〈第17話〉色彩のない証人
ーー『それが自分の罪。』
低く、悔やむようでいて、その実、中身の抜け落ちた器のように空虚な声だった。
その言葉が鼓膜に触れた瞬間、思考よりも先に拒絶が走り、口が勝手に「はっ?」と乾いた声を漏らしていた。
だだ、本能が警鐘を鳴らしている。
「なんてね!なんてー…」
ディオスの唇が弧を描く。
けれど、その頬に浮かんだ笑窪はどこか不自然で、作り物めいた左右対称の整然さを湛えていた。
「……ごめん、さすがに言えないよね…?」
反射的な疑問よりも、『理解できない』という根源的な恐怖が泥のように喉にせり上がってくる。
目の前の人間から放たれる言葉は、心臓直接握り潰すように迫ってきた。
「僕は、4人の罪狩りの中で……自分の意志に従って、罪を背負ったみたいなんだ?」
俺の反応を値踏みするように見つめた後。
ディオスは静かに、諦めにも似た微かな呟きで言葉を継いだ。
「そして、『神』は僕が罪を犯したことをかなり危険だと判断して、原因となった記憶を……消したらしい…」
息を呑むことしかできなかった。
寒気が背中を這い上がり、視線を逸らそうとしても、金縛りにあったかのように動けない。
「……さっきから『らしい』とか『みたい』、って…」
「お前……」
言葉の節々には違和感があった。
今までディオスは、それらを『断定』していない。
まるで歴史書を読むように、淡々と『あったかもしれない事実』として口にしている。
だからこそ、とあることが連想できてしまった。
「……もしかして、自分がした事の記憶がないのか…?」
「ははは〜……意味が分からないでしょ?」
ふいに顔を上げた。
ディオスの瞳に宿っていたのは、光を一切反射しない深淵そのもの。
その眼差しに射抜かれた瞬間、心臓が肋骨を突き破らんばかりに跳ね、呼吸が重い液体を注ぎ込まれたように変わる。
「いや……でも、お前はこうして覚えていて…」
「もちろん、過去に僕が罪を犯したという『事実』だけは、忘れないようにさせられてるよ。ほんと……神っていうのは、残酷なまでにマメなんだよねぇ…」
言葉の軽さと裏腹に、その場を覆う空気はさらに濃く、重く沈殿していく。
それは、周囲の景色を歪ませ、光を吸い込みただそこに立つ『人間』という存在すら許さない。
これはまさに、絶対的な『断絶』の重圧だった。
「な、なんで、そんなことは覚えさせてるんだよ…?!」
「理由はー……結構、単純だと思うよ?」
その一言のあと、ディオスは口を閉ざした。
ただ視線だけが、冷たくこちらを貫いている。
返答を待つ沈黙が、耳鳴りのように重くのしかかりそのまま肺を締めつけた。
「あくまでこれは、僕個人の考えになるけど…」
今にも言葉が落ちてくるはずなのに、落ちてこないその空白が逆に恐ろしい。
喉がひりつき、呼吸が浅くなり、まるでこっちが自分の罪を言い渡されるのを待つ囚人のようだった。
「神は『罪を犯したという痕跡』だけを残すことで、その重みを忘れさせないようにした。」
「それって……」
『忘れられないように』。
その言葉が中身をくり抜いた空洞に、消えない汚れだけを焼き付ける。
『忘れられない』からこそ、理由も分からないまま、ただ重みだけを永遠に背負い続けるように。
「痕跡を……残す?」
思わず零れた言葉は、問いかけというより、自分の中でバラバラになった現実を繋ぎ止めるための確認だった。
そうでもしなければ、理解が追いつかない。
「そう。こうしてあえて不完全なものとして生かして、『存在そのもの』に罪の烙印を刻む。」
その一言が落ちた瞬間、底の見えない暗い池に、重い石を放り込まれたような感覚があった。
波紋は静かに、けれど逃れようのない速度で胸の奥へ広がり、やがて冷たい泥の底へと沈んでいく。
「そうして僕自身を、『罪の証人』っていう、生きた記録媒体として使い潰すことに決めた……こういう経緯、かな?」
ディオスは、まるで他人事のように語りながら軽やかに笑った。
だが、その声音には色彩も温度も欠落している。
ただ事実を並べるだけの機械的な振動。
それが、余計にこっちの寒気を誘った。
「性格、悪いよねぇ……見せしめとしては、合理的なんだろうけど?」
続けて無理に軽口を叩いてみせたが、乾いた声が喉にひっかかる。
ディオスの言う『証人』という存在は、ただ記録を留める冷たい装置に過ぎないはずだ。
それが目の前の人間の姿をしているという事実が、どうしようもなく不気味に思える。
「お前が、それ起こした原因を……」
言葉を繋ごうとした瞬間、胸の内の天秤が、測りきれない重圧で一気に傾いた。
自分は、どんな表情を浮かべればいい?
