第二幕 もう一つの世界
パンは立ち上がり、しばらくその場で呆然としていた。パンの見たことのない魔法。パンの感じたことのない感情。パンの理解できない少年の怒り。
すこしして、パンはキープと自然店のことを思い出し、再びマナ結晶を買うために来た道を戻っていった。日が昇り周囲を照らしだす。家々の影から広い大通りに戻ったとき、反射するその光の眩しさに、パンは目を背けた。
自然店の長老は、ちょうどマナ結晶が盗まれた瞬間を目にしていたため、ふたたび無償でマナ結晶をパンに渡した。
パンが家に帰ると、すでに魔造探知ネズミロボの修理が終わっており、キープは依頼のための準備を整えていた。
パンは買ってきたマナ結晶を机に置くとそれをハンマーで砕き、先ほど少年を捕まえるために使用した望遠鏡の側面の穴に流し込む。
「今日の依頼は探し物が二件、修理が二件、その他が一件。特別危険なものはないから、初日にうってつけだろう!ただ、少し気になる依頼が一つだけあるけど。」
「気になる依頼?」
「あぁ、まぁ私も同行するから問題はないだろう。弟子の初陣を失敗させるわけにはいかないだろ?」
パンは先ほどの白墨髪の少年の話をしようとしたが、すぐに口をつぐみ望遠鏡の点検を始めた。まるで何事もなかったかのように。しかしパンの頭の中では、ボロボロの服を着たあの少年の最期の言葉が、まるで呪いのように反芻していた。
その時キープの声が聞こえ、パンははっと我に返る。
「さ、行くぞ?」
パンの準備を終え、二人はパンのラムダレンズに届いた村人たちの困りごとを解決するために家を出た。
キープはカーストラにいる間、村人たちを手助けする何でも屋として様々な依頼を受けてきた。これまでは全てキープが依頼を解決しており、パンは傍でキープの手伝いをしていた。しかし今日からは、パンが村人たちの依頼を解決する冒険者であり、キープはパンの手伝い兼付添人である。
「おはようございます、パンです。依頼を受けて来ました。」
それから二人は数件の依頼をこなしていった。子供がなくした杖の捜索、プラズマナを受け付けなくなった竈の修理。ゲートと呼ばれる不思議な魔法機械の調整。ついには人数合わせとして村の子供たちが遊ぶフィラカスに参加したりもした。パンは魔法を使う子供相手に、素手で勝負をした。
今日最後の依頼内容は、行方不明の風猫の捜索。パンとキープは依頼主の家まで行き、話を聞いた。彼女の名前はハイタといい、質素な家に住み派手とはほど遠い服装をした大人の女性だった。肩ほどまで伸びた茶色の髪は整えられ、薄茶色の生地でできた服を着ていた。彼女のことは、パンも街の中で何度か見かけたことがあった。
ハイタは焦った様子で話し始める。
「朝目を覚ましたら、いつも挨拶してくれるはずのミラがいなくなってて、家中探してもどこにもいないんです!おかしいと思って…」
ハイタは両手を胸の前で握りしめ、長机の周りをぐるぐると歩き回る。その様子をパンとキープは傍らで見守った。
「それでも今はたまたま遊びに出かけてるだけなのかもしれないと…そう思って一日中待ってみたんですが…帰ってこなくて…こんなことは初めてです!お願いします、わたしのミラを見つけてください!」
女性は半分目を腫らしながら懇願する。
「オーケーオーケー、ハイタ。たしかにいつもと違う行動をしている猫ちゃんは少し気になるけど、それって猫ちゃんの気まぐれだったりしないのかな〜?風猫はその特性上、長期間同じ場所にとどまらないっていうし…」
「けど、風猫ミラを探さないとハイタが『悲しみ』ます。」
パンがいつもと変わらない無表情をキープに向ける。
「そう…だな。ハイタの悲しむ顔は、見たくないな。もちろん、パンの受けた依頼だ。手伝うよ。」
最終的にパンとキープはこの依頼を引き受け、風猫のミラを手分けして探すことにした。
