだよな……俺も一回踏んで、こうなりかけた。)」


「(そ、そうなんだ…)」


 アベルとフルドが顔を見合わせ、ヒソヒソと囁き合っていた。

 どんなことを話しているのか、声は聞こえないけど、先にメルが言葉を続ける。


「コイツが今の立場にいる理由、自分でも把握できていない『罪』の過去があるって話は、もう聞いただろ?」


 メルはゆっくりと布の端をまさぐる仕草をすると、影の奥で何かが蠢く。

 2人に対して同調を求めるような言葉。

 けれど言葉の端々に、どこか探るような響きが混じっている気がした。


「は、はい…!ぜ、全部をってわけでは、ないですが…」


「……だな?なんか、『ある』ってことしか、俺たちも分かってないけど…」


 アベルとフルドの返事は途切れがちだった。

 メルはそれを受けて改めて僕を見下ろしながら口を開く。


「言葉通り、俺はそんなコイツの監視役ってわけで……いや、訂正しようか。今のコイツの醜態を見る限り、やっぱり生意気なガキをあやす保護者だな?」


「そーですねー!!」


 メルは短く笑ったような音を立てた。

 だがそれは、ただの楽しげな笑いではなく、嫌味も込めた嘆きにも似ている。


「……やっぱ仲良いだろ、この2人…」


「は、はは……そ、そう見えるね…?なんだかんだで、お互い信頼してそうだし…」


「だよな……長い付き合いっぽくて、なんやかんや放っておかないみたいな?」


 アベルがどこか呆れたように口を開く。

 それ合わせてフルドも、どこか安堵したような声を漏らした。


「これ、もう離れられない『対等な関係』で…」


「………」


「(あー……)」


 2人の言葉を黙って聞いていたメルの身体が、僅かに揺れた。

 それ以上は、あまり肯定してくれない方がいい。


「(ちょっと、マズイかな…)」


 そろそろ、デッドライン超えそうになっている。


「……まっ、これは表面上のものだ。」


「……!」


 刹那、メルの声から、それまでの苛立ちや皮肉すら消えた。

 僕も反射的に息を潜め、次にくるのが、冗談では済まされない話だと予感する。


「それって、どういうことだ?」


「……別に、俺としては、コイツなんかと行動したいわけじゃないってことだ。これは、ただの成り行きの結果。」


 その声には、明確な嫌悪が出ていた気がした。

 布の奥から響く低音が、まるで傷を引きずり出すように湿っている。


「ディ、ディオスとは、ずっと一緒じゃないってこと……ですか…?」


「……元はな。神の野郎に頼み込まれて……いや、押し付けられたって言うべきだな…」


 垂れ落ちた空気に流されるように、フルドの声が再び細くなる。

 メルの言葉にも、消え掛かっていた皮肉が混じり始めていた。


「全く、損な役回りさせられたもんだ…」


「そ、『その話』を持ってくるのはズルじゃん…!」


 身体の中を巡る鼓動の動きがより活発になった気がした。

 反射的に言葉が口から溢れでる。


「こ、これってなんて言うのかなぁ〜……罪作りな、人間ってこと…?」


「………皮肉か、それは?」


 淡々と、温度のない声が向けられた。

 その声を聞いた身体が反射的に動く。


「あっ……ち、違うよ…!!」


 おどけて見せた指先を隠すように後ろで手を組む。

 そしてメルの影が差す足元から、逃げるように視線を逸らした。

 今だけは逃げることもできず、向き合うという選択肢しかない。


 これに関しては、「本当に申し訳ない」と、自分の中で呟くしかできない。


「(な、なんでいきなりこんな空気になるんだよ…!?)」


「(い、いや、僕も分かんな……っ!?)」

  

