〈第14話〉無題の罪狩り
その笑顔を前にして、すぐには言葉は出てこなかった。
ディオスが今まで語り、見せてきた内容は滅茶苦茶だ。
世界を物語だと言い、人間を登場人物だと言い。
その上で、自分は『読者』としてここへ入り込んだのだと笑っている。
普通なら、狂人の妄言だと一蹴して終われる。
だが……
「……っ」
喉が引き攣るのは、否定しきれない。
それは、たしかに自分が見たもの、感じたものがあるから。
世界が白紙へ変わり、無数の情景へ書き換わっていった感覚。
あれを、『ただの幻覚』と切り捨てるには、あまりにも感触が鮮明すぎた。
空気の冷たさも
あの光の眩しさも。
インクの匂いも。
「さぁさぁ!君は、僕にどんなことを聞きたい?」
その声が鼓膜を叩いた瞬間、視界に再び色彩が戻る。
まるで深く冷たい水底から、無理やり水面に引き上げられたような唐突な目覚め。
肺に流れ込んできたのは、現実という名のひどく重い空気だった。
「好きなだけ、答えてあげるよ?」
ディオスは歌うように言い、こちらの反応を愉しむように首を傾げた。
その瞳の奥は、真夜中の星屑が覆い隠された空ように暗く瞬いている。
「聞きたいことは……たくさんある…」
正直、この世界に来た時から驚愕のストックは、ほとんどはもう出し切ったと思っていた。
だが、今この瞬間も、想像の埒外にある事象が目の前で声を上げている。
「それも、理解したくても到底理解し切れないほどのものも……理解したくもないことも含めて、だ…」
引きつけられた時に感じたのは、言語化を拒むような、どろりと濁った感情。
身体の内側で灼熱と極寒がせめぎ合い、吐き出した吐息だけが、実体を持った鉛のように足元へ沈んでいく。
「この世界に来ても……驚くことはやっぱりまだ、たくさんあるんだな…」
「まぁ、それが人生だからね?」
「っ……どの口が言ってんだよ…!?」
何より、自分は一度死を経験している身。
この世界に来た時点で、ディオスがいった自分が誰かの手で編まれた存在であるという、呪いのような事実。
これについては、嫌に合点はついてしまっていた。
「でも……分かった。お前が、俺に付き纏い続ける気なのも……俺は、もうお前の視線から逃げられないのも…」
それを振り払うように自らの頬を強く叩く。
乾いた音が静寂を裂き、しびれるような痛みが思考を現実に繋ぎ止めた。
「目的が、あるんだよな……それでお前は、俺に、この世界に付き纏うつもりで…」
肺の奥まで澄んだ空気を吸い込む。
冷涼な大気が全身を巡る感覚だけが、今の自分にとって唯一確かな『生』の証だった。
だからこそ、まだ自分はここにいられる。
「……なら、ぐちゃぐちゃに、書き換えてやる…」
全部本物だ。
不快感、痛みも、過去も、これからも……そして今も。
誰に定義されようが、誰に描かれたものであろうが。
コイツが入ったことで別に変わったとか、どうでもいい。
全部、自分だけのものだ。
「誰が書いただろうが、お前が望んだものだろうが…!全部、へし折ってやる…!!」
だからこそ、抗ってやる。
コイツが言ったように、既定路線の展開、作られた枠なんか飛び越える。
「……ハハッ!いいね……」
こっちの言葉に、ディオスは変わらず和かな笑みを浮かべた。
「そうそう…!解釈なんて、結局は見ている側が好きに決めるものだからね!?」
どこまでも変わらないその笑み。
こっちの言葉を行動を、読者として値踏みするようなこの視線から逃れ続ける気もない。
自分に降りかかる重い空気を振り払うよう、ディオスに対して再び向き直った。
「はぁぁぁ………じゃあ…」
一呼吸、時間が止まるような間を置いてから、俺は何よりも知りたい核心へと踏み込む。
「……『目的』は一体何だ?お前は、好きなように『物語を行ったり来たりできる』って言っていた…」
「だね?」