どんな言葉を投げかければ、空白を埋められる?
「……いや、そうだよな…」
何一つ、浮かんでこない。
自分と同じ、血が流れているはずの身体に、地獄の底まで続くような巨大な罪の鎖が、幾重にも巻き付いている。
その光景を幻視し、思わず眩暈がした。
「な、ならお前は……もし、その記憶が蘇ったらどうする気なんだ…?」
それでも、どうしても聞きたい、喉の奥に沈んでいた問いを絞り出す。
「それは……」
「今こうして罪狩りとして贖罪をしているけど、自分を罪人に突き落とした『事実』は……間違いなく存在していたんだろ…?!」
耐えきれず、ディオスの言葉を遮るように問いを投げつけた。
すると、ゆったりと姿勢を崩す。
その動作一つとっても、重力に逆らわない滑らかな、けれど生命感のない動きだった。
「考えるまでもないよ……いや、『想像できない』って、言えばいいのかなぁ…?」
ふいに、ディオスの声から一切の抑揚が消えた。
まるで、レコードの針を跳ね飛ばすように途絶えたかのような、不自然な断絶。
「僕ってさ?そういう重要な記憶と一緒に、『そういうもの』も根こそぎ消されたからね〜…」
「消され、た…?」
問いかけは、ひび割れた地面に吸い込まれる雨粒のように、何の響きも持たずに消えていく。
すると、ディオスは首をわずかに傾ける。
「だから……特に何も考えられないというのが、正解かな?仮に自分の罪状を事細かに知ったとしても、僕は今と同じように、ただ与えられた役割を生きていくはずだよ。」
「ま、待てよ!そういうのって、一体何なんだよ!?」
問い詰める自分の声だけが、この凍りついた空間で上ずっていた。
ディオスは視線を斜め上へと泳がせ、まるで辞書の索引を指でなぞるような沈黙を置く。
その数秒の間が、心臓の鼓動を一つ打つたびに肺の空気をじわじわと希薄にしていった。
「あー、うーん…」
困ったように眉を寄せ、唇に指先を当てる。
この『思案するポーズ』さえも、計算された舞台上の所作のように見えてしまう。
「……平たく言えば、『感情』かな?」
その言葉に、一瞬呼吸が止まった。
たった今、ディオスが吐いた『感情』という単語は、ただの説明以上の重さを持って落ちてくる。
「か、感情がないって、どういうことだよ…?」
問い返した自分の声が、場違いなほど震えていた。
脳裏を、これまでのディオスの姿がよぎる。
場をはぐらかすような軽口、憂いを帯びた瞳、時折見せたどこまでも暗い眼光の明滅。
物語を好きだと語っていた弾むような口調。
それらすべてが、精巧に組まれたパズルのように崩れ落ちていく。
「じゃあ……今まで笑って見せたり、暗い表情を作ったりしたのは、何だったんだよ…?!」
「それは……全部、今までの知識とか経験から導いた『適切な顔』に過ぎないものだよ?」
平然と放たれたその言葉は、背筋に冷たい刃の切っ先をそっと当てられたような戦慄を連れてきた。
目の前にいるのが、人間の形をした『何か』に一気に変質する。
そしてその実態は、感情という火を抜き取られた無機質な『燭台』に等しい。
ただ、模倣という名の偽りの光を装っているだけ。
「僕にとって表情は、言っちゃえば仲良く他者と交わるためのもの近い……だから、本当に心から溢れたものじゃないかな?」
言葉が終わるのを待たず、周囲の静寂が密度を増した。
風の音さえも、ディオスという『空白』に吸い込まれて消えていく。
「なんだそれ……い、今まで、ずっとそうやってたのか…?」
『人形』。
前に自分の中で吐き捨てたはずの言葉が、鏡のように自分に跳ね返ってくる。
否定もせず、かといって自嘲するでもない。
