371.甘い香りは死の予兆
ガザ達がガレハを出て行ってから、もう三度目の朝を迎えている。すぐに戻るという言葉に反して彼らは戻らず、俺達は待ちぼうけを食らっていた。
《ガザ様達、何かあったんでしょうか……》
《何、心配いらないさ。何があろうとガザ様が後れを取るはずがない。コルツもいるし、一応デュポだっている。何事も無く帰って来るに決まっている。そうだろう? ロナ》
《それは分かっているんですけど……。やっぱり気がかりで。心配です》
不安げなロナと、それをなだめるオーリの会話がシャドウの中から聞こえてくる。俺達はそんな彼らの声を聞きつつ、未だに厄介になっているウーゴの屋敷の客室で、朝食後の一時を寛いでいた。
オーリの言う通りガザの実力は相当なものだ。俺も、彼らが誰かに遅れをとるとは思えなかった。心配ないと言うオーリの指摘は間違いなく正しいものである。
とは言えロナはガザの義妹であり、家族だ。理屈が分かっても心配は心配なのだろうな。気持ちは十分に察することができるものだった。
「ガザ達の事です、そのうちひょっこり顔を出しますわよ。あの者達は存外しぶといですからね」
ロナの気持ちを慮ってか、対面のソファに座るスティアがそう言いつつ、俺に目を向けてくる。
「近くに来りゃ≪感覚共有≫で連絡取り合えるしな。ま、もう少し待ってみようぜ」
《そう、ですね。分かりました。でも何かあった時のために、準備だけはしておきます。私にはそれしかできませんから……》
俺も軽くそう言ったが、性格的に何もしないで待つというのはロナには無理らしい。そう言った後、今度は何かをごそごそと漁るような音が向こうから聞こえてくるようになり、俺は小さなため息を吐きつつソファに体を深く預けた。
(何かあった時のために、か)
あれから親父さんとノエルがほぼ徹夜――というか徹朝か?――で情報を集めてくれているが、未だに目ぼしい情報は無い。あるのは兵士達や騎士達の無駄なぼやきくらいだとの事だ。
俺達も俺達で町で情報を集めてみたものの、空腹に耐えつつその日その日を何とか生きている者達がまともな情報を持っているはずも無いし、サウロ達と少し話をしてみても、彼らもそう多くの情報を持っていなかった。
つーか、あのディストラーから来たという連中について俺から直接注意を促したところ、またあいつらを怒らせてしまった。
どうもサウロ達は完全に連中を信頼している様子である。俺の言う事にも聞く耳を持たない様子で、「俺達を信じられねぇのか!?」とけんもほろろだった。
俺はこれに危機感を覚えたが、しかしあの兵士達が偽物だと言う確証もない今、サウロ達の言い分を完全に否定もできない。そうして結局状況は好転することがなく今に至っているというわけだ。我ながら情けない話だった。
俺が難しい顔をしていると、バドがそっと目の前のテーブルにティーカップを差し出してくる。気づけばその近くには小皿に乗せたクッキーもいつの間にか用意されていて、俺は思わず笑ってしまった。
そのクッキー、この屋敷に来てからちょこちょこ出てくるが、俺達が向かう先、ガゼマダルを渡るために道中せっせと作ってた保存食じゃなかったか。
全く、気遣われるほど深刻な顔してたかねぇ。
「悪いなバド」
彼に礼を言うと、バドはふるふると首を横に振る。そうだな、こういう時こそ余裕を見せなきゃ山賊の頭は務まらねぇ。
「えーちゃんピリピリし過ぎ。余裕が足りないんじゃない?」