その言葉を投げかけた瞬間、ディオスの喉が小さく鳴った。
ざわめく草葉、渡る風、遠くでさえずる鳥の声。
「そんな、大層な力を持ってこの世界に来たんだ……それほど、その目的自体が大きいんじゃないか?」
それらすべての環境音が、まるで巨大な渦に吸い込まれるように、ディオスという一点へと収束していく。
そんな錯覚を覚えるほどの静寂が、鼓膜を圧迫する。
「うーん……そうだね。個人的な我儘を横に置けば本来の、より大きな目的があるよ?」
ふざけ半分だったディオスの声から、薄皮を剥ぐように軽薄さが剥落していく。
剥き出しになったのは、冗談の入り込む隙もない、真空のように澄み渡った静謐な響き。
それは、ある種の覚悟にも似た、純粋なものだった。
「僕が、この物語に来た目的……」
ディオスはそこで言葉を切り、無造作に指先で空をなぞる。
その指の軌跡に沿って、世界の境界線が歪んだ気がした。
「ズバリそれは!『この世界の罪人の断罪』ってわけだね!」
「……!」
唐突に突きつけられた『断罪』という言葉。
その鋭利な棘に思考が一瞬、凍結する。
「いやぁ、でも……この言葉だけじゃ、何を言っているか分からないよねぇ…?」
意味は理解できない。
だが、生存本能が危険な不協和音としてその言葉を反芻し、警告を発していた。
目の前の存在は、世界の調和を無視して入り込んだ『異物』を狩るために、読者という特等席からこの世界へと降りてきたのだと。
「まぁ、な……」
冷え切った頭を強引に回転させる。
『罪人』という、新しく提示された不穏なピースをパズルの空白に当てはめていく。
顎に手をやり、絞り出すように推論を口にした。
「『罪人の断罪』……つまり、お前はそいつを追ってここへ来た…この世界には、お前の世界から逃げ込んできた『別の何か』がいる……そういうことか…?」
「おおっ?」
目を細め、値踏みするような視線をディオスにぶつける。
それに合わせるように、ディオスも表情を崩していく。
「だから、そうなると……お前の目的は『境界線を超えた逃亡者の捜索』、ってところか…?」
「正解、大正解だね!」
ディオスは心底驚いたように、大袈裟なほど目を丸くしてみせた。
だけど、その瞳だけは笑っていない。
やっぱり、淡い光とそれをすぐにでも飲み込もうとする底のない暗闇が、こちらを覗き込んでいる。
「確かに追っているのは名前の通り、僕の世界にいた存在。……この物語にいる、『僕以外の観測者』。」
一拍置いて、ディオスの声の温度がさらに数度、下がった。
思考の隙間に滑り込んできたその言葉に、首筋を冷たい指でなぞられたような悪寒が走る。
「そして、おもーい罪を背負った『重罪人』だよ。」
軽薄な口調とは裏腹に、ディオスの神妙に語るその様子。
それだけでも、相手がただの『人災』という言葉すら生ぬるい、概念的な災厄のようなものであることを悟れる。
「(コイツみたいな奴が、もう1人……)」
この世界における最悪の前例。
厄印の『骸霊』や『禁忌』のように存在している混沌の類。
それと同等、あるいはそれ以上の『何か』が、自分が生きているこの空の下に潜んでいる。
「(しかも、話を聞く限り、コイツよりも厄介な『悪意』だってのかよ…!?)」
冷や汗が頬を伝い、地面へと落ちる。
その雫が土に染み込む音さえ聞こえるほど、世界は依然としてディオスの言葉を待つように静まり返っていた。
「そして何を隠そう、僕はそんな罪人を排除するための、『罪狩り』という存在なんだ!」
朗々と響くその名。
だが、それは祝福なんかではなく、どこか空虚の響きを孕んでいた。
「……『罪狩り』…?」
思考の端々で、その不穏な語彙を自分なりに咀嚼する。
言葉の輪郭とこれまでの発言を照らし合わせれば、自ずと答えは一つに収束した。
