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エルムの灯火  作者: 孤猫
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役立たずの発明家


 王都アルヴェインに、朝が来る。


 もっとも、この街に暮らす人々にとって、朝とは太陽が昇ることだけを意味しない。


 午前六時。


 王都の中心にそびえる巨大な時計塔が、重厚な鐘の音を響かせる。


 それを合図に、街全体が目を覚ました。


 石畳の下を走るエルム導管が淡い青色に輝き、街灯が一斉に消灯する。建物の外壁に取り付けられた無数の歯車が回り始め、蒸気を吐き出す昇降機が上下する。


 頭上では、鋼鉄製の高架を貨物列車が走っていた。


 路地を抜ける小型運搬車。空中に張り巡らされた輸送用索道。鐘の音に合わせて開閉する商店の鉄扉。


 数百年に及ぶ技術革新の末、人類が築き上げた機械文明の中心地。


 それが、王都アルヴェインである。


 この街で生きる人々にとって、エルムは水や空気と同じくらい身近な存在だった。


 照明を灯し、機械を動かし、都市を支える。


 エルムがなければ、人々の暮らしは成り立たない。


 だからこそ、誰も疑わなかった。


 エルムとは何なのか。


 どこから来て、なぜこれほどまでに莫大な力を生み出せるのか。


 そんなことを考えるよりも、今日の仕事を終わらせる方がよほど重要だった。


 ――ただし。


 この王都には、そんな当たり前のことを疑うより、さらにどうでもいいことに人生を費やしている男がいた。



     ◇



「……よし。完成だ」


 王都西区。


 住宅と工場が入り交じる下町の一角に、ひどく古びた機械修理工房がある。


 看板には『アークライト機械修理店』と書かれていた。


 もっとも、看板の文字は半分ほど剥がれ落ち、最後の二文字は判読できない。


 そんな工房の奥で、一人の青年が満足げに頷いていた。


 レオン・アークライト。


 十八歳。


 くせのある茶色い髪に、寝不足を物語る目元。作業用のシャツは油汚れだらけで、首からは使い古された保護眼鏡をぶら下げている。


 その手には、小さな木製の筒が握られていた。


「ついに……ついに完成してしまったか」


 レオンは感慨深そうに呟く。


 目の前の作業台には、細い金属棒と、歯車と、何種類もの弾性素材が散らばっていた。


 それらの中心に鎮座するのが、彼の最新発明品である。


「名付けて――」


「おーい、レオン!」


 工房の扉が勢いよく開いた。


 直後、扉の上部が大きく軋む。


「……ガルド。扉は優しく開けろって、何回言えばわかるんだ」


「悪い! 今日は優しく開けたつもりだったんだが!」


「それで蝶番が曲がるなら、お前の優しさは建築物に対する攻撃だよ」


 入ってきたのは、青年というより、人の形をした岩山のような男だった。


 ガルド・ベルク。


 十九歳。


 短く刈り込んだ金髪。大きな背中。常人の倍はありそうな太い腕。


 その体格だけを見れば、王国軍の重装兵と勘違いされてもおかしくない。


 しかし、本人の顔には警戒心など欠片もなかった。


「おっ! また何か作ったのか!」


「ああ。今回は自信作だ」


「すげえな!」


「まだ何も説明してないけど」


「お前が作ったんだろ? ならすげえ!」


 レオンは小さく笑った。


 ガルドは昔からこうだった。


 誰もが呆れるような発明でも、真っ先に面白がってくれる。


 もっとも、使い方を理解してくれたことは一度もない。


「聞いて驚け。今回の発明は、エルムを一切使わない」


「おお!」


「しかも、物体を遠くへ飛ばせる」


「おおお!」


「さらに、何度でも繰り返し使える」


「おおおおお!」


「名付けて、『びよーん君三号』だ!」


「…………」


 ガルドが沈黙した。


「……どうした?」


「名前、弱くねえか?」


「そこ?」


「もっとこう、『爆裂大砲』とか!」


「大砲じゃないし」


「じゃあ、『超爆裂大砲』!」


「超を付ければいいと思うな」


 レオンは肩をすくめると、びよーん君三号を作業台の端に固定した。


 木製の筒の内部には、弾性素材を利用した発射機構が収められている。


 レオンは小さな木球を装填した。


「いいか。まず、この取っ手を引く」


 かちり、と内部の留め具が噛み合う。


「すると、内部に力が蓄えられる。あとは、この金具を押せば――」