「かもな。らしくもねぇ」
スティアの隣に座るホシに軽く返しつつ、俺は目の前のクッキーを一つ取って、ぽんと口の中へ放る。小麦の香ばしい香りと素朴な甘みが俺の口の中に広がり、紅茶を一口ずずずとすすれば、芳香な香りが鼻腔から抜けて行く。
「できる事はやってるんだ、今は騒いでもどうしようもねぇな。どっしり構えて時を待つか」
「そうそう!」
「そうですわね。焦りは思考を鈍らせます。こういう時こそ落ち着いて参りましょう?」
仲間達の賛同を得つつ、更にクッキーに手を伸ばす。
正にそんな時であった。
半分開いた窓から、何かが凄まじいスピードで飛び込んでくる。そいつはそのままの勢いで部屋を真っすぐ突っ切ると、ドアにぶつかり派手な音を立てた。
すわ敵襲かと即座に立ち上がる俺達。だがスティアがそれを見るなり、叫ぶような声を上げた。
「ホロゥ!? どうしたのですか!?」
それはフクロウのホロゥルゥだった。ぐったりとした様子で床に転がるフクロウを、スティアが慌てて駆け寄り胸に抱く。
だがそうされてもホロゥルゥは翼をだらりと下げたままで、目も開かない。しかし怪我をしている様子はなく、見ただけでは何があったのか分からなかった。
「お父様、ホロゥがっ! ホロゥが部屋に飛び込んできて、でもなぜか弱っているみたいで、ぐったりとしていてっ!」
《落ち着けラスティ! 憑依させたノエルなら事情を知っているはずだ。だがそれには魔法をまず解かねばならん。すぐにホロゥルゥを連れてこちらに来るのだ》
「は、はい! 貴方様、失礼致します!」
冷静な親父さんの声を聞き頭が少し冷えたのだろう、珍しく慌てた様子のスティアが、ホロゥルゥを抱いたままシャドウの中へ飛び込んでいく。今は昼、親父さんがこちらに来るわけにいかないからな。
俺は腕を組んで彼女を待つ。だがそこでホシがすんすんと何かを嗅いでいる事に気が付いた。
「ホシ? 何してんだ?」
「……なんか良い匂いしない?」
「良い匂いだぁ? クッキーの匂いじゃねぇのか?」
訝しみつつ俺も匂いを嗅いでみる。すると確かにどこか甘いような匂いがどこからかするのに気が付いた。
この、鼻の奥にねっとりとこびりつく様な甘美な匂い。ホシは分かっていないようで、不思議そうに鼻を引く付かせている。
だが俺は違った。甘美な匂いが過去の記憶を呼び覚まし、カッと目を見開く。
考えるよりも早く言葉が口から飛び出していた。
「スティア、毒だ! 解毒薬を使え!」
《ど、毒!? 承知致しましたわ!》
「ホシ、バド、行くぞ!」
言うが早いか俺は部屋を飛び出した。二人も俺の後に続き部屋を出る。
廊下を全速力で走り、俺はウーゴとオデッタを探す。と、そこで廊下に誰か倒れているのに気づき、俺達は駆け寄った。
「おい大丈夫か!?」
「う、うう……」
倒れていたのはこの屋敷にいた老メイドだった。ぐったりと床に倒れ、額には汗がびっしりと浮かんでいる。
彼女の吐息を嗅ぐと、そうと思わなければ分からない程度だが、甘い香りがする。俺は彼女を助け起こしながら影に手を突っ込み、取り出した解毒薬を彼女の口に近づけた。
「これを飲め! どうした、何があった!?」
老メイドは薄っすらと目を開けると、薬の瓶に口をつけ弱々しく飲み下す。
そして荒い息を吐きながら、弱々しく俺の問いに答えた。
「み、水を……た、体調が……も、申しわけ……」
老メイドはそこまで言うと意識を失ってしまう。
(水――! 野郎、手当たり次第ってわけかっ!)
