370.アドルの覚悟
巡回していた仲間達の一部が未だ帰らない。その事実に天秤山賊団のアドルは四人の仲間を引き連れて、アジト南西にある町コルンへと急行していた。
彼らがコルンへ向かったのには理由がある。帰らない仲間達はいずれもオーレンドルフ領の南側を巡回していた者達であったからだ。
コルンはその南側でも、最もアジトに近い場所だった。だからまずそこを調べるべきだろうと、彼らは最初の目的地としてコルンを目指していたのである。
南で一体何かあったのか。嫌な予感を抱きつつアジトを出発したアドル達は、休む時間も惜しむように走り続け、二日の後にやっとコルンへと辿り着く。
それはガザ達がアジトに到着した日の、丁度昼の事であった。
「アドル、何か変だぞ!」
仲間の一人が走りつつアドルへ声を上げる。彼らが走るのは街道ではなく、街道沿いの枯れた林の中だ。
視界は当然良くはない。そして町までまだ距離がある。しかし遠目で見てもその町は、普段と様子が異なっていた。
コルンには、朽ちてみすぼらしくはあるものの、町をぐるりと囲む柵がある。そして普段はその入り口である柵門に、気だるげな兵士が二人立っているはずが、今日は一人も立っていないのだ。
何かがおかしい。異変を山賊団の皆が敏感に察知する。
アドルもまた僅かに逡巡した後、フードを目深にかぶり直しながら、仲間達に鋭い声を投げた。
「パトリス、エンゾは俺に続いて町に入る! イヴォンは門近くで警戒! ジルはここで潜伏して待て!」
『了解!』
即座に仲間へ指示を飛ばしたアドルは、パトリスとエンゾと共に町の中へするりと忍び込む。そして乱雑に建ち並ぶみすぼらしい掘っ立て小屋の間を、まるでそよ風のように音もなく走った。
三人は異変を僅かでも見逃さぬよう、目を絶え間なく動かし警戒していた。呼吸も小さく、できうる限り気配を殺す。
その動作はさながら熟練の斥候のそれである。しかしそんな労力をあざ笑うように、異変は自ら彼らに訴えかけてくる。
(誰もいない……?)
(まるで気配がないぞ)
薄ら寒いものを感じ、三人は視線で会話をする。
いつもならひっそりとしつつも、物陰や家の中から気配が感じられるというのに。物音一つしない町は、まるで人だけが忽然と消えてしまったかのようだ。
極めつけは、いつも漂っているすえたような異臭に混じり、甘い香りがする事だ。更にそこに、鉄錆のような臭いも僅かに混じっている。
三人は視線とハンドサインだけで会話をしながら異変を共有し合う。そして急ぎ原因を確認しようと、更に急いで町を駆けた。
この惨状を自分の目と鼻で確認したアドルは、コルンで何が起きたのか、現段階でほぼ確信を得るまでに至っていた。ただパトリスとエンゾはあまりピンときていないようで、目には僅かな困惑がまだあった。
だがそれも仕方がない。二人はかつてエイクと共に王都へ行っていた者達だ。
魔族と戦っていた経験もあって、こと戦闘では頭が抜けており、その点では非常に頼りがいがある。反面、山賊団から長年離れていた事で勘が鈍っており、そして現在山賊団で抱えている事情にどうしても疎くなってしまっていた。
アドルはそうと分かっていたが、あえて説明はせず、ただ急いだ。
その光景を目にすれば嫌でも分かる。
そう思ったからだった。
「ア、アドル。あれは――っ」
そうして問題の場所にたどり着いた時、その光景は彼らの前に現れる。
エンゾの声は怒りか恐れか、震えを隠せていなかった。
その場所は町の少し外れにあった。開けた場所で、土剥き出しの地面が眼前一杯に広がっていた。
アドルの記憶では、ここはゴミを放置していた場所だった。悪臭と死臭が漂い、鼻で息などできないような場所だったはずだ。
しかしその場所に今はゴミは無く、畑のようなもの広がっていた。アドルが聞いた話では、この領の伯爵ペドロ・マルシアル・オーレンドルフが指揮を執り、この町で畑を耕そうとしていたはずだった。
ここがその場所なのだろう。少し前まではきっと、この場所で町民達が一丸となって畑を耕していたのだろう。だがしかし。
今アドル達の目の前に広がっている光景は、そんな想像とは全く異なる、凄惨な様相を呈していた。
畑は無残に踏み荒らされ、畝は滅茶苦茶にされている。更に畑跡のあちこちには数えきれない程の槍が立てられており、その穂先には人の頭部が突き立てられ、無残な姿を晒していた。
その数は百や二百などというものではない。畑に生えたであろう緑は、全て人間の生首に置き換わってしまっている。
人々の顔は嘆くように目や口から血を流し、槍を赤々と染め上げている。まるで見世物のように晒されているそれに、アドル達は憤りを禁じ得ない。そのためだろう、彼らはほんの僅かの間、周囲への警戒を怠ってしまっていた。
「――危ねぇアドルッ!」
「何!?」
真っ先に気付いたのはパトリスだった。僅かな殺気に気付いた彼が咄嗟に短剣を振るうと、高い金属音がその場に響き、細く小さい鉄製の矢が宙に舞った。
アドルはその輝く特徴的な矢を見て、自分の失態をすぐに察した。
(毒飛矢!? しまった――!)
