役立たずの発明家
王都アルヴェインに、朝が来る。
もっとも、この街に暮らす人々にとって、朝とは太陽が昇ることだけを意味しない。
午前六時。
王都の中心にそびえる巨大な時計塔が、重厚な鐘の音を響かせる。
それを合図に、街全体が目を覚ました。
石畳の下を走るエルム導管が淡い青色に輝き、街灯が一斉に消灯する。建物の外壁に取り付けられた無数の歯車が回り始め、蒸気を吐き出す昇降機が上下する。
頭上では、鋼鉄製の高架を貨物列車が走っていた。
路地を抜ける小型運搬車。空中に張り巡らされた輸送用索道。鐘の音に合わせて開閉する商店の鉄扉。
数百年に及ぶ技術革新の末、人類が築き上げた機械文明の中心地。
それが、王都アルヴェインである。
この街で生きる人々にとって、エルムは水や空気と同じくらい身近な存在だった。
照明を灯し、機械を動かし、都市を支える。
エルムがなければ、人々の暮らしは成り立たない。
だからこそ、誰も疑わなかった。
エルムとは何なのか。
どこから来て、なぜこれほどまでに莫大な力を生み出せるのか。
そんなことを考えるよりも、今日の仕事を終わらせる方がよほど重要だった。
――ただし。
この王都には、そんな当たり前のことを疑うより、さらにどうでもいいことに人生を費やしている男がいた。
◇
「……よし。完成だ」
王都西区。
住宅と工場が入り交じる下町の一角に、ひどく古びた機械修理工房がある。
看板には『アークライト機械修理店』と書かれていた。
もっとも、看板の文字は半分ほど剥がれ落ち、最後の二文字は判読できない。
そんな工房の奥で、一人の青年が満足げに頷いていた。
レオン・アークライト。
十八歳。
くせのある茶色い髪に、寝不足を物語る目元。作業用のシャツは油汚れだらけで、首からは使い古された保護眼鏡をぶら下げている。
その手には、小さな木製の筒が握られていた。
「ついに……ついに完成してしまったか」
レオンは感慨深そうに呟く。
目の前の作業台には、細い金属棒と、歯車と、何種類もの弾性素材が散らばっていた。
それらの中心に鎮座するのが、彼の最新発明品である。
「名付けて――」
「おーい、レオン!」
工房の扉が勢いよく開いた。
直後、扉の上部が大きく軋む。
「……ガルド。扉は優しく開けろって、何回言えばわかるんだ」
「悪い! 今日は優しく開けたつもりだったんだが!」
「それで蝶番が曲がるなら、お前の優しさは建築物に対する攻撃だよ」
入ってきたのは、青年というより、人の形をした岩山のような男だった。
ガルド・ベルク。
十九歳。
短く刈り込んだ金髪。大きな背中。常人の倍はありそうな太い腕。
その体格だけを見れば、王国軍の重装兵と勘違いされてもおかしくない。
しかし、本人の顔には警戒心など欠片もなかった。
「おっ! また何か作ったのか!」
「ああ。今回は自信作だ」
「すげえな!」
「まだ何も説明してないけど」
「お前が作ったんだろ? ならすげえ!」
レオンは小さく笑った。
ガルドは昔からこうだった。
誰もが呆れるような発明でも、真っ先に面白がってくれる。
もっとも、使い方を理解してくれたことは一度もない。
「聞いて驚け。今回の発明は、エルムを一切使わない」
「おお!」
「しかも、物体を遠くへ飛ばせる」
「おおお!」
「さらに、何度でも繰り返し使える」
「おおおおお!」
「名付けて、『びよーん君三号』だ!」
「…………」
ガルドが沈黙した。
「……どうした?」
「名前、弱くねえか?」
「そこ?」
「もっとこう、『爆裂大砲』とか!」
「大砲じゃないし」
「じゃあ、『超爆裂大砲』!」
「超を付ければいいと思うな」
レオンは肩をすくめると、びよーん君三号を作業台の端に固定した。
木製の筒の内部には、弾性素材を利用した発射機構が収められている。
レオンは小さな木球を装填した。
「いいか。まず、この取っ手を引く」
かちり、と内部の留め具が噛み合う。
「すると、内部に力が蓄えられる。あとは、この金具を押せば――」
ぽんっ。
木球が飛び出した。
作業台の向こうに置かれた空き缶に当たり、軽い音を立てて転がる。