ただ『正解』を提示されたかのように、淡々とそれを受け入れている。
「おぉ……ハハッ、そうだね?」
ディオスは喉を鳴らして笑った。
だが、その瞳だけは一切の揺らぎを見せず、湖底の石のように静まり返っている。
その反応こそが、何よりもディオスが人間であることを辞めさせられたように見える証拠のようだった。
「まぁ、でも……僕が『かつて感情を持っていた』という記録は知っている!そして、その空白を埋めるために、僕は色んな物語の中で人の表情とかを学び続けているんだ!」
ディオスは、ゆっくりと両手を上げた。
一度目を閉じ、その手を自分の顔に近づけていく。
「例えばさ〜……」
そして、細い指先を左右の口角に添え、ぐいっと上向きに押し上げる。
「こうすれば……」
その瞬間、今まで自然だったはずの笑みが、一瞬で物理的に作られたものに変わった。
ただ不気味に、認識そのものが歪んだように。
指で歪められた皮膚の下に、熱はない。
「君には、より『嬉しそう』に見えるんでしょ?」
目を逸らそうとしたのに、逸らせなかった。
返す言葉を探そうとしたが、喉が石のように固まって声にならない。
沈黙が広がるたび、ディオスの放つ『虚無』がじわじわと、こちら側の現実に侵食してくる。
まるで、自分の中にある正常や感覚までが吸い取られていくような悍ましさ。
「誰かが涙を流すとき、誰かが笑うとき……その機微を辿れば、いつか無くなってた感情の座標を取り戻せるかもしれない、って思っているんだ?」
顔から指を離すと、自然な笑みへと戻る。
だが、ディオスの言葉は、どこか観測したデータを読み上げているかのように淡々としていた。
「それって……お前は、『感じる』ことができないのに、『感じているふり』をして生きてるってことか…?」
「ふり、というより『模倣』かな?」
ディオスは軽い調子で問いを投げ返してきた。
『心がない』はずのその眼差しに射抜かれるたび、警告音のような激しいざわつきを繰り返していた。
「……けれどね。模倣を続けることで本物に近づけるのなら、それはもう『ふり』とは呼べないんじゃないかなぁ?」
その瞳は夜の底のように深く、それでいて不気味なほどに透き通っている。
まるで、光を反射するだけで何も受け入れない硝子の球体。
「こういった経緯があったから〜……君の反応とかを見ていたら、僕も詮索する必要なく不意に何か『思い出せる』と思ったんだよね…?」
「だからか…?!」
喉の奥で、苦い合点がいく。
なんでコイツがあそこまで執拗に距離を詰め、心を逆なでするような言葉を重ねてきたのか。
「や、やり過ぎてたっていうのは、自覚してるからね!?」
何よりそれは、きっと悪意ではなく、より身勝手な好奇心。
いや、もはや好奇心とも呼べない、名前のつけられない執着のようなもの。
「……でも、本当に良かったよ。」
不意に向けられたその声は、背中を撫でなぞるように柔らかかった。
けれど同時に、その笑みの奥にある冷たさは冬の川底のように深く、凍りついたまま解けはしないことも、もう理解している。
「あれで君が、僕のようにならなかったことも納得したし、安心もした……うん、色々言ってごめんね?」
ディオスは眉を下げて、申し訳なさそうな『形』を作ってみせる。
だが、その口元は相変わらず三日月のように緩んだ形で貼り付いたままだった。
「いや、でも……それも、作り物なんだろ…」
手のひらの上で転がされ、内側を覗き見られていた不快感。
それが霧散するよりも早く、奇妙な気まずさが胸に居座る。
なにより、この謝罪の言葉すらもただの適切な出力。