彼らの仇敵が好んで使う、暗器から放たれる猛毒の矢。三人が気付いた時はすでに遅く、三十以上の人間に取り囲まれた後だった。
男達はローブに身を包むアドル達とは異なり、顔すら隠していなかった。だがそれはやましい事が何もなく、隠す必要が無いからではない。
凶悪な顔つきに人を見下す笑みを浮かべ、抜き身の武器を持って現れた集団。そんな人間が町を闊歩している事実は、すでにこの町が彼らによって陥落した後だという事を知らしめていたのだ。
「どこの馬鹿が来たかと思えば……。ぐへ、ぐへ、ぐへ、とんだ大物が釣り上がりやがったなぁ」
その中の一人、大柄で歪な顔つきの男が、剣ほども大きな二本のククリ――刃がくの字に曲がった短剣だ――を手の中で弄びつつ楽し気に言う。
その顔は通常の人の様相からかけ離れており、表面が溶け落ちたような酷く特徴的なものである。声色も顔つきと同じく歪で粘つくような、生理的嫌悪感を煽るようなものだった。
だからだろうか、その男を見たアドルの顔も、不快感に大きく歪んだ。
「やっぱテメェかヴァジムッ! あんな趣味の悪ぃ事をやる奴ぁ……!」
「ぐへ、ぐへ、壮観だろう? 自分の面が良いと思ってる奴らの顔が、ああも汚く歪んでいる光景はよぉ」
ヴァジムはそう言って、実に愉快そうに品のない笑いを口から漏らす。
「もうじき腐った眼玉が落ちる。次に肉が爛れ、髪が抜け落ちる。俺ぁよぉ、その光景を見るのが大好きなんだよ。俺の顔を馬鹿にした奴の面が腐っていく様子を見るのが、一番の生きがいなんだよぉ! 蛆が肉を食い破って出てくる瞬間なんて最高だ! ぐへ、ぐへ、ぐへ!」
「チッ。この野郎、相変わらず頭がイッてやがる」
嫌らしく笑うヴァジムに、アドルの瞳には激しい怒りの炎が宿った。
アドルはこのヴァジムという男を良く知っている。この男の手で葬られた仲間達の数は、とうに両手で数えられる分を超えていた。
今目の前に広がる光景を、仲間達の亡骸で行われた事だって数知れない。
男、女、子供、老人の区別なく、ヴァジムは”汚れ狼”以外の人間を全て憎み、頭部を切り取り腐り落とす。
故に男に付けられた二つ名は”首狩り”。天秤山賊団にとっては絶対に生かしてはおけない、憎むべき相手であったのだ。
アドルの胸には復讐の大火が逆巻いていた。歯噛みをするアドルだが、そんな彼の事などお構いなしに、ヴァジムはへらへらと笑いつつ機嫌よく言葉を紡ぐ。
「あの領主達も面ぁ良いから腐らせたかったんだけどよぉ、頭が持って行っちまったから、お預け食らっちまったんだよな。ほら、あれ見て見ろよ。アレの何が面白いか俺にはさっぱり分からねぇ」
ヴァジムはそう言って、ククリの切っ先である方向を指す。アドル達が警戒しつつそちらを横目で見れば、そこにはボロ家に磔にされた挙句、無数のナイフを体に突き立てられ、息絶える二人の男の姿があった。
あれもまた”汚れ狼”で行われる、”遊び”と称する惨殺の跡だ。痛覚を麻痺させる毒を盛った人間を的に見立ててナイフを投げつける、あまりにも残酷かつ非道な行為だ。
その証拠に磔にされた伯爵ペドロとその長男は、どちらも死して尚壮絶な表情で、目を見開いて事切れていた。
