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裏世界の牢獄にて  作者: Navi
19/25

〈第18話〉一般人Aの危険性


「さてさて〜……僕たちの目的地は『古城ラグニクス』!」


 空はどこまでも高く、突き抜けるような快晴。

 心地よい風によって雲がゆっくりとその形を変えていく。


「……というわけで、2人にはこのまま僕のことを連れて行って欲しいかな?」


 歩を進めるごとに混じり合う、濡れた土と若葉の混ざった森の独特な香り。

 実際に入ることで見ることができる物語(世界)の解像度の高さは、何度触れても良いものに思える。


「分かってるよ……にしても変な感覚だよなぁ。今、俺たちの後ろをついて来てるの、あの禁忌の術印使いで、しかもその長とかな?」


「う、うん…」

 

 そんな木漏れ日が斑に落ちる林道を、複雑な表情を浮かべるアベルとフルドの背を追う形で歩いていた。

 でも、フルドの声は羽音よりもか細く、その怯えは、力なく踏み出される足取りにまで滲み出している。


「……中身は別物だからね、僕…?」


 別の世界に放置してしまっていたフルドが、今にも溶けて消えそうなほど追い込まれていたのは、流石に申し訳なかった。


 それにしても、説明を何度もするのはやっぱり骨が折れる。

 現実でも、『ーー説明後ーー』とか『*******』みたいに、割愛的な方法使えたらいいのに…


「それでも2人のおかげで、何とか目的地である古城ラグニクスには到着できそうだよ!あそこ、厄印持ちと『信仰者』は、普通なら門前払いだもんねー…」


「そ、そうだね…」


 ーー『信仰者』。


 厄印使いを崇めたり、逆に敵視し、その力を欲したりしているこの世界基準でいわば『敵』。

 この信仰者たちが扱う術印は、厄印の力を模した『禁令指定』と呼ばれるもの。


 今日まで続く、国と信仰者の間で流された血生臭いの歴史を、僕も情報として知っている。

 そしてこの2人もまた、その戦いの一端で以前に勝利を掴み取った当事者だ。


「(それにしても、本当……厄介な立ち位置になっちゃったなぁ…)」


 それらを弾くため、古城には入るだけにも『条件』というものがある。

 そのため、ただで「こんにちは〜」といきなり訪れるわけにはいかない。


「国自体が術印の力で保護されてるからな……それで、お前は古城ラグニクスの術印使いである俺たちに接触したと?」


「そゆことー。」


 アベルの声はただ確認するだけなのに妙に硬い。 

 その歩調も、僅かに重くなっている気がする。


古城ラグニクスの術印使いと一緒だと、厄印持ちでも通過自体はできるじゃん?だから、本当にありがたいね……最初は2人の記憶、消そうか書き換えようとも思ってたからさ?」