また、選ばれているだけだ。
俺に向けるために、用意された言葉を。
「……そうだね。」
ディオスは、一瞬でその『表情』を消す。
口元の緩みは変わらないまま。
ただそれ以外の顔のパーツから、感情というノイズが消えたように見えた。
「今の『ごめんね』も、さっきの『安心した』にも、言葉には本物の重さも、温度も、心臓の鼓動も乗せられない。」
声からも温度が消える。
まるで、スピーカーから流れ出るような無機質なもの。
「だから、ないものをあるって……そう言い切るのは違うかな……うん、ただ滑稽に映るだけだろうね?」
瞬きすら忘れたような瞳で、こちらを覗き込んだ。
その双眸は、光を反射するだけで何も吸い込まない、死んだ湖の地表に似ている。
「……でもね?これはそんな僕ができる、無いなりにすべき『礼儀』だよ。」
「……っ…!」
「まぁ?礼儀、って言い方で合ってるかわからないけどー…」
沈黙が、粘り気のある重い幕となって間に降りた。
耳の奥で、自分の血管が脈打つ音だけが不自然に大きく響く。
「……どうしてだ…」
それでも、喉の奥に棘のように刺さって取れない、鋭い違和感が残っていた。
「何で……その神っていう存在は、ディオスの感情まで消したんだ…?」
「えっ?」
絞り出した問いが、凪いだ水面に広がる波紋のように大気を揺らした。
「いや……別に記憶を消したお前に、特に関係あるようには見えない…」
「……そうだねぇ…」
ディオスは小首を傾げると、問いの余韻が頼りなく空を泳ぐ。
返答を待つ間、死んだような静寂が耳鳴りとなって鼓膜を圧迫し続けた。
「……神が感情を消した理由は、言ってしまえば記憶だけを消すのじゃ、罰として不十分だったからだと思うよ?」
「ふ、不十分…?」
反射的に言葉をなぞった直後、重い沈黙が落ちた。
吐き出した息が、目の前で霧散して視界を遮るような錯覚。
喉の奥に、錆びた針を沈められたような鈍い違和感がじわじわと広がっていく。
「『記憶』は……ただの映像や言葉の断片にすぎないもの。けれど感情は、それに意味を与えるもの……いわば、『色彩』だね?」
ディオスは、飴色のテーブルの木目を指先でなぞってみせた。
「もし僕が、記憶を持たなくても感情を持ち続けていたなら……その燻る熱が、また同じ罪を繰り返させる燃料になったかもしれない。」
テーブルの端まで動いた指が、力無く落ちる。
「だから神は、僕という回路から『火種』を抜き取った…そう考えるしかない、っていう方が近いかもね?」
理屈自体は、たしかに理解できる。
だが、そこに宿る冷たさに、しばし息を飲むしかなかった。
「じゃあ……神は、その原因を絶ったわけか…?」
「……だね?少なくとも、表面上は……アレの考えていること、あんまり理解したいとすら思わないしね?」
その拒絶の言葉にも、温度がこもっていない。
流れる空気が重い。
言葉の後に落ちた静寂はただ無機質で、どこまでも広がっていった。
「……人ってさ?罪を犯すとき、必ずしも理屈や計算だけで動いているわけじゃない。むしろ、密接に絡み合っているものが『感情』だと思うんだ?」
「感情……何でそう思うんだ…?」
その一語を反芻するだけで、心に重みが増した気がした。
考えがまとまらず、ただ逃げるように視線を落とす。
地面の砂粒の数さえ数えられそうなほど、時間は緩慢に引き延ばされていた。
「例えば……怒りとか、嫉妬とか、分かりやすいものもあるけどさ…」
その言葉が心臓を叩く鐘の音のように響き、記憶をひとつずつ呼び覚ましていく。
「人って、それよりもっと曖昧で、自分でも理由が分からないまま壊れることの方が多い気がするんだよね?」