「どうだ!」
「…………」
ガルドは転がった空き缶を見つめていた。
「……レオン」
「何だ?」
「これ、何に使うんだ?」
「物を飛ばす」
「それだけか?」
「それだけだ」
沈黙。
ガルドはしばらく真剣に考え込んだ。
やがて、ぽん、と手を打つ。
「つまり、投げればいいんだな!」
「待て。今の説明のどこに投げる要素があった?」
しかし、遅かった。
ガルドはびよーん君三号を固定台から外すと、ひょいと持ち上げた。
「こうか!」
「いや、違――」
轟音。
何かが風を切り裂いた。
びよーん君三号は工房の開いた窓を通り抜け、向かいの倉庫の壁に突き刺さった。
木製の柄だけが、ぶるぶると震えている。
レオンは無言で窓の外を見た。
ガルドも見た。
「……飛んだな!」
「飛んだね」
「すげえ威力だ!」
「僕の発明の威力じゃないけどね」
「四号はもっと飛ぶのか?」
「お前が投げるなら、たぶんどんな物でも飛ぶよ」
レオンは深々とため息をついた。
向かいの倉庫から、老人の怒鳴り声が響く。
「レオン!! またお前かぁぁぁ!!」
「今回は僕じゃないですよー!」
「お前の工房から飛んできただろうが!」
「それは、まあ、そうなんですけど!」
ガルドが申し訳なさそうに頭を下げた。
「悪い、レオン。俺、謝ってくる!」
「ああ。ついでに壁も直してきて」
「任せろ!」
「壊さないようにね!」
「おう!」
ガルドが駆け出した。
数秒後。
ばきっ。
「…………」
レオンは目を閉じた。
今日も平和な一日になりそうだった。
◇
アークライト機械修理店は、決して繁盛している店ではない。
理由は簡単だ。
店主が、仕事より発明を優先するからである。
もちろん、レオンの修理技術そのものは確かだった。
壊れた機械を分解し、原因を特定し、必要なら部品まで自作する。
古い規格の機械にも詳しく、他店で修理を断られた品物が持ち込まれることも少なくない。
だが、問題はそのあとだ。
『この機構、もっと面白くできるんじゃないか?』
そう思ったが最後。
彼は依頼された修理とは関係のない改造を始めてしまう。
以前、パン屋から自動生地こね機の修理を依頼されたときは、なぜか焼き上がったパンを客の手元まで飛ばす機能を追加した。
店主には怒られた。
客にも怒られた。
ただし、近所の子どもたちには大好評だった。
そんなレオンにも、機械技術者としての明確なこだわりが一つある。
エルムを使わない機械だ。
この世界では、機械の動力にエルムを使用することが常識となっている。
大型の蒸気機関でさえ、熱源となるのはエルム炉だ。
それなのにレオンは、わざわざ弾性素材や重り、歯車などを組み合わせ、エルムなしで動く機械を作ろうとしていた。
別に、エルムが嫌いなわけではない。
エルムの使用料を節約したいわけでもない。
ただ、気になるのだ。
エルムを使わなければ、本当に機械は動かせないのか。
別の方法で動かすと、何が起きるのか。
そんな疑問を考え始めると、試さずにはいられなくなる。
「……さて」
ガルドが倉庫の修理に向かっている間、レオンは工房の奥から別の装置を取り出した。
木製の台。
銅線を何重にも巻きつけた輪。
そして、小さな永久磁石。
以前、古道具屋で見つけた磁石を動かしていたところ、奇妙な現象に気づいた。
磁石を銅線の輪に近づけたり遠ざけたりすると、ごく小さな反応が生まれるのだ。
通常のエルム機関とは、どうも様子が違う。
「……やっぱり、動かしたときだけか」
レオンは磁石をゆっくり動かした。
小さな指針が震える。
磁石を止める。
指針も止まった。
逆方向へ動かす。
今度は反対側へ振れた。
「ふうん……」
顎に手を当てる。
「何なんだろうな、これ」
王都の技術書には、磁石と金属の相互作用についての記述がある。
しかし、磁石を動かすことで生じるこの反応について、レオンが納得できる説明は見つかっていない。
彼は仮に、この現象を『誘導流』と呼んでいた。
もちろん、正式な学術用語ではない。
研究者に見せたこともない。
そもそも、この現象が何の役に立つのかすらわかっていなかった。