キープは風の魔法で風域を作り出し空へ浮かんだ。彼女の扱う魔法は、風を呼び自らを導かせる。小さく頼れる熟練冒険家は、空中から街全体とその周囲を探すと言った。ハイタは、村の中を聞き込みしながら駆け回っている。パンは村の外を探すことになった。風猫ミラの見た目が映し出された手のひらサイズの薄い石、標本石を手にしながら、パンは街を後にする。
標本石に映る風猫ミラは黒地の短い毛に明るい緑の滑らかな模様がついた見た目をしていた。その模様は自身の体を伝って吹き抜ける風をイメージさせる。しっぽの先には小さな黄緑色の石、魔法石がついている。パンはキープから風猫の特徴を聞いた。
風猫は周囲の大気を操り小さな風を起こすことが可能。しかし、規模はとても小さいため人間の害になることはない。むしろ、種を運んだり落ち葉を吹き鳴らしたりと便利な面の方が多いという。自ら起こした風に乗って走るため、逃げ足はとても速い。
風猫ミラの捜索をする三人は、それぞれミラを見つけたら全員にレンズを通して連絡することになっていた。
カーストラはパトリオン国の西端に位置しているため街の外は実質国外であり、まだ手つかずの土地なども存在する。さらに少し遠くまで歩けば、別の国の姿を遠目から見ることができる。
パンはまだ他の国へ足を踏み入れたことはなく、外の世界はキープの話から想像するしかなかった。
一歩を踏み出すごとにパンの胸が高鳴る。街を出ると開けた草原と、ところどころにそれほど背の高くない木と細長い川が姿を現し始め、自然の豊かさを感じさせる。街中とは全く違う景色。
パンは踏み慣らされた小道を進みながら周囲を見渡す。一帯には様々な野生動物が生活していた。四足歩行をし、長い首と角を持つドラコ。鎧のようにかたい皮膚を持った黒岩サイ。大きな黄金色に輝く翼を広げ空を飛ぶ皇焔。立派な鬣が特徴の星ウマはこのあたりに多く生息している。彼らにも必ず体のどこかにきらめく石、魔法石がついていた。
パンは開けた平原の先にある小さな森の入口へたどり着いた。ここは万有の森と呼ばれ、街からかすかに視認できる位置に存在する。そのため、パンにとっては初めて足を踏み入れる場所だ。
パンは一歩一歩進んでいった。パンの足に触れ揺らぐ草花。風に揺れる木々。どこからか聞こえる動物の鳴き声。
一歩、また一歩……
―――次の瞬間、周囲の風景が全く別のものに変化していた。なんの前触れもなく、別の世界へと切り替わったかのように。
「え…」
突然の出来事に歩みを止めるパン。望遠鏡に手をかけ、視線を前後左右に広げる。ぽつんと佇む少女のまわりには動物たちや木々、遠目に見えるカーストラの街はなく、そこにはまったく見たことのない景色が広がっていた。
あたり一面に敷き詰められた石造りの地面。大小さまざまな灰色の建物。家と呼ぶにはほど遠い不思議な形をした構造物。それらはところどころにツタがからみつき、そのひび割れた廃墟は今にも崩れそうであった。
まさに遺跡と呼ぶにふさわしいそれらの建物の周囲には、これまた大小さまざまな瓦礫が散乱している。亀裂の入った遺跡には人影も、ましてや命の存在も何も感じられなかった。冷たい空気があたりに漂う。景色だけでなく、空間がまるごと変化していた。まるでパンが先ほどまでいた万有の森とは全く違う世界に来てしまったかのように。
いつ作られたのか分からない、古い遺跡が散在している土地。パンの立っている場所は木々に囲まれた大地から、遺跡に囲まれた石造りの開けた広場へと変わっていた。見渡す限りの建物の亡骸。それは、どこまで続いているかわからない建造物の空間。天へと届きそうな高い塔から、宙に浮いている円形の物体、カーストラの街で見慣れたような小さい建物までさまざまだ。それらは決して全て石で作られているわけではなく、見た目では判別不可能な素材も使われていた。しかし派手な色のものはなく、白や灰色、薄い空の色をしていた。
「ここは…」
パンはあたりをキョロキョロしながら、遺跡を散策した。パンの胸にはパン自身も理解していない『恐怖』や『不安』があった。しかしそれ以上に、『好奇心』が彼女を支配していた。見たことのない景色。建物。現象。
