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私がここに生きる理由… 「ハースヴァニア:星が導く魔法と旅路」  作者: うーみ
序章 カーストラ街編

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第五幕 感謝の証

 それからパンとうさぎは何度も出会い魔法の特訓を行った。パンはキープに本当のことを話さず、長期の休みを申請した。キープは、これまでとは違い自ら固い意志を持って行動したパンを珍しく思い、これを承諾した。家の扉を開け、いつものようにフードを深くかぶり外出していくパンの足取りは、かすかに早くなっていた。

 パンは毎回、万有の森の入口に足を踏み入れ遺跡の世界に移動した。魔法の名残でパンが現れる場所はいつも同じ。石の広場の中心。入口であり出口。そこではいつも、うさぎが待っていた。


 少年は様々な魔法についてパンに教えてくれた。自分の周りにだけ雨を降らす魔法、小石と葉の位置を入れ替える魔法、不思議なビジョンを川の水面に投影する魔法。つかむことのできる特殊な雲を作る魔法。

「『奏でるは天竜の調べ』。僕の一番得意な魔法。小さな空間?というか、世界を作ることができるんだ。あのときパンをマナ生命体から守ったのも、この魔法だよ。」

そういうと、うさぎは手を出した。すると不思議とその手の上に透明な球体が現れた。パンが目を凝らして見ると、球体の中に小さな草木と土、そして空があった。

「あんまり人に見せちゃダメって…あー、お父さんに言われてるんだけどね。」

頭をかきながら、うさぎは話し続ける。

「うーん、手始めに光を灯す魔法で実力試しかな。あれは最初に習う魔法だからね。」

 うさぎは手を前に出した。パンがのぞき込むと、少年の美しい手のひらに小さな光の玉がぽっと一つ現れた。二人の体を照らし出すその光源は、少年の小さな手の上で浮遊しながらゆっくりと回転する。

「うわぁ…きれい。」

「では!このうさぎ大先生が教えて差し上げよう!魔法の真髄を。あ、僕のことはうさぎ先生って呼んで?」

「はい。」

「まず初めに!魔法とは呪文と魔力によって成り立つ。」

「はい、キープから色々教えてもらったことがあるので、だいたいの基礎は知っています、先生。」

「うっ、そ、そうだね!で、では最初に。呪文を唱える。そして魔力を込める。魔法が影響するすべての存在を感じて。魔法を発動させたい場所に意識を集中して、魔力を流し込む。呪文と魔力は絵を描くためのペンとインクみたいなもの。紙はこの世界。パンの場合は、、、なんとなく、魔法によって物事がどう変化するかのイメージをすればいいよ。」

 二人は小さな草原の突き出た小石に座っていた。なじみある遺跡もちらほらと周りに点在している。

「呪文は『導け黎明』だよ。」

パンは座り直し、片手を前に掲げる。

「うん、やってみる。」

 一呼吸。

「導け黎明!」

一瞬、手の周りの空気が震える。しかし、それ以上は何も起こらなかった。

「…」

パンは下を向いた。なにもおかしくはない。それは予想していた結果だった。パンにとっては見慣れた光景。魔法はその姿を表さないまま、消え去る。うさぎはそんなパンを見つめていた。神妙な空気が流れる。

「ふむふむ。でも大丈夫。これからちょっとずつ練習していけば、いつか必ず魔法を使えるようになる!僕もついてるから。」


 二人は遺跡群が並び立つこの地と魔法の息吹から、遠く離れて外に出ることはなかった。しかしそこに不自由はなく、まるでどこまでも続いている無限の時間と可能性があるようだった。パンにとって、少年との時間は初めての連続で、心奪われるものだった。

 「まずはマナの流れを読むことから始めよう!それで、最終的には光を灯す魔法を扱えるようになろう!」

「すいません。何もできずに。」

「いやいや!教えがあるじゃないか!我が生徒よ!」

「うさぎ…先生?性格変わりました?」

「こ、こほん!」

うさぎがあわてたように元気よく声を出す。

 「魔力の操作は『マナ知覚』が重要なんだ。マナの流れを感じる力。マナの位置と特性を明確に知ることで、体内での魔力の変換がスムーズに行われる。ほら、手を出して?」

今回は、元々は大きな広間だったであろう場所で練習を行った。天井があるべき場所は吹き抜けており、オレンジ色の空がめいいっぱいに広がっていた。周囲は石の壁と柱で囲まれている。