「「……!?」」


 不意に、二人の足が止まった。

 森を抜ける風の音が、一瞬だけ止絶する。


「まあ、でもこのまま古城ラグニクスに行くとしたら自分に使う必要が……うん?」


 空気がその瞬間に、一気に冷え切る。

 さっきまで吹き抜けていた暖かな風すら、この冷気に飲まれたように冷たく感じた。


「あれ、どうしたの?」


「お前、さらっとエグいこと言うなよ…!アレ見せられた後だと、それも冗談にすら聞こえないぞ!?」


「ア、アベル…!?ほ、本当にこのまま連れて行っても大丈夫なんだよね…?!」


 振り返ったアベルの声が上擦る。

 そして、その横のフルドが不安気な表情のまま、裏返りそうな声で口を開いた。

 2人とも身体はわずかに震え、歩幅がさらに狭くなっている。


「あっ……も、もちろん冗談だよ!でも、古城ラグニクスに行きたいのは揺るぎない事実…!」


「そ、そうは言われても…」


「はぁ……本当にお前はな…!」


 アベルに対しては色々と僕のことを話したけれど、フルドには内容を少し端折って伝えている状態。

 だから、まだ『禁忌ヴォルティート』という忌むべき固定観念。

 そして、『読者』という得体の知れない何かという恐怖が染み付いてるみたいだった。


「でもさ……僕が『嘘を言っていない』のはー…」


 でも、こういう疑惑の解釈をするなら本人に直接、1発で信用できるかどうかで判断してもらう。

 それが1番確実で、手っ取り早い。


「『君の術印』で分かるんじゃない、フルド?」


「……っ…!」


 名前を呼んだ瞬間、フルドの肩が大きく跳ねた。

 追い詰められた小動物のような、沈黙が流れる。


「そ、それは…」


 フルドの瞳の奥、薄膜の裏側で術印の紋様が複雑に淡い光を放っていた。

 初対面の、それも『禁忌ヴォルティート』の器を持つ人間に、自分の能力を看破されている。


「君の術印の名前は『心眼』。」


 その事実が、戦慄を与えているのが見て取れる。

 否定したいという拒絶の意志と、自身の術印が告げられたことによって、瞳は激しく揺れていた。


「その能力の一つとして、相手の考えを嘘偽りなく読み取ることができる……でしょ?」


「そ、そこまで、知ってるの…!?」


 喉がひくりと鳴る音まで聞こえてきそうだった。

 フルドの術印はかなり汎用性が高く、世界(物語)を見歩く上でとってもに優秀で便利なもの。

 ほんとに「いいなぁ」と羨ましくとも思う。


 少なくとも禁忌(今の状態)と比べたら、この世界(物語)の術印は全てマシになるけど…


「ふっふっふ……さぁ!好きなだけ僕が隠し事してるか、隅々までぜーんぶ見ていいよ!」


 僕は両手を広げ、無防備な姿を晒した。

 これは急所をすべて明け渡した、完全な非戦闘のポーズ。


「う、嘘を付くつもりじゃないのは、態度とかから分かるんだよ…?で、でも…」


「ん?どうしたの?」


 言葉を紡がず、フルドはモゴモゴと口を閉ざす。

 すると、アベルが僕らの間に入ってきた。

 

「……いや、なんか俺もフルドの術印でお前のことを見てみたけど……砂嵐みたいなのかかって中身見えなかったんだぞ…?」


「えっ……」


 場を割くようなアベルの言葉が飛んできた。

 その瞳にはフルドと同じ術印の紋様が浮かび上がっている。

 けれど、フルドと同様にその表情は芳しくない。


「う、ん……だから、君の言葉が本心か嘘かどうかは…分からない…」


 術印の光を宿した二人の瞳が、当惑と薄ら寒い恐怖を湛えて僕を射抜く。

 静寂が、先ほどよりも一層重く、湿り気を帯びて周囲を包み込んだ。


「そ、それって今も…?」


 嘘を吐いていないことは、僕自身の自覚として明白だった。

 けれど、この反応は完全に想定外なもの。

 2人は、本当に僕が隠していないことを術印を通しても分からずにいる。


「ま、まぁさ!?元々、僕はこの世界の読者って言ってるでしょ…!?術印の名前とか能力については、ほぼ完璧と言って良いほど頭の中に入ってるから有用だよ!?」


 努めて明るくしながら、両手を振って見せた。

 だけど、まだ二人の反応は対照的に冷たいまま。


「ゆ、有用って……それで本当に良かったの…?」


「な、なんでかなぁ…」


 心眼は本来、どんな相手でも『何か』は映る。

 それが悪意でも、虚勢でも、恐怖でも。

 けれど、自分を見ると最初から存在しないみたいに掠れている?


「……時々、あるんだよね?やっぱり、こうして物語に入ると、その世界の力とか法則になぜか弾かれちゃうこと…」


「何だよ、その少し羨ましい体質!?何もしなくても、術印効かないとか…」


「でも、こういう時に想像と違う挙動するから、僕としてはあってほしくないんだよね…」


 アベルが吐き捨てるように言う。

 その言葉は、この物語(世界)の『生身の人間』としての率直な感想。

 だけど、その隣で術印の光を瞳に宿したままのフルドは違った。


「アベル……こういうの見る側としては、怖いんだよ…?」


「こ、怖がらせる気は無かったんだよ…!?」


 特に、今時点で自分自身に何かしらなんてしてはいない。

 そうなってくると、やっぱり読者として入ったことによる、枠外挙動…


「でも、君って……感情がないんだよね…?」


「あっ……」


 ポツリと溢れたフルドの声が、微風に溶けて消える。

 その問いかけは、ビビッと僕の中に突きつけられた。

 