石造りの広場を抜け少し歩くと、ところどころに木々や雑草などの自然が増えてきた。その景観はまるで遺跡と自然が共生しているようであり、ぼろぼろの壁面や固い道からは葉が伸びていた。それほど密集していない遺跡群には窓らしき穴や扉があり、人の住むための家を思わせる形をしていた。
やがてパンの目の前に、石の地面を裂く溝に沿って流れる細い川が姿を現した。日の光が満遍なくその川に降り注ぎ、その澄んだ水流を照らしきらめかせていた。パンは近くで腰をおろし、しばらくその静かで透明な水を見つめる。少女の目に映るのは、自然の純粋な輝きだった。
風猫ミラの痕跡は、まだ何も見つけられていない。パンは川を眺めながら、まるで別世界のようなこの不思議な場所について、考えを巡らせた。
(村の周辺に、こういった不思議な現象が起きる場所があるなんて…。もしかしたら、風猫ミラも同じように、不思議な世界に迷い込んでいるかもしれない。)
「……」
すると突然―――小さな揺れがあたりを襲った。パンが立ち上がったのもつかの間、どこからきたかも分からない突風が襲い掛かる。水流が逆流し始めると同時に木々が揺れ、遺跡がきしみ、石片がぱらりと落ちる。
「っ―――」
四方八方に吹き荒れる疾風、舞い上がる緑葉。風が空気を切る音がパンの耳を覆う。体勢が崩されないように、姿勢を低くし強く踏ん張る。
すると川を挟んで向かい側遺跡の陰から、巨大な角を持った鹿がぬっと現れた。家一棟分もあろうかという巨体。しかし、その鹿は生き物と呼ぶにはあまりにもかけ離れた見た目をしていた。
「なに…これ…」
小さな頭から伸びる、複雑な形をした二本の巨大な角。深緑の目と今にも崩れそうな灰色の体。表面には、ところどころに亀裂が入っている。
その体は生物というより、遺跡や大地の類のものだった。体の中心から発せられているであろう濃い緑の光が、その亀裂から漏れ出ている。傍らの遺跡のようにひび割れているその巨体は、ゆっくりとパンに向かって歩みだす。
パンは、これまでいくつかの生活やキープの話から、ある程度の動物の種類とその姿形についての知識はあった。しかし、いま少女の目の前に現れた生物は、一般的に広く分布している鹿の容姿ではなかった。周囲に吹き荒れる風と塵は、まるで鹿の怪物を主とするかのように、その鮮やかな緑の体の周囲を回転している。
「あなたは…何ですか?危ない者では…ないですよね?」
突然、鹿の怪物が吠えた。パンは腰に指してあった望遠鏡をすぐさま手に取って構える。この小さな機械で深緑の化け物にどう対処すれば良いのか、答えはなかった。しかし魔法が使えないパンにとって、身を守るための力はこの特殊な望遠鏡しかなかった。
圧迫感のある緑色のその生命体は、パンの姿を静かに見つめる。その目にはまるで感情はなく、虚無だけが宿っていた。
吹き荒れる風がさらに強まる。そして、謎の鹿がパンに向かって歩みだす。その瞬間、パンにとって聞き馴染みのある少年の声がどこからかこだました。
「■■■・■■■!!」
―――突然、全ての音が消えた。
全てが止まった。草も木も川も風も塵も。パンの目の前にいる巨大な鹿の怪物さえも、前足を上げた状態のまま微動だにしなかった。彼らは動くことができなかった。永遠にも似た時間が流れる。
そして―――
白銀の光が全てを包み込んだ。光と光がぶつかり合い、さらに広がる。とたんに全てが動き出した。輝く光の中で、鹿の体がよじれ悲鳴ともとれる雄叫びを上げる。緑の光が不規則に点滅を繰り返す。風がさらに強まる。パンは目をつぶり、顔を背けた。強烈な光の中で、何が起こっているかを確認するすべはなかった。
すると、突然風がやんだ。パンが目を開けると鹿の怪物は消えており、代わりにパンと同じ背丈ほどの少年が目の前に立っていた。
目元を微かに隠す黒色の髪。髪先は銀色に光っている。澄んだ青色の目は、まるで瞳の中に小さな海があるようにいくつもの輝きを放つ。若い体は淡い青を基調としたマントを身にまとい、その中にさらに薄い色をした上下衣を着ている。それぞれに刻まれた細い光の糸で描かれた紋様が静かに光る。