「つ、つまり……この世界に来た罪人に天誅みたいなものを与えにきたわけか…?」
それは、法も倫理も通用しない異世界の重罪人に対しての、いわば『処刑人』のようなの概念。
そう考えれば、噛み合うような気がした。
「て、天誅ぅ……まぁ、そう捉えられるかもね…?」
「なんか、本当に神様みたいなことしようとしてるんだな、お前は……やってることのエグさを抜けば…」
「ははぁ……」
少し皮肉を込めたつもりだった。
だが、その言葉を投げた瞬間、ディオスの面に差していた万能感に、ふっと翳りが差す。
「……まぁ、それは最大級の褒め言葉として受け取っておくよ…」
不意に零れたディオスの表情は、苦い薬を飲み下した時のようなもの。
あるいは触れてはならない古傷を突かれたような、ひどく場違いな『困惑』だった。
「……なんで、そんな嫌そうな顔してんだ?」
「いやいやぁー…」
誤魔化すようにディオスは気まずげな笑みを浮かべ、片眼鏡から垂れる銀の紐を指先にクルクルと巻きつけた。
その指先の微かな動きが、ディオスという存在の奥底に、決して神なんかではない剥き出しの人間性が浮き沈みしていることを教えてくれる。
でも同時に、何気ないはずのその仕草に奇妙な緊張を覚え、思わず身構えた。
「それが目的か……なんだか、他人の人生を特等席で眺めて、面白おかしく結末をいじることだけにしか興味がないのかと思ってた…」
「さすがに、意味もなくはやらないよ…?」
意外と、コイツにもしっかりとした目的があった。
話のスケールがさらに拡張されて、こっちがさらに押さえつけられるような感覚さえある。
「少し、見くびってたな……まぁ、見た目相応の、子供っぽい物言いとか雰囲気は節々にあるけどな…」
「あ、あっのねぇ〜…!」
声を張り上げたわりに、ディオスは妙に小さく肩をすくめた。
さっきまで見せていた上位存在のような物言いは消え去る。
その仕草はあまりに矮小で、からかわれた子供そのものに見えた。
「僕はそんな単純で、残酷な人間じゃない!物語の中に入ったからには、責任感を持っているんだからね?!そこを履き違えられるのは、頂けないよ…!」
「えっ……あ、いや…」
一瞬の沈黙が流れる。
その余白に、遠くで小さく、無邪気な鳥の鳴き声が染み込んでいく。
空に流れる雲が、自分達を包む影の形を変えた。
「……なんか、悪いな…?」
「あと!こう見えても僕は、君より遥かに長い時間を……それこそ気が遠くなるほどの『物語』を渡り歩いてきたんだよ!?だから、もう少しだけそういうところ意識してくれてもいいんじゃないかなぁ…!」
冗談めかした口調。
だが、その声の震えには自尊心を繋ぎ止めようとするような、妙な必死さが混じっていた。
「(き、急にめちゃくちゃ……)」
笑って受け流すべきか、それとも鏡を見るように真摯に受け止めるべきか本当に迷う。
判断は一瞬、宙に浮く。
「(……コイツにとっては、そんな些細なプライドの方が重要なんだな…)」
その発見を脳の最奥で反芻しながら、肺に溜まった空気を出すように息を吐き出す。
『罪狩り』の皮を一枚剥いだ内側に、必死に守り続けてきた『自尊心』という名が、確かに見えた気がした。
「まぁ?あんまり気にしてないから、別にいいんだけどー…」
「今の態度を見せられて、流石にそれは無理があるだろ…」
語尾を濁しながら、ディオスは所在なげに視線を泳がせる。
あんな壮大なことを語った口と同じとは、到底思えないほど。
「(……興味8割で、こっちの人生散々掻き回してるのにな…)」
嫌味を心の中で呟いたとき、風が吹き抜けた。
草木の葉が揺れて、乾いた音を立てる。
不思議とそのざわめきが、自分の逡巡を肯定してくれるように思えた。
「……それにしても、もう既に驚かなくなったね?」
「は、はぁ……」
ディオスは、まだ自尊心の残り火を燻らせるように首を傾げている。