だが、それでよかった。
「……面白いなあ」
レオンは楽しそうに笑った。
そんなときだった。
からん、と入り口の呼び鈴が鳴った。
「すみませーん。アークライトさん、いらっしゃいますか?」
「はーい!」
レオンが顔を上げる。
そこには、見覚えのある初老の男が立っていた。
灰色の作業帽をかぶり、胸元には政府認可整備業者の証章が付いている。
「おや、ベルナーさん。珍しいですね」
「久しぶりだな、レオン君」
男の名はベルナー。
王都の公共機械を整備する業者に勤める、古参の技術者だ。
レオンの父親の代から、この工房と付き合いがある。
「今日は何の故障です? また中央広場の噴水ですか?」
「あれはお前の改造が原因だっただろう」
「ああ、そうでした」
「噴水の水が三階建ての屋根を越える必要はないんだよ」
「見応えはありましたけどね」
「苦情も山ほど来た」
ベルナーは苦笑した。
それから、工房の外へ目を向ける。
「ガルド君は?」
「向かいの倉庫を修理してます」
「……また壊したのか?」
「正確には、壊してから修理してます」
「そうか……」
深く追及しないのが、長年の付き合いというものだった。
「まあいい。今日はちょっと厄介な仕事を持ってきた」
「厄介な仕事?」
「ああ。古い政府用の機械なんだが、うちじゃ手に負えなくてな」
ベルナーが外へ合図すると、二人の作業員が台車を押してきた。
載っているのは、一抱えほどの大きさの金属製装置だった。
表面には傷が多く、古い規格の接続端子が並んでいる。
レオンの目が輝いた。
「おお……!」
「反応が早いな」
「これ、何年前の規格です?」
「少なくとも三十年以上前だろうな」
「しかも、これ……」
レオンは装置に近づき、側面の刻印を確認した。
「エルム第六世代式の記録媒体じゃないですか。まだ残ってたんだ」
「知っているのか?」
「知識だけなら。実物は初めて見ます」
装置の上部には、半透明の円盤が数枚重なっていた。
外周には細かな文字列が刻まれている。
記録円盤。
エルムの微細な反応を利用し、大量の情報を保存する旧式装置だ。
現在の王都では、もっと小型で高性能な記録機が普及している。
そのため、旧式の記録装置を修理できる技術者は少ない。
「これは……輸送記録機ですか?」
「そうだ。貨物の移動履歴を保存する装置らしい」
「へえ。どこのものです?」
「政府管理の輸送施設だ」
「なるほど」
レオンは装置の留め具を外し、内部を覗き込んだ。
その瞬間、顔をしかめる。
「……ひどいな」
「やっぱり難しいか?」
「いや、直すだけなら何とかなりますよ。ただ、これ、無理やり新しい制御装置につないだ形跡があります」
「わかるのか?」
「端子が焼けてますからね。規格の違うものを無理に接続したんでしょう。こんなの、壊れるに決まってる」
ベルナーが苦い顔をした。
「現場の担当者は、普通に使用していたと言っていたがな」
「機械は嘘をつきませんよ」
レオンは軽く笑う。
「人間はつきますけど」
「……妙なところで鋭いな、お前は」
「褒め言葉として受け取っておきます」
ベルナーは依頼書を取り出した。
「期限は三日。費用はこちらで負担する。ただし、政府管理品だから記録内容には触れるなよ」
「ええ?」
「嫌そうな顔をするな」
「記録装置なのに記録を見ちゃ駄目って、変じゃないですか?」
「変でも何でも、決まりだ」
「中身を確認しないと、ちゃんと直ったかわからないですよ」
「だから、記録の読み出し機構だけ確認してくれればいい」
「はいはい」
返事だけは素直だった。
ベルナーは不安そうに眉を寄せる。
「……余計なことはするなよ?」
「もちろんです」
「本当だな?」
「必要なことしかしません」
「お前の場合、その必要の範囲がおかしいんだよ」
もっともな指摘だった。
◇
昼過ぎ。
ガルドがようやく戻ってきた。
肩には、修理に使ったらしい大量の木材を担いでいる。
「戻ったぞ!」
「おかえり。壁は?」
「直した!」
「本当に?」
「前より丈夫になった!」
「……嫌な予感がするな」
「おじいさんも喜んでたぞ!」
