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裏世界の牢獄にて  作者: Navi
14/25

〈第13話〉結末の御話


「……まぁ、ここまでだね?」


 柔らかい声色が耳に届くと、自分を覆っていた違和感が霧散した。

 歪みぼやけていた視界も、瞬きを繰り返すたびに戻っていく。

 そして、輪郭を失っていた感覚が、一筋の鋭い直線となって世界を上下に切り分ける。


 一度目を擦った後に周囲に目を向けると、不規則にひび割れ乾いていた情景は何もない白になっている。


「ふふ、考えてみてよ。全て決まっている展開があったとして、『今の君』は?」


 何にもない、空白の世界。

 だが、そこに自分が存在にしている実感だけは明確に存在していた。


 すぐに自分の身体を何度も見渡すが、皮膚の隙間にまで染み込んできていた黒いインクはどこにもない。

 何度も手を開閉してみても、爪の食い込む痛みも、肺の奥を洗うような吸い込む空気の軽さも変わらない。

 たった今、真っ白な紙から受肉し直したかのような奇妙な充足感だけが残っている。


 流れ込んでくる香りはほんのりと。

 どこまでも続くような、この場所を表すような不変性すら感じるもの。


「……そして『僕』は、何だと思う?」


 下へ向けていた視線を上げると、そこには境界線の曖昧さが消えたディオスが立っている。

 両手を合わせながら、緩くにこやかに笑う表情。

 さっきの、悍ましさがとめどなく溢れていた人間と同一人物かと思ってしまうほど、差異が大きい。


「本来は、物語の書き手と同じ階層にいて、同じ外の世界にいた『読者』。」


 だが、自分に向けられる視線の歪みは変わらないまま。

 隠された光源のような淡い光を灯す瞳は、まだ自分の認識できてない何かを見通しているよう。

 影さえもが、意思を持ってこちらを覗き込んでいる気がしてならない。

 ただ問いかけながら、一歩も動かずにこちらの少しの動きすら許さないようにからめとる。


「展開を知っていて、本来動かないはずの物語の登場人物に……こうして触れられる。」


 開かれた手の中に、視線が縫い止められる。

 数メートルは離れていて、指先一つ届く距離ではない。

 それなのに、喉の奥を薄く撫でられているような錯覚が離れなかった。


 逸らさなければならない。

 そう思うほど、視線は逆に吸い込まれていく。

 草を揺らしていた風が、いつの間にか止んでいた。


「そんなのがいる時点でさ〜…」


 ディオスは開いていた手を閉じる。

 握り込まれていく動きに合わせるように、空気が僅かに軋んだ気がした。


 そして、人差し指を立て、指し示すように自分へ向ける。


「……もう、そういうレールからは外れているよ。」


 心臓が、一拍だけ遅れる。

 自分という存在の定義が大きく揺れ続けた。

 その言葉が聞こえた瞬間、自分が立っている場所が、また不意にドロリと色移る。


「世界の見え方が変わっても、主観が色付けされても、もうぜーんぶ変わってる…」


 ディオスは手を下ろし、指と一緒にくるりと周りを見渡すように一回転すると、顔を傾ける。

 だが、この一瞬の時間で、向けられた目の中の光は再び消えかけていた。