だが、その瞳の奥はこちらを解剖するかのように鋭く観察していた。
「僕の経験上、中々にこの事実を簡単には受け入れてくれる人ってあまりいなかったからね。……やっぱり、君の被害経験値が高いからなのかな?」
「な、なんだよ、被害経験値って…!不吉な造語作るな!」
こちらの反応一つ、呼吸一つを値踏みし、その裏側に隠された本質を暴こうとしている。
ここにきてから何度も受けてきたこれは、そんな底知れない視線だ。
「それについては、この過酷な世界で生きて来たおかげだよ……あとは、そう!お前のせいだ…!」
「えぇ、僕…?」
「当ったり前だろ!なんで、そんな心底困惑したような表情、今更できるんだよ…!?」
心臓を叩く不安を無理やり捩じ伏せ、言葉を吐き出す。
吐き出される理屈で納得したわけじゃない。
ただ、幾度となく理不尽に晒されてきた経験が、『まずは、こいつの言うことは受け入れるしかない』と、本能に刻み込ませていただけ。
「もう……ここまで来たら、お前の言う肥大化した設定も、空想じみた理屈も……深く考えずにそのまま呑み込むことにしたんだよ…」
「ほほぅ!それは、僕としてもありがたいね〜。」
ディオスは満足げに目を細めたが、ふと思いついたようにこっちの顔を覗き込んできた。
「……でもなんか、年以上の哀愁漂ってるね?まだ君って高校生になったくらいでしょ?」
急に核心を突かれた。
この世界やコイツに馴染もうとしていた自覚があるだけに、その言葉は予想外の鋭さで胸を突く。
「う、うるせぇな…!」
吐き捨てた言葉は、自分でも分かるくらいどこか子供じみた熱を帯びていた。
そんな自分に少しだけ戸惑いながらも、強引に話を戻そうとした。
「うんうん。良かった〜…」
そう言いながらディオスは口元を緩める。
だがその笑みにも、やっぱり人間らしい『安堵』がほんの一瞬だけ滲んで見えた。
それはすぐに消えたそれが、逆に印象的だった。
「と、とりあえず……お前の目的については、ひとまず理解した…」
結論。
この『ディオス』という存在は、想像も及ばない場所から来た俺と似た異邦人だ。
だが、その矛先は『世界』ではなく、この世界に潜む『敵』に向けられている。
少なくとも今この瞬間、こいつが自分の喉元を掻っ切ることはないはず。
「……だから…」
それでも、とことんタチが悪い奴という事実だけは揺るがないものになっているが。
「……『罪狩り』について、詳しく聞かせろ。」
覗き込むようにじっと視線を送ると、ディオスの表情が緩む。
まるで、『待ってました』と言わんばかりの形。
「なるほどね!それは中々、かなり広い範囲の話になるね?」
ディオスは話す内容を整理するためか、こっちから目線を外して空白の時間を作った。
だが、それはすぐに一転して、笑顔に満ちた表情で口を開く。
「そうなれば、まずは、罪狩りの基本的な知識から教えてあげよっか!」
そう言うとディオスは、指を擦り合わせて鳴らした。
すると、周りは一瞬暗くなり再び世界は一転。
瞬きの後には、青々と巨大な樹木が生い茂る深い森の中にいた。
「はっ…!?こ、ここって…!」
勢いよく立ち上がり、周囲を何度も見渡す。
頭上からは柔らかな木漏れ日がチラチラと降り注ぎ、どこからか喉を鳴らすような鳥の鳴き声が聞こえてくる。
「さてさて!ここは何処でしょうか!?」
だが、この湿った土の匂い、肌を撫でる空気の質には、ハッキリとした見覚えがあった。
ディオスは俺の困惑をまるで酒の肴にするかのように、ジロジロとその表情を覗き込んでいる。
「わ、分かった…!お前の望み通りの答えを言ってやる…」
溜息混じりに、記憶の断片を言葉に紡ぐ。
でも正直、あんまり思い出したくないものだった。
「この場所は……そうだな…?俺が、『この世界に来て初めにいた場所』だ……だろ?」
「あっ、よく気づいてくれたね!」