「怒鳴ってなかった?」
「なんか叫んでた!」
「それ喜んでないんじゃないかな」
ガルドは豪快に笑い、木材を床に下ろした。
その途端、床板が悲鳴を上げる。
「ガルド。重い物は端に置いて」
「おう!」
ガルドは木材を抱え直し、作業台の横へ移動させた。
今度は作業台が軋んだ。
「……もういいや」
レオンは諦めた。
「ところで、何だそれ?」
ガルドが記録装置を指さす。
「仕事だよ。古い輸送記録機の修理」
「へえ! 何する機械なんだ?」
「物をどこからどこへ運んだか、記録する機械」
「なるほど!」
「わかった?」
「つまり、運ぶ機械だな!」
「記録する機械だよ」
「じゃあ、俺が運んでやる!」
「絶対に触るな」
即答だった。
ガルドは不満そうに頬を膨らませる。
「俺だって役に立ちたいんだが」
「じゃあ、昼飯買ってきて」
「任せろ!」
ガルドは元気よく工房を飛び出した。
そして三秒後に戻ってきた。
「何がいい!?」
「何でもいいよ」
「肉か!?」
「じゃあ肉で」
「わかった!」
今度こそガルドは走り去った。
レオンは小さく笑うと、記録装置へ向き直った。
「さて、と」
作業台の上に部品を並べる。
必要な工具を選び、焼けた端子を取り外す。
細い導管を交換し、変形した歯車を調整する。
古い機械には、古い機械なりの美しさがある。
今の機械は高性能だが、その分だけ構造が複雑で、内部の動きが見えにくい。
しかし、旧式の装置は違う。
歯車が回り、円盤が動き、記録針が文字を刻む。
何をしているのかが、目で見てわかる。
「……いいなあ、これ」
レオンは思わず呟いた。
「この構造、別のものに使えそうだな」
修理の手は止まらない。
しかし、頭の中では早くも別の発明品の構想が膨らみ始めていた。
円盤を複数重ねれば、回転運動を別の方向へ伝えられる。
それを車輪に接続すれば――。
「……横に動く台車?」
レオンは目を見開いた。
「おお! これなら狭い工房でも方向転換しなくていいじゃないか!」
そして、工具を置いた。
紙を取り出した。
設計図を描き始めた。
十分後。
二十分後。
三十分後。
「ただいまー!」
ガルドが大量の肉料理を抱えて帰ってきた。
「お、何だ! もう直ったのか!」
「……あ」
レオンは時計を見た。
それから、まったく修理の進んでいない記録装置を見る。
「……今から本気出す」
「いつも言ってるな、それ!」
「今日は本当だよ」
こうして、昼食後にようやく修理が再開された。
◇
日が傾き始めるころ。
レオンは、記録装置の最後の接続端子を取り付けた。
「よし。これで動くはず」
装置にエルム供給線をつなぐ。
青白い光が内部を走った。
低い駆動音。
記録円盤がゆっくりと回転を始める。
「おお、動いた!」
隣で見ていたガルドが歓声を上げた。
「まあね。僕を誰だと思ってるんだい?」
「レオン!」
「そうだね。正解だ」
レオンは満足げに頷くと、装置の状態を確認した。
駆動系統は正常。
記録円盤の回転数も規定値に収まっている。
エルム供給量にも異常はない。
あとは読み出し機構を確認すれば、修理は完了だった。
「……さて、問題はここからだな」
「まだ何かあるのか?」
「記録をちゃんと読み出せるか確かめないとね」
「ほう!」
「まあ、お前に説明しても仕方ないか」
「おう!」
「そこは否定してよ」
レオンは苦笑しながら、装置に簡易表示板を接続した。
本来なら専用の読み出し端末を使用するところだが、あいにく工房にはそんな高価なものはない。
代わりに、別の機械から取り外した表示装置を改造して接続している。
規格の違う二つの機械を無理やりつなぐ。
ベルナーが見れば卒倒しそうな光景だった。
「よし。まずは試験記録を……」
操作盤の金具を動かす。
記録円盤が高速で回転し、表示板に数字が並び始めた。
『起動試験――正常』
『記録機構――正常』
『読み出し機構――正常』
「うん。問題なし」
「直ったのか!?」
「ほぼね」
レオンは表示板を眺めた。
ここで終わらせてもよかった。
修理依頼の内容は、装置が正常に動作するようにすること。