 ぽんっ。


 木球が飛び出した。


 作業台の向こうに置かれた空き缶に当たり、軽い音を立てて転がる。


「どうだ!」


「…………」


 ガルドは転がった空き缶を見つめていた。


「……レオン」


「何だ?」


「これ、何に使うんだ?」


「物を飛ばす」


「それだけか?」


「それだけだ」


 沈黙。


 ガルドはしばらく真剣に考え込んだ。


 やがて、ぽん、と手を打つ。


「つまり、投げればいいんだな!」


「待て。今の説明のどこに投げる要素があった?」


 しかし、遅かった。


 ガルドはびよーん君三号を固定台から外すと、ひょいと持ち上げた。


「こうか!」


「いや、違――」


 轟音。


 何かが風を切り裂いた。


 びよーん君三号は工房の開いた窓を通り抜け、向かいの倉庫の壁に突き刺さった。


 木製の柄だけが、ぶるぶると震えている。


 レオンは無言で窓の外を見た。


 ガルドも見た。


「……飛んだな!」


「飛んだね」


「すげえ威力だ!」


「僕の発明の威力じゃないけどね」


「四号はもっと飛ぶのか?」


「お前が投げるなら、たぶんどんな物でも飛ぶよ」


 レオンは深々とため息をついた。


 向かいの倉庫から、老人の怒鳴り声が響く。


「レオン!! またお前かぁぁぁ!!」


「今回は僕じゃないですよー!」


「お前の工房から飛んできただろうが!」


「それは、まあ、そうなんですけど!」


 ガルドが申し訳なさそうに頭を下げた。


「悪い、レオン。俺、謝ってくる!」


「ああ。ついでに壁も直してきて」


「任せろ!」


「壊さないようにね!」


「おう!」


 ガルドが駆け出した。


 数秒後。


 ばきっ。


「…………」


 レオンは目を閉じた。


 今日も平和な一日になりそうだった。



     ◇



 アークライト機械修理店は、決して繁盛している店ではない。


 理由は簡単だ。


 店主が、仕事より発明を優先するからである。


 もちろん、レオンの修理技術そのものは確かだった。


 壊れた機械を分解し、原因を特定し、必要なら部品まで自作する。


 古い規格の機械にも詳しく、他店で修理を断られた品物が持ち込まれることも少なくない。


 だが、問題はそのあとだ。


『この機構、もっと面白くできるんじゃないか?』


 そう思ったが最後。


 彼は依頼された修理とは関係のない改造を始めてしまう。


 以前、パン屋から自動生地こね機の修理を依頼されたときは、なぜか焼き上がったパンを客の手元まで飛ばす機能を追加した。


 店主には怒られた。


 客にも怒られた。


 ただし、近所の子どもたちには大好評だった。


 そんなレオンにも、機械技術者としての明確なこだわりが一つある。


 エルムを使わない機械だ。


 この世界では、機械の動力にエルムを使用することが常識となっている。


 大型の蒸気機関でさえ、熱源となるのはエルム炉だ。


 それなのにレオンは、わざわざ弾性素材や重り、歯車などを組み合わせ、エルムなしで動く機械を作ろうとしていた。


 別に、エルムが嫌いなわけではない。


 エルムの使用料を節約したいわけでもない。


 ただ、気になるのだ。


 エルムを使わなければ、本当に機械は動かせないのか。


 別の方法で動かすと、何が起きるのか。


 そんな疑問を考え始めると、試さずにはいられなくなる。


「……さて」


 ガルドが倉庫の修理に向かっている間、レオンは工房の奥から別の装置を取り出した。


 木製の台。


 銅線を何重にも巻きつけた輪。


 そして、小さな永久磁石。


 以前、古道具屋で見つけた磁石を動かしていたところ、奇妙な現象に気づいた。


 磁石を銅線の輪に近づけたり遠ざけたりすると、ごく小さな反応が生まれるのだ。


 通常のエルム機関とは、どうも様子が違う。


「……やっぱり、動かしたときだけか」


 レオンは磁石をゆっくり動かした。


 小さな指針が震える。


 磁石を止める。


 指針も止まった。


 逆方向へ動かす。


 今度は反対側へ振れた。


「ふうん……」


 顎に手を当てる。


「何なんだろうな、これ」


 王都の技術書には、磁石と金属の相互作用についての記述がある。


 しかし、磁石を動かすことで生じるこの反応について、レオンが納得できる説明は見つかっていない。


 彼は仮に、この現象を『誘導流』と呼んでいた。


 もちろん、正式な学術用語ではない。


 研究者に見せたこともない。


