第4話「閉ざされた熱の行方」
冷たい雨が窓ガラスを叩く音が、静まり返ったホテルの廊下に響いている。
地方都市でのライブを終え、新たな滞在地に到着したメンバーたちは、疲労の影を引きずりながらそれぞれの部屋へと消えていく。
深夜二時を回った館内は、人の気配が完全に絶え、薄暗い間接照明だけが赤い絨毯を頼りなく照らしている。
奏太は自室のベッドに横たわっているものの、体の奥底で脈打つ不自然な熱のせいでまったく眠りにつくことができない。
薬の効き目は完全に限界を迎えている。
皮膚の表面が粟立ち、呼吸のたびに喉が焼けるように渇く。
限界に達した喉の渇きを潤すため、奏太は重い体を引きずってベッドから起き上がる。
薄手のルームウェアのまま部屋を出て、廊下の突き当たりにある自動販売機コーナーへと向かう。
冷たいミネラルウォーターを購入し、その場で半分ほどを喉に流し込む。
冷気が食道を通る感覚が、火照った体をわずかに冷ます。
深いため息を吐き、自室へ戻ろうとエレベーターの降下ボタンを押す。
金属の扉が左右に開き、奏太は狭い箱の中へと足を踏み入れる。
自室のある階のボタンを押し、扉が閉まりかけたその瞬間、視界の端に黒い影が入り込む。
間に差し込まれた手によって扉のセンサーが反応し、金属の板が再び左右に開く。
そこに立っている人物を認めた瞬間、奏太の全身の血液が沸騰したように温度を上げる。
濡れた黒髪を無造作に散らし、自動販売機に向かおうとしていたであろう凱がそこにいる。
凱はエレベーターの中にいる奏太に気づき、わずかに目を細める。
一瞬の躊躇いの後、凱は無言のまま箱の中へと足を踏み入れる。
扉が閉まり、密室となった空間に重いモーター音が響き始める。
二人だけの狭い箱の中に、澄み切った冬の夜のような冷たい香りが急速に充満していく。
凱の放つαのフェロモンが、逃げ場のない空間で飽和状態となり、奏太の呼吸器を容赦なく侵略する。
奏太は背中を冷たい金属の壁に押し当て、膝が崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。
体温が異常な速さで上昇し、視界の輪郭が熱でぐらぐらと歪む。
甘く重い匂いが自分の体から漏れ出し始めているのがわかる。
Ωとしての本能が、すぐそばにいる強烈な存在に平伏し、触れ合うことを求めて狂おしく叫んでいる。
「お前、その熱」
凱の低い声が、狭い空間に落ちる。
奏太が顔を上げると、凱が顔をしかめて口元を片手で覆っている。
凱の瞳の奥に、理性を引き裂こうとする獰猛な光が明滅している。
奏太の体から放たれるフェロモンが、凱のαとしての本能を激しく刺激しているのだ。
箱が下降を続ける中、突如として足元から突き上げるような衝撃が走り、エレベーターが急停止する。
同時に頭上の照明が完全に落ち、深い暗闇が二人を包み込む。
数秒の静寂の後、非常用の薄暗い赤いランプだけが点灯し、互いの輪郭を不気味に浮かび上がらせる。
機械の動作音が完全に消え、互いの荒い呼吸音だけが暗闇に交錯する。
「来るな」
奏太の口から、掠れた声がこぼれ落ちる。
自分が限界を迎えていることを見透かされる恐怖と、これ以上近づけば理性が吹き飛んでしまうという警告。
しかし凱は壁に背を預ける奏太に向かって、ゆっくりと一歩を踏み出す。
赤い光に照らされた凱の顔には、苦痛と渇望が入り混じった凄絶な表情が浮かんでいる。
「薬が効いていないのか」
凱の声は地を這うように低く、熱を帯びて掠れている。
凱の大きな手が伸びてきて、奏太の肩を掴む。
布越しに伝わる体温の高さに、奏太の体が大きく跳ねる。
触れられた場所から火が着いたように熱が広がり、思考の回路が次々と焼き切れていく。
凱の顔が近づき、その吐息が奏太の首筋にかかる。
抗うための力はとうに失われ、奏太の指先が凱のシャツの胸元を弱々しく掴む。
音楽と言う絆すら断ち切ろうとする凱が、今だけは本能に身を任せて自分を求めている。
その残酷な事実に胸を引き裂かれそうになりながらも、奏太は目を閉じ、凱の熱に自らを明け渡そうとする。
理性の境界線が、狭く暗い密室の中で音を立てて崩れ落ちていく。