俺は全てを理解し、あまりの忌々しさに激しく舌打ちをした。
昔、この領のある村の人間が、全員毒殺されるという事があった。
やったのは”汚れ狼”の毒婦フェオドラ。腹を空かせた村人の前に毒を盛った食料を並べ、食料支援だと言って食わせたそうだ。
村人達は毒入りとは知らず、争うように奪い合って食い、残らず死んだ。そんな彼らの亡骸の前で、あのクソ女は馬鹿みたいに笑っていやがった。
この館では敷地内にある井戸から水を汲み使っている。どうやらそこに毒を入れられたらしい。
井戸水のため使う前には”浄化”を使っているが、”浄化”じゃ毒は消せない。神聖魔法の”快癒の泉”が必要になるのだ。
となれば被害はこのメイドだけでは収まるまい。
「バド、この人をどこかで休ませてくれ! ホシ、手分けしてウーゴとオデッタを探すぞ! お前はオデッタを探せ!」
「分かった!」
「待て! 一応これ持ってけ!」
俺はホシに解毒薬を一瓶投げると、床を蹴って皆と別れた。
俺はウーゴの執務室へ。ホシはオデッタの私室へ。バドは老メイドを抱え上げると、近くの部屋へ飛び込んで行く。
妙に静まり返った屋敷の中、俺の駆ける音だけが煩く響き渡る。すぐに見えて来た執務室のドアを乱暴に開いて中へ飛び込むと、俺は息子の名を呼んだ。
「ウーゴ! 無事か!?」
名前を呼びながら周囲を素早く見渡す。と、俺は机の陰に、肌色の何かを見つけてそちらを向く。
そこには倒れているだろう誰かの手が覗いている。だが、その手はピクリとも動いていない。
「ウーゴッ!!」
俺は思わず大声を上げて駆け寄る。そこにうつ伏せで倒れていたのは、苦悶の表情で力なく呻いている、俺の息子だった。
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「サウロ殿! サウロ殿はいるか!?」
その日、詰所に待機していたサウロの元に、ディストラー騎士団副長エヴラール・アルタウスが焦った様子で突然やって来た。
いつも平然としている彼の取り乱した様子に、詰所にいた騎士達は何事かと顔を強張らせて立ち上がる。サウロもまた立ち上がったが、そんな彼の元にエヴラールは早足で近づき、真正面から向かい合った。
「この町に”汚れ狼”の残党が入り込んだ! 我らがいち早く気付き町から追い出したため一端の危機は去ったが、奴らが引いた今、今度は我らが攻める番だ! この町を害する鼻つまみ共を殲滅する千載一遇の好機、貴殿らの力も借りて奴らを一網打尽にする! 力を貸してくれッ!」
”汚れ狼”が入り込んだという情報に身を固くしたサウロ達。しかしその後に続いたエヴラールの勇ましい宣言に、サウロ達は身震いした。
この領を脅かしてきた天秤山賊団の仇敵、”汚れ狼”をやっとこの世から消し去る事ができるのだ。
それはサウロ達のみならず、他の天秤山賊団の仲間達が長年抱く切望である。またとない好機に、サウロ達が武者震いしてしまうのも無理もない事だった。
「勿論行くぜエヴラールさん! いや、俺達が行かなきゃならねぇんだ! そうだろみんな!!」
『おおおおーッ!!』
騎士達は揃って鬨の声を上げる。エリアスやルシアナも固く握り締めた拳を突きあげて、皆と共に気勢を上げた。
「ルシアナ、巡回に出ている奴らを今すぐ呼び戻せ!」
「任せときな!」
「エリアス、出撃の準備だ! お前らも急げっ!」
「おう! お前ら行くぞ!」
詰め所は途端に慌ただしくなった。皆が騒がしく走り回る中で、サウロは再びエヴラールに目を向ける。
「五分で準備する。エヴラールさんはどうするんだ?」
「その程度なら待とう。今我らの斥候が奴らを追跡している。潜伏先が割れた後が奴らの運の尽きだ。我らディストラー騎士団と君達天秤騎士団で、一斉に奴らを殲滅する!」
エヴラールの力強い言葉にサウロは頷きを返して、準備のためその場を走り去った。その背中を見送ったエヴラールは、マントを翻して詰め所を去る。
外には二人の騎士が待機していて、揃って彼の方を向いた。
「後五分で準備ができるそうだ。その間に我らも再度整える。大詰めとなる今、僅かの失敗も許されん。賊程度と見くびらず、慎重に事をなせ」
「言われるまでもない」
「分かってる」
二人の騎士はさも当然といった様子で返し、彼に背を向け歩き出す。エヴラールもまた彼らに続き、詰所を静かに後にした。
町にはルシアナのものだろう、大きく鋭い指笛が響き渡っている。それを聞きながらエヴラールは、ぽつりと小さく呟いた。
「ようやく目障りな連中を一掃する事ができる。全く、随分と待たせてくれた。この鬱憤、貴様らの身で晴らさせてもらうぞ」
不快そうな言葉とは裏腹に、彼の口元はゆるい弧を描いている。彼はそんな表情を隠すかのように、抱えた兜をおもむろに被った。