 フルドが術印を使った瞳ではなく、僕の輪郭の内側を、直接覗き込んで向けられた疑問。

 一瞬の静寂と共に、木々の葉が擦れる音さえも止まったような、密度の中々高い間がそこにはあった。


「それかもしれないね!?」


 手をポンと打って声を弾ませた。

 重苦しい空気を一息に吹き飛ばすような、場違いなほどの明るさ。

 

「なるほど……僕には、そういう生々しい感情の偏りがない。だから、君の『心眼』の対象から外れちゃうわけで……うん、納得したよ!術印を使わなくても鋭いねぇ!」


「あっ、いや……」


 本来は、この物語(世界)にいないはずの存在であるという事は前提。

 加えて肉付けされたフルドの予測も、僕に対してだと答えとしては本当に納得感のあるもの。


 でも、そうなれば本当に厄介な仕様になっている。


「はぁ……でも、これで分かっただろ?コイツが俺たちの理解が及ぶ範疇にはいない、得体の知れない人間だってことが…」


「う、うん……ただの禁忌の術印使いに会うより……怖い存在に出くわしたの、かもね…」


 アベルが呆れ、諦観のような色が混じった声で言うと、フルドも言葉を詰まらせながら同調するように声を返した。

 互いにぎこちなく顔を見合わせ、呼吸すら同じようなタイミングになっている。


「……なんかさ、僕と2人に目に見えない距離感ない…?」


 モノクルにつけられた紐を指に巻き付けながら2人に向けて言葉を向ける。


「いや……当たり前だろ!?存在そのものに加えて、いくら何でも想定外が多すぎるんだよ、お前は…!」


 すると、アベルが一歩強く踏みしめながら声を張る。

 フルドもそれに合わせて勢いよく顔を縦に振っていた。


「う、ん……たしかに君たち目線だと、怖いね?」


「そ、そんな簡単な一言でまとめないでよ…!」


「ご、ごめんって…!」


 2人から息ピッタリなツッコミが返された。

 印象を変えようとしてみたら、結果的に特にフルドからのそういうパラメータが下がったような感覚。


 けれど、少し間を置いてから、そろりとフルドが口を開いてきた。


「で、でもさ?なんでディオスは、古城ラグニクスに来たいの…?」


「えっ?」


「君の目的って、同じように来た『罪人』って存在なんでしょ…?こ、こうして古城ラグニクスに行きたい理由と、あまり結び付かないっていうか…」


「あー、それはね……」


 確かに目的は複数あるけど、今の優先順位として高いのは罪人ともう一つ。

 けれど、それには流石に一人では心許ないのが現状だった。


「罪人自体が僕を避けていて、単純に情報とか人手が欲しいんだよね……あっちも、僕がこの物語(世界)に来ることを前提で動いてるはずだからさ?」


「な、なるほど…」


「あとは、罪人が僕よりも強い可能性もある存在だからかな?そうなれば、『あの人たち』の力も借りたいしね〜…」


 僕が木漏れ日を弄ぶような軽やかさでフルドに笑みを零した、その瞬間だった。

 頭上を騒がしく飛び交っていた小鳥たちの声が、断ち切られたように途絶える。

 森の空気が、まるで見えない巨大な質量に押し潰されたかのように、ねっとりと重力を増して沈んだ。


「……えっ?」


「はぁ…!?」


 そして、二人の声が揃って重なって返ってくる。

 先ほどまでの困惑混じりの冷静さは、一瞬で消し飛んでいた。


「待て待て!烙印なんていう、あの馬鹿げた力を持ってるんだろ!?それなのにお前よりもヤバいとか、何の冗談だよ…?!」


 声を張り上げたアベルの歩みが止まる。

 乾いた地面を踏みしめる靴の音が、嫌に大きく反響した。

 額にうっすらと汗が滲んでいて、言葉の重さに動揺している。


「で、でもさ?僕と同じ世界から来たんだし、それなら罪人も烙印の力を持ってると思わない…?」


「そ、それは確かにそう思うけど…!」


 軽く肩をすくめて見せけど、フルドの返答は語気が少し強くなっていた。