 黒布がふっと揺れ、影の瘴気が広がった。

 その気配から逃れるため、フルドがアベルを引っ張り、一瞬でかなりの距離を取る。


「結局は、真っ白な中身に食い散らかしてきたもんを、都合よく継ぎ接ぎしているだけ……そうだろ?」


「そう、だけど…」


 僕はすぐには動けなかった。

 ただ、至近距離でメルの虚無に見下ろされ、その圧迫感に喉が詰まる。


「す、凄く感情込めて言うじゃんか…!」


「当たり前だ……誰が好き好んで、変わってお前なんかと行動したいって思う?お前は、ずっと罪を理解して、その罪から自分を逸らさずにいろ、逃げるな…」


 メル自身の体積が膨張するように広がる。

 目を逸らすことを一切認めない、返す言葉を封じるような圧迫感と鋭利な気配。


「ただ『記憶にない』なんて逃げ道、俺には通じないのは、お前が1番分かってんだろ?」


 その声は、まるで鉄槌のように重く響く。

 思わず息を呑みこんで、心臓が一際強く跳ねた。


 けれど、やっぱり視線は上げられなかった。


「………ごめんね、メルビリス…」


 捻り出した声は小さく、思わず視線を逸らす。

 謝罪の言葉は、情けなく地面に零れ落ちていった。


「「(……!?)」」


 メルにこんなことについて言われたら、何も言葉を返すこともできない。

 流れている血と同じで、罪の証明の一つ。

 メルに対して、この言葉を冗談にはできない。


「………はぁ、はいはい。俺も言い過ぎたな?」


「(い、今のって…本当に作った感情なの…?)」


「(だよ、な?めちゃくちゃ本物っぽかった……というか、本物より『本物』らしかっただろ…)」


 瘴気が溶けるように消え去り、2人がまた近づいてくる。

 しばらくは、誰も言葉を発しないまま重い空気が流れた。


「まっ、こんな関係だ。コイツもお前らと一緒の、どこまでも『人間』ってわけだな?特に俺に対しては、いつもの態度もこうして消える…」


「………」


「……扱いやすいだろ?」


 メルの言葉は、淡々としつつ滑らかだった。

 何も言い返せず、ただ視線を足元の影に固定する。


「(けど、ここまでボコボコに言うって……過去に何かあった知らないけど鬼畜だろ、メルビリス…)」


「あ……あの…っ!」


 アベルから僕らに対して、同調と引き気味の視線が送られた時だった。

 この凍り付いた空気を割いたのは、フルドの上擦った声。


「い、言い過ぎですよ……ディオスだって、本当に中身がなくても人間、なんですから……そ、そこまでにしても…!」


「………あぁ、分かってるよ。」


 メルはわずかに間を置いて、地を這うような低音で答える。

 その声音には、フルドの言葉によってわずかに削がれたような響きがあった。


「これは……まぁ、本能的な、同じタチの罪人に対する拒絶反応みたいなもんだろうな……そう思っといてくれ。」


「……同じ?」


「そ、それなら、あなたも……『罪狩り』、なんですか…?」


「……あぁ、そうなる。」


 2人の言葉を遮るように、メルは肯定した。

 それは、まるで重い鎖を一つ、足元に落としたかのように響く。


「じゃ、じゃあ……ディオスと一緒で……過去に…」


 不意に沈黙が流れる。

 フルドが言葉を濁し、アベルも、そしてメル自身も。

 『罪』という言葉の重さに避けかねるように、視線を彷徨わせた。

 

「えーっと、ね……それは僕が答えるね?」


 僕は肺の中に溜まった澱んだ空気を吐き出す。

 メルの代わりに、フルドのその疑問を引き取ることにした。


「確かに、メルも罪人……だけど実は、僕と一緒でそこら辺の記憶が『ない』んだ?」


「……ない?」


 空気の気まずさを誤魔化すように肩をすくめると、アベルがそう言葉を返してきた。

 隣で、メルは微動だにせずに影だけがゆらりと風に揺れていた。


「それ、なら……そ、相応の罪ってこと…?」


 フルドが慎重に言葉を選びながら尋ねる。

 声は震えているけど、目はまっすぐだった。


「たしかに、『そのはず』だけど……少し違うかな?『自分が何をしたのか』を知らないのは、僕だけじゃないんだー…」


 再度肺に溜まった澱みを吐き出し、息を入れ直す。

 そして、首をひねりながら指先で片眼鏡の紐をくるくると指に巻き付けた。


「はは……僕と似たような感じだけど、メルの場合は『罪以外の記憶』も極端に少ないんだ?だから、僕もメルの犯した罪を知らないんだよねー…」


「……それは、なんでなんだ?」


 アベルが身を乗り出し、低く問いかける。

 その瞬間、メルが小さく息を吐いた。

 布の隙間から漏れる声は、石を引きずるように重い。


「……『自分で消した』から。ただ、それだけ。」


「えっ……」


 僕の言葉にフルドが言葉を詰まらせて眉を寄せる。

 沈黙が落ち、冷たい風が枝葉を揺らした。


「な、なんで……そんな、自分の大切な記憶を、自分で…?」


「こっちも複雑で、面倒くさいことがあってな…」


 メルは視線を逸らすように、影を左右に揺らす。

 その言葉の裏腹に拒絶は鋭く、滲んでいた。


「……でもやっぱり、これも僕のせいでもあるからね…」


「わ、分かった…よ……」


 フルドは目を細め、メルの放つ拒絶の圧力に押されるように、静かに引き下がった。

 それを見届けたメルがわずかに布を揺らし、僕から顔を背けるような仕草を見せる。

 

「……そんじゃ、俺が話すのはここまでだ。あとはらコイツから勝手に聞いてくれ。」


 刹那、メルから突飛な言葉が出てきた。


「えっ……いや、ちょっと!?本当に自己紹介して終わるの!?もう少し、こう……やり取りというかさぁ!?」


 声のトーンを上げて、慌てて食い下がる。

 だけどメルは、続けて影の奥から温度を感じさせない無機質な言葉をこぼした。


「……『不具合』と『累罪躯るいざいく』」


「「……!」」


 その声は乾いていて、どこか遠い場所から響いているようだった。

 アベルとフルドも、その不吉な響きに無意識に息を呑んでいる。

 

「それが、罪人以外に追うことになっている『問題』の名称だ。」


 そう言い残すと、メルの影はゆっくりと後退するように揺らぎ始める。

 これは、この場から消えて再び僕の髪色のような形となって同化する合図。


「あっ、ちょっ……メルー!?」


 抗議の声は空しく響き、自分の髪に煤のような黒色が染み込んでメルの姿は消えた。


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