「ここまで気づけって、思いっきり表情に出されたら嫌でも思い出すだろ…!」
答えを投げかけると、予想通りの答えを聞けたためか軽く笑った。
あからさまな『察しがいい』という眼差しを向け、近くにあった木の幹を触りながら話す。
「まあでも、ここまで露骨にやったら、流石に簡単に繋がって、分かっちゃうよね〜…」
「あのなぁ……今まで何も触れなかったけど、これもお前の力なのか…?さっきの場所もそうだった…」
脳裏に焼き付けられた景色をまた思い出す。
あれは、世界の情景が万華鏡のように移り変わることから始まった。
極めて短い時間ながら、一つ一つの光景が確かに存在しており、最後は古城。
加えて、今のこの状況を考えれば…
「……お前、意図的に俺の今までに関係している場所に景色を変えてるな?」
「……その通り。君の言った通り、これも僕が持っている力になるね?」
木の幹から手を離し、ディオスがゆっくりと歩み寄る。
周囲の景観が、その歩幅に合わせて微かに脈打つ。
この森の静謐ささえも、ディオスという個に平伏しているかのようだった。
「なら……教えてくれよ。お前の言う『罪狩り』の正体を……そして、その力についてな…?」
「了解だよ!じゃあ、早速本題……」
言いかけたところで、ディオスは一度、芝居がかった動作で深い呼吸を置いた。
その声音から軽薄な響きが削ぎ落とされ、代わりに古びた経典を読み上げるような、荘厳な重みが宿る。
「コホン、えーー……『罪狩り』とは!字面の通り、『平穏を乱す罪人に、罰を与える代行者』!」
「(本当に、名前通りなんだな…)」
湧き出た、短く皮肉めいた感想を飲み込む。
ただの冗談交じりの説明ではなく、言葉の端々に『本当にそういう存在が実在する』という確信めいた響きが混ざっていた。
「かつての『神』は、増殖し続ける罪人を自分一人では裁き切れなくなってしまった…」
「か、神…?」
急に素っ頓狂な単語が出てきたことで、頭の中に様々な形にならないイメージ浮かび上がる。
だが、そんな考えを広げる俺を置いて、ディオスはさらに言葉を続けた。
「すると!その歪みに危機感を覚え、作り出したのが僕たちという存在……端的に言えば、罪を測り、命を断つための『動く天秤』みたいなものを作り出した!」
「(それが、コイツなのか……一気に、スケールのでかい話になってきやがった…)」
想像の範疇を超える言葉に、思わず心臓が脈打つ。
そして、『神』という言葉が出た時点で、もはや次元の違う話だと理解せざるを得なかった。
口にした途端、自分の声がわずかに震えていたことに気づき、苦笑を漏らす。
「そんで……生み出された過程とかで、この世界の俺たちが使う『術印』みたいものを使えるとか……そういうことか…?」
「おや!僕が次に話そうとしたことを、先回りして察しちゃうの?」
「こんな何度も因縁深い、見覚えある場所に連れてこられた瞬間から、気になって仕方ないんだよ…」
ディオスは子供のように嬉々とした笑みを浮かべ、俺を鋭く指した。
n回目の様式美のような冗談めかした態度。
「それは、もちろんあるよ!それも僕らは……普通の人間が触れれば存在ごと消し飛びかねない、とりわけ危険なものを使うことができる…」
ディオスがニヤリと口角を吊り上げた瞬間、周囲の空気がガラスのようにパキリと凍りついた気がした。
話の領域が危険域に入ったのだと、世界そのものが返してくれたかのように。
「……それこそが、僕が今まで君に断片的に『見せてきたもの』だよ。」
再び、脳内にあの景色が浮かび上がる。
色を抜かれた世界に線が引かれ、色づけされ、さらに次々と移り変わっていった現実が。
「どんな、ものなんだ……」
草木を揺らしていた風が死に、鳥のさえずりが、まるで録音を途切らせたように止む。