 視線は泳ぎ、逃げ場を探すようなその声色は、湿った土を抉る不器用な足音にまで滲み出ていた。


「……まぁ、こう言ったのはさ?実は僕って、物語の世界に入ると色々と『制限』がかかるからなんだー…」


 口元を緩ませながら、改めて2人に視線を向ける。

 自分の現状について、そして読者という存在が思っているよりも矮小であることは知ってもらう必要があった。


「せ、制限…?」


「そうそう。特に顕著なのは、烙印の反動が許容できないほどまで身体が弱くなることだね?」


 自分の掌を見つめ、ゆっくりと指を開閉させた。

 そのわずかな衣擦れの音さえ、今の二人にとっては心臓を撫でられるような戦慄を伴うものだったらしい。

 さっきまでの怒鳴り声も焦り声も、今はこの林道を支配する静寂のざわめきにかき消されそうだった。


「身体が弱くなるって……いや、そうは言っても今のお前はあの『禁忌の長』なんだろ!?」


 アベルは振り返り、言葉に力を込めていた。

 確かに、成り変わり先の身体の強度はこの物語(世界)基準だと、かなり心強いもの。


「残念ながら、それでもダメなんだよね……もし制限かけずに烙印を使えば、四肢が離れ離れになっちゃうかも?」


「そ、そこまで…?!」


 『無題(一つ目の烙印)』に関しては、あまり問題はない。

 でも、特に『メルの烙印』に関しては、使い所に注意しないと自分の身体の方が多分持ってかれる。

 これはまさに、人の身体に過剰な力を詰め込めると、そのまま耐えきれずに自壊する。


 なんともまぁ、物語特有のお約束的側面。


「……だけどね?これは『罪人も同じ』なんだ。」


「えっ…?」


 そう言葉を置いた瞬間、風が止まった。

 一足ごとに混じり合っていた濡れた土の香りが、急に冷え切って鼻腔に刺さる。

 フルドは言葉を探して唇を震わせ、喉の奥で「ひゅっ」と小さな音が鳴った。


「あ、えっと……それってつまりは、探してる人も君と同じで…」


「そう、この世界の『誰か』に成り変わっているかもしれないってこと。もちろん、烙印によって壊れるかもしれない身体のね?」


 平然とした口調では話したつもりだけれど、その内容はややこしい。

 今の僕は、元々この物語(世界)にいる登場人物である『ヴォルティート』という人物に成り代わっている。

 読者という、本来この物語(世界)に存在しないしない存在が入り込む時、全ての読者は同じような挙動になってしまう。


「成り代わることなく、『そのもの』が登場人物として存在することがあるけど、可能性としては成り変わっている方が高いかもねー…」


「色んなパターンがあるってわけか……」


 そして、頭を抱えて難しい顔をしているアベルが口を開いた。


「そ、それじゃあ……今みたくディオスが『ヴォルティート』だけど、その罪人が『術印を持たない人たち』の可能性もあるってこと…?」


「あっ、うん!そうだね!」


「だから軽いんだよ、返答が毎回!」


 これは即答。

 答えに迷う必要なんてない、確定している事実。

 けれどその軽さが、逆にアベルに対しては重苦しく響いたみたいだった。


「ならよ……禁忌(お前)古城ラグニクスに来る』って部分、どうにかできないのかよ…?」


「そ、そうだね……このまま君を連れて行ったら、僕たちがどんな目で見られるか分からないし…」


「うっ…」


 その言葉が、木々の隙間を縫うようにして森の奥へと吸い込まれていった。

 激しい言葉の勢いとは裏腹に、返ってきたのは静まり返った木葉のさざめきだけ。


「まぁ……そうなるよね…?」


 声は、もはや怒りというよりは懇願に近かった。


 古城ラグニクスという安息地。

 その場所に、忌むべき象徴である禁忌ヴォルティートと共に戻る。

 その絵面は、側から見れば自分たちが人質になっているか、気狂いしたかと見られるもの。