読者()っていう『異物』が、物語の中に入ってしまった時点でね!?」


 声と共に、ディオスの瞳の奥で淡い光が黒く歪に爆ぜる。

 こっちの身体も、それに合わせて一度ビクリと跳ね上がった。


 それはまるで、檻を突き破って現れた、実体を持たないはずのズレた善意のよう。

 あるいは、理解できないほど純粋すぎる意思を纏った色だった。


「まぁ……もちろん?僕が今みたくペラペラ自分の事情話さなければ、物語は全て本来の展開に沿って続いていくけどね〜…」


 一歩後ろへ引いたディオスは、可笑しそうに頬に手を置いた。

 だが、その軽薄な仕草とは裏腹に、また異変が起こる。


 足元から筆を走らせるように地面が、草木が、空が黒い線となって模られ始めた。

 色彩だけがなく、立体的な形だけが存在する白黒の世界が目の前に広がっていく。


読者(僕ら)も登場人物も、誰も疑わず、誰も逸れず。……そういう風に物語は書かれているから。」


 意思を持ったように動き続けていた線がとある一点。

 その元で交わった次の時、瞬きをする間も無く情景が再び大きく変わる。

 世界そのものへ色が流れ込み、陽光が肌を撫で、風が木々を鳴らした。


 実在する陽の光が、風が、揺れる木々の音が支配する世界。


「本来なら、そうすれば……物語は綺麗に終わる。完成された結末になる…」


 ディオスはそこで言葉を切り、視線を空へ投げた。

 見つめているのは、空の青さではなく、そのさらに上。

 この世界を『記述』している、天面そのものであるかのように。

 あらゆる音と空気が漂う中で、ディオスはこっちへ視線を戻した。


「ーーけど、今回は少し違う。」


 その瞳の奥には、『物語』そのものに歓喜するような読者の残酷さ。

 そして、それを好きに触れてみたがる子供のような無邪気さが、等しく同居していた。


「……それに、言ったでしょ?物語のページは、誰かに観測されるまでは確定されないって。」


 その声に呼応するように、足元の草花がノイズ混じりの映像のように細かく震える。

 そして再び、一瞬だけ真っ白な余白へと透けた。


 ディオスが指し示したのは、境界が曖昧になったこの空間の全て


「今、登場人物(僕ら)が生きているこの世界。それはいわゆる『原典』から枝分かれした、多元的な可能性みたいなもの…」


 刹那、再び世界の自体が反転するように、次々と目の前の情景が書き変わる。


「物語は、本当に良いものだよ?」


 ある時は、視界のあらゆる場所に本が敷き詰められた巨大な図書館のような場所。

 そこでは、誰かに読まれなくなった物語たちが、静かに埃を被って眠っているようだった。


 ある時は、硝煙と銃声が交わる争いの最中。

 波音しかない浜辺。

 そこでは、平穏すらなく、明日には名前すら残さず消えていく。


 またある時は、神聖な光が色とりどりに差し込むステンドガラスの光に包まれた教会。

 そこでは、祈りだけが、終わりの見えない世界を辛うじて繋ぎ止めていた。


「想像できる限りの、色んな展開が広がっていて……」


 ある時は、観客席が無限に広がり、スポットライトのみがあてられている劇場舞台。