 そもそも、この現象が何の役に立つのかすらわかっていなかった。


 だが、それでよかった。


「……面白いなあ」


 レオンは楽しそうに笑った。


 そんなときだった。


 からん、と入り口の呼び鈴が鳴った。


「すみませーん。アークライトさん、いらっしゃいますか?」


「はーい!」


 レオンが顔を上げる。


 そこには、見覚えのある初老の男が立っていた。


 灰色の作業帽をかぶり、胸元には政府認可整備業者の証章が付いている。


「おや、ベルナーさん。珍しいですね」


「久しぶりだな、レオン君」


 男の名はベルナー。


 王都の公共機械を整備する業者に勤める、古参の技術者だ。


 レオンの父親の代から、この工房と付き合いがある。


「今日は何の故障です? また中央広場の噴水ですか?」


「あれはお前の改造が原因だっただろう」


「ああ、そうでした」


「噴水の水が三階建ての屋根を越える必要はないんだよ」


「見応えはありましたけどね」


「苦情も山ほど来た」


 ベルナーは苦笑した。


 それから、工房の外へ目を向ける。


「ガルド君は?」


「向かいの倉庫を修理してます」


「……また壊したのか?」


「正確には、壊してから修理してます」


「そうか……」


 深く追及しないのが、長年の付き合いというものだった。


「まあいい。今日はちょっと厄介な仕事を持ってきた」


「厄介な仕事?」


「ああ。古い政府用の機械なんだが、うちじゃ手に負えなくてな」


 ベルナーが外へ合図すると、二人の作業員が台車を押してきた。


 載っているのは、一抱えほどの大きさの金属製装置だった。


 表面には傷が多く、古い規格の接続端子が並んでいる。


 レオンの目が輝いた。


「おお……!」


「反応が早いな」


「これ、何年前の規格です?」


「少なくとも三十年以上前だろうな」


「しかも、これ……」


 レオンは装置に近づき、側面の刻印を確認した。


「エルム第六世代式の記録媒体じゃないですか。まだ残ってたんだ」


「知っているのか?」


「知識だけなら。実物は初めて見ます」


 装置の上部には、半透明の円盤が数枚重なっていた。


 外周には細かな文字列が刻まれている。


 記録円盤。


 エルムの微細な反応を利用し、大量の情報を保存する旧式装置だ。


 現在の王都では、もっと小型で高性能な記録機が普及している。


 そのため、旧式の記録装置を修理できる技術者は少ない。


「これは……輸送記録機ですか?」


「そうだ。貨物の移動履歴を保存する装置らしい」


「へえ。どこのものです?」


「政府管理の輸送施設だ」


「なるほど」


 レオンは装置の留め具を外し、内部を覗き込んだ。


 その瞬間、顔をしかめる。


「……ひどいな」


「やっぱり難しいか?」


「いや、直すだけなら何とかなりますよ。ただ、これ、無理やり新しい制御装置につないだ形跡があります」


「わかるのか?」


「端子が焼けてますからね。規格の違うものを無理に接続したんでしょう。こんなの、壊れるに決まってる」


 ベルナーが苦い顔をした。


「現場の担当者は、普通に使用していたと言っていたがな」


「機械は嘘をつきませんよ」


 レオンは軽く笑う。


「人間はつきますけど」


「……妙なところで鋭いな、お前は」


「褒め言葉として受け取っておきます」


 ベルナーは依頼書を取り出した。


「期限は三日。費用はこちらで負担する。ただし、政府管理品だから記録内容には触れるなよ」


「ええ?」


「嫌そうな顔をするな」


「記録装置なのに記録を見ちゃ駄目って、変じゃないですか?」


「変でも何でも、決まりだ」


「中身を確認しないと、ちゃんと直ったかわからないですよ」


「だから、記録の読み出し機構だけ確認してくれればいい」


「はいはい」


 返事だけは素直だった。


 ベルナーは不安そうに眉を寄せる。


「……余計なことはするなよ?」


「もちろんです」


「本当だな?」


「必要なことしかしません」


「お前の場合、その必要の範囲がおかしいんだよ」


 もっともな指摘だった。



     ◇



 昼過ぎ。


 ガルドがようやく戻ってきた。


 肩には、修理に使ったらしい大量の木材を担いでいる。


「戻ったぞ!」


「おかえり。壁は?」


「直した!」


「本当に?」


「前より丈夫になった!」


「……嫌な予感がするな」


「おじいさんも喜んでたぞ!」