その顔は毒の影響で青紫に変色してもいる。恐らくだらんと開いた口からは、使われた毒特有の甘い香りがする事だろう。
彼らの成れの果て見たアドルは複雑な感情を抱いたが、しかし彼には今そんな余裕は、たったの一秒たりとも無い。
「まぁよぉ、今は頭ももういねぇし、お前らの事は俺が好きにできるわけだぁ。まさか天秤のナンバー2がノコノコ出てくるとは思わなかったがなぁ。ぐへ、ぐへ、これも日ごろの行いの賜物かぁ? 俺はこう見えて信心深いから、神様が見ててくれたのかもなぁ」
「へっ、信心深いって面かよ。何の神を信じてんだ? オークの神か?」
機嫌よく話していたヴァジム。しかし口の悪いエンゾが嘲りながら言った途端、彼の様子は一変した。
「……お前。俺の顔を笑ったな」
「ああ? だから何だ、このブサイクが。鏡を見た事がねぇのか? それともその汚ぇオツムは鏡が何だか分からねぇか?」
エンゾの悪態は止まらない。それは相手への嫌悪感から来たものであったが、
「俺の顔を笑ったな! 俺の顔を笑ったなぁッ!!」
突然激しく激昂し始めた相手に、エンゾの口も思わず閉じた。
「俺の顔を笑った奴は絶対に生かしておかねぇッ! 殺す! 殺す! 殺すぅぅぅぅぅうッ!!」
涎を撒き散らしながら咆哮するヴァジムに、三人を取り囲んでいた”汚れ狼”の盗賊達も一斉に臨戦態勢に入る。
アドルは口に指を添え、大きな警笛を鳴らす。
ピュピューイッ! 一つ目を短く、二つ目を鋭く長く。
短い一つ目は”汚れ狼”と遭遇の意味。二つ目の鋭い合図は撤退の報せ。すなわち、自分達に構わず逃げろの合図だった。
「テメェらは絶対に逃がさねぇッ! その面、骨丸出しになるまで晒し続けてくれるぁぁぁぁああーッ!!」
怒り狂うヴァジムを前にして、パトリスとエンゾも殺気立つ。しかしどうしてかアドルだけは武器を構えながらも、頭のどこかは冷静だった。
(悪いなレイナ。俺ぁ、どうやらここまでみてぇだ。子供達の事は任せたぜ)
だがそれは勝利への閃きではない。
命を燃やす、最後の覚悟だった。
(エイク。最後にテメェに会えて良かったぜ。――後は頼むッ!!)
仲間達のため、命尽きるまで戦う決意を固めたアドル。ヴァジムはそんな彼の決意すら飲み込む様な咆哮を上げながら、彼らへと襲い掛かっていく。
「野郎共、絶対にそいつらを逃がすんじゃねぇぞ! 一人でも逃がしたらテメェら全員の首即刻切り落として、こいつらとまとめて並べてやるぁぁぁぁあッ!!」
”汚れ狼”と天秤山賊団。無人のコルンで人知れず、大盗賊団の抗争の火蓋が切られる。
「があああああーッ!!」
「おおおおおおおおッ!!」
片や”首狩り”の悪名高い幹部ヴァジム。
片や天秤山賊団ナンバー2の参謀アドル。
両盗賊団の中でも指折りの大盗賊が、互いの首級を上げんと鬼気迫る表情でぶつかり合う。
両者の実力は伯仲している。もし横槍のない状況であれば、どちらが勝つかは運命神の采配に委ねられたであろう。
だが今この状況において、個人の実力は勝敗に大きく寄与しない。
勝敗の行方は誰が見ても明らかであった。