 そこでは、1人の観客のために、誰もが与えられた役を演じ続け、幕が降りる瞬間だけを待っていた。


 ある時は、中世の時代を投影したような城の中。

 そこでは、王冠一つのために、幾つもの忠誠と裏切りが積み上げられていた。


 ある時は、時間そのものがループするように回り続ける世界。

 そこでは、同じ時間が繰り返されるたびに、世界そのものの自我が膨張していく。


 ある時は、瓦礫の山と化した歪なビル群が広がる廃墟の国。

 そこでは、鳥籠のように割れた空の下、残骸だけがかつて誰かが生きていた証みたいに残されていた。


「想像できないような、結末が待っていて……」


 ある時は、天井がなく青空の差し込んだ教室。

 窓から見える誰もいない駅。

 そこでは、人影もないのに、誰もが二度と戻れない時間を永遠みたいに笑い合っていた。


 ある時は、無限に広がり、星が遊泳する宇宙。

 そこでは、自分の存在すら塵に思えるほどの静寂と光が広がっていた。


 ある時は、炎が漂い、紅葉と朱色の鳥居の道が延々と続く夜の幻想。

 そこでは、行き場を失った魂たちが、夢と現の狭間を灯火のように彷徨っていた。


 ある時は、ネオンライトと雨に包まれた寂れた街の中。

 そこでは、行き場を失った人々が、孤独を隠すように、濡れて滲む光の下で息をしていた。


 ある時は、整然とし、人工的な光がガラス張りの建物に反射する未来都市。

 そこでは、存在している全てが機械的に生き続けているようだった。


読者(僕ら)は、そんな物語(世界)を、まるで自分が呼吸して生きているような感覚になれる……」


 ある時は、どこまでも暗くおどろおどろしい怨嗟の声が聞こえてきそうな死にかけの世界。

 そこでは、救い、滅びきれなかった何かが、世界の底でまだ脈打っていた。


 ある時は、暗く冷たい水鏡と、その先には境界線が引かれたように白い花が咲き乱れる花畑。

 そこでは、踏み越えた瞬間に溶け合い、もう二度と元の場所へ戻れない気がした。


 全てが、『現実』として移り変わっていった。


「……ここもね、もう元の筋書きから外れてるんだ。」


 ただ茫然と動けずにいると、再び古城ラグニクスを見渡せる高地へと移る。

 そこは、自分も未だ訪れたことのない場所だった。

 ディオスは、まるで重力から解き放たれたかのように、ゆらりと上体を揺らした。


「そして、誰も読んでいない物語は……その瞬間を『現実』として進んでいく。」


 一呼吸、間を置く。

 その沈黙の間、吹き抜ける風の音が妙に生々しく、重く、鼓膜を震わせた。


 それは、書き込まれた設定としてのものなんかではない。

 ただそこにあるだけの、意味を持たないような残酷なもの。


「そこでは、君がどんな生き方をしても、『読者』という観測者がいなければ、それが君の人生になる。」


 草を撫でた音だけが、やけに遠くまで響いていく。

 そして言葉は、不思議なほど静かだった。

 けれど胸の奥では、今まで張り詰めていた何かが、ゆっくりと軋みながらほどけていく。


 ーー誰にも読まれない人生。


 それは本来、恐れるべきものだったのかもしれない。

 だが今の自分には、何よりも得難い救いのように思えた。


「もちろん、僕にもそれが言える。」

 