「怒鳴ってなかった?」


「なんか叫んでた!」


「それ喜んでないんじゃないかな」


 ガルドは豪快に笑い、木材を床に下ろした。


 その途端、床板が悲鳴を上げる。


「ガルド。重い物は端に置いて」


「おう!」


 ガルドは木材を抱え直し、作業台の横へ移動させた。


 今度は作業台が軋んだ。


「……もういいや」


 レオンは諦めた。


「ところで、何だそれ?」


 ガルドが記録装置を指さす。


「仕事だよ。古い輸送記録機の修理」


「へえ! 何する機械なんだ?」


「物をどこからどこへ運んだか、記録する機械」


「なるほど!」


「わかった?」


「つまり、運ぶ機械だな!」


「記録する機械だよ」


「じゃあ、俺が運んでやる!」


「絶対に触るな」


 即答だった。


 ガルドは不満そうに頬を膨らませる。


「俺だって役に立ちたいんだが」


「じゃあ、昼飯買ってきて」


「任せろ!」


 ガルドは元気よく工房を飛び出した。


 そして三秒後に戻ってきた。


「何がいい!?」


「何でもいいよ」


「肉か!?」


「じゃあ肉で」


「わかった!」


 今度こそガルドは走り去った。


 レオンは小さく笑うと、記録装置へ向き直った。


「さて、と」


 作業台の上に部品を並べる。


 必要な工具を選び、焼けた端子を取り外す。


 細い導管を交換し、変形した歯車を調整する。


 古い機械には、古い機械なりの美しさがある。


 今の機械は高性能だが、その分だけ構造が複雑で、内部の動きが見えにくい。


 しかし、旧式の装置は違う。


 歯車が回り、円盤が動き、記録針が文字を刻む。


 何をしているのかが、目で見てわかる。


「……いいなあ、これ」


 レオンは思わず呟いた。


「この構造、別のものに使えそうだな」


 修理の手は止まらない。


 しかし、頭の中では早くも別の発明品の構想が膨らみ始めていた。


 円盤を複数重ねれば、回転運動を別の方向へ伝えられる。


 それを車輪に接続すれば――。


「……横に動く台車?」


 レオンは目を見開いた。


「おお! これなら狭い工房でも方向転換しなくていいじゃないか!」


 そして、工具を置いた。


 紙を取り出した。


 設計図を描き始めた。


 十分後。


 二十分後。


 三十分後。


「ただいまー!」


 ガルドが大量の肉料理を抱えて帰ってきた。


「お、何だ! もう直ったのか!」


「……あ」


 レオンは時計を見た。


 それから、まったく修理の進んでいない記録装置を見る。


「……今から本気出す」


「いつも言ってるな、それ!」


「今日は本当だよ」


 こうして、昼食後にようやく修理が再開された。



     ◇



 日が傾き始めるころ。


 レオンは、記録装置の最後の接続端子を取り付けた。


「よし。これで動くはず」


 装置にエルム供給線をつなぐ。


 青白い光が内部を走った。


 低い駆動音。


 記録円盤がゆっくりと回転を始める。


「おお、動いた!」


 隣で見ていたガルドが歓声を上げた。


「まあね。僕を誰だと思ってるんだい?」


「レオン!」


「そうだね。正解だ」


 レオンは満足げに頷くと、装置の状態を確認した。


 駆動系統は正常。


 記録円盤の回転数も規定値に収まっている。


 エルム供給量にも異常はない。


 あとは読み出し機構を確認すれば、修理は完了だった。


「……さて、問題はここからだな」


「まだ何かあるのか?」


「記録をちゃんと読み出せるか確かめないとね」


「ほう!」


「まあ、お前に説明しても仕方ないか」


「おう!」


「そこは否定してよ」


 レオンは苦笑しながら、装置に簡易表示板を接続した。


 本来なら専用の読み出し端末を使用するところだが、あいにく工房にはそんな高価なものはない。


 代わりに、別の機械から取り外した表示装置を改造して接続している。


 規格の違う二つの機械を無理やりつなぐ。


 ベルナーが見れば卒倒しそうな光景だった。


「よし。まずは試験記録を……」


 操作盤の金具を動かす。


 記録円盤が高速で回転し、表示板に数字が並び始めた。


『起動試験――正常』

『記録機構――正常』

『読み出し機構――正常』


「うん。問題なし」


「直ったのか!?」


「ほぼね」


 レオンは表示板を眺めた。


 ここで終わらせてもよかった。


 修理依頼の内容は、装置が正常に動作するようにすること。