返す言葉を探す間に、呼吸だけが大きく揺らぐ。
鼓動が胸の中で不協和音のように鳴り響いた。
「記憶は、ただの記録映像にすぎないけれど、その映像に『意味』を与えて行動に変えるのは、いつだって人が持つ『感情』なんだと思う。」
まるで、自分の内側を冷たい手でまさぐられているような感覚だった。
肺の中の空気がじわじわと希薄になり、自分の鼓動だけが、場違いなほど激しく響く。
「つまり、お前の考えとしては、感情こそが罪の原動力ってことか…?」
「うん。でもね……皮肉なことに感情を失うっていうのは、ある意味で『罰を理解できない存在』になることでもある。」
「罪を理解できない、存在…?」
その響きは、胸の奥で石のように沈んでいった。
言葉を返すまでに、深い間が必要だった。
「『それ』が無ければ、苦悩も後悔も感じない。……今の僕みたいにね?」
一拍。
空気が張り詰め、言葉の続きを待つ時間が途方もなく長く思えた。
「だから神は『罪を背負う証人』を作るために、記憶の痕跡だけは残した。記録と苦悩を両立させるために、感情と記憶を切り分ける……残酷で、罪人に対しての罰としては最適でしょ?」
「なん、だよ……それ…」
「まぁ……少なくとも、神にとってはだろうけどねー…」
返す声は出なかった。
代わりに、沈黙が答えのように場を満たした。
「別に、神は赦しを与えたわけでも、完全な罰を与えたわけでもないし……本当に中途半端に削ぎ落として、不完全な状態のまま、また世界に投げ出したんだからさ?」
ディオスが言葉を重ねるたび、内心の呟きは光の届かない底なし海へと沈んでいくようだった。
どこまでも深く、暗い場所へ。
「……きっと、神にとって大事なのは、僕が『更生する』ことじゃなく、『永遠に証明し続ける』ことなんだろうね…」
「証明…?」
「そっ。『人は罪を犯せば、こうして心を奪われてもなお、標本のように存在して生き続ける』……ってね?そして、僕自身がその証拠ってわけだよ。」
その言葉が耳に触れた瞬間、再び目の前の景色がノイズが走って歪んだ気がした。
「まぁそれでも、自覚のない罪が僕に張り付いているっていうのは、かなり気持ち悪いだろうけどね…」
「想像……できないな。自分のしたことを知らないまま、その重みだけを背負うなんて…」
まるで、ディオスの背後に見えない神が筆致で『罪』という文字を刻み続けている。
そのような悍ましい情景が、脳裏に張り付いて離れない。
「……でしょ?僕は空っぽの身体に罪狩りという役割を与えられた。誰にどんな風に牙を向くのか本人にも分からない……人間の持つ感情って、多分そういうものでしょ?」
そう語るディオスの瞳が、不意に揺れた。
それは、失った何かを惜しむような、ひどく繊細で悲しげな光を湛えていた。
「だから……僕はその『可能性』ごと、不必要なもの以外の記憶は消された。」
真っ直ぐに俺を射抜く、その眼差し。
そこからは、たしかに血の通った『感情の動き』が読み取れるような気がした。
「罪狩りの1人はさ……人間の中で最も要らないと思っているものは『感情』だと言ったんだ…?そして、その考えの引き金になったのが僕。」
けれど、次の瞬間。
その表情さえも、今までから選び取った『出力』に過ぎないという事実に思い当たり、胃の辺りが冷たく波打つ。
「い、今の話を聞いたら……そう思う奴がいても、否定できないかもな…」
「だよね……人間は感情の通りに動く生き物であり、それが暴走してしまえば何の前触れもなく、何もかもを壊す可能性があると…」