 パンが片方の手を差し出すと、うさぎは両手でそれを握った。パンは不思議そうにうさぎを見る。目とを閉じるうさぎ。すると、うさぎの手のひらから自分の手に暖かい何かが流れ込んでくるのをパンは感じた。

「わっ!」

少女は驚いてすかさず手をひっこめる。しかし、掌に何かが付いているわけでもなく傷ついているわけでもなかった。

「あははっ。ごめんごめん。驚いた?いま僕は、パンに魔力を分け与えたんだ。魔力はマナが形を変えたもの。ほとんど同じものと思ってもらってもかまわない。魔力の流れを知ることで、自然のマナを感じ取れるようになる。練習すれば、より細かいマナの流れを読める。」

「今のがうさぎの魔力?すごく…暖かいです。」

「そう?僕の人生ではじめて言われたなぁ。」

「このマナが…世界中に流れてる…。」

「そう。それに、世の中には僕なんかとは比べ物にならない、リンとよばれる強力なマナ循環の持ち主がいるらしいよ。リンに近づいたらその規格外なマナの流れが何を起こすか、想像なんてできないよ。」

優しいそよ風が二人の髪をなでる。

「今の感覚を忘れないで、自分の中に同じようなエネルギーの流れを感じるんだ。」

「マナの流れ…」

目を閉じて空を見上げるうさぎ。

「そして意識を外に向ける。そうすると、同じ力が周囲に存在することがわかる。空気に、大地に。それらのほとんどがマナ。魔力とマナは見分けにくいけど、使用者がどうこうしない限りはマナの状態で存在するから、あんまり気にしなくていいかな。」

 すると今度は、パンがうさぎに近づき無防備なその手をとる。うさぎは不意を突かれたように目を丸くして、その様子を見つめる。先ほどと同じ、肌と肌が触れ合う感覚。やわらかく温かい感触が二人をつなぐ。

 そのとき、パンの魔力が手のひらから手のひらへ、うさぎに流れる。それは少量であり、肌に触れる空気よりも微かにしか感じられない量。しかしうさぎは確かに知覚した。その存在を。

「感じ取りました?」

「…うん。」


 「最終的にこの魔法の名残と魔法の息吹の中に隠れた僕を見つけ出したら、この試験もクリアってことだね!」

 次の日、魔法の名残の広場に二人で集まった。

「マナ知覚を利用して…うさぎを見つけ出せってことですか?」

「そう!だけど今のままじゃ全然ダメっ!だから、パンにはマナの流れを読むための訓練をしてもらう。もちろんこのうさぎ大先生も一緒にやってあげよう!」

「はい、うさぎ先生。」

パンは少し面白がるような声で返事をした。

 魔法の特訓内容は魔法初学者向けの彼自身のオリジナルのものだった。つまりパンがキープから教わったり他人の見よう見まねでやっていた魔法の練習とは、まったく別のものであった。様々な魔法の知識を教える座学、不思議な特性を持つ遺跡や構造物、生き物を使った魔力制御とマナ知覚の向上。それらはこの地の特性を生かして行われた。

 触るとランダムで破裂し種をまき散らす赤く丸い葉が着いた植物は、その葉と茎、そして地面に流れるマナを読み取ることで破裂しない葉を見分けることができる。パンははずれを引き続け、体が種に覆われ身動きがとれなくなったところで、うさぎに引っ張られながら退場した。

 魔法の息吹に存在する、絶えずマナを放出し続ける池はその場にいると体の快楽を感じさせる。うさぎは休憩がてらパンをそこに連れて行ったが、パンはほとんど何も感じることができず数分間寝転がったのち、しぶしぶ退散した。

 同じく魔法の息吹では、パプルと触れ合いながらマナ知覚を向上させる訓練をした。パプルのマナの流れを感じ取ることで、警戒心を解き息を合わせることでパプルが自分の背にのせてくれるようになる。こちらは他の特訓とは異なり、パンはすんなりと乗ることができた。しかし、息を合わせることができずに危うくうさぎを尻尾で刺してしまうところだった。

 「そういえばさ、パンって…怖いものとかないの?」

初めて見る魔法や身の危険がある動物でも、なんなく触れ合いに行くパンを見てうさぎは疑問を口にした。

「恐怖を抱くものっていうかさ。」

「『恐怖』…ですか。」

「そう。何かを嫌がったり、怖がったり、不安になったり。そういう姿を見たことないなって。ほら、僕たちが初めて出会ったときだって、マナ生命体に立ち向かおうとしてたし。」