 その目的は達成している。


 だが、レオンには一つ、気になることがあった。


 装置の奥にある小さな歯車が、不規則な動きを繰り返している。


「……ん?」


 レオンは顔を近づけた。


 かちり。


 かちり。


 かち、かちり。


「……変だな」


「何がだ?」


「この歯車。読み出しのたびに、一瞬だけ逆回転してる」


「逆に回ったら駄目なのか?」


「普通はね」


「じゃあ直せばいいじゃねえか!」


「それが、部品は正常なんだよ」


 レオンは記録円盤を取り外し、光にかざした。


 半透明の円盤には、細かな記録溝が幾重にも刻まれている。


 その一部だけ、妙に表面が荒れていた。


「……傷?」


 いや、違う。


 自然についた傷ではない。


 何かの操作によって、同じ箇所だけを何度も上書きしたような形跡だった。


「ふうん……」


 レオンの目が輝く。


「面白い」


「面白いのか?」


「すごくね」


「じゃあよかったな!」


「いや、よくはないんだけど」


 レオンは記録円盤を装置へ戻した。


 今度は、読み出し機構の回転数を少しずつ変更する。


 すると、表示板に不規則な数字が浮かび始めた。


『記録番号 048』

『記録番号 049』

『記録番号 051』


「……あれ?」


 レオンは首を傾げた。


「五十番がない」


「五十?」


「そう。四十九の次が五十一になってる」


「一個飛ばしたんじゃねえのか?」


「まあ、そうなんだけどね」


 レオンは表示板を指さした。


「でも、この機械は記録番号を自動で付けるんだ。途中だけ抜けるのは、ちょっと変なんだよ」


「なるほど!」


「わかってないでしょ」


「おう!」


 レオンは再び装置を操作した。


 削除済みの記録なら、管理情報にもその痕跡が残るはずだ。


 しかし、五十番の記録は、最初から存在しなかったように扱われている。


「……なるほど。記録そのものじゃなくて、目次を消してるのか」


 レオンは独り言のように呟いた。


 古い記録装置では、記録円盤に保存された情報と、その情報を読み出すための管理情報が別々に保存されている。


 管理情報を消してしまえば、通常の操作では記録が見つからなくなる。


 しかし、それだけでは円盤に刻まれた記録そのものが消えたわけではない。


「ということは……」


 レオンは小さく笑った。


「残ってるかもしれないな」


 再び工具を手に取る。


 記録円盤の回転数を調整する機構に、先ほど交換したばかりの歯車を取り付け直した。


 通常の速度では読み取れない部分を、より細かく調べるためだ。


「レオン、何してんだ?」


「隠れてる五十番を探してる」


「かくれんぼか!」


「まあ、そんな感じ」


「俺も探そうか!?」


「お願いだから何も触らないで」


「おう!」


 レオンは操作盤に向き直った。


 数分後。


 表示板が激しく明滅した。


『記録番号 050』


「……お」


 レオンが声を漏らす。


「見つけた」


 表示板には、断片的な情報が並んでいた。


『輸送記録 第050号』

『発着区間 ****』

『輸送区分 人員』

『登録人数 001』

『輸送完了 承認済』

『記録処理 管理者権限による抹消』


 レオンは画面を見つめた。


「……人員?」


「ん? 人を運んだってことか?」


「そうみたいだね」


「じゃあ、馬車みたいなもんか!」


「いや、装置はただの記録機だけど」


 レオンはさらに情報を読み出そうとした。


 しかし、それ以上は何も表示されない。


 輸送先の名前も、輸送された人物の氏名も、完全に消去されているらしかった。


 ただ、一つだけ妙なことがあった。


 記録の日付だ。


「……四年前?」


 装置そのものは三十年以上前のものだ。


 しかし、この輸送記録はわずか四年前に作成されていた。


 旧式機械を現役で使用すること自体は珍しくない。


 だが、わざわざ記録を消したうえで、装置そのものを故障した状態で放置していたのだとすれば、少し奇妙だった。


「……何かの間違いかな」


 レオンはもう一度記録を確認した。


 同じ内容が表示される。


 そこで、ふとベルナーの言葉を思い出した。


『政府管理品だから記録内容には触れるなよ』


「…………」


 レオンは記録円盤を見つめた。


 それから表示板を見る。


 しばし考える。


「……まあ、触っちゃったものは仕方ないか」