「それは、もちろん分かってるけど……そんなに嫌なの…?」


「あのなぁ……当たり前だろ…!?」


 アベルが弾かれたようにこっちを向く。

 首を少し傾げながら言葉を返したけど、アベルはこめかみを指で強く押さえ、天を仰ぐようにして深い溜息を吐き出した。


「……色々と『怖い』んだよ、古城ウチの人たちは…!!」


 吐き出された言葉は、湿り気を帯びた風に吹かれて震えていた。

 その肩には、目に見えないほどの重圧が幾層にも降り積もって見える。


「あ、あははは……だよねー…?」


 乾いた笑いを返し、頬を伝う冷や汗を拭う。


 今、アベルの脳裏を支配しているのは、間違いなく『あの三人』の横顔のはず。

 改めて僕の方も考えてみても、2人から見た古城ラグニクスの良心って、あの人しかいない。


 僕も、とりあえずはあの人の近くにいて安全圏を確保しよう…


「で、でもさ?特に『古城ラグニクスの長』には、設定上凄い嫌われてるじゃん…」


「………」


「設定上とか言うな!!それにこっちだって、それは分かってるんだよ…!」


「ね、ねぇ…!」


 やいのやいのと互いに言葉をぶつけ合っていた間で、フルドは落ち着かない様子で視線を泳がせていた。

 やがて唇の端を噛んで、声を絞り出してくる。


「は、はぁ〜……どうしたの…?」


「す、少し気になったんだけど…」


 アベルも揺れる視界でいる僕も、同時にフルドの方へ視線を向ける。

 フルドの顔には躊躇と、どこか掠めた確信が入り混じった色が浮かんでいた。

 口を開きかけては閉じ、何度か喉を鳴らす。


「さ、さっきの言葉……もしかして、その『術印を持たない人たち』だからこそ、危ないんじゃないのかな…?」


「……なんで、フルドはそう思ったの?」


 よろけながら口を挟んだ僕だったけど、フルドはすぐには答えなかった。

 ちらりと僕とアベルの顔を見比べる仕草をしていて、アベルも無言で視線を向けていた。


「も、もしだよ?もしそうなら…」


 声を発した直後、空気がひやりと張り詰めた。

 喉の奥で小さく鳴る生唾を必死に飲み込んで、声を一つ一つ繋いでいく。

 指先がかすかに震えているのが見て取れた。


「『どこにでも入り込める』んじゃって、思ったんだ…」


「……!」


 言葉の最後が、か細く震える。

 だけどその指摘は、確かな核心を突いていた。


 これは……今まで術印を使い続けてきたことで、積み上がってきた勘みたいなものかな?


「……鋭いところに気がついたね、フルド。」


「いや、ちょっ……だけど烙印って、今は『ヴォルティート』として生きてるディオスでさえ、使うのは危険と隣り合わせなんだろ…?」


 それを聞いたアベルも困惑混じりに食い下がる。

 だけど、その瞳の奥にも焦りが見え隠れしていた。


「たしかに僕の烙印の一つは、竜を消し去った時に使った強力だけど、代償が必要みたいなものがある……例えば、調整したとしても、その反動で身体が動かしにくくなるとかね?」


 言葉を聞きながら、フルドの喉が再びごくりと息を飲んで鳴る。

 手をぎゅっと握りしめ、呼吸も少し浅くなっていた。


「でも、もう一つの烙印を使った時の僕には、特に変化がなかったでしょ?」


「……!」


 風の音すら、どこか遠くに消えたような気がした。

 沈黙が落ちた瞬間、空気に重しを押し込まれたような息苦しさが広がる。

 誰も次の言葉を発さない。

 目を逸らすことすらできず、互いの呼吸の荒さだけが妙に耳についた。


「じ、じゃあ……やっぱり…」


「うん。想像の通りだよ…」


 フルドは喉を詰まらせ、言葉にならない声を押し殺す。

 アベルも眉を寄せ、僕から視線を逸らせずにいた。


「罪人が、例えば何も持たない一般人Aに成り変わっても、『問題なく扱える烙印』も存在するってこと。君たち目線で言えば、厄印を代償払う事なく扱えるイメージだと分かりやすいかな?」