「………特に考えたことはありませんでしたが…嘘は苦手です。」

うさぎは静かにパンの言葉を聞いている。

「嘘は…この世界から私を切り離します…。」


 魔法の特訓を通して、パンが魔法とマナに触れる機会は依然と比べても格段に多くなった。パンはうさぎと特訓をする中で、魔法こそ完全に扱うことはできないが、マナをかすかに感知できるようになっていった。しかしそれは、うさぎの張り巡らせた魔法の幕の中だけであり、一日に2回程度が限度だった。

 それから様々なマナに触れていったが、うさぎの助けなしでその流れをパンが知覚することは決してなかった。それは世界の拒絶をパンに思い知らした。

 「マナの流れは魔法の流れ。うまく使えば他人の魔法を自分の力にできる。」

うさぎは静かにつぶやく。

「だからこそ、マナを感じることは簡単にできることじゃない。ましてや目覚めて一星年もたってない人がそれを扱うのは難しい。」

日が沈み、パンは石の広場に腰を下ろしている。一頭のパプルがパンの横にどっしりと座っていた。パプルの頭をなで首をかくパンの表情は暗闇の中でははっきりと見分けることはできなかった。しかし、パンの焦りと落胆をうさぎも感じとっていた。

 うさぎは魔法であたりを照らすことはせず、静かにパンの横に座り虚空を見つめる。

「僕は…もちろんこの特訓をやめるつもりはない。けど、一つ聞いて良い?」

「…はい。」

声だけがお互いの存在を認識させる。

「パンは…なんでそんなに魔法にこだわるの?魔法を使いたいって…思うの?」

星の光がまばらに遺跡を照らす。しかし広場にその光が届くことはない。そんな中でパンは静かに語り始める。

「私は…皆とは違います。過去の記憶がなくて、魔法石もない。魔法は使えないし、皆が当たり前のように感じている感情のことを…知らない。だから…私はこの世界のどこにもいないんです。」

「……」

「だけど、キープとの時間やラムダレンズが映す自分の姿は、確かに自分がここに存在してるって実感を与えてくれます。けど…」

パンの立ち上がる音がうさぎにも感じられた。

「そんな感覚も外に出たらすぐに消えてしまう…。だから私はみんなと同じになりたい、みんなと同じように魔法が使えて、そしたらもっとみんなのことを知ることができる!感情を知ることができるし、どこにいても私はこの世界に生きていて良いんだっていう証がもらえる。だから……魔法を学びたい…。」

パンは小さく息を吐いた。まるで立ち上がり前のめりになる自分に驚いているかのように、そしてそんな自分を落ち着かせるように。パンは再びパプルの背をなでる。

「パン…話してくれて、ありがとう。」

うさぎも立ち上がる。

「僕は全力で、パンとの時間を過ごすよ。それが僕の…生きた証だ。」



 魔法の名残でうさぎと合わない時間は、街でキープとともに人々の困りごとを解決していく毎日を送った。長期休暇中であるにもかかわらず、依頼をこなそうとするパンの姿にキープは少し困り果てていた。


 それから数日がたった頃。カーストラでのある朝、ラムダレンズに一つの依頼が届き、パンとキープはその依頼を解決しに出かけた。空には雲一つなく、比較的暖かい気温はかわらずにパトリオン国周辺を覆いつくしていた。


 街の南側にある依頼主の家へ向かう道中、不意にパンの腰にぶら下げてあったラムダレンズから奇妙な音が発せられた。パンは驚いてレンズを手に取り覗くが、そこには何も映っていなかった。レンズから聞こえるその音は、まるで大きな波と波がお互いぶつかり合う轟音のようであった。そして何かがガシャンと壊れる音、爆発音―――。