 ディオスは自嘲気味に腰に手を置く。

 それでも隠しきれない愉快さを声に滲ませ、視線を周囲へ泳がせた。


「確かに僕は知識はあれど、もう僕が介入したこの世界の動きがどうなるのか……予測しかできない…」


 それに合わせて、情景そのものが唸り声を上げるように大きく揺れ動く。

 遠景の輪郭が滲む。

 まるで世界そのものが、こちらの会話を聞いてしまったかのように。


「だってここは、もう『別の物語』なんだから!」


 その一言で、空気がぐらりと傾いた気がした。

 視界ではなく、自分という輪郭そのものを揺らされたような感覚。

 息を吸うが、肺の奥が妙に冷たい。


「だから、決まった結末は、もうないよ。」


 ディオスはどこまでも無邪気に笑っていた。

 けれど、その瞳だけはどこまでも底が見えなかった。

 それでも、目を離すことができなくなっていく。


「あぁ、安心していいよ!この物語(世界)を『観る』のは、最後は……たぶん僕だけになる。」


 ディオスは、じっとこちらを見つめていた。

 瞬きすら少なく、その視線だけが妙に静かだった。


「だから、僕がいなくなれば、そこで全部終わり。」


 スッと白い指が持ち上がる。

 人差し指を立て、その先端で円を描くように、くるりと空中をなぞった。


「それで、ハッピーエンド!問題解決して、全部ちゃんと元通り!」


 そうしてそのままぱっと両手を広げる。

 まるで、舞台の幕引きを祝福するかのように。

 その声音は、ひどく明るかった。


 明る過ぎるほどに。


「……ほら、綺麗な終わり方でしょ?」


 口元は確かに笑っているのに、瞳だけはどこまでも冷えていた。

 差し出された掌。

 その仕草は、妙に丁寧で優しさすら感じられるもの。


「まぁ……その最後に、僕以外がいなかったらの話だけどね?」


 表情は困ったように、閉じた手を顎に当てて苦笑いを浮かべる。

 だが、立ち姿には不動そのもの。

 足先から視線まで、一切揺らがない。


「それでも、僕が君に『俯瞰』させたかったのは……共犯者にしたかったから?」


 その語尾が下がった言葉だけ、妙に柔らかく落ちてきた。

 しかし、耳へ届いた瞬間に背筋の奥を冷たいものが這う。


 『共犯者』。


 まるで最初から、自分がそこへ並ぶことを決められていたみたいな響きだった。


「もちろん、君だけじゃないよ。この物語(世界)にいる、これから僕が出会う人たちも巻き込んでいくよ!」


 ディオスは笑ったまま、ちらりと背後へ視線を向けた。

 その先にあるのは、古城ラグニクス

 人の気配ひとつない、沈黙した見慣れた場所。


 ディオスがそこを見た瞬間だけ、空気の温度が変わった気がした。

 中心にある古城へ落ちる影が、妙に濃い。

 遠く吹いていた風の音すら、一瞬だけ遠のいたように感じる。


「君をあそこまで追い込んじゃったのは〜……本当にごめん、僕の興味が8割…」


 ぱちんと両手を合わせる。

 わざとらしく肩を竦め、語尾だけ小さく萎ませた。

 許しを乞うように目線を下げる仕草。

 なのに、その奥にある視線だけは自分に貼り付けられ続けている気がした。


「ちょっ、待って待って…!」


 気付けば、身体が先に動いていた。

 自分が、その身勝手な興味に振り回されていたこともある。

 だが、背後の古城ラグニクスに深い影がかかったのが見えた気がしたから。


 地面を踏み込み、掴み掛かろうと伸ばした指先が、空ぶって空気を裂く。


「そういうのは無しにしてよ!?」


 それをディオスは、ひらりとこっちの手から逃れるように横へ動く。


「ま、まぁ…?たしかに散々色々と話しておいて、僕自身に説得力ないかもだけどー…」


 それを目で追うと、口を尖らせながら陽の光を横から受けていた。

 片眼鏡の紐の先に垂れる赤い宝石が、爛々と輝いて見える。

 まるで、生き物の瞳みたいに。


「……ふふ。じゃあ、改めて……」


 ディオスは何事もなかったみたいに咳払いを一つしたて、姿勢を正す。

 さっきまでの軽薄さすら、全部演技だったのではないかと錯覚するほど自然に空気が切り替わる。


「僕は『ディオス』。」


 その名前は、もう嫌というほど、とっくに頭の中へ刻み込まれていた。

 しかし、本人の口から改めて発せられると、不思議と今まで曖昧だった輪郭が、ゆっくり形を持っていく気がした。


「ただ物語好きな、有象無象の1人。物語を覗き込んで、勝手に混ざり込みたい側のね?」


 その言葉を聞いて、口から言葉が出かける。

 しかし、それを予測していたかのように、ディオスは口元に手を置きながら先に声を発した。


「なんで、僕がこの物語(世界)にやって来たのかって顔してるねー……」


 見透かしたように目を細める。

 それから、一瞬考えるように目を閉じて眉を寄せた。

 沈黙の合間に風が吹く。

 草葉の擦れる音だけが、小さく耳を撫でていった。


「……物語ってさ、たまに入りたくならない?」


 出てきた言葉は、至ってシンプルなもの。

 そんな、どうしようもなく純粋な欲望だった。


 だから逆に、一切の誤魔化しがない。

 そんは願望で、本当にここに存在しているんだと理解できてしまうほどに。


「だから、『物語(君たち)』がどんなものを見せてくれるか、楽しみにしているよ?」


 そうして、まるで舞台の幕が上がる瞬間を待つ観客みたいに、笑った。


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