その目的は達成している。
だが、レオンには一つ、気になることがあった。
装置の奥にある小さな歯車が、不規則な動きを繰り返している。
「……ん?」
レオンは顔を近づけた。
かちり。
かちり。
かち、かちり。
「……変だな」
「何がだ?」
「この歯車。読み出しのたびに、一瞬だけ逆回転してる」
「逆に回ったら駄目なのか?」
「普通はね」
「じゃあ直せばいいじゃねえか!」
「それが、部品は正常なんだよ」
レオンは記録円盤を取り外し、光にかざした。
半透明の円盤には、細かな記録溝が幾重にも刻まれている。
その一部だけ、妙に表面が荒れていた。
「……傷?」
いや、違う。
自然についた傷ではない。
何かの操作によって、同じ箇所だけを何度も上書きしたような形跡だった。
「ふうん……」
レオンの目が輝く。
「面白い」
「面白いのか?」
「すごくね」
「じゃあよかったな!」
「いや、よくはないんだけど」
レオンは記録円盤を装置へ戻した。
今度は、読み出し機構の回転数を少しずつ変更する。
すると、表示板に不規則な数字が浮かび始めた。
『記録番号 048』
『記録番号 049』
『記録番号 051』
「……あれ?」
レオンは首を傾げた。
「五十番がない」
「五十?」
「そう。四十九の次が五十一になってる」
「一個飛ばしたんじゃねえのか?」
「まあ、そうなんだけどね」
レオンは表示板を指さした。
「でも、この機械は記録番号を自動で付けるんだ。途中だけ抜けるのは、ちょっと変なんだよ」
「なるほど!」
「わかってないでしょ」
「おう!」
レオンは再び装置を操作した。
削除済みの記録なら、管理情報にもその痕跡が残るはずだ。
しかし、五十番の記録は、最初から存在しなかったように扱われている。
「……なるほど。記録そのものじゃなくて、目次を消してるのか」
レオンは独り言のように呟いた。
古い記録装置では、記録円盤に保存された情報と、その情報を読み出すための管理情報が別々に保存されている。
管理情報を消してしまえば、通常の操作では記録が見つからなくなる。
しかし、それだけでは円盤に刻まれた記録そのものが消えたわけではない。
「ということは……」
レオンは小さく笑った。
「残ってるかもしれないな」
再び工具を手に取る。
記録円盤の回転数を調整する機構に、先ほど交換したばかりの歯車を取り付け直した。
通常の速度では読み取れない部分を、より細かく調べるためだ。
「レオン、何してんだ?」
「隠れてる五十番を探してる」
「かくれんぼか!」
「まあ、そんな感じ」
「俺も探そうか!?」
「お願いだから何も触らないで」
「おう!」
レオンは操作盤に向き直った。
数分後。
表示板が激しく明滅した。
『記録番号 050』
「……お」
レオンが声を漏らす。
「見つけた」
表示板には、断片的な情報が並んでいた。
『輸送記録 第050号』
『発着区間 ****』
『輸送区分 人員』
『登録人数 001』
『輸送完了 承認済』
『記録処理 管理者権限による抹消』
レオンは画面を見つめた。
「……人員?」
「ん? 人を運んだってことか?」
「そうみたいだね」
「じゃあ、馬車みたいなもんか!」
「いや、装置はただの記録機だけど」
レオンはさらに情報を読み出そうとした。
しかし、それ以上は何も表示されない。
輸送先の名前も、輸送された人物の氏名も、完全に消去されているらしかった。
ただ、一つだけ妙なことがあった。
記録の日付だ。
「……四年前?」
装置そのものは三十年以上前のものだ。
しかし、この輸送記録はわずか四年前に作成されていた。
旧式機械を現役で使用すること自体は珍しくない。
だが、わざわざ記録を消したうえで、装置そのものを故障した状態で放置していたのだとすれば、少し奇妙だった。
「……何かの間違いかな」
レオンはもう一度記録を確認した。
同じ内容が表示される。
そこで、ふとベルナーの言葉を思い出した。
『政府管理品だから記録内容には触れるなよ』
「…………」
レオンは記録円盤を見つめた。
それから表示板を見る。