 パキッ

 次の瞬間、ラムダレンズの金縁にひびが入り―――音が消えた。

「これは…」

 一部始終を見ていたキープが眉をひそめながらラムダレンズに入った亀裂を見つめる。

「これは…急いだほうがよさそうだ。依頼主の身が危険にさらされているかもしれん。」

 キープとパンの周囲に風域が形成される。

「もしかして、キープが前に言ってた気になる依頼って…」

「あぁ、おそらくこの現象と関係してる。急ぐよ!」


 キープの起こした風により、二人は村の中心から少し離れた不思議な家の前に降り立った。

 ラムダレンズから発せられた奇妙な信号は、依頼主であるこの家の主が出したものだとキープは読んでいた。

 「こんにちは、パンです。依頼を受けて来ました!」

目の前に設置されているドアは無言だった。

 直方体をばらばらに積み重ねたかのような個性的な形をした家。そのカラフルな色合いはこの街の趣向にまったく合っていなかった。家のもっとも高い位置には、小さな攻撃魔法をそらすことができるかぎ爪のような形をした避法針(ひぼうしん)が突き刺さっていた。

 「待ってる時間はない。万が一…」

すると、家の中から何か物が散乱する音、落ちる音、砕ける音が聞こえてきた。すると、徐々にゴゴゴゴッという轟音が響いてきた。あのときラムダレンズから聞こえてきた波の音。

 揺れる地面。

 突然、爆発音と共に二階の窓が割れ、滝のように水の塊がうねりながら飛び出してきた。水流の中には人影が見える。

「えっ…」

 大きな水の蛇はのたうちまわり、外壁を破壊しながら家の周囲を回り続ける。宙を舞う太く長い水流の中に、おそらく呑み込まれたであろう青年が、なんとか顔を水の外に出しながら呼吸をしている。

「デル!」

 ぼさぼさの金髪にオレンジの瞳、金色のボタンがはめられた白地のシャツに細長い黒地のズボン、足元は膝まで覆う黒いブーツ。まるで商人のような見た目の青年は、空中にできたうごめく水流の中で、手足をジタバタさせている。流れの外に何とか顔を出し息をするが、すぐに全身を水に覆われ、身動きができなくなっていった。

「まずい…水にかけられた魔法がどんどん強力になっている!」

 さらに複数の水の尾が音を立てながら、窓から飛び出した。

「水の中で呼吸は1,2分しかもたない。とにかく、デルを助け出さなければ命が危ない!」

 家の周りに生成され始めるいくつもの水の柱。二人は降りかかる数多の水滴に襲われながら行動を開始する。

「私は家の中に言ってゲートを直してきます。キープは被害を最小限にとどめててください。できればデルを引っ張り出して。」

パンはそういうと、不思議な形をした家の中へ走っていった。


 パンは数日前にデルの依頼を受けたときの記憶を思い出し、ゲートの置いてある部屋まで進んでいった。複数回階段を上り、長い通路を進む。暴れる水流によって、見たことのない遺物や機械でごちゃごちゃと荒らされている床や壁も、パンにとっては慣れたものだった。

 ついにパンはゲートがあると思わしき部屋の扉を見つけ、中に入った。部屋の中心には二本の角が台座から突き出たような形の機械、ゲートと、その角の間で浮いているフラスコ。それ以外はなにもなかった。パンの歩みに連動して、木の板で作られた床がきしむ。

 二つの灰色の角は見るものに威圧感を与え、それがただの魔法機械でないことを知らしめていた。フラスコからは水が糸のように伸び、それは窓から外に続いていた。これが外で暴れている水の根源だった。

「ゲートが魔法を…強化した。」

 パンはゲートの状態を確認した。小さな稲妻が角の周囲を旋回している。ゲートが稼働している証拠である。しかし、角の付け根部分に配置されているランプらしきものは赤色に輝いていた。

 パンは状態を確認すると周囲を見回し、すぐさまゲートと数歩の距離をとった。そして腰に掛けてあった小さな望遠鏡を取り出し、ゲートを覗いた。そのまま取っ手を軽く回転させる。すると、望遠鏡のレンズから光が飛び出す。数枚の大きな光るレンズが、望遠鏡の筒の先に重なるように現れ回転する。パンが望遠鏡から手を放しても小さな筒はその場にとどまり、宙に浮くレンズたちは動き続ける。パンはそのレンズに触れ、操作を始めた。


 パンの持つ望遠鏡は、キープが遺跡から拾った遺物である。キープの分析の結果、この遺物は数百年程度昔のものであり、この望遠鏡型の遺物があった遺跡の年代と比べても比較的新しいため、キープは別の冒険家が落としたものだと推測した。