 言葉を選びながら、二人との間にある空気の熱を奪うように告げた。

 木漏れ日の斑模様さえ、今は二人の肌を這う冷たい指先のように見える。


「だから、この物語(世界)では術印を持たない人ほど警戒されない、いわば『死角』みたいになるんだ。」


 言葉の余韻の響きは冷たく、砂利を噛むような重さを持っていた。

 2人から発せられる空気は重いままで、それが受けた衝撃を世界っている気がする。


「罪人は、きっともうこの世界を徘徊しているはず……何より、誰に成り変わっているか分からないこそ、先手を取られるとマズイんだ。」


 遠くで鳥の声が一度だけ響く。

 しかし、それは断末魔のように鋭く、すぐに深い森の静けさに吸い込まれて消えた。


「そして、もし罪人がもう古城ラグニクスの中にいたら?僕が『罪狩りです、見つけに来ました』なんて名乗った瞬間、正体を見破られる前に烙印を使って国をめちゃくちゃにして逃げるか、無関係な人たちを盾にするよ…」


 言葉を落としたあと、場に重苦しい沈黙が流れた。

 風が足元の砂をさらい、乾いた音だけが通り過ぎる。

 けれど僕たちの間には、それすら吸い込むような静けさが支配していた。


「だから、僕はただの『禁忌の長(ヴォルティート)』として、入り込まなきゃいけないんだ。」


 何より、知らない恐怖よりも知っている恐怖の方が人は律しやすいと思うのが人間。

 僕よりも、罪人という輪郭もまだあまり掴めていない得体の知れない何かに対して抱く感情は大きい。


「それに……可能性は、なにもそういう力を持たない一般人だけじゃないよ?古城ラグニクスの術印使いたちの可能性だってある…」


「……えっ…?」


 フルドから意識外から突かれたような声が漏れ出る。


「この物語(世界)には、ヴォルティートより強い人たちもいるわけで、特に古城ラグニクスの術印使いの中に罪人がいる場合の脅威は、2人ともよく知ってるんじゃない?」


「……っ!」


 そして、アベルの顔からさっきまでの感情の潮が引くように消え失せた。

 代わりに浮き上がったのは、想像したくもない『最悪の光景』を無理やり突きつけられた者の、青ざめた戦慄。


「おい……待てよ…!それじゃ、俺たちの知る人たちが……もうお前みたく『中身』を入れ替えられてるかもしれないって、そう言いたいのか!?」


「これは、可能性の話だよ。でも、『読者』の僕からすれば、それは十分にあり得る展開もの。」


 僕が淡々とそのように告げると、フルドが震える声で割り込んできた。


「そ、そんなのって……もし、術印を持たない人たちまで知らないうちにそんな……爆弾みたいに扱われるなんて…」


「だからこそ、向かう必要があるんだ。それに……」


 申し訳なさを感じつつ一歩、二人に歩み寄った。

 できるだけ声の起伏を消し、鏡のように冷ややかになるように響かせる。


「君たちが僕を拒絶して、ここで追い出すのは簡単だろうね?でも、その間に古城ラグニクスで誰かが『罪人』に成り代わられ、内側から食い破られたら……その時、君たちは自分を許せる?」


