怪物
「皆んな……!」
ケンヤが叫ぶ。その視線の先、絶望の淵に立っていた彼を嘲笑うように、老婆――ファミリーの「母親」は顔を醜く歪ませた。
「死んでないよ。……これから死ぬけどね」
老婆の魔女のような高笑いが、血の臭い漂う新宿に響き渡る。その細い指先がケンヤを指し、執念深い殺意を放った。
「私ゃね、一度殺すと決めた相手は絶対に殺すと決めてるのよ……。だからお前も、ここで殺す……」
ケンヤは咄嗟に**【未来視】**を発動させる。しかし、脳内に流れ込んできたのは、見たこともない「真っ暗な虚無」の光景だった。
(……? 何も見えない……!?)
その直後、視覚ではなく本能が警鐘を鳴らす。
老婆の放った巨大な拳が空気を爆ぜさせ、ケンヤの顔面へ迫る。未来視によって「来る」ことだけは察知していたケンヤは、紙一重でその一撃を回避した。
「お前はそうやって、また逃げるのかい?」
未来視で見た「真っ暗」な光景。それは、一撃食らって死ぬ未来だったのだ。
「もう逃げない……。だが、避けさせて貰うけどな」
老婆はニヤリと不気味な笑みを浮かべ、再び腕を振るった。たった二本の腕が、残像によって何十、何百という「鋼の拳」と化し、面を制圧する暴力となってケンヤに襲いかかる。
凄まじい拳の風圧だけで周囲の隊員やファミリーの下っ端が吹き飛ばされていく中、突如として五人の影がその猛威の中に割り込んだ。
「アイギス本部直属兼長野部隊。到着した」
長野部隊。 本部が全国から招集した、隊員全員が10万ポイントを超える、バケモノ揃いの少数精鋭最強部隊だ。
「名古屋ラボの子だよな? ちょっと下がっといて」
一人がケンヤを背後に促す。その圧倒的な背中に、絶望しかけていた戦場が静まり返る。
「お前ら……。今、私ゃそいつと決着を付けるとこだったんだよ。邪魔するなら、殺す」
「上等だよ」
返答と同時に、長野部隊は言葉を介さぬ完璧な連携を開始した。
【万物爆砕】
一人が地面に触れた瞬間、老婆の足元が分子レベルで臨界を突破。凄まじい爆発が老婆を遥か上空へと跳ね飛ばした。
【千手大気】
空中で体勢を崩した老婆に対し、見えない大気の圧力が「千の手」となって襲いかかる。抵抗を許さず、老婆は隕石の如く速度で地面へと叩きつけられた。
【氷晶華】
老婆が瓦礫の中から起き上がろうとしたその刹那、絶対零度の冷気が彼女の四肢を瞬時に凍結させる。美しくも残酷な氷の花が、老婆を大地に縫い止めた。
【光路歪曲】
老婆が咆哮と共に氷を砕き、反撃に転じようとする。しかし、周囲の光が不自然に歪んだ。直後、老婆の肉体に無数の「見えない斬撃」が刻まれる。光そのものを刃に変えた超速の攻撃。
【大地練成】
剥き出しになった筋肉層が致命傷を防いだが、長野部隊は休ませない。周囲のコンクリートが波打ち、数百トンの質量を持つ「巨大な岩の拳」へと変貌。逃げ場を失った老婆を、地面ごと深々と押し潰した。
「……流石にこれだけやれば、死ぬだろ」
長野部隊の一人が、確信を持って呟いた。その圧倒的な連携と破壊力は、ケンヤの目には幼い頃に憧れた戦隊ヒーローのように無敵に見えた。10万ポイントの壁は、それほどまでに高いはずだった。
(流石……最強部隊だ……これなら勝てる……!)
安堵が胸をよぎった、その瞬間。
「隊長……なんか来る……ッ!」
斥候役の鋭い声が響く。砂塵の奥、紅い燐光を放つ異質な影がゆらりと立ち上がった。
「アレで生きてんのかよ……本当に化け物だな……」
だが、驚愕の言葉が終わるより早く、その影が消失した。
次の瞬間、爆破能力を操る部隊のリーダーの頭部が、老婆の巨大な手によって掴まれ、そのままアスファルトへと叩きつけられた。コンクリートがクレーター状に爆ぜ、最強の一角が無惨に踏み潰される。
「こいつ……! 何かおか……っ!」
氷の弾幕を放った隊員も、老婆の拳一つで氷塊ごと粉砕され、遥か遠くのビルまで弾丸のように吹き飛ばされた。物理法則を無視した、あまりにも理不尽なまでの筋力と速度。
大地を操る隊員が必死にコンクリートの拳で老婆を拘束しようとするが、老婆はそれを指先一つで粉々に砕き散らす。大気の圧力で吹き飛ばし、光の斬撃で迎撃しようとした隊員も、老婆はその光速の刃をすべて紙一重で回避。
回避の勢いのまま、老婆の拳が光を操る隊員の腹部を容易く貫通した。
「がはっ……あ、ぁ……」
血を吐き出し崩れ落ちる精鋭。
大気を操る隊員が、恐怖に顔を歪ませながら何度も何度も老婆を地面に押し付けるが、老婆は重力など存在しないかのように平然と立ち上がる。
「良いマッサージだねぇ」
老婆の低い声が、死神の囁きのように響く。
防御のために作られた分厚いコンクリートの壁が、彼女の一撃で木っ端微塵に弾け飛ぶ。老婆はその破片を空中で掴み取ると、残された二人の隊員へ向けて無造作に放り投げた。
それはもはや「礫」ではない。音速を超え、大気を灼く流星。
避ける暇もなく、二人の精鋭は砂埃と共に文字通り「チリ」となって消失した。
わずか10分。
アイギス最強と呼ばれた長野部隊が、一人、また一人と「掃除」されていく。
老婆は返り血を浴びた顔を歪め、ゆっくりとケンヤの方を振り向いた。その瞳には、未来視ですら捉えきれない、底知れない殺意の渦が巻いている。
「邪魔は消えた。……やろうか、夕凪ケンヤ」