 この望遠鏡の主な効果は二つ。望遠鏡から発生するレンズが見る機械もしくは生物は、その特性から内部のマナ循環、分子レベルの構造まで判別し分析される。そしてレンズを操作することで、これら要素に対して『調整』を行うことができるのだ。たいていの機械の問題は、この望遠鏡で解決できる。これを人体に作用させれば他人の体の動きを制御することも可能。

 幾何学の紋様は光るレンズの上で、パンの手の動きに合わせて変化する。レンズはまるで、ゲートをその構成要素まで解析しパンに見せているかのように、パンとゲートの間に浮いている。時間がたつにつれて、ゲートから発生する稲妻はなくなっていった。

「あと少し…」

 そのとき床が急に振動を始めた。外から水同士のぶつかり合う音が聞こえる。家全体が上下に震えているかのような揺れ。それは徐々に大きくなっていき――突然パンの下から床を突き破りうねる水の柱が飛び出してきた。パンのいる階層は破壊されゲートが台座ごと宙を舞う。そのままパンとゲートは家の外に放り出された。

「っ……!」

 強大な暴れ水がいたるところを破壊し始めていた。水の柱は空間という空間を埋めつくそうと四方八方に伸びている。水に含まれる魔力が増大する。暗闇が一瞬にして明るくなる。外では水の蛇が未だにのたうち回っていた。水の量はパンが家に入った時の数倍に膨れ上がり、水柱がいたるところに生成される。

 パンは強力な水圧に殴られながら、宙を上下する。まるで大気のほとんどが水に変わったかのように、激流が小さな少女の体を覆う。

「これはっ…外?」

青空とそれを映し出す大量の水。まるで二つの空が上と下で対立しているかのように、遮られることのない純粋な日の光が乱反射する。

 なんとか空中で体制と立て直そうとしたパンの視界に、水の蛇の腹の中にいるデルが一瞬映った。未だに呑み込まれたままであり、その体はもう動いていない。そのそばで体の半分を同じく水に呑み込まれながらも、デルを引っ張り出そうとするキープがいた。

(時間がない…)

 ゲートの調整はあと少しまで来ていた。しかし、うねる水の柱に邪魔をされ、レンズは消えて望遠鏡も宙を待っている。落下を始めたと思ったら水の柱に打ち上げられ再び上昇する。身動きの取れない空中で望遠鏡に触れることは困難だった。デルの体が動かなくなってからどれだけ時間が経っているのかパンにはわからなかったが、一刻も早く調整を済まさなければいけないということは理解していた。

(望遠鏡を触りさえすれば……ゲートを調整してこの暴走を止められるっ…けど…)

 とどまるところを知らない水の蛇の応酬は、時間がたつにつれてさらに激しさを増す。

 キープは水の柱の中でぐったりとしているデルのもとへたどり着いたが、不安定な足場と水の阻害により、なかなか引き上げることができていない。

 そのとき、パンの頭の中でうさぎとの記憶がよみがえる。


「マナの流れは魔法の流れ。うまく使えば他人の魔法を自分の力にできるかもねっ。」


パンは目を閉じた。その瞼の裏にはあのときの情景が思い描かれる。あの柔らかい感触と暖かい体温。お互いにマナを感じあったあの日を。

 どこにでも存在するマナ。魔法の源。流れ。魔法の息吹と名残。

 すると、目を閉じているはずのパンの頭の中に大きな穴が開いているデルの家が浮かび上がる。そしてデル、キープ。最後に水の蛇。うねる渦のように回転している蛇の残像。まるでマナに浸されている空間の中でだんだんと形作られていくかのように。

 パンは徐々に目を開けた。途端に下から突き上げるような衝撃を感じた。水の柱が再びパンを襲い始める。しかしパンはそのままその水流に体を預けた。それは慣れ親しんだ川の流れであり、パンにとっては心地よく感じるものだった。

 これまでよりも激しさを増す水の蛇。建物と地面から巻き上げられた木片と草葉。晴れ渡る空と水滴に乱反射する光が照らすパンの姿。びしょ濡れの少女は波を流れるように次々と襲い来る水の柱を、いなすようにして徐々に空中を漂う望遠鏡絵と近づいていく。