森が、世界そのものが、ディオスの次の言葉を恐れるように息を潜めた。
「名前を『烙印』。」
その言葉が耳に届いた瞬間、全身の血が一瞬で沸き立つような感覚に襲われた。
空気が僅かに張り詰め、風すら止んだように思える。
それは単なる比喩ではなく、本当に周囲の世界が静止したかのような、異様な間だった。
「『烙印』…」
その言葉を繰り返した瞬間、喉の奥がひどく乾いた。
声が空気に溶けていくと同時に、周囲の森から音が奪われていく。
「これは罪人、もしくは僕の場合は『物語の中』で使うことが可能なものなんだ……名前の通りで、分かりやすいでしょ?」
ディオスはゆっくりと立ち上がる。
わざとらしい仕草ではない。
ただ、動き一つで世界全体の重心が揺らいだように思えた。
その視線が木々へ向けられた瞬間、枝に集っていた鳥たちが一斉に飛び立つ。
風もないのに、枝葉は小刻みに震えていた。
「この場所……いや、この世界そのものは、その力で僕が作ったんだ?元ある記述を少し拝借してね。これだけでも、『烙印』についての説明は十分じゃないかな?」
「あ、あぁ…」
淡々と告げられたその言葉は、もはや説明の域を超え、理そのものとして脳幹を直撃した。
『存在そのものを根底から書き換える暴力』が、すぐ目の前で呼吸をしている。
その事実に、酸素の取り込み方を忘れたかのようにただ浅く、無意味に震えることしかできなかった。
「……うーん…」
「な、なんだよ?そんな唸って…」
「いやー……やっぱりさ?実際に『過程』まで見せた方が早いよねって、思ったんだ…」
ディオスが軽く肩をすくめ、無造作に指先を弾く。
刹那、空に縫い目が現れて『焼けた』気がした。
「……!?」
視界が、不自然なほど急激に色を失う。
まるで古びた映像のフィルムが熱で歪み、溶け出すかのような不気味で暴力的な律動。
今までとか違う、直接的に生命危機を呼び起こされるような変化。
「……うん。やっぱり、分かりやすくするね?」
そうして、縫い目に沿って空が崩れた。
抜けるように青かった空は瞬時に廃色へと濁り、たなびいていた雲は、巨大な獣に引き裂かれたように四方へと霧散していく。
足元の大地が深い喘鳴を上げて波打ち、遠く、不動の象徴であったはずの山脈の稜線が、陽炎のようにゆらゆらと形を失っていく。
「はっ……はぁっ…!?」
悲鳴は声にならない。
耳を塞いでも無駄だった。
それは鼓膜を震わせる物理的な現象ではなく、世界の地脈から、あるいは魂の深淵から直接響いてくる『軋み』そのもの。
世界そのものが悲鳴を上げているかのような不協和音。
「これが、僕の烙印である『無題』。」
ディオスはすっと力を抜き、握っていた手をパッと開いた。
すると、静寂と瞬き一つの間に空は再び鮮やかな青を湛え、風は何事もなかったかのように草木を揺らし始めた。
さっきまでの崩壊劇が嘘であったかのように、世界は平然と存続している。
「ハァッ…!ハァッ…!」
「もっと見せたかったけど、これ以上は流石に作った世界の土台を崩れかねないんだ…」
酸素を求めていた自分の横で、ディオスは少しだけ残念そうに呟く。
一瞬で、視覚的な恐怖は去った。
だが、全身の皮膚にへばりつくような粘り気のある重圧感だけは、消えてくれない。
まるで、自分の存在という情報のすべてを、ディオスの指先一つに握られているような、消えない傷を打たれたような感覚。
「じ……冗談抜きで、それは世界を『作って壊せる』力って……わけだな…?」
「あっ、やっぱり言葉で伝えるよりも、実際に見せる方がよく分かってもらえるね!」
戦慄を、最高の称賛として受け取ったかのように、ディオスは邪気のない笑みを浮かべる。
その無邪気さが、何よりも恐ろしかった。
心臓は、壊れた時計のように不規則な早鐘を打ち続け、乾いた喉からはただ情けない吐息だけが漏れ出していた。