 あっさりと言った。


「いいのか!?」


「よくないかもね」


「じゃあ謝ろうぜ!」


「何て?」


「勝手に見ましたって!」


「正直だなあ、お前は」


「嘘はいけねえからな!」


「それはそう」


 レオンは苦笑した。


 確かに、依頼された修理の範囲は少し越えてしまった。


 しかし、古い記録円盤の仕組みを調べられたのは収穫だった。


 レオンにとっては、そちらの方が重要だった。


 記録番号と装置の状態を修理用の手帳に書き込む。


 そして表示装置を取り外した。


「よし。これで修理完了!」


「おお!」


「明日ベルナーさんに連絡して、引き取ってもらおう」


「じゃあ仕事終わりか!」


「そうだね」


「飯食いに行こうぜ!」


「昼も肉だったけど」


「夜も肉だ!」


「……野菜も食べようよ」


「肉は野菜を食って育ってるぞ!」


「その理屈だと、木材も野菜になるね」


「すげえ!」


 レオンは笑いながら、作業台の照明を消した。


 工房が薄暗くなる。


 外では夕暮れの王都が、エルムの青い光に包まれ始めていた。


 街灯が点き、昇降機が動き、貨物列車が遠くを走る。


 何も変わらない、いつもの王都。


 レオンにとって、今日もまた楽しい一日だった。


 新しい発明が完成した。


 奇妙な現象を観察できた。


 古い機械も修理できた。


 明日は、横向きに走る台車を作ってみよう。


 そんなことを考えながら、ガルドと連れ立って工房を出る。


 彼はまだ知らなかった。


 ほんの気まぐれで読み出した、たった一つの輸送記録。


 その記録を探している人々が、王都のどこかにいることを。


 そして、その記録が二度と人目に触れないよう、長い年月をかけて秘密を守ってきた者たちがいることを。


 その日の夜。


 誰もいなくなったアークライト機械修理店で、小さな音が響いた。


 かちり。


 作業台の上に置かれた輸送記録装置。


 修理を終え、停止しているはずのその装置の内部で、一本の記録針が動いた。


 予備のエルム蓄積器に残されたわずかな動力が、自動管理機構を起動させたのだ。


 読み出し履歴を照合する。


 登録されていない操作を検出する。


 そして、装置の奥に設けられた小さな通信機構が、静かに作動した。


『機密記録へのアクセスを検知』


『記録番号 050』


『照会元 アークライト機械修理店』


『監査要請を送信』


 青いランプが三度点滅する。


 やがて、何事もなかったかのように消灯した。



     ◇



 同じころ。


 王都中央区にある、政府技術局。


 その一室で、一人の若い女性が書類を整理していた。


 机の上には、山のような監査報告書。


 壁に掛けられた時計は、すでに午後九時を回っている。


 しかし、彼女の手は止まらなかった。


 一枚の書類を確認する。


 署名する。


 分類する。


 次の書類へ。


 無駄のない、正確な動作。


 やがて、机の端に置かれていた通信端末が短い音を立てた。


「……この時間に?」


 女性が顔を上げる。


 届いたのは、旧式の政府管理機械に関する監査要請だった。


 記載された修理業者の名前に、彼女は眉を寄せる。


「アークライト機械修理店……?」


 聞いたことのない名前だった。


 添付された修理履歴を確認する。


 次の瞬間、彼女の表情が険しくなった。


「……何ですか、この整備手順は」


 規格外の部品。


 許可されていない接続方式。


 標準試験の範囲を大幅に超えた読み出し操作。


 技術的には成立している。


 むしろ、旧式装置の構造を理解していなければ不可能な作業だった。


 だが。


「規定違反だらけじゃないですか……!」


 彼女は額に手を当てた。


 このような整備を平然と行う技術者がいるという事実が、信じられなかった。


 しばらく書類を見つめたあと、静かに立ち上がる。


「……直接確認する必要がありますね」


 机の上の予定表に、翌朝の訪問先を書き加えた。


『アークライト機械修理店』


 そして、その名前を小さく呟く。


「レオン・アークライト……」


 まだ見ぬ技術者に対し、すでに少なからぬ不信感を抱きながら。


 王国技術局監査官、セリス・ヴァレンティア。


 彼女が、生涯で最も理解に苦しむ男と出会うまで。


 あと、十一時間。

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