 デルの家の周りには、騒ぎを聞きつけた街の人々が集まっていた。その者たちの目に映るのは、荒れ狂う水の蛇とその水流を乗りこなす翠色の瞳を持つ少女。

 水の蛇がパンの意思に答え、導いているようにパンを望遠鏡へと運ぶ。

 パンは思いっきり手を伸ばした。その手に固い筒が握られる。

 そのとき、再び望遠鏡から数枚のレンズが飛び出し空中でゆっくり回転し始めた。

「観…測!」

 次の瞬間、望遠鏡から拡張された複数枚のレンズは一つにまとまり、そして―――消えた。

 一瞬の沈黙。

 すると、同じく宙に打ち上げられていたゲートから衝撃波が発生し、周囲の水の柱と巻き上げられた塵を吹き飛ばした。八方に押し付けるように吹く風。デルの建物がきしむ音。

 再び空高く吹き上げられるパンとゲート。パンの手には望遠鏡が握られている。しかし、先ほどのように落下する体を再び打ち上げるような水流はもう存在していなかった。ただただ加速する体。

「っ……!」

手足をじたばたと動かすがむなしく空を切るだけだった。


「緑竜望む風立つ大地」


 すると無数の風がどこからともなく吹き、パンとゲートを下から支えた。それはまるで空中に飛ばんとする小鳥を支えるかのように優しく力強いものだった。

 パンとゲートは、キープの生み出した風によってゆっくりと降下し地面に着地した。

 キープは地面にぐったりと座りながらも魔法に力を注ぎ、その光景を見つめていた。帽子にかけてあるゴーグルにはめ込まれた魔法石が放っていた光は徐々に消えていった。

 パンは膝をつき水を吐き出した。そのとき、フラッと倒れそうになったパンの体を何者かが支えた。パンが首を回しその者を見ると、そこにはびしょ濡れのデルがいた。彼はなんとか一命をとりとめていた。

 パンの傍らに落ちていたフラスコはゲートの影響下から離れ、先ほどまでその口から伸びていた水の糸は消えていた。デルの家の敷地の周りを囲み、集まっていた街の人々からは心配と賞賛の声が聞こえてきた。パンは不思議な魔法機械ゲートを調整し、暴走を食い止めることができたのだ。依頼の一つが今、完了した。


 キープは集まった群衆に、一言断り皆を解散させた。中には家の普及や後始末を手伝おうとする者もいたがデルの気持ちをくみ取り、落ち着く時間が必要だと言い気持ちだけ受け取ることにした。


 「ゴホッゴホッ!はぁはぁ、あり…がとう…パン。」

デルの荒い息遣いが聞こえる。地面にはびしょ濡れの依頼人デルとキープ、パン、そして散乱した木片とゲートが転がっていた。

キープは頭をかかえていた。

「はぁ、はぁ、……まったく、あんな危ないもんをまだ持ってるなんてなぁ。前回忠告したよな?早めに売った方が良いって。私たちがいなかったらどうするつもりだったんだ?」

「ゴホッ、……すまない。けど、それだけの価値があると思ってるんだ。」

「まったく、これだから…。」

キープは服を絞りながら、ゆっくりと立ち上がった。

「ゲートが持つ魔法は、一定範囲の魔力を強化もしくは弱体化させる。強力な効果だが、その分安定性に欠けるという欠点がある。今回その欠点が猛威をふるってたわけだが…」

 パンは二人に近づく。その手には水の入ったフラスコが握られている。

「水にかけられていた反動魔法が想像以上に増強された、といった感じでしょうか。ゲート本体に関しては、安定性の面は治すことができないので今回は…応急処置ですね。あのゲートはあまり使わないほうが良いと思うんですが…何をしようとしてたんですか?」

パンは家の状態を確認しながら聞いた。何の素材が使われているのか見当もつかない壁面は、先ほどの騒ぎで傷はついているが、まるでなんともなかったかのようにそこに佇んでいる。デルはばつの悪そうな顔をして立ち上がる。

「ま、まぁ事情ってもんがあるわけで…けど、しばらくは使えないな。」

「捨てるつもりだったら、私が引き取るよ?珍しいものだからねぇ。」

パンは首をかしげる。

「さっきキープは、危ないから早めに売った方が良いって言ってましたけど…」

キープの何か企んでいそうな目にぐっと顔を近づけるデル。

「あれは、もとからこの家にある代物だ。この家の前任者のものだろうけど、あの機械の価値をおれは知ってる。捨てるなんて、できっこない。無料でこんなすごい機械を持てるんだから。」