 指を突き立つか、次の言葉への間を置く。

 きっと、今の2人の脳裏には僕の言葉から自然と光景が浮かび上がっている。


「『禁忌が怖くて、本物の怪物を野放しにした』……そんな自分たちを?」


「……ぇ…」


「くっ…!卑怯だぞ、お前…!!」


 フルドの表情が曇り、アベルが絞り出すような声で唸った。

 2人とも、『見える毒』を飲み込んででも、『見えない猛毒』に対処しなければならないという、逃げ場のない状況を理解している。


「卑怯でいいよ。むしろ、こういう役回りをするのもあることだしね?」


 突き放すように、けれど慈しむような声音に言葉を乗せる。


「ディ、ディオス…」


「っ……分かった…分かったよ…!」


 小さく声を漏らしたフルドの横。

 額に手を置いていたアベルの言葉は重く、複雑な感情に濡れていた。


「なら……ああっ!とりあえずお前を『捕虜』として連れて行く…!これでどうだ!?」


「……ふむ…」


 現状の2人が、禁忌の長と激闘を繰り広げた末、勝利を掴み取った。

 状況としては、他の古城ラグニクスの術印使いたちは目を丸くして驚くとは思う。


「それが一番、角が立たずに、かつきっとお前を監視下に置ける名目になるだろうからな…」


 でも、この物語(世界)の転生者は、アベルを含めて総じて成長性が高い傾向があったはず。


 それなら、古城ラグニクス側の疑いが残るかもだけど、理由としては通る可能性が高い。


「……たしかに、僕もそれでいけると思うよ!」


 そう言葉をこぼして、自分も表情を緩めた。


「はぁ……なら、禁忌がどうこう言ってられないな……だよな、フルド?」


 アベルが低く呟く。

 その声音にはまだ迷いが混じっていたが、それ以上に、前へ進もうとする意志がにじんでいた。


「……そうだね。」


 フルドは小さく決然と頷く。

 短い返事のあと、二人の顔に同じ硬さが浮かんだ。

 まるで覚悟を共有した合図のように、沈黙の中で乾いた草がざわつく。


「ハハッ!それにしても、禁忌の長を捕らえたなんて知られたら古城ラグニクスは大騒ぎだろうね〜?」


 森の温度が数度上がったかのように、弾けるような笑みを浮かべた。

 胸の奥が高鳴るような感覚。

 そうして勢いよく、2人に対して近づいていった。


「ほ、本当だったらね…?で、でもきっと僕たちが厄印の長を捕まえて、連れて帰ってくるなんて、思ってないだろうし…」


「そんなネガティブにならなくてもー……あっ。」


 フルドの顔は少し暗く、事実との乖離があるならこそ不安が過っているのが見て取れた。

 そのフルドの言葉を聞き、古城ラグニクスに入るに当たって、今の自分たちの状態にも手を加える必要がある事に気づく。


「じゃあ、どうしようっか?!やっぱり、古城ラグニクスに入る直前になったら、激戦の跡をつけないと……とりあえず、僕の身体ボロボロにする!?」


「んなことをワクワクしたような表情で言うなよ…!」


「で、でもだよ…?最低でも、拘束されている状態とかじゃないと、変に僕が怪しまれそうだし…」


「い、いくらなんでもそれは……君の身体なんだよ…?も、もう少し僕としては、自愛というか…もっと、大切にしてほしいかな…」


「おおっ……優しいね、2人とも…」


 とりあえず、やる事は決まった。

 でも、次に移る前に2人には謝らなければならないことがある。


「でも……ごめんね?あんまり、こうやって2人の不安だけを煽るようなことは言いたく無かったんだけど…」


「あっ……い、いや…」


 眉を下げ、申し訳なさそうに視線を彷徨わせるとフルドも僕と似た表情になる。

 けれどアベルは顔を顰め、深い溜息を吐き出した。


「……そんな露骨に急にシュンとならないでくれよな…?申し訳なくなるし、むしろ作り物って分かるから不気味さ増して見える…」


「うっ……ねぇ、フルド、どうすればいいかな…?君の術印でも見えないから、もう手立てが…」


 僕がそう言うと、フルドは少し困ったように目線を泳がせながらも、口を開いた。


「そ、それでも大丈夫……どうしても古城ラグニクスに行きたい理由、知れたからね…?」


「フ、フルド〜…!」


「あのなぁ……俺だって別に、お前のそれを全否定してるわけじゃないからな…」


 フルドの優しさが刺さってきた横で、アベルも苦虫を噛んだような表情を浮かべていた。

 木漏れ日は再び斑に揺れ、濡れた土の香りが平穏を装って鼻腔を抜けていく。

 けれど、二人の歩幅は先ほどよりも広く、それでいて重い。


 そんな背中を向けて歩き出す二人のあとを追うように、再び古城ラグニクスへと続く森の奥へ足を進め始めた。


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