しばし考える。
「……まあ、触っちゃったものは仕方ないか」
あっさりと言った。
「いいのか!?」
「よくないかもね」
「じゃあ謝ろうぜ!」
「何て?」
「勝手に見ましたって!」
「正直だなあ、お前は」
「嘘はいけねえからな!」
「それはそう」
レオンは苦笑した。
確かに、依頼された修理の範囲は少し越えてしまった。
しかし、古い記録円盤の仕組みを調べられたのは収穫だった。
レオンにとっては、そちらの方が重要だった。
記録番号と装置の状態を修理用の手帳に書き込む。
そして表示装置を取り外した。
「よし。これで修理完了!」
「おお!」
「明日ベルナーさんに連絡して、引き取ってもらおう」
「じゃあ仕事終わりか!」
「そうだね」
「飯食いに行こうぜ!」
「昼も肉だったけど」
「夜も肉だ!」
「……野菜も食べようよ」
「肉は野菜を食って育ってるぞ!」
「その理屈だと、木材も野菜になるね」
「すげえ!」
レオンは笑いながら、作業台の照明を消した。
工房が薄暗くなる。
外では夕暮れの王都が、エルムの青い光に包まれ始めていた。
街灯が点き、昇降機が動き、貨物列車が遠くを走る。
何も変わらない、いつもの王都。
レオンにとって、今日もまた楽しい一日だった。
新しい発明が完成した。
奇妙な現象を観察できた。
古い機械も修理できた。
明日は、横向きに走る台車を作ってみよう。
そんなことを考えながら、ガルドと連れ立って工房を出る。
彼はまだ知らなかった。
ほんの気まぐれで読み出した、たった一つの輸送記録。
その記録を探している人々が、王都のどこかにいることを。
そして、その記録が二度と人目に触れないよう、長い年月をかけて秘密を守ってきた者たちがいることを。
その日の夜。
誰もいなくなったアークライト機械修理店で、小さな音が響いた。
かちり。
作業台の上に置かれた輸送記録装置。
修理を終え、停止しているはずのその装置の内部で、一本の記録針が動いた。
予備のエルム蓄積器に残されたわずかな動力が、自動管理機構を起動させたのだ。
読み出し履歴を照合する。
登録されていない操作を検出する。
そして、装置の奥に設けられた小さな通信機構が、静かに作動した。
『機密記録へのアクセスを検知』
『記録番号 050』
『照会元 アークライト機械修理店』
『監査要請を送信』
青いランプが三度点滅する。
やがて、何事もなかったかのように消灯した。
◇
同じころ。
王都中央区にある、政府技術局。
その一室で、一人の若い女性が書類を整理していた。
机の上には、山のような監査報告書。
壁に掛けられた時計は、すでに午後九時を回っている。
しかし、彼女の手は止まらなかった。
一枚の書類を確認する。
署名する。
分類する。
次の書類へ。
無駄のない、正確な動作。
やがて、机の端に置かれていた通信端末が短い音を立てた。
「……この時間に?」
女性が顔を上げる。
届いたのは、旧式の政府管理機械に関する監査要請だった。
記載された修理業者の名前に、彼女は眉を寄せる。
「アークライト機械修理店……?」
聞いたことのない名前だった。
添付された修理履歴を確認する。
次の瞬間、彼女の表情が険しくなった。
「……何ですか、この整備手順は」
規格外の部品。
許可されていない接続方式。
標準試験の範囲を大幅に超えた読み出し操作。
技術的には成立している。
むしろ、旧式装置の構造を理解していなければ不可能な作業だった。
だが。
「規定違反だらけじゃないですか……!」
彼女は額に手を当てた。
このような整備を平然と行う技術者がいるという事実が、信じられなかった。
しばらく書類を見つめたあと、静かに立ち上がる。
「……直接確認する必要がありますね」
机の上の予定表に、翌朝の訪問先を書き加えた。
『アークライト機械修理店』
そして、その名前を小さく呟く。
「レオン・アークライト……」
まだ見ぬ技術者に対し、すでに少なからぬ不信感を抱きながら。
王国技術局監査官、セリス・ヴァレンティア。
彼女が、生涯で最も理解に苦しむ男と出会うまで。
あと、十一時間。