「命を奪われかけたのに?」

「それでもだ。なんにしても、パンに連絡をしたときは、ここまでひどくなかったんだけどな。すごいよパンは。魔法石を持ってないのに、暴走した魔法機械を直すなんて。」

「デル。」

キープは眉を顰め、デルを隣から肘で小突く。

「うぁ、すまない!別に悪気があったわけじゃないんだ!」

一瞬の沈黙。パンは少しうつむく。前回デルの家で依頼をこなしたときに、デルにはパンが魔法石を持っていないことを気づかれていた。

「そんなに…すごいことではありません。この望遠鏡のおかげです。対象を分析、遠隔でマナ循環に作用しながら安定させる。キープが遺跡から持ち帰ってきたものです。」


 半星年前、キープはカーストラの道端で倒れている少女を見つけ、家で看病した。目を覚ました少女はこれまでの記憶が存在しておらず、自分が誰かさえもわからなかった。少女は見たことのない服装をしており、更には魔法石を携帯していなかったことにキープは驚いた。しかしキープは彼女を受け入れた。その少女の来ている服に記されていた『パン』という文字を、そのまま少女の名前として名づけ自らの家に、居場所を与えた。

 最初の数日間、パンはほとんど何もしゃべらなかった。しかし、共に生活を続けていくうちに、少しずつしゃべるようになっていった。キープはすぐに気づいた。この少女は、まるで生まれたての赤ん坊のように、この世界の常識や人間の感情というものをほとんど知らないのだと。だから初めは苦労した。今はほとんど普通の人間のように接し、話すことができる。しかし、魔法の扱いに関しては、マナと魔力を操ることは多少できても、それ以上に発展することはなかった。


 「とにかく!何度でも礼を言わせてくれ。ありがとう。俺の命を助けてくれて。」

デルの言葉がキープを我に返す。辺りの地面はこの家一帯に大洪水が起きたと思わせるほどにぬかるんでおり水たまりであふれていた。

 ふと、デルは何かを思い出したように家の中へかけていった。デルの家の壁面はところどころに内部から穴があけられており、扉も蝶番が外れてだらんとした戸が片方ついているだけだった。

 少しすると、オレンジの瞳の青年はそのびしょ濡れの手に何かを握りしめて戻ってきた。

「ふぅ。家の中はさっきの暴れ水に荒らされてたけど、これは無事だった。感謝の印。」

そういうと、デルは手に持っていた小さな羽の髪飾りをパンに手渡した。透明な水晶でつくられた羽は、パンの驚いた表情を映す。キープは目を丸くした。

「これは…」

「綺麗だろ?水石星っていうんだ。市場でもほとんど出回ることのない貴重な石だ。ほんとは二人分あれば良かったんだけど…俺が持ってるのは一つだけだから。」

 パンの髪飾りを持つ手は止まっている。そんな姿を見て、キープは優しく声をかける。

「パン、この水石星はパンが持ってな。パンがいなかったらデルを救うことはできなかったよ。私の風の魔法はああいった場面では直接的な役には立たなかったから。」

パンの表情は変わらない。

「水石星…デルは…なんでそんな貴重なものを、私にくれるんですか?」

「なんでって…お礼だよ。感謝の気持ち。」

デルの優しげな声。

「感謝の気持ちは…人に大切な物をあげる…」

 キープが慌てて二人の間に割って入る。

「おおっとぉ。パン。そういうときは深く考えずに、贈り物を受け取るべきだよ。これはデルの心の表れなんだ。もちろん、言葉や行動で感謝を示すときもあるけど。それでも足りないときは、こうやって贈り物を渡すんだ。証としてね。」

「それじゃあこれは…感謝の証。」

パンはその手に収められたきらめく髪飾りをじっと見つめる。デルはその場の意図してなかった雰囲気を察知して口を開く。

「あははっ…そんな真面目な空気にするつもりはなかったんだけどな…。まぁ俺にとって一番貴重な俺自身の命を助けてくれたから。こうやって、それ以外の貴重なものでお互いの心にこの時間を刻むんだ。」

デルが少し気まずそうに笑った。パンは大事そうに両手で贈り物を握りながらデルを見る。

「ありがとう…」

「こちらこそっ。」

まんべんなく降り注ぐ日の光は、三人の濡れた髪を輝かせた。


 その後、デルの家のその後の後始末は彼自身が行うと言ったため、パンたちは青年と別れて帰路についた。


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