「大丈夫?」
その少年が手を差し伸べる。光っていた髪先は落ち着き、元の黒色に戻る。彼の肩には、探していた風猫ミラが乗っていた。
周囲には先ほどとは打って変わって、優しいそよ風が吹いている。パンはその手をとり、立ち上がる。周囲を見渡すと、鹿の怪物が起こした風の影響で四方八方に乱れた草と木の枝たちが散乱していた。巻き上げられた水によって湿っている石壁と葉。
パンは少年の顔を見た。そのいたずらっぽい表情は、パンの反応を面白がっているようにも見える。
「助けて…くれて…ありがとうございます。」
荒い息を抑える。
「あぶなかったねっ!あんなに力の強いマナ生命体は初めてだよ。あれは君を襲おうとしてたよ?全然逃げようとしないから…。マナ生命体はまだ生きてるから次は気を付けて。多分しばらくは現れないだろうけど。ほんとっ、逃げ足の早いやつ…」
少年の声は先ほど呪文を唱えたときの力強さとは打って変わって、丸みを帯びた穏やかな響きを帯びていた。彼のさわやかな笑顔はパンを引き付ける。
「マナ生命体?それって…さっきの?」
少年はけげんな顔をする。
「そっか……そうだった。じゃあ教えてあげるっ。」
少年はパンに怪我がないことを確認すると、先ほどマナ生命体が立っていた場所まで歩いて行った。
「ま、一言でいうのなら、特殊なマナで構成されたこわーい生き物さ。この猫はマナ生命体に取り込まれそうになってた。僕の魔法が奴に命中したとき、マナ生命体のおなかの中からこの猫が飛び出てきてさ!驚いたよ。」
風猫ミラは少年の肩から飛び降り、空中を泳ぐかのように浮遊しながらパンの頭の上まで移動した。周囲に吹くそよ風は、猫の跳躍を助けているかのようだった。黒と明るい緑色の猫は大きなあくびをしている。
「あ、ミラ…」
少年はミラの跳躍を見届けると視線を落とし、先ほどの生命体がいたであろう自身の足元を見つめる。その様は、何かとけない問題について考えているようだった。パンはそんな少年を見つめていると、頭の中にはたくさんの疑問が浮かび渦巻いた。と同時に、少年に対して謎の安心感を感じていた。パンの知らない不思議な感情。
「あの…私たち、以前会ったことありました…?」
少年は笑った。
「まさか!僕は君と初めて出会ったんだ。この場所で。」
「それじゃああなたは…誰…ですか?名前はなんていうんですか?」
二つの星海の瞳がパンを見つめる。
「……名前―――」
その瞬間―――景色が変わった。
周囲には木々が生い茂っている。パンの立っている場所は、石造りの固い地面から、やわらかい土草になっていた。パンは再び、村のはずれにある万有の森の入口に戻っていたのだ。少年はどこにもいない。
「えっ…」
パンの頭に乗っていた風猫ミラが、この状況を不思議がるように小さく鳴いた。
少ししてパンは、風猫を抱えながら村に戻った。先ほど体験した世界は一体何だったのか。少年の正体は。名前は…。街への道すがら、それでもパンはいまだに夢の中にいるような気分だった。
それからパンは、キープと依頼主のハイタと合流した。パンは街の外にある小さな森で起きた不思議な出来事を話した。遺跡と廃墟だらけの石の世界に迷い込んだこと、鹿の怪物のこと、ある少年に出会ったこと、少年のおかげで風猫を見つけたことを話した。そして、ハイタに風猫ミラを返した。たった数日ぶりの再会とはいえ、会うことのできなかった一人と一匹は共に喜びを分かち合った。
「どうやら家出ではなく、不運な事故だったみたいだね。」
キープは二人の再会を見ながら呟いた。ミラはうれしそうに喉を鳴らし、ハイタの家の中へかけていった。
本作品「ハースヴァニア」のモチーフ楽曲を作成いたしました。
youtubeより以下のアドレスから視聴可能です。
https://youtu.be/xswLZe3W2To?si=OARJMGMi-H21UePB




