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第二ラウンド

放たれた殺気は、冷たく鋭利な釘で全身を貫かれるような、形容しがたい恐怖となってケンヤを襲う。


震える手で短剣を構え直し、残された精神力を絞り出して**【未来視】**を発動させた。視界に広がるのは、やはり死を暗示する「真っ暗な虚無」。しかし、その深淵の底で一瞬だけ、老婆が地を蹴り、光を追い越す速度でこちらへ肉薄してくる残像を捉えた。


「――っ!」


ケンヤは自らの全神経を加速させ、能力を限界まで引き出した。


周囲の瓦礫が静止し、舞い散る火の粉が琥珀の中に閉じ込められたかのように停滞する。減速した世界。 本来なら、この領域で彼に追いつける者はいないはずだった。


だが。


(な……っ!?)


スローモーションになった世界の中で、老婆だけが物理法則を嘲笑うかのように、全く減速せずに突っ込んできた。


加速するケンヤの思考をさらに上回る、純粋な暴力の速度。


首筋をかすめる巨大な拳。


危機一髪、本能が身体を捻らせたおかげで頭部の粉砕は免れたが、通り過ぎた拳の圧力が、背後のビルを紙細工のように引き裂いた。


「へぇ……。この速度に反応できるかい。面白いねぇ」


減速した世界の中で、老婆の口角が吊り上がるのが見えた。

彼女にとって、ケンヤの「加速」すら、少し早歩き程度の障害でしかない。


「俺が……今まで何もして来なかったとでも思ってんのかよ……」


俺は老魔女を睨み据える。これまでの死線、積み上げてきた経験、そのすべてをこの一戦に叩き込む覚悟だった。


「お互いに成長したってことで、第二ラウンド。始めようか」


老魔女が言葉を切り落とした瞬間、空気が爆ぜた。


速すぎる。未来視を酷使しすぎた脳が悲鳴を上げ、視界が歪む。予読したはずの軌道が二重、三重にぶれ、回避が間に合わない。


(クソッ……!)


せめて直撃だけは避けるべく、短剣の腹を突き出して衝撃を殺そうとする。だが、時速数百キロで飛来する鉄塊に対し、それは薄い紙を一枚添える程度の抵抗にしかならなかった。


凄まじい衝撃が全身を突き抜け、俺の身体は弾丸のように後方へ吹き飛ばされた。背後のビルの外壁を突き破り、強化ガラスを粉砕しながら、暗いオフィスフロアの奥深くへと突っ込む。

 

「ガハッ……! ゲホッ、ゲホッ……!」

 

粉塵が舞い、スプリンクラーが壊れたのか天井から水が滴り落ちる。


未来視の副作用による強烈な眩暈と、着弾の衝撃。耳鳴りがキーンと脳を刺し、平衡感覚が消失しかけている。


(……短剣がなかったら、今ので確実に死んでた……)


震える手で武器を握り直す。短剣の身は、今の防戦だけで微かに撓んでいた。


俺は周囲を必死に見渡す。ひっくり返ったデスク、散乱する書類、暗がりの向こう。


奴は、どこから来る?


壁をぶち抜いて正面からか? それとも、このビルの構造ごと押し潰しに来るのか?


地面が揺れる。いや、ビルそのものが悲鳴を上げている。

メキメキとコンクリートがひび割れる音が、心臓の鼓動を追い越す速さで近づいてくる。

 

(姿が見えない……左右か? 後ろか!? ……いや、下かッ!)


俺は床を蹴り、無我夢中で横へ身を投げた。その直後、俺が立っていた場所のタイルが爆発し、巨大な肉塊――老魔女が床を突き破って出現した。


「おや、外したかい……。歳だから耳が遠いんかねぇ。獲物の足音を聞き違えるなんて」


老魔女は肥大化したその巨体を中腰に折り曲げ、窮屈そうにオフィスフロアへ這い出してきた。天井を頭で突き崩し、配線や鉄骨が彼女の筋肉に絡みつくが、彼女はそれを気にする素振りも見せない。


俺は閉鎖空間での不利を悟り、迷わず窓枠を蹴って外へと飛び出した。


「ハァッ……!!」


重力に従い落下しながら、**【未来視】**と能力の加速を併用する。短剣をビルの外壁に深く突き立て、火花を散らしながら速度を殺して着地。そのまま廃墟と化した大通りを全速力で駆け抜けた。

 

走りながら、俺は冷徹に思考を回す。


(筋肉を50層まで増強する能力……。並の攻撃じゃ、あの肉の鎧の奥にいる本体には届かない。……だが、さっきの長野部隊の奴が言った『何かおかしい』という言葉が引っかかる。筋肉による強化……それ以外の『何か』が、あいつの強さを支えているのか?)


その思考を、背後から迫る「死の予感」が断ち切った。


(――来るッ!)


振り返る間もなく能力を展開。だが、減速した世界の中でさえ、後ろから飛来するコンクリートの塊は「豪速球」の速度を維持していた。

 

(能力を使ってこれかよ……!!)


物理法則を暴力でねじ伏せた一撃。それは俺だけでなく、逃げ遅れた敵味方すべての命を等しく「粉塵」へと変えながら迫ってくる。


「逃げ回る小ネズミを追いかけるのも、骨が折れるねぇ……」


地響きを立てながら、老魔女がゆっくりと歩を進めてくる。避けるだけで精一杯の俺を、まるでお散歩でもしているかのような余裕で追い詰めていく。


「避けないと……死んじまうからな……!」


俺は震える手で短剣を握り直した。もはや小細工は通用しない。脳裏をよぎるのは、かつて放ったあの絶技。


「今度はババァが避けんなよ……?」


短剣に全能力と、ありったけの「力」を注ぎ込む。刃が空間を歪ませ、不気味なほどの高周波を上げ始めた。


「かかってきな……クソガキ」


老魔女は逃げも隠れもしない。その傲慢なまでの立ち姿。ソウルの時に放った全霊の威力には及ばないかもしれないが、今の俺が出せる最大級の破壊力。俺は全神経を一点に集中させ、解き放った。


「時空斬!!」


地面を抉り、空気を削り取りながら、三筋の斬撃が放たれた。回避不能。老魔女は避ける素振りすら見せず、どっしりと腰を落として構えを取った。


(――確実に、当たる……!)

 

勝利を確信した、その瞬間。


耳を突き破るような金属音が響き渡る。老婆の巨大な拳が、音速を超えた一発目の斬撃を正面から「殴り飛ばした」のだ。火花が散り、時空を断つはずの刃が、まるで安物のガラス細工のように砕け散る。

 

「……は?……」


思考が停止する。続けて飛来する二発、三発の斬撃も、彼女は無造作なフックとアッパーで次々と粉砕していく。切断されるはずの拳には、傷一つついていない。


(硬いなんてレベルじゃねぇ……。概念そのものを力でねじ伏せてやがる……!)


「お前の本気は、そんなもんかい?」


老魔女は煙を上げる拳をゆっくりと開き、呆れたように吐き捨てた。


逃げるも無駄、最大火力の斬撃すら砕かれる。絶望という名の壁が、あまりにも高く俺の前に立ちはだかっていた。

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