このディオスの言葉は、それは決して他人事ではない。
喉元まで迫っている、身近で、切実な恐怖。
「……僕は、身をもって証明してしまった。」
誰もが、激情のスイッチ一つで、取り返しのつかない『あちら側』へ踏み出してしまう。
自分も今この瞬間、その境界線の上に立っているのではないか。
「でもねぇ……これも僕にとっての都合のいい解釈、かもしれないね?どう考えてるかなんてさ、結局は観測者次第……って言えば、全部丸く収まるし?」
ディオスの言っていた『バッドエンドに近い結末』。
それは、肉体が滅びることではなく、感情という舵を失い、ただ罪の記憶だけを反芻する『生きた装置』に成り果てるものである可能性。
「………じゃあ、俺は…」
そう理解した瞬間、言いようのない不安が、冷たい蔦のように背骨を這い上がってきた。
「ああ!でも、それも僕の場合の話だよ!?」
不意に、ディオスの声が弾んだ。
先ほどまでの死の静寂を塗り潰すような、あまりに鮮やかな『明るさ』だった。
「それに君は僕と違って、今こうやってここで自分の感情を曝け出せているじゃん!」
「……!」
「だから、これができたら僕みたいにはならないとは思ってるよ?それに君には、この世界の頼れる人たちもいるんだし!」
こちらの喉元まで迫っていた不安を、見透かしたように、あるいは掬い上げるように。
言葉を交わすごとに、この『ディオス』という存在の輪郭が、少しずつ形を成していく。
「まぁ……こうは言っても、これも君次第になるだろうけど…」
それは、理解を拒む怪物などではなく、あまりに巨大な『欠落』を抱えた、脆い『何か』だった。
「……じゃあ、この話は終わりにしよっか!」
共感の粒が、心の奥底に静かに積もっていく。
感じていたはずの恐怖は、いつの間にか、奇妙な親近感へと姿を変えていた。
「そろそろ、フルドのことを迎えに行かないとね〜……結構長い時間、待たせてるだろうし?」
「あっ……そ、そうだ…!フルドはどこにいるんだ…!?」
張り詰めていた空気がふっと緩み、我に返った。
「心配せずとも、こことは違う世界にしっかりいるよ……でも、忘れかけてたでしょ〜?」
クスクスと笑みを浮かべるディオスの姿が、不思議と遠くも近くも見えた。
その姿には冷たさと温もり、絶望と救い、相反するものが同居している。
「し、仕方ないだろ!?こっちはもう訳わかんないくらい、色んなことを頭に詰め込まれたんだぞ…!?」
罪を証明するために残された存在。
けれど同時に、人間のように『模倣してでも感情を求め続ける』存在。
「あはは!確かに〜。」
なら、どちらが本当のディオスなのか。
いや、もしかしたらそのどちらもが嘘で、どちらも真実なのかもしれない。
残ったのは、鋭い棘のような恐怖でも、憐れみでもなかった。
ただ、拭い去ることのできない『共鳴』。
感情に呑まれれば、自分もまた同じ『空洞』へと辿り着いてしまうかもしれない。
その危うさを、共有してしまったという逃げようのない確信だった。
「……ねぇ?今までの話を聞いてみて、君は僕をどう『みる』?」
ディオスがふと見上げるように問いを投げかけてきた。
その瞳には、一抹の期待も、不安も宿っていない。
ただ、真っ白なキャンバスのような虚無がそこにあるだけだ。
「そ、そうだな…」
けれど今は、まだ歩ける。
目の前の人間のように『証明』として残されるのではなく、まだ『選ぶ』ことができる。
だけど、ディオスの求めているものもまた…
「……人間って、意外と深いところは変わらないんだなって、思ったな…?」
そう思ったとき、不思議と足が前に